俺達は上の世代が作った社会を生きてきた。彼らバカマッチョがキチガイフェミに迎合し、増長した勘違い女が権力を振りかざし、男性の性欲を弾圧・支配して醜い欲望を貪る、そんな女に嫌気がさして多くの男性が草食化し、同じ数だけ女も婚絶・喪女の自業自得に晒されている。
婚絶喪女は自業自得だし、俺達もそんな女はどうでもいい。けれども、そんな男性にとっても女にとっても不幸な世界を、年下の若い男子中高生に残していい訳は無いと思う。
彼らが主体的に恋する権利を守るためには、女が男子の恋愛行動を支配する暴力装置の正体を暴く必要がある。つまり「セクハラ」という概念が持つ暴力性の問題だ。

〜女性の意見〜 あなたが認識するセクハラの境界線。「どこまで」、また「どこから」がセクハラになると思いますか?!
嫌いな人なら、何をやってもセクハラ。存在していること自体がセクハラです。
大谷日堂さん
http://www.kingdom.or.jp/nanchie/html/03/08_02.html

自分が「嫌い」だと思えば「そこに居る」だけで男性を犯罪者扱いできる権力が、女には与えられているという訳だ。
「自分が嫌だと感じればセクハラ」とはそういう事であり、つまり恣意的な主観で相手を「セクハラ加害者」と自由に認定し罰することが可能という、「一方的裁判権」を持つ支配者になるとだ。
それを許す認識は既にこの社会の公的認識になっている。

そして女の性欲には「選別本能」があり、自分が選んでいない異性によるアプローチを不快に思う心理がある。この女の本能は男性の性欲と違い、「制御」を求める公的認識すら課されていない。
つまり、アプローチしてきた男子を虐めて「万能感」を楽しむヒャッハー女の跋扈を許し、セクハラフェミはそれを推奨すらしている。

もちろん「そんな女ばかりじゃない」と女は弁解するだろう。だがそれを見分けるには経験が必要だ。若者達はその経験をどこで積むのか?