インディ開発者の語る、恐怖演出におけるインディの強みについて [転載禁止]©2ch.net
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ホラゲって結局変なモンスターと戦うゲームになるからな でも攻撃手段がなにもなくて、襲われたときに逃げなきゃいけないゲームって
何度目にかは怖いじゃなくて面倒臭いと感じるようになっちゃう >>1
大作の動的な流れを問題視しておいて動的な要素を主軸にしてるところに問題を感じる
武器を持たない、逃げる、抵抗できないにしろ、戦うにしろ、結局プレイヤーのスキルに依存してる部分は何も変えてない
攻めてきてる敵に対して逃げてるって事はきちんと抵抗してるって事だから
その行為が難しいのなら、それだけ精一杯抵抗してる事になるし
それで無事乗り切って先に進む仕様なら常に自分の能力で打ち勝ってる事になる
その辺から間違えてる気がする
この分野は本来敵が来たらこっちこそがやられる側
自分の運命や結末を決めるのが自分じゃ結局は
結局プレイヤーの乗り越える為のスキルに依存するから常に疲れるし
そもそも自分で乗り切ったらそれこそ無敵感を得て恐怖も減る
まず最初に自分の力で勝ち進む必要性(仕様)を削除する事が必要なのでは
敵か何か来たらこなさなきゃいけない何か こう読んでいるとただグロいものを作りたいだけじゃないの?って感じがする
「恐怖を作ろう」というか、「怖がらそう」と言う意気込みが感じられない 登場を勿体ぶる癖にびっくりトラップか顔芸しか能がない幽霊とかいうゴミ
雰囲気() ホラーは一通り演出みると飽きる
サイコサスペンスものがもっとでるといいな 無敵感覚と無力感の表現もおかしい
無敵感覚が敵を自分の意思でどうにかできる感覚だったら
逃げられるっていうのもその万能の感覚なのでは
無力感を感じるのはそもそも「やろうとしているのに出来ない」からで、「はじめからやるつもりが無い」からではない
それなのに「逃げる」事しか出来ない、やろうとしない、のはいかがなものか
無力に感じる作品はそれこそ色々な抵抗が出来る
でも抵抗が通用しないから無力と感じる みんな抵抗できない事が恐怖だと言ってるけどそれは最大の間違いで
恐怖になるのは抵抗できるけどどんなに抵抗をしてるけど何をやってもそれが通用しない、結局は悪い結末になる
だから無力と感じるんで
結局は何をどうしても逃れられないと言う粘着性、重みを感じる
だから本来は色々な手段(無駄な抵抗)をやれる方が恐怖演出の正統派だと思う そもそもおかしいんだよね
自分の命がかかって必死に助かりたい場面、逃げるしか試みようとしない事(出来ない)
本当は何でも一か八かでも試そうとしてでも助かろうとしなければおかしい
そうしないとそもそも必死さも感じない
もちろん武器による抵抗だって
偶然見つけた拳銃や武器で安易で安直に抵抗しようとした結果最悪の結末をたどった暁には
むやみに落ちてる武器を調べる事さえ恐怖する 要するに生きる為にさまざまな抵抗をして下さい
必死に
それこそ思いつける限りの事をやって見て下さい
その幾つもが出来ない事だけど仮に生き残る事のできる抜け道を見つけられればものすごい開放感を得られる
さらにそうやってたどり着いたエンディングがバッドエンドで、助かったと思ったのにエンディングでだんだん雲行きが変って殺されたら粘着的に最高
そして更なる開放感
何をやろうとしても包み込まれて逃れられない感覚
恐怖の手の中にいる気分
そこからの開放
要するに必死に何でもやろうとして出来ないから怖いんだよ
何もやろうと出来ないからじゃない >ただ部屋の中にいて、「さて、生き延びないと。どうすればいいんだ?何が危険になるんだ?」と感じる。目標が不明瞭なんだ。
目的は明瞭でないと
不明瞭なのはやり方
目的:生き延びる事 もっと突き詰めたら例えば助けを呼ぶ事・外に逃げ出す事・出口に逃げる事・問題を解決する事
やり方:どうすれば良いか分からない
目的が不明瞭だと何をしようとすればいいのかも分からないし、自分で何かやろうとする部分を持ってないから恐怖も感じない
やり方は明瞭だと困る
パズルをとけばいいのか、敵を倒したらいいのか、敵から逃げればいいのか
分かっていれば、後はそれだけやってればいい訳で
