【旅に出よう】 二十歳の原点4 【高野悦子】
自演禁止にワッチョイスレ立ててくれ
自演長文コピペ読みたくないし なんか
人が書いたレスをコピペしてる人が居る
キモチワルイ 206 通常の名無しさんの3倍
マナー講師
「檄を飛ばすとは自分の考えを伝える木簡の意味でうんぬんかんぬん、人を励ます意味で使うのは誤用でどうたらこうたら」
ワイ「元々木簡に激励書いてたんやで」
マナー講師「」
" 檄 "
"中国,古代に,告諭,召集,詰責などに用いた公文書。また,その文章様式。
もともと,戦いのときに起ったもので,天の時,地の利,人の和などから説き起して,
味方を激励したり,敵に降伏をすすめたりする内容のものが多く,激しい表現をとる。
最初は木札に書かれた。"
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
768 非公開@個人情報保護のため
>告諭
>詰責
あーこれ上司のお小言お説教は確実に檄ですわ
45 実習生さん
詰責が入ってるなら星野監督の「コノヤロー!」とかも檄でいいな 87 ニュースソース検討中@自治議論スレ 2019/05/11 17:59:14
「檄(げき)を飛ばす」ってのは、体育会が誤用していただけで、
もともとの意味はすごく民主的な手続きを指していたんだね。
201 ニュースソース検討中@自治議論スレ 2019/05/28 03:35:19
ああ、それ多分誤解で体育会系が正解やで
辞書だから「自分の考えを伝えて…」とかおとなしめの説明文になってるんやけど、
実際飛檄の木札に書いてあったんは「正義の為に立ち上がれやコラァ!」みたいな奴や
487 iOS 2020/01/10 10:11:19
>シンクロの鬼コーチの映像に対して
>アナが「檄を飛ばす」をコメントで使ってたな
日本人の大半はこういう正しい使い方が出来ている
なお辞書の手抜き解説だけを読んで「檄文=冷静な説得の手紙」といった勘違いをしているうっかりさんが日本人の二割ほどいるもよう(文化庁調査済み) 87 ニュースソース検討中@自治議論スレ 2019/05/11 17:59:14
「檄(げき)を飛ばす」ってのは、体育会が誤用していただけで、
もともとの意味はすごく民主的な手続きを指していたんだね。
201 ニュースソース検討中@自治議論スレ 2019/05/28 03:35:19
ああ、それ多分誤解で体育会系が正解やで
辞書だから「自分の考えを伝えて…」とかおとなしめの説明文になってるんやけど、
実際飛檄の木札に書いてあったんは「正義の為に立ち上がれやコラァ!」みたいな奴や
487 iOS 2020/01/10 10:11:19
>シンクロの鬼コーチの映像に対して
>アナが「檄を飛ばす」をコメントで使ってたな
日本人の大半はこういう正しい使い方が出来ている
なお辞書の手抜き解説だけを読んで「檄文=冷静な説得の手紙」といった勘違いをしているうっかりさんが日本人の二割ほどいるもよう(文化庁調査済み) 741 無名草子さん[sage] 2020/01/13(月) 04:28:17.51 ID:
>檄文は戦いに参加しろという文書を飛ばす→四方八方に出すこと。
>激励とか、発奮しろとかいう意味はもともとない。
発奮しないと戦争に参加してくれないから檄文の内容にはもともと激励が含まれるんだよなぁ
739 無名草子さん[sage] 2020/01/12(日) 07:20:30.08 ID:
檄→文章を書いた木札の事
檄文→書いてある文章、およびその内容。激しい内容で「正義は我にあり」「ここでやらなきゃ男じゃない」の様な人を奮い立たせる表現を使う。簡単に言うと煽りくさい
飛檄→檄を遠くに送る。現代でも「メールを飛ばす」という言い方があるのと同じ。四方八方とか数の制限は元々特にない。 ■ 高野三郎による「原点シリーズ」日記大幅改竄の現実
かんさい熱視線(2017)で偶然映った原ノートの数箇所と、公刊本の比較より
無作為抽出的なやり方を考えると、
ほかの原文も3割から5割が省略・改竄されていると推定される 11月29日後半部
原文5割省略、採用部も大幅書換
原文 https://i.imgur.com/pjvKilg.jpg
本 https://i.imgur.com/LWMoWpE.jpg
原文
PRスキーの仕事、旧人合宿の庶務の仕事、
スキー合宿について
クラブ内で積極的にやろう。
話すとき、真しになろうと努めるときでも
他人に話すときはもちろん
自分に話すときは、いつも「エエカッコ」をする。
茶化さずにはいられないということがわかった
ピエロってこんなものか。
黙って動くのみ。それともピエロのように
身ぶり手ぶりで笑わせるか
自己中心性から抜けきれずにいる
問題意識を広めようと、図書館で
雑誌をよみ始める
今日は中央公論 チェコ事件
ほかは新宿闘争について読む
人間一般を信じるように 私はワンダラー(以下略
本
他人に話すときは勿論、自分に話すときも、「エエカッコ」をする。
茶化さずにはいられない。ピエロってこんなものか。
黙って動くのみ。それともピエロのように
身ぶり手ぶりで笑わせるのか。
自己中心性から抜けきれずにいる 12月9日冒頭部 原文大幅カット
原文 https://i.imgur.com/6QAe3oX.jpg
本 https://i.imgur.com/ekybrnU.jpg
原文 12月9日
〜〜につづいて、またこたつでねむる
〜〜〜 ラジオがニュースをしゃべっていた
〜〜〜マメランプだけついていて、うす暗かった。
