炎の小説
人は人知れず誰もが炎を宿している
君は炎を示せるか 僕は時々熱くなって誰彼となく情熱のメールを送るのだ
相手は男女関係ない
なぜか、情熱のメールには返信のないことが多いと
それで僕はなぜ返信をくれないかと問う
大抵の返事は「何と書いたらいいのか分からない」というものだ
例えば、女性だと恋の告白なのかと思うらしい
違うのに
男性だと、あまり僕のように熱くなりやすいヤツとは関わりたくない本能が働くらしい
虚しいものだ 要するに人は自己に内在する情熱の炎を自ら怖れているらしいのだ
自ら怖れるものに、ましてそんな他人の炎に触れたくはないのだろう
だが、炎は命そのものだよ
なぜ恥じる?
なぜ怖がる?
僕は返信の来ないつらい経験を積むたびに自己嫌悪に陥りそうになる
「誤解だよ、僕はもっと強く、深くあなたと話し合いたいだけなんだよ」 最近の最もつらい体験はお嬢さん育ちの女性に誤解されたことだろう
僕はお嬢さんの上品さを随分気に入っていて、多少なりとも付き合えたことが嬉しく、
冗談で(本当に冗談で)彼女を誉めそやしたんだ
冗談は通じなかった
冗談に炎があったからだ
炎があったって僕は冗談しか言ってない
恋心なんかじゃない、決して
返信は数日たって、僕の催促で来た
「もう無理みたい」
そんな!
炎を燃やすのはスポーツだけなのか?
僕は小説を書く男なので、今後もこんな不幸に近い経験を重ねていくのだろうか? 僕は常々は静かな男で通っている
時間の動く限り炎を燃やしているわけじゃない、もちろん
僕は常々考えごとが好きな人間だ
炎を燃やす時間よりは圧倒的にそんな静かな時間の方が多いだろう
大人しい、けれどもしっかりした人間だと思われているようだ
僕はそういう見られ方がちっとも好きじゃない
むしろ、そういうふうに見られたくない
人は知らないのだ
考えることの好きな人間、小説を書く人間の実情を お前の炎はとっくに鎮火してるよ、
連コメから滲み出てる。悪臭。文才がないから諦めろ。 >>6 >>7
悪態つかれてるだけだけど、何の返信もないよりはマシだ
>>7
>お前の炎はとっくに鎮火してるよ
文芸欄に住んでるだけあって、なかなかいい文句を書くね
連コメになるのは、これは呼吸だ
小説よりは「詩」に近い呼吸といっていい
それが分からないところを見ると君にこそ文才はろうないようだ
もっとも、文才ある人間だけが集ってるわけでもないのだろうけど 時々僕は生活が無意味に感じられることがある
主に、仕事のことだ
「つまらない、こんな時間飛ばしたい」
まあ、数分の不幸と嘆きだけどね
つまらない時間を飛ばしたらどこで着陸したらいいのだろう
明日か来週か、来月か、来年か……
人には言えない
着陸予定地なんて 竹内結子の自殺はいろいろ考えさせられた
わずか1時間前にはなんともない、いつもの様子だったのに、首を吊った
人なんて、実際、他者からは計り知れないよ
普通に笑って生活しているように見えたって、そんなものはただの息苦しい知恵だよ
僕の高二のときに、実際首吊りしたクラスメートがいた
テストの最終日、大型バスが校内に入ってきて、なんだろう? とは思ったが、自分のクラスの
生徒を迎えに来たなんて夢にも感じられなかったもんだ
僕たちは担任教師からK君の死を告げられ、彼の葬儀のためにバスで彼の家に向かったものだった
翌日の新聞には彼が進学に悩んでいたという記事が掲載されていた
本当だったのだろうか? 竹内結子は首吊り自殺だったという
だとしたら、発作的ではなく、予め心の用意はあったのだろう
自分とは何か?
人間も全ての動物同様、環境の生物だ
人は狼に育てられれば狼にもなれる
狼に育てられた人間は、野生の本能で狼に似た生態で生きる
当然だろう
人はこの世に誕生し、固有の姓名を与えられた時からその名で生きてゆく
だからといって、一生その固有の姓名に自己の運命を注ぎ込もうと思った人は
そうは多くはないだろうと思う
人生は固有の姓名の別名ではないからだ 熱い文章もいいけれど冷めた文章もいい
熱さをあえて抑えた文章に魅力を感じる。