外の誰かに電話で助けを求めればゴール(目的)ははっきりしている
けれどどうやったら電話をかけられるかは分からない
色々助かろうとしてみるけれどどうにも成功しない それを逆にするからおかしい
何をすればいいか分からないからプレイヤーは最終目標も分からないまま進む
やり方は分かってるからやり方どおりの行動をとる
道なりに進む
敵が来たら指定のところに隠れる
とか
この人の言ってる事
目的:分からない、進める道に沿って進む、自分からは何を目指そうとすればいいのか分かってない
やり方:指定された行動をとり続ける、いける場所に進み、敵が来たら指定された行動をとる
本来の形式
目的:友達に助けを求める事
やり方:分からない、プレイヤー自ら目的の友達と連絡を取ろうと、電話をかけたりサインを出したり色々やってみる >ただ部屋の中にいて、「さて、生き延びないと。どうすればいいんだ?何が危険になるんだ?」と感じる。目標が不明瞭なんだ。
目的は明瞭でないと
不明瞭なのはやり方
目的:生き延びる事 もっと突き詰めたら例えば助けを呼ぶ事・外に逃げ出す事・出口に逃げる事・問題を解決する事
やり方:どうすれば良いか分からない
目的が不明瞭だと何をしようとすればいいのかも分からないし、自分で何かやろうとする部分を持ってないから恐怖も感じない
やり方は明瞭だと困る
パズルをとけばいいのか、敵を倒したらいいのか、敵から逃げればいいのか
分かっていれば、後はそれだけやってればいい訳で
外の誰かに電話で助けを求めればゴール(目的)ははっきりしている
けれどどうやったら電話をかけられるかは分からない
色々試してみるけれどどうにも成功しない >ベッドの下や収納の中に何かいるんじゃないかという感覚
いってる事は正しいけどOutlastは全然そんなゲームじゃないよね
ベッドの下や収納の中を調べてみたいとかそういう場面は無いと思う
で、ベッドの下や収納の中を調べると何か起こるかもしれない、実際に何か起こりうるようなゲームだったら本当に怖いと思うけど
Outlastだと悠長に調べたいなんて思う時間も無い
新しい部屋や未知の部屋にはじめて入った時
ベッドや収納の中を調べてみたい、でも何かいるかもしれない、何か起こるかもしれない、そして実際に起こりうる
そういう気にするためにはそこを調べて見て初めて恐ろしい事が起こりうる
と言う状態でないといけないと思う
何か起こってる空間ばかり作り出そうとするけど
必要なのは
何か起こりそうな空間(今はまだ何も起こってない)
ですよね?
今現在は何も無いけど、ベッドや収納等を調べたら何かいて、殺されそうになったり、そのまま殺されたりされうる、と言う状態
調べるまでは何も無い、一見いたって何もない状態、でも調べたら何か起こるかもしれない・・・調べてみたいでしょ?と誘う空間
恐怖を振り払って『正しい場所を正しい調べ方で調べられた』なら重要な鍵や何かを手に入れられる
と言う事は間違った調べ方も存在する
そのためには正しい情報をきちんと得なければいけない 血みどろのおぞましい環境とかはこの手の恐怖にはむいていないと思った
どちらかと言うと一見日常的なそういう空間こそ、だからベッドの下は大丈夫か?念入りに調べたいのでは
もう血みどろの空間でこれ以上何起こると期待できる?と言う 本当こういうゲームばかりだよね
最初に主人公の設定やこれからやる事を言葉で教えられてゲーム開始
プレイヤーは何をするのかきちんと分からない、前進すると一本道が始まる
その一本道を進んでいると色々な脅しシーンが出てきてそれらに身を任していると話は進む
指を切り取られたりと気持ち悪いシーンはふんだんに盛り込む
そのままどんどん進行するとエンディング
本当はこんな感じ
主人公=プレイヤーは、こういう状態に陥りました
では好きにして下さい
これだけのシンプル
主人公は殺人鬼のいる館に閉じ込められました
どの出口も鍵が閉まっています、「電話で外と連絡を取って助けてもらおう」(目的)
では自由行動
事務室、電話、繋がらない
電話の線をつないで電話をかけてみる
→ 電話に殺人鬼が出る
→ そのままそこにいると殺人鬼が入ってきて殺される
携帯電話、繋がらない
屋上、電波が来ている、友達に電話をかける
友達、死亡フラグ