〜〜〜〜電車の音がガタゴトと聞こえていたけど
〜〜朝も近いらしかった
〜〜がタバコのニコチンときのう〜〜〜
甘ずっぱくイガラっぽ〜〜〜〜
**タバコのニコチンと〜以前の5行省略 12月12日 原文を7割以上省略
原文 https://i.imgur.com/xOBtx54.jpg
本 https://i.imgur.com/U9x3Jrz.jpg
12月12日
きのう、
〜前にまだまだこれからだというこれからのたいへんな〜
対する不安と。今日は満足であったという事〜
〜とが交錯する気持ちとで1日について何か〜
〜〜てみた。
月と星を見ながら眠ろうとシュラフを屋上に持ち出して
夜空を眺めながらすごした。
1番電車が真暗いなかを通り過ぎ2番電車が又音を出し始めるころ部屋
〜〜てねむった。3時半位から5時くらいまで
1時間半くらいうとうとしていた。
起きたのはなんと1時半。
〜時〜「松尾」で焼き飯をたべる。「日本の美
(以下略、25行以上叙述有り)
提案ー〜〜〜
(以下略、3行)
**採用は「月と星を」「提案」段落の計9行部分のみ
日記全体の趣旨が大ダメージを受ける 12月17日後半部 重要な部分を8割省略
原文 https://i.imgur.com/fwfa0oI.jpg
本 https://i.imgur.com/YlILbzI.jpg
原文
まあ今日はゆっくりと飲もうかと洋酒喫茶に
TELをいれておいた。そもそも彼は最初から
私を連れ込むつもりだったんだ。
洋酒喫茶では飲め〜、飲〜〜〜
ビールを フィズを コークハイを次々と出して〜〜
そういえばビールのみながらよりかかっていきなり
写真を見て膚が美しいとしきりにいっていたっけ。
それから「もしオレがホテルにさそったらどうする。」と
何回もいっていた。ホテルにさそわなかったけど
旅館に連れ込んだってわけか。
怒りと不信。
絶対にクラブをやめるもんか
徹底的に孤独になれ!
私は まがりなりにも 男と女〜〜〜
(以下略、3行以上)
本
怒りと不信。
絶対にクラブをやめるもんか
徹底的に孤独になれ!
**前後の文節13行以上すべてカット 12月18日前半 5割をカット
原文 https://i.imgur.com/PAK36rH.jpg
本 https://i.imgur.com/2sbVp58.jpg
原文
朝日らのブルジョア新聞―以下2行
私の歩き方―以下3行
ガラスのコップを―以下3行
如記君と―以下4行
**4節のうち収録は歩き方とコップの2節のみ 12月16日後半 収録率が高いところも文章の抜粋改稿改竄が激しい
原文 https://i.imgur.com/dtp6vT7.jpg
本 https://i.imgur.com/q2Mh6b8.jpg
原文:
他の人に、
私の行動から出て私に帰着するまで、迷惑をかけている。
酔っている私についてきてくれた〜〜〜
山口さん,etc
私の我ままもそれくらいだけで終わっている〜〜
きのうの場合だったら、完全に自分自身を律していなかった。
11/29コンパは、意識がまだはっきり〜〜
突発的にのんでしまった。
本:
他の人に、私の行動から出て私に帰着するまで、迷惑をかけている
昨日の場合は、完全に自分自身を律していなかった。
突発的に飲んでしまった。 12月18日後半 公刊本の異同例 単語の脱落
原文 https://i.imgur.com/QOICTwJ.jpg
左足の内出血の黒ずみを見るたびに、
私の衣服を脱がせ裸にした暴力(以下略
本
Kindle新潮社版 https://i.imgur.com/7gdbfdx.jpg
Kindleカンゼン版 https://i.imgur.com/3abO1Gl.jpg
カンゼン版で「左足の」が脱落 ■三郎一派による隠蔽工作
三郎はすべての本で「原文のまま」「原文どおり」発表を強調して意図的に嘘をつき続けた
高野三郎 序章あとがき
https://i.imgur.com/xPDMb1R.jpg
>最後に、本書は「二十歳の原点」同様、友人諸君のお名前を
>仮名にさせていただいた他は原文のまま発表いたしました。
高野家と「案内HP」管理人
日記改竄の事実を知っているにもかかわらず隠蔽工作に加担
その動機の追及が待たれる 高野家で実際に原本を見た人の日記改竄の証言(中村叙述の改竄)
http://blog.honyomi.jp/200509/article_21.html
えっちゃん
2005年12月06日 02:00
それと、私が日記をざっと読ませていただいた限り、原本どおりに本が出版されて
いるわけではないんだな、と思った記憶があります。
それは、ちょっとした語尾の違いなどだったと思いますが、一つかすかに覚えている
気になった箇所があります。
えっちゃん
2005年12月06日 02:04
本には載っていなかった箇所。
中村さんに何度か電話をかけ、取り次いでもらった時の記述がありました。
それが、「すごく待たされたのに出てくれなかった」というような記述だった
と思うのですが、(肝心な所が定かでなくて申し訳ないのですが)、
とにかく具体的に中村さんに冷たく対応されたような記述がしてあって、
(本には載っていない箇所だな)と特に思った記憶があります。
ご両親の何らかの配慮があって本に載らなかったのかな、と当時思いました。
今でもわかりませんが。
読者としては、高野さんの言葉そのままで全文掲載してほしかったと思いますが、
本を出すというのはそう簡単にはいかないのでしょうね。
あいまいすぎる記憶の情報ですみませんでした。 三郎は悦子母を尋ねて日記を見に来る女性たちを警戒し、敵意をむき出しにしていた。
