穢れた歯ブラシを手に文子は肩を小刻みに震わせる。ポエムを口にするにはあまりにも闇深いあの口にこれが咥えられたのか、それを自らの口で咥え込んだ恐ろしさに打ちひしがれていた。

寄せては返す波のように恐怖と嫌悪感が文子にまとわりついている最中、洗面台に隣接する浴室から怯えたような声が響く。

『お婆ちゃん、ごめんよ。全部僕のせいだ。』

引き戸の先には空の浴槽に膝を抱えた格好で孫の蛇之介(だのすけ)がいた。

娘・サエの私生児で文子の孫にあたる蛇之介もまた彼女の留守の間にこの家の住人となっていたようだ。サエに情夫が出来る度に孫とは同居と別居を繰り返していたがこの家で見るのは久しぶりであった。

またか、と文子は『ことの成り行き』を察した。サエが男に入れ込むごとに文子は蛇之介の母親を代行させられてきた。それ故に彼の奇異な行動にも意味を見出すことも容易だ。

幼少の頃、捨て犬を拾ってきた時もそうだった。高校生の時分にセガサターンとかいうゲーム機を欲しかった時もそうであった。『空の浴槽に入り込んで聞き入れてもられるまで出ようとしない』、それが蛇之介の『お決まりの』おねだりなのだ。

悪い子ではない。物腰も柔らかく、人様に手をあげることもない。男の子の割に芯の強さに欠けるようなきらいもあるがこんな時、彼は梃子でも動かない。その蛇之介のおねかだりが今回は"ぶるつり"なのか?

『ポエムの園!ポエムの園!ポエムの園!』
『お弁当を要求します!』

世の中の理不尽を詰め込んだような闇の口から発せられた言葉。それらが文子の前頭部にリフレインする。

『もう今夜は二階に行って休みなさい。』

そう一言だけ伝えて文子は床に就いた。