この状態でもう一度電話をかけると助けを求める悲鳴
かけないと寝室から友達の死体を発見
友達の死体の出る条件で寝室のベッドを覗き込むと殺人鬼登場
撃退できないと → 殺される
覗き込まない → 殺人鬼は出ない
屋上で携帯電話をかけない → 寝室にはベッドを覗き込んでも殺人鬼はいない(その代り応接室の蛍光灯をつけると出て来る)
★ ゲーム中一度だけ殺人鬼を銃で撃ってその場で撃退できる → どこに登場する殺人鬼を撃退するか?それによって手に入るものや入れる場所に変化がでる → それに伴ってゲームの結末も変化する、もっていなければいけないものを持っていなければ最悪なものにも
銃の撃ち合いとか戦いとか入れたいならそういう形式に乗っける
その場合当然銃は一度しか使えない何て事は無い 小道具としては例えば、キッチンになべが置かれている
なべを調べる→なべを覗き込むと何か煮えてる→かき混ぜてみると目玉が浮かんで来る
調べなければ何も無い
見たいな感じ
敵たちとかの登場も気持ち悪いシーンもプレイヤーの行動した因果で発生してる
>>1に挙がってる例に出て来るようなのは逆に
プレイヤーの行動と何も関係ない
プレイヤーは道なりに直進すると周囲に血まみれの景色が広がっていて、串刺しの人がいたりする
そのうち敵がいきなり出てきて、全て所定の行動をとるだけ、逃げるなら逃げる撃退するなら撃退する
所定の行動をとり続けるとエンディングになる >>1のパターン
道なりに進んでいると串刺しの人がいる
そこらにいる
いっぱいいる
歩いて前に進んでいると、ちょっと脅してやろうと思って後ろから敵が出てきて脅かす
殆ど必ずそうなる
恐怖の演出では
歩いている分には一見何も無い
カーテンが揺れていて気になる、調べてみる?調べてみない?自分で決める
調べると→串刺しの人が演出と共に見つかる
さらにその場合その後、殺人鬼だかゾンビだかが登場したりする
>>1の批判してる大作のパターン
道なりに進んでいると串刺しの人がいる
そこらにいる
いっぱいいる
歩いて前に進んでいると、前から敵たちが襲って来る
次々倒して進む 怖いゲームでは自分の犯した行動に対して何か起こる
自分で何かをしなければ何も起こらない
こんな感じだと思う
どうすれば閉じ込められた建物から出れるかな?
窓のブラインドを開けてみる・・・すると危険で危ないが起こる(または何か出て来る、または両方)
で、その上で今度は窓のブラインドを開けなければいけない、開けないと先に進めない場面が出て来る、開けても何も起こらない
または同じ窓で開いていい時いけない時
そうやってやらなきゃいけない事とやると起こる恐ろしい事を板ばさみにしている
今>>1のいってる事の主流は
プレイヤーの行動とは無関係に後ろから脅したり不意を付いて脅したり
そんな事だけをやってる
基本プレイヤーは道に沿って前に進むだけ
プレイヤーの思考する余地が無い、だから悩まない
進めばいい道なりに沿って前に進むと自動的に順次脅しが発生する
避けようも無いしやるしかない
本当は悩まなければいけない
前に進めば自動的に起こる事だけ起こるでは自分では考えない
恐怖とは頭の中の事なので思考は必ず必要でしょう
ロッカーを開けようとする時、なべの蓋を開ける時、何か悪い事が起こるんじゃないかとどきどきする
落ちている鍵を拾おうとする時、それを手に取ろうとすると手が出てきてつかまれる
何か重要そうなものが今拾える、それを拾っていいものかどうか、それは結末にも影響する
自分のする事で色々考えるから怖いと感じる
何も考えないで進んでいれば自動的に何か起こるようなのは手抜き
それって自分では必死に生き残ろうとする必要が無いのだから
ストーリーどおりに進んでなるようになるしかないなら何も考えない そういうのは映画でも同じですよね
今主流の映画見てもゾンビ物でも殺人鬼物でも正面から堂々と敵が登場して
倒すなり逃げるなりしてる
チェーンソーを持った殺人鬼が正面から襲ってきたので逃げる・・・
見たいな
本来のこの手の映画は
どきどきしながら不審なところを調べようとする
その時じらす
そしてそこを開けると中には死体が入っている
すると殺人鬼に出会うみたいな流れ
さらにこの手の映画は何も起こらない時間で映画前半の半分の時間を消費してましたよね?