えっちゃん
2005年12月02日 02:11
ただ、お父様が私とお母様が話している近くを時々通っては、嫌そうな顔を
されていたことをよく覚えています。きっと、お父様は私のような高野さんの思い出話
を聞きにくるような者を快く思っておらず、早く帰ってほしかったのでしょう。
それは、お父様の心境を思えば当然のことですよね。 詩「旅に出よう」三郎捏造問題
原本を他人に見せまいと必死に嫌がらせを続けた三郎の死の直後、
「げん」氏が高野悦子の母親・高野アイを訪問し、
詩部分だけノートを撮影、オリジナル原稿の写真が出た
それによって三郎の詩作捏造が露呈した 公刊詩
> 旅に出よう
> テントとシュラフの入ったザックをしょい
> ポケットには1箱の煙草と笛をもち
> 旅に出よう
> 出発の日は雨がよい
> 霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
> 萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら
> そして富士の山にあるという
> 原始林の中にゆこう
> ゆっくりとあせることなく
> 大きな杉の古木にきたら 一層暗いその根本に腰をおろして休もう
> そして独占の機械工場で作られた1箱の煙草を取り出して
> 暗い古樹の下で1本の煙草を喫おう
---
原文 https://i.imgur.com/fRsCLps.jpg
私に嘲笑の別れのあいさつをおくる日 私旅に出かけよう
そして富士山にあるという原始林の中にいこう
ゆっくりとあせることなく大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に(ザックを-削除)腰をおろして休もう
そして独占の機械工場でつくられた1箱のタバコを
取り出して暗い古樹の下で1本のタバコを喫おう
(暗やみがあたりをすっかりつつみこむまで-削除)
近代社会の臭いのするその煙を古木よ
おまえは何と感じるか これは本来、6/22日記の中村との「妄想の二日間」の直接的な続きであった
中村と翌朝別れたあと原始の森にある湖を探して
小船を浮かべて眠るという「三日目」の構想を詩にしたものだから
> 6月22日
> 血とくその混沌の中を裸足で歩いていくように、あなたの黒い粘液を私に
> なすりつけよう。そして次の朝、静かに言葉をかわすこともなく別れよう。
> それから私は、原始の森にある湖をさがしに出かけよう。そこに小船を
> うかべて静かに眠るため。 三郎捏造疑惑部分は
> テントとシュラフの入ったザックをしょい
> ポケットには1箱の煙草と笛をもち
> 旅に出よう
> 出発の日は雨がよい
> 霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
> 萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら
「快い涼風を肌に流させながら」のように後半は晴天を示唆しているのに
「雨がよい」という2段目の矛盾。語尾「〜がよい」という韻表現も他にはない
「春の雨の日」「萌え出た若芽」というのも違和感のあるオヤジ表現
中村との「妄想の二日間」は季節は明示してないが
薄汚い夜のネオン街、アートブレイキーのチェニジアの夜と、春のイメージは皆無
彼女は中村の黒い粘液を塗りたくって原始林に来ている
「嘲笑の別れ、近代社会の臭い、独占の機械工場でつくられた1箱のタバコ」
これらはみなネガティブなイメージなのだから
三郎の加齢臭のするオヤジ的ロマンチズムの入る余地は無いはず /::::::::ソ:::::::::::::゛'ヽ、
/:::::::-、:::i´i|::|/:::::::::::::ヽ
r‐、 /::::::,,、ミ"ヽ` "゛ / :::::::ヽ
!__ | /´ヽ . /::::::== `-:::::ヽ
l l /、, / |::::::::/ .,,,=≡, ,≡=、 l:::::::l
lー | /、, / i::::::::l゛ /・\,!./・\、 l:::.:::!
_」 、__ ノ / .|`:::| " ノ/ i\` |:::::i
/ l `ヽl i ″ ,ィ____.i i .i //
/ { ! / j r ! ヽ i / l .i i. /
l .! l,イ }/ ノ l l ヽ ノ `'''`'''''´ヽ、/ がんばれ、河井案里!
l、ヽ /¬‐-チ = ノ /|、 ヽ ` ̄´ /
ヽヽヽーィ、 ノ ! ,---i´ l ヽ ` "ー−´/
}ャ‐'ー' `ヽ、_ノ . '´ ̄ | \ \__ / |\ >>22
「旅に出よう」の詩を最後に持ってきたのは三郎
それも抜けてるねw そもそも以前から三郎は、大学生の悦子に「花嫁修業」について、
うるさく騒ぎまくっていたようだが ―
> 序章 8月28日
> 父や母はお茶とお花とお料理をやりなさいという。
> 卒業したら22歳。
> それからでは花嫁修業は遅いのだそうだ。
> 4年制大学出身の女の人は いやがられている のに、
> 何もそういうことが出来なかったら、 それこそ大変だというのである。
「4年制大学出身の女の人は いやがられている」
これが大学で学ぶ娘に対する、三郎の言い草。
三郎のゆがんだ世界観がよく表れている
では、娘の大学やその勉強は、何の意味があるのか? そもそも誰に嫌がられているのか?
いったいなぜ、嫌がられているのか?
