「息子と一緒にいる女」
「あの女が来てから」

これをそのまま言葉通り受け取れば、美月とも取れるが
母の言う「一緒にいる」や「来てから」は偽龍蔵寺の身体に乗り移っている思念体そのものを指しているのではないかとも考えられる