何かが起こりそうだ(起きている)そういう時間でじらす
常に前方や後方から迫って来る敵をどう対処するか?
から
いつ起こるんだろう?何が起こるんだろう?
にもう変えるべきだと思う
死体が見つかっただけでキャーキャー騒げるのは、死体を見つける事がそのまま自分の死になる事を示唆しているから
(実際にその後何か起こる可能性が大だから)
死体たちがそこらに転がっているのは当然で、そのうち敵が来るのも当然で、それを対処するのも当然
だったら「当然で」で尽されている
ゾンビに食い殺された死体たちが転がっていてゾンビと戦う為に苦労する、「当然でしょ?」
ではどうゾンビを倒すか?どうこの土地から逃げ出すか?そこに映画のお話を持ってきてる
本当は、何が起こっているのか分からない
一見平和にも見える
でも何か怪しい不安だ
不審な場所を不安から調べようとする→すると死体を発見して混乱する
するとゾンビ登場 謎が無いから答えに向かって一直線
何を倒すだっていったらそこに向かうだけで終了
幽霊に取り付かれた家に引っ越してしまった→色々な事が起こる→引っ越してエンドロール→もう二度とこのうちには引っ越さない
(呪いやおしゃべりで二時間)
本当は
幽霊に取り付かれた家に引っ越してしまった→色々な事が起こる→「解決しようとする」→解決出来ない
→引っ越す→引っ越した先でも怪奇現象が起こる→霊能力者を呼んだり神父さんを呼んで助けてもらおうとする→状況は更に悪化する
→自分で情報を得ようとする→情報ゲット、最初の呪いの家に戻って何かしないといけない事を発見する→最初の呪いの家に戻って最終決戦→スタッフロール → スタッフロール後 → 実はまだ
こっちが元の映画の雛形 最大の勘違いは子供は何も抵抗できないと思っているところ
抵抗できない=勝率の極めて低い物事に命をかけて挑むのは大人
子供はそんな危険な事はしない
それと子供は無力感より万能感を感じています、何故かというと色々な細かいところに気がつけるから無限の可能性無限の道が見える、万能ではないと感じるのは大人、頭打ちで
少しでも隙を見つければそこに付け込もうとします
閉じ込められた部屋にもしもPCが見つかったら勘の鈍い大人は無視しますけど子供だったらそれを解決の材料に使おうとする
ロッカーのモップも消火器だって
大人はやる事が限られて来る
その万能感持ってる人に無力感を与える
子供の頃の気持ちを再現したいと言ってるのに子供の頃の気持ちを全然作れていない
子供がおぞましい場所に果敢にも入っていって無抵抗を貫いて見たいと思ってるのとでも思ってるのだろうか?
子供は何も起きていない普段の空間の隅に何かいるんじゃないかと感じるんだよ
子供は自分のベッドの下に何か潜んでいるんじゃないか?収納スペースを開けたら何か恐ろしい事が起こるんじゃないか
と思ってる
その妄想の実現は、収納スペースを開けたら本当に何か恐ろしい事が待っている
可能性が広がる
そういう空間の再現
による
要するに何でもやってみたいと思ってるんだよ?
好奇心の塊と感受性の強さ
好奇心の高さから、ベッドの下も気になるし開かない収納も気になる、覗けそうな場所好奇心をそそる場所、何でも気になる
感受性の高さから想像力が強い、ベッドの下を覗いてみたら何か出て来るのか?何か起こるのか?どこまでも想像する
大人だったら「常識」の概念に支配されていて何とも感じない、ベッドの下?何も起こらないに決まってる
隠れるスペースだ、それだけ、としか
その後は隠れて見つかるとか見つからないとか、そういう常識的に支配される
だから結局いつ不意を付いて脅してやろうか?見たいな思考回路になる でも子供はこう思考する
ベッドの下を覗き込んでみたら未知の不思議な出来事が起こるのではないか?