その「4年制女子大生は嫌いマン」に嫌がられるとどうなるのか? 三郎は大学卒業後、すぐに悦子を地元の嫁として売却する予定だった
三郎にとって女は商品であり、
田舎の買春成金に譲って自分の権力ネットワークを広げる道具でしかない
おそらく三郎はすでに政治への薄汚い野心をも抱いていた。
女を奴隷として所有する、男達のヒエラルヒーの世界
学歴も財産も独占する都会の「上流」は、
そのころ専業主婦に「有名4大卒」というブランドを好んでいた
学習院卒、慶応卒、青学卒、立教卒・・・ だが当時、多くの田舎男は大卒女子を忌避する傾向にあった
田舎男は、都市上層よりも「一歩下がった」学歴の女を所有するのが通例で
その惨めさとコンプの裏返して、女に対しては暴力的な優越を誇ろうとした
女の学歴が自分よりはるかに低くなければ、コンプ発動によって
女中としてこき使い見下すことに躊躇したのである だから4大卒女子は、田舎の見合い強制結婚では不利だったわけだ
田舎男の、女に対する卑しい警戒と畏怖とコンプレックスを解くために、
「花嫁修業」が必要とされている
お花お茶料理は「4大卒でも」男に従順なアクセサリーand女中に
なり下がるという恭順な「女らしさ」の意志表示でもあり、
三郎が大騒ぎしているのは、まさにその「憂慮」。
操り人形が「使いモノ」になるかどうか、
三郎はそのことだけを心配していて日々怒鳴り散らしていた。
鬼畜親・三郎は、これまでずっとそうであったように、娘を人間とみなしていないので、
悦子の意見も、感情も、価値観も、性格も、資質も、自尊心も、いっさい興味ないし、
考慮することはなかった 周りが引いてるのに気づけよ
往年の赤軍派なみの狂信ぶりだな 三郎擁護のコピペ荒らしは一人だったんだね
急に消えた 12月12日 原文を7割以上省略
原文 https://i.imgur.com/xOBtx54.jpg
本 https://i.imgur.com/U9x3Jrz.jpg
12月12日
きのう、
〜前にまだまだこれからだというこれからのたいへんな〜
対する不安と。今日は満足であったという事〜
〜とが交錯する気持ちとで1日について何か〜
〜〜てみた。
月と星を見ながら眠ろうとシュラフを屋上に持ち出して
夜空を眺めながらすごした。
1番電車が真暗いなかを通り過ぎ2番電車が又音を出し始めるころ部屋
〜〜てねむった。3時半位から5時くらいまで
1時間半くらいうとうとしていた。
起きたのはなんと1時半。
〜時〜「松尾」で焼き飯をたべる。「日本の美
(以下略、25行以上叙述有り)
提案ー〜〜〜
(以下略、3行)
**採用は「月と星を」「提案」段落の計9行部分のみ
日記全体の趣旨が大ダメージを受ける 1969年6月の三郎による次女虐待死にいたる過程は、
日記改ざんのせいで、いまなお霧につつまれている
三郎は、悦子が死に至る過程を「失格者の弁」で自分なりにまとめ
ストーリー化しているが
主要な原因の多くを学生運動のアジビラ引用で紙幅を潰し
家族問題についてはすっかりだんまり、むしろ軽く流すことで、
すべてを全共闘と友人恋人のせいにしていた 三郎がこの間、娘のとの関係について触れたのは
「春学期の学費支払い」を彼女が拒否したことと、
そして5月31日については
> 高野三郎「失格者の弁」(原点あとがき)
> 5月31日、東京にまで呼びよせて話しあったとき、私は、
> 学園問題に関連してあの娘が学生生活を続けるべきかどうか
> という観点から論理を展開しました。
> ところがあの娘は「今日、東京へ行ってくる。…… 家族との訣別を
> つけるために。(5月30日)」と書いていたのです。
この5行がすべて。
三郎は「学生生活を続けるべきかどうか」について「論理を展開」したが、
悦子が聞く耳もたず予め拒否してきたと、運命に翻弄された無力な被害者ぶっている。
この問題は、そこにいたる父娘紛争の経過が完全に抜けていることと、
そのときそもそも三郎はどんな論理を展開したのかが抜けていることだろう 三郎の検閲によって、父娘関係の3月から5月の状況がよくわからない。
僅かに散見されるのは
4月13日に送金を受けたものの
> 「原点」4月29日
> 私も誘われたが今ではあまりにも遠い世界となってしまった高野家のホーム。
そして5月5日には、三郎からもらった辞書と百科事典を「煙草代がほしいので」
古本屋に1000円で売り飛ばしてしまうなど
31日の完全訣別へとむかって、徐々に心理的な距離が離れていっていること まず気になるのは、「15万円」送金の謎。
悦子はこれまで毎月親から仕送りをもらっていたようだ
それを考えると4月13日に一度に送られた「15万円」はあまりにも多すぎる
日記では、彼女はこんな大金を一度にもらったことは過去に無い
そのとき悦子に支払い請求のあった立命館の半期学費は6万3千円
学費を払っても余りあるから学費分にしても多すぎる
立命館文系の現在の学費は半期60万だから10倍近く物価が違う。
当時の15万はかなりの大金になる
そして悦子は送金に礼を言ったものの(当時はまだ完全に決別していない)、
この15万をほとんど使わなかった
「15万円の預金通帳は当てにするな」「燃やしてしまえ」などと書き、
冗談で過激派に寄付しようと思ったこともあったようだ(実施はしなかった)。
おそらく心理的に使いたくなかった―
だから手を付けなかったのだろう 31日に何が話し合われたのか、真実は三郎によって抹殺されたが
手がかりとなる記述はある
悦子は訣別の直後、西那須野の人づてで母親の弁明の言葉を聞いている
> 「原点」6月3日
> 31日のことで母はかなりショックを受けたらしい。(中略)
> 「悦子が自分で幸せだと思うことをやりなさい。
> お母さんは、立派なお嬢さんになりいい所へお嫁さんに行くという、
> 母の考えをおまえにはもう押しつけない」
この母親の伝えてきた反省的な「妥協」の内容から当然わかることは、
31日の親側の要求は 「立派なお嬢さんになりいい所へお嫁さんに行く」
べきというオシツケに、その根本があった、という事 悦子と親側が紛糾した点はこれなのであって
学費支払い云々はその小さな一部に過ぎない
問題になっていたのは、なんといっても将来像であり、
あくまでその内部に「卒業」問題があり、
学費支払い問題はそこから派生して焦点になったものだった これは三郎が長年娘に対してわめき散らしてた「要求」と照らし合わせて合点がいく
これより前の三郎の要求は、1年次末の3月17日の「父の要望」に現れている
それは在学中
「きちんと単位をとること」「お茶お花料理免許を習得すること」
の2点で、この両方を
> やらずにすごすなら オマエ のために、大学をやめて
> 家に帰った方が シアワセだ。(だから そうして もらう)
> 「序章」 3月17日
と、一方的に強制退学・強制送還をチラつかせて恫喝していた。
三郎は娘の死後、これらの恫喝についてすべて隠蔽し
「のんびり・すくすく・自由に育てた」という卑劣な捏造をばらまいた
「オマエのシアワセは 常に俺だけが決める」という三郎の常軌を逸した
傲慢、自分でもさすがにヤバいと自覚して巧妙に他人に隠したのだろう
時代背景もあったが、それを考慮しても三郎は札付きのゴミだった。 もうひとつ
母の発言にあるような、栃木送還後の「いい所へお嫁さんへいく」話が
この時点で具体化していたのだろうか?