それはプラスになるの?マイナスになるの?
手が出てきて引きずり込まれるの?それとも・・・隠れられるの???・・・それとも何か見つかるの?
隠れられるなら、隠れられるのか、安心、でも本当に大丈夫?
行動した後も次の思考が始まるだけ
単純で1か0か
それでいて何が起こっても不思議でない
ではなべの蓋は?蛍光灯のスイッチは?トイレの扉を開けてみたら?
一言で言えばそのOutlastとかその周辺のそこに挙がってるゲーム類を子供がどきどきして好き好んで遊ぶと思うのかどうか 大人の感性で作るとどうしても命がけの戦いになる
自分を殺しに来る敵から無抵抗で命がけで生き残る
こんなのは子供の感じる恐怖ではない
子供はきちんと必死に抵抗する
これもそれも色々と
大人よりも色々なところに気がついている
その大人より気がついているって部分がより恐怖を作り出す
その気になったところを調べたいけどそれはきっと道になる?それとも・・・
その子供の要求に全て応えていけば大人でも恐怖するゲームを作れる
一番の問題は恐怖演出すべき部分は直通で作るのに、そうでない部分で必死に恐怖演出を作ろうとするところだと思う
ベッドの下には何かいるのではないのか?または収納の中にはなんかいるのではないか?
煮えてるなべの中には開けて覗いてみたら何か悪いものが入ってるんじゃないか?
暗い部屋に明かりをつけたら何かいるんじゃないか?
それらを実際に試して覗いてみたら?安全だった?それとも・・・
そういう目線は完全にスルーする
ちょっと視点を変えるとおぞましい世界が広がっている
そして、今必死に目指すのが、どれだけ気持ち悪いものを出すか、どれだけ不意に脅すか?
抵抗できないようにするか?
向きが全然違う
そりゃ規制されますよね
恐怖演出を気持ち悪い見た目や過激な表現に頼るしかないから本当に怖いゲームを作れず売れない
恐怖演出を過激な表現に頼るから規制される
結局売れないから許可も下りない
このジャンルは需要は無いんだと言う結論を勝手に出す
これは前に一度たどった道 恐怖を高める為に必要なのはどれだけ未知を作るか?だと思う
どれだけおかれた状況を難解にするか
システム的に難解にするか
敵が出たら敵をこう対処する→それを一括してどこにも適応する
敵はどこに出るか分からない→それは脳内では敵はどこかに出るんだろうと変換される
ただそれだけのシステムで、非常に単純な仕組み
ゲームもTVのドラマや映画も神秘的、謎、不可思議な事がない
これから挑む未知の領域
何をしても逃げられない、何をしても助からない
どういう仕組みなのか分からない→どうすれば助かるのか?