「いい所」とはつまり三郎の栃木成金ネットーワーク見合いコネ市場で売却
ということだが、時に悦子は卒業まで2年あって続ける退学かは未知数、
拉致送還もまだ確定したわけではなかった。
だからおそらく家族会議の時点では具体的な話はなく、
将来のド田舎結婚を基準とした「立派なお嬢さんになり」に重点があったと推定できる
昭和の栃木の男といえば北京原人がうっかり洋服を着て徘徊している
ような野蛮なレベル、三郎の計画通り行けば「付加価値付き」の娘は高値で
売れたはずだった さらに三郎の悦子への「要望」における「免許」へのこだわり。
これはなんだろう
だいたい当時、免許を持っている女は非常に少ない
教習所費用だって馬鹿にならないのに、
なぜ、そんなものを在学中にとらなければならないのか。
60年代はマイカー時代到来、といわれたが今とは比較にならないほど
少ないし、特に女の免許取得率は1967年頃で男に対して僅か10数%
利便な都会では主婦は車を運転せず免許はいらなかった
スーパーもファミレスも無い時代、都会の八百屋などに駐車場も無く、
主婦の買い物は自転車の時代
だが生活に車が必須のド田舎では「主婦の運転」は好都合なものに
なりはじめていた。主婦は女中労働にプラスして家付き運転手をかねるわけだ
つまりこれは、卒業後すぐに栃木で封建的な男に見合いで結婚し女中になれという、
三郎のドス黒い欠損脳かつ差別的な頭で考えた花嫁修業の一環、というわけだ
そのための仕送りはする。
AV事務所が、女の美容整形にカネをかけるのと同じように ― この親側の要求を考えたとき、4月の「15万」送金の意味がはっきりする
三郎が送った「15万円」の内実とは学費に加え、
お茶お花、料理免許教習所という、即席「女中花嫁」完成フルコースに
要する経費だったのだ
三郎にとって重要なのは、娘をアヤツリ人形として都合よく
踊らせ売り飛ばすための「卒業証書」と「花嫁4種資格」だったが
69年春の時点でどうやら全くうまくいってなかった
大学卒業は紛争によって未知数、花嫁修業は完全放棄。
計画通り行かないことにイライラした三郎は、
札束で張り倒すことによって圧力をかけ、娘を要求に従わせようとしたのだろう
三郎の送金は、相手に奴隷的な行動義務を強いる脅迫行為だった
従わなければ栃木に拉致回収して成金買春の手にゆだねるという、
いつもの恫喝がセットの。 無理やり金を振り込んで強制的に高利借金させる悪質闇金。
悦子はそのような三郎の恩着せがましい汚銭を使うことは出来なかった
その汚れたカネを受け取れば、これまでどおり三郎の人形として、
生ける屍として過ごしてゆくことになる
だが彼女は、人間であろうとした。鬼畜の人形ではなく。
逆に鬼父にとってそれは一番耐え難いこと ―
だから三郎は狂乱状態になり悦子を勘当した
意思も誇りももった人間、・・・ それは生来の鬼畜・三郎が一番認めたくない存在だからだ 母親アイと姉ひろ子は数ヶ月の間、父娘の間を必死で仲介しており
最後の家族会議は東京のひろ子宅で開かれている。
無一文で飛び出した悦子を追ったのも姉だったと思われる
そもそも三郎は悦子に対して「怒鳴る・恫喝する・命令する」しか
行わないゴミだから話し合いにもならない
従うか、そうでないかの二者択一だけ。
「従わない」と決めた悦子は家族会議でも最初から拒否する心算だった
懐柔しようとする姉が双方をなだめすかして話し合いに持ち込んでいる。
> 高野悦子「原点」 5月30日
> 今日東京へ行ってくる。
> 姉と話し合い、家族との訣別をつけるために
母と姉の悦子への愛情は、すくなくとも三郎のような
歪み切った病的な支配欲とは違うもので。
だが結局のところこの二人の言葉には何の権威も権力も実行力も無い
すべての決定権は腐敗した家長の三郎が握っているから
これが鬼畜に支配された家庭の悲劇といえる 親離れしてない未熟な子供を家がいきなり追放すれば、野垂れ死ぬのは当たり前
三郎が暴れて娘を勘当してから、たった3週間後に悦子は死んだ
三郎が殺したことは明らかであり、
母親と姉の、冷たい非難の視線が三郎に突き刺さった。
少なくともそう三郎は感じた。
地元の目もあっただろう
人としての良心は微塵ももたないのに、
体面と人目だけは異常に気にする男なのだ。
母親は三郎の奴隷状態だったが姉は祖父母に育てられたので
多少まともな感覚を持っていて、三郎の異常さには気づいていたはずだ バツが悪くなった三郎・・・
三郎は叫ぶ
「俺は悪くない!!」
「悪いのは他のやつらだ!」
逆切れで虐待をゴマカすいつも発作が始まった
大声でわめけば家長としての権威を守れるという、
三郎に刷り込まれた卑しい行動パターンでもあった
こうして三郎のあくどい逆切れと、
なりふりかまわぬ自己正当化のための原因でっち上げがはじまる 運悪く遺されたノートが三郎の手に落ち、これを独占秘匿して
捏造ストーリーのネタとしてつかう案が三郎の頭にひらめいたとき、
鬼畜は文字通り狂喜したに違いない。
「俺は天才か?!」
ピンチをチャンスに変える機会が来た、と。
これによって高野悦子第二の悲劇―、
鬼畜虐待の真実から目を背けさせ、なんでも他人のせいにする
三郎脚本の改ざん日記が世に出てしまうまで、さして日はかからなかった― 被告人は死亡、証拠資料はすべて三郎が隠匿。
検事も弁護人も裁判官も、犯罪加害者の三郎が一人で兼ねる法廷。
あとは、傍聴人をいかに騙すか。
まもなく開廷、そして始まる。
大悪党・三郎の一世一代の大芝居が ―
(殺人鬼・三郎伝より) ↑それ共産党員の誹謗中傷だろう死んだから言いたい放題 >>42
憶測の域だが
案内サイトの証言・宮原さん編で
実家からまとまったお金(10〜20万)が入るので、それを寄付・・・
という証言がある
現在の貨幣価値で言えば100万円にも匹敵する金額を
親に出させ、それを活動家に寄付しようとしてたのだろうか。
あまりにも考え方が幼すぎる悦子さん
15万の件は自分も不思議に思っていて
某サイトの管理人にメールをしたこともある
あとでゆっくり調べます、という返事を頂いたが未だにサイトには載ってない http://www.xn--1969-4s5fi92ag33e5h3bbig.jp/99_blank001013.html
2.高野悦子さんの印象(世間の手垢に染まっていない純真・無垢で自己主張が苦手な人)
私の彼女に対する第一印象は、純真で、フランス人形の様な可愛い女性だなと思った。まさに泥田に鶴であり、
この過酷な環境の中で、彼女がどのようにして、みんなの中に溶け込み、一人前の活動家に成長していくのかは
難しいなと思っていた。私が今までに接したことのないタイプの女性であった。
(現代風に彼女のイメージを言えばENEOSのCMに水素ステーションを見学に来た 能年玲奈さん編があるが、
あのリックサックを背負った雰囲気が高野悦子さんに良く似ている)
そのCM
https://www.youtube.com/watch?v=kwJ779ZPIYI > 「原点」 5月5日
> 煙草と「戦後学生運動」がほしいので本(ウェブスターの辞書と米語の世界地図
> と学生百科事典)を売りに行った。3000円位になるだろうと思ったが、
> たったの1000円。最初1軒では、あんなに重いもの持っていったのに、ああ無残にも
> 断わられてしまった。折から今日は祝日で京極通りは「繁栄」と「平和」に満ち
> あふれているのに、何と我が身のわびしかりしことよ。
悦子は春、大学を辞めようとしていたが、
勉強自体をやめようとしたわけではない
独学で資本論やアナキズムを勉強する意志もあった
ならば辞書や百科事典を手放してしまうの惜しいと思える
それらはどんな勉強にも必要だからだ
「スキーを売って資本論を買う」のとはわけが違う
なぜ叩き売ってしまったのだろうか > 「序章」 2月21日
> おとうさんが、かっこにはWebsterの辞書と英語の地図をかってくれ、
> 昌之には子供のための百科辞典、ヒロ子ちゃんには美術書、家には百科辞典
> (すべて英語の)をかってくれた。全部で20万円ほどしたという。
> おとうさんやおかあさんは、かっこや子供のためにおしみなくいろいろな
> ことをしてくれる。
三郎の飴と鞭、
だが飴は、鞭を振るう前の小道具に過ぎない
虐待を愛情と錯覚させる鬼父得意の、幕間劇 ―
1960〜70年代当時、大流行の「ブリタニカ百科事典の訪問販売」
価格は交渉しだいだが一括で数万円、貧乏人には頭金3000円の2年分割払い、
総重量約60キロ、巨大英語辞書と英語地図もつく 全巻背表紙の原寸大写真をひろげて販売員があがりこんで説明するが
これはリベート5割近いというとんでもないブツで
もちろんブリタニカや平凡社の社員でなく怪しい委託会社が売りに来る。
美術全集は平凡社の30巻本だろうか
三郎は20万払ったが販売員に世辞でも言われていい気になり、
ボッタクリに騙されたのであろう
見栄を張りたがる田舎の成金はカモになりやすかった。 「全裸監督」で村西とおるが英語教材の訪問販売員をやっていたが
実際は村西はたしか英語「百科事典」の有能なセールスマンだったはず
とはいえ売り方は変わらない
英語教材を売って「これであなたも国際人」の決まり文句、
平凡社の百科事典では「ちゃんとしたご家庭」に事典を1セット、という
狙いは一軒家や団地の分譲組、カネの次は教養の切れ端が欲しくなった
高度成長経済に乗って小金を溜め込み家を買ったささやかな成功者、
ささやかな勝ち組市民の自尊心をくすぐる
とはいっても、えげつない訪問販売員は下宿間借り生活者にも
口八丁でローンで押し売りしていたが
騙されて買われた莫大な数の百科事典や巨大辞書の類は、読まれることは無かった
だいたい、そんなでかくて重い本が読めるわけない
家庭の応接間や書斎のオブジェとして、神棚のように陳列放置
カフェバーに飾ってある洋書と同じだがそこに「おしゃれさ」はなく、
醜悪なまでに無作法でずうずうしかった その空間に生まれたのは、知識や教養や国際性ではなく。
教養という「権威」だけが逆立ちして歩いていた