一つの物事に対する不思議、謎
X 逃げれば助かる 銃で撃てば助かる よければ助かる
O どうすれば逃げれるのか分からない どうすれば撃退できるのか分からない どうしたら助かるのか分からない それを複雑に入り組めて
答えの最初から知れてる事は何をどうしたって脅しにしかならない
後ろから出てきたり、出てこないと思ったのに出てきたとか
何をしても逃れられないと言う前提でどうしたら逃れられるか
何をしても最悪の結末になる、謎
分かってる事を追従しても恐怖は得られない
抵抗する手段を持たず逃げ続けるしかないなんて、発想する人には五感、美的感覚や感性が無い
どうすれば良いか最初から分かってる、必死に逃げ続ければ良いだけで 最近の製作スタッフって何か間違えた思考の元に作ってるよね 必死に怖いゲームをつくろうって意思は感じるけど全然方向が間違ってる 最近はどれも一本道をただ進むだけなのばかりになってる
そこら辺が問題だと思ってる outlastとかも含めて一本道を前進するだけと言う 昔の神話や童話のような展開を作るのを現代人は兎に角苦手だと見ていて感じる
「主観的な体感の再現」
主観的な体感を作れないので、客観的な体感を作る
主人公の目線で物を発見し、試し、実行する、応えや結論、結末を見つける
それが主観的な体感
客観的な体感は
最初から全体像や筋道を知っていてその通りに再現するだけ
火に弱い水の怪物がいたとすると
現代的な展開はその通り、「火に弱い水の怪物」として登場してはじめから火を使って倒す前提になる
一昔前の展開では、属性とか弱点とかは最初のうちは一切明かされず、プレイヤーから見れば周囲は水に囲まれているなとぐらいにしか理解できない
それをその水の場所で不死身なのを体感して、溶岩の場所まで導いていって退治できると言う事を体験と共に経験する
怪物の登場の仕方も
現代的な描かれ方では、最初にこの先の洞窟はゴルゴンが出ると知らされた後にそれが出る(空からの視点)
少し前の描かれ方では、いかにもゴルゴンが出て来そうだなと感じる洞窟に着いた予想通りの事が起こる(探索者の視点) 鏡をじっと見てると幽霊か何かがうろついてるのが映る
型にはまらない事が一番大切だと思う
その場その場で目を疑う新発見 ttp://here.xxv.jp/upload/src/here46870.png 分岐するゲームの欠点は
ゲームを作る時に、ゲームからの道筋を与えるところ
「プレイヤーは受動的、ゲームは能動的、結果」
プレイヤーはゲームの用意したルートをたどる
→プレイヤーはゲーム側から選択権を与えられる
→それに対してプレイヤーが選択肢を選ぶ
→選択肢を選んだ結果
「プレイヤーは能動的、ゲームは受動的、結果」
プレイヤーはゲームの用意した空間の中にいる
→プレイヤーは自分の意思でその空間の中で自由に行動をする
→そこでの行動に対して結果や分岐がつけられる 道なりに進んでいると、選択肢を与えられる
A右に進む B左に進む
Aを選ぶ→登場人物1の死が決まるフラグが立つ Bを選ぶ→何事も起こらず先に進める
→先に進むと1が残虐な殺され方する
先に進む→再び同じような選択肢を与えられる
これが最近の受動的な作品の展開
物の雑然と置かれた部屋でプレイヤーは好きな場所を探索をしている
そこで 柱時計 暖炉 金庫 が目についた
柱時計を調べる→「今は17:55分だ、もうこんな時間・・・」
暖炉を調べる→・・・〜
金庫を調べる→・・・〜
もう一度柱時計を調べて見る→恐ろしいものが出て来る
ここで暖炉を二度以上調べていた→バッドエンド@のフラグ
ここで金庫を調べなかった→バッドエンドA
プレイヤーに能動性を持ってきている作品はこんな感じ 何故か恐怖演出に向いているとされている実は向いていない要素
・主人公は記憶喪失
自分の状態や、今の現在の状態との因果関係がきっちり分かっていないから胸の奥から湧き上がって来る恐怖を与えられない
きちんと導入部分で、こうなった経緯といきさつを、主人公にはプロフィールを与えないとしっかりした恐怖を作れない
「自分は誰で何でここにいるのか分からない、何ものかが自分の命を狙って来るorなんだか分かってないけど命が危機だ」
この状況では何も知らないので、そこで出てる事、考えられる事は単にそこで必死に生き残ろうとするだけ
生き残ろうとする事だけしか余地がないので、ただそれに集中するしかない
また、何を目指しているのか、どうすればいいのかも、不明確でどこに向かって何をしているのか分からない
そんな状態では、何に向けて必死になればいいのかも分からないし、どこが怖いのかも分からない
本来は明確に、例えば、主人公は学生で、何らかのいきさつで魔術の書物を手に入れた
悪ふざけで友達を脅かしてやろうと思って、悪魔を召還するまじないを試していたら本当に悪魔を呼び出してしまった
では、その悪魔から逃げ、その悪魔をもといた世界へ返すにはどうすればいいか?
必死で今できる事から探し出そうとする
そうしただけで一作品出来上がる
また例を変えて、何らかの原因で異世界に紛れ込んだ、元の世界に戻るには?