まさに「教養」とは正反対の俗物的自己満足の残骸が
場所をとって邪魔な姿をさらしていたのだ
子供にこれをプレゼントして自己満する父親も多かったが
たいていは体面がすべてな権威主義的な虐待家庭といってよい。
その空疎な権威は、実は三郎のまとう非人間的な権威そのもの―
三郎が娘に押しつけたのも、悦子が三郎のステイタス・アクセサリーに
過ぎないことの烙印でもあり、ある種の呪具―
だからこそ悦子は、それを捨てねばならなかった ところでこの手の本、重くて豪華だから価値があると思いきや、
売りに行くと古書市場ではほとんど値がつかない
そもそも訪問販売の売値からして超ぼったくり価格だったわけで。
そこに本当の価値など何も無い
とんでもない重量や場所取りと反比例する空虚な内実
その巨大で無価値な「欺瞞と見栄の塊」を捨てたとき高野悦子は、
鬼畜三郎の奴隷人形の烙印を振り払ったのだろうか
ならば売ったその小銭で仕込んだ煙草の煙とともに、
汚れきった三郎の呪いを空に吐き出したに違いない ウチにもあったな、平凡社の百科事典
昭和一桁世代には3種の神器並みのステータスシンボルだったんだろう 三郎という悪鬼を生んだ「時代」
三郎は論外としても、女の自立が困難で悪父が平気で人身売買に走る背景には
60年代という暗黒時代があった
高野悦子は高校時代のノートを読めば
「結婚願望がまったく無いこと」「職業的自立を考えていたこと」
という点で、その頃むしろ珍しい部類の女性だった
社会の女子大生バッシングや、
国家社会の側が女子大生になんら人生モデルを提供できないことが
立場をますます困難にしていたわけで
三郎が怒鳴り散らした 「4年制大学出身の女の人は いやがられている」
というのもその時代背景で生まれた言葉 「女子大生」をめぐる混乱は戦後すぐから始まっている
新制大学発足後、女子の4大進学率は2-3%で推移していたが、
その大半がまず私立大学の文学部に集まっていた
これに対して1962年、大学側のストレスが爆発
暉峻康隆や池田弥三郎の「女子学生亡国論」「女禍論」が論壇をにぎわした
これは「女は4年制大学に来るな!」という大学側からの不満だった。
女が文学部に殺到し早慶以外は過半数を占めるにいたり
人気があったのは都市部上流階層にとって望ましい結婚相手とみなされた
「学習院」「青山学院」「立教」のようなブランドで女子比率は8-9割まで急上昇 私大は、暗黙の採点不正(男子学生の点数底上げ)をおこなっていたのに
このざまで教授連の議論によれば
男子は職業社会人として「大卒の学歴」が切実に必要だが
女子はほとんど就職しないし、してもすぐ結婚退社するので学歴は必要ない
入試の成績はいいが、そもそも大学で勉強する必然性も無い
女にとって社会的に意味のない「学歴」は実は結婚ブランドのため。
そんな下品な目的で、人生がかかってる男子の受験を妨害するな、と。
付随的に挙げられた経営問題も大きかった
当時は、私大は卒業生の寄付金と多額の校友会費を当てにしていたが
女子卒業生は結婚後旦那に服属するから自由になる財布を持たず、
母校に寄付金もくれないし校友会費も払ってくれない 暉峻康隆(早稲田大学文学部教授)
「現実は完全就職のお嫁さんだけが目標です。
たまに就職しても、結婚の相手ができるとサッサと辞めてしまう。
少々成績は悪くたって、職業を一生のワザと心得る男子学生を教育した方が、天下国家のためです・・・
いまは、おしなべて良家のお嬢さんのお教養ですね。
なにも高い月給を払って大学にくることはない。テレビの教養番組をみてた方がよっぽどマシですよ。」
奥野信太郎(慶応文学部教授)
「女というのは馬車馬のようによくやる。・・・
そんなぐあいだから、彼女らの試験はよくできる。
が、結局それだけ。どだい、ハンドバックを選ぶみたいにフランス文学に
しようか国文学にしようかというわけだから、結婚してすべて終わりです。
私学は有力な校友、先輩の経済援助なしには成立しない。ところが女性は
天性のケチなうえに、結婚後は亭主に同調する習性がある。だから彼女らに期待できない。」 高野が大学入学した「1967年」はどうか
この年、女子の4大進学率は4,9%、1964年の5,1%から停滞していた
停滞の原因はベビーブームの人口増や、社会の女子学生バッシング
同時期に女子の短大進学率は約10%、高校進学率は70%(地方では60%)
短大は家政と語学が多く、看護以外は専門性無く高校の延長的な花嫁修業
つまり地方では平均以下の家庭はなお中卒が多く、
中流階層以上がだいたい高卒、
娘に2年だけ遊ばせてやろうという1割が短大、
金持ち+見栄+子供真面目な上級国民5%が4大に進んだ
5%はいまの女子の大学院進学率より低いから
比率でいえば当時の高卒=今の大卒、
当時の大卒=今の大学院卒みたいな感じになる 娘を二人とも4大に行かせたというのは、
三郎的には田舎の自分の権力に利するという打算もあったに違いない
このとき4大女子の卒業進路は無職3割(で結婚)、7割が就職だが
企業「総合職」は実質無いので就職しても社内結婚してやめるケースが多い
文学部だと女で職業的に自立できるのは、
教員・新聞記者・通訳・ガイドあたりだが現実は非常に狭き門だった
高野悦子もそこらへんを考えていたらしい
が、彼女は大学入学と同時に無気力怠業に近い状態に陥ってしまった 日が変わった瞬間に予め用意してた原稿を連投し女子女子騒ぐ変なのが居ついちゃってるな。 >>74
>>彼女は大学入学と同時に無気力怠業に近い状態に陥ってしまった
それはない。むしろ大学生活を充実させようと希望を持ちすぎたり背伸びし過ぎ
て戸惑ってる。焦って無理し過ぎている。少なくとも怠業なんてことはない。
自分の就職など個人的な将来の利益を求めていたなら部落研とかにには入らない。
もっと自分を守ることを考えながら世の中のことも考える、そんな慎重な選択や
行動をしてたら自殺なんていう結末にはならなかった。 社会主義とか共産主義というよりも、もっと曖昧なイメージだけの革命幻想の中で
彼等は突き動かされていたように見える。
間違いなく思想カルトといっていい。
その後の学生運動の凄惨な暴力や腐敗と比較すれば、悦子さん達はまだ初期の正義
感やロマンを失ってはいなかった。間違いなく浅はかで愚かではあったが。
共産主義とか革命とか言う前に、彼等にはもっと深い部分に幻想というのか理想と
いうのか、願望というのか欲望というのか、心の叫びがあったのではないか?
同じ価値観の上で、下で、中で活動し生きたい、男も女も共に。
ユートピアを目指す学生集団。恋愛もその中で成立する。
やたらと倫理感、更には禁欲が求められる。プチブル批判、自己批判という形式で。
それは理論でもなければ思想でもなく、ほぼ宗教に近い集団主義的な幻想だった。 カルト連呼厨うざい
何年ここに住み着いてるんだよw 自殺した当時の悦子さんが支配されていた、社会や人の見方考え方の中心に
そのカルト思想があったわけで、この部分を抜きには当時の彼女の行動を理
解できない。
どの時代にも共通する一般的な青春の苦悩という部分に、彼女が生きた時代
の、特に学生運動が激しかった状況の中での考え方や行動の特殊性や異常性
を感覚レベルで理解しないと彼女の全体像は見えてこない。 >>63>>64
権威的であろうと、無教養だった庶民が、百科事典を得ることで
どんな形であれ知識に触れることのできた意義は大きい。
そんな庶民の努力を、インテリの「上から目線」の態度で批判するのはよくない。 もう語り尽くされた感でいっぱいだね。
生きていれば70の婆さん。
そう考えると、外見からは信じられないが、
婆さん達にも、こんな若い時代があったと
いうことだ。 ただの婆さんではない。
ベストセラーを世に残した婆さんだ。
死んで50年経って言葉がなお生き続ける婆さんだ。 悦子さんは、おばさんにも婆さんにもならなかった。
そうなることを潜在意識レベルの判断で拒否したんだ。
二十歳のまま止まった。 老醜をさらす自分の現在を鏡に写すと、
二十歳で死んでしまった悦子さんの、生きようとする諸力=欲望は
一夜漬けのアッサリとしたものだったのかもしれないと思う。
衰えても、汚れても、醜くなっても、そんな自己嫌悪する自分を
自覚しても仕方なしに許容し生きていかざるをえないのは欲望の
なせる技。
自分の老醜を見ることなく死んでいくのは清々しいが潔癖過ぎる
し、視野狭窄的に狭量でもある。
美しくても醜くても咲いてしまった花は、茶色になって枯れるま
で水を吸い続ける機能と欲望と鈍感さが必要だ。
鏡に写る私は主役なのだ、私にとって主役以外のなにものでもない。 あいつは最初のころは階下まで行って応対していた。でも後半のころは、もう居ても電話に出なくなったね。
「それでいいのか?」と何回も聞いた。言葉通りじゃないけど、中村は「いいんだ」「一度遊んだ女やけど、しつこい女は嫌いや」というニュアンス。
高野さんのことを「また、あの女だ」と。
それで何回も「出なくていいのか?」と聞くと、あいつが「いや、もう放っておこう」といった感じだったことが何回もあった。
やっぱり悦子さんは遊ばれていたんだね。 日記のちょうど10年後、大学新歓コンパの二次会で行ったパブ田園が懐かしい 日記を読んで遊んで捨てられたんだろうと思ってた通りの結果 小山田さんも二十歳だったんだ。
根拠もなく勝手に30歳以上だと想定してた。
小山田さんは悦子さんと何度も飲み屋などに一緒に行ったし、
いつも悦子さんの下宿まで送って行ったと言う。
悦子さんを救うことができたとしたらこの人だっただろうな。
中村との関係を知ってたからそれ以上は行けなかったのか?
中村のような男と違って紳士的な人だったんだろうな。
悦子さんは小山田さんをどう思っていたのか?
私を飲み屋に誘ってくれる人、だけではないだろう。
だから何度も日記に出てくる。
送って行ったときに握手とかハグでもしてたら悦子さんの
視線も気持ちも変わったかもしれないな。
でも、それ以上に学校と学生運動の関係で危機的な心理状
態だったかも。