自分のプロフールと、そういう状態に至った経緯がしっかり認識できているから成り立つもの
horrorとは自分の内面に感じるものなので、情報を認識していないと恐怖する事ができない
terrorやfearは外部の脅しだけでも感じられる
「ここには悪魔がいる、扉を開けたらきっといる、怖いよ〜」
悪魔:人間を殺す、人間は勝てない、どこに行っても逃げられない
自分の持っている情報から推察して、実際に対峙する事もできず震え上がるのがhorror
「呪術書によって呼び出した悪魔」「自分を狙っている」
そういう情報を持っているから初めてご対面する前に恐怖できる
もしも、突然何者かの存在に殺される、その存在の力量も分からないし、そもそも自分が誰かも知らない
こんな状況では自分が殺されるか殺されないかしか気持ちの振れ幅がないのだから
もっと分かりいいのは
幽霊がいる、幽霊に近づいたらきっと恐ろしい目に合う
というのと
歩いていたら突然殺された、後で設定を調べたらそれは幽霊だった
という違い
前者は、どんなに幽霊が恐ろしい存在でも、受け手は幽霊が恐ろしいと思っているので、幽霊は一切力を使う事なしに、受け手側は実態も分からないうちから恐怖する、幽霊のやる事は時々その恐ろしさを現実にしてやる事だけ
後者は、どんなに幽霊が恐ろしい存在でも、受け手は分からないので、受け手の恐怖の決め手は、どれだけ受け手をじかに痛めつける(真実味を与える)か・・・terror
または、脅かしや雰囲気や残虐な印象を与える等で、どれだけ痛めつけられるだろうという雰囲気や空気感を与えるか・・・fear 要するに、どんなに恐ろしい存在でも、その力を示す必要がないか
どんなに恐ろしい存在でも、その恐ろしさを知らないから示さなきゃいけないか
正確には違いますけどこの理解で今は
そのような条件なしに不利な条件下でちゃんとhorrorになっているptは技術的に高い
Allison Roadには殆ど受け継がれていない
horrorはどれだけ情報を与えるか
情報を捨てるなんて不利でしかない
ptは与える情報の密度が高い terror的な恐怖は強力な恐怖を発するというだけなので乗り越えられる障害
horror的な恐怖というのは乗り越えられない事が前提の障害
簡単に例を挙げると
筋肉質な怪物がものすごい力で殴りつけて来るというのは、「筋肉質な力」「暴力性」が怖いというだけで
その暴力を乗り越えれば超えていける
どんなに血液や脅威で脅しても、その脅威の脅しを乗り越えれば、乗り越えていけるという事になる
それに対して、恐怖の本質が絶対に乗り越えられない事なら、そこが前提なのだから超えてはいけない
「悪魔がいたら殺される」というのは、悪魔のどんな強さがどう作用してどのような危害を及ぼし、そして曽於結果敗北するか、という脅威に対する恐怖ではない
悪魔がいるというのは、殺される前提で、どんな力を持っていれば乗り越えられるというものではない
基本的に再起の作品の恐怖は
「怪物が出た」
「怪物が襲ってきて殺された」
「血がにじみ出てきた」
「体が切り裂かれた」
それぞれが単発で脅威を主張して恐怖を主張しているけれど
それぞれの出来事が「だから何?」で済んでしまうのは、それぞれ乗り越えれば済むだけのものだからで
または何か失敗をしてもすべてその場で取り返しの付けられるもの
もともとは乗り越えられないようにできているのが基本
「開けてはいけない箱を開けてしまった」→「殺されてゲームオーバー」
「使ってはいけない鍵を使ってしまった」→「バッドエンド」
「触れてはいけない場所に触れてしまった」→「誰かが殺されてた」
「やってはいけない事をしてしまった」→「悪魔を呼び出してしまう」 要するに最近の作品はの目指す恐怖はやってはいけない事がないから恐怖を作れない
全て恐怖の演出=脅しの演出は、プレイヤーに見てもらうためのもので、すべて見てもいいもの、むしろ見る事推奨
すべてプレイヤーの乗り越える前提で作っているからhorrorにならない
強い怪物に殺されても何度でもやり直して怪物を超えて先に進む
攻撃されても生き残って先に進む
血液や脅かしを入れても何も意味はない
恐怖とは本来プレイヤーが見ないで進むべきもの
プレイヤーの正規ルートが西に進む事なら東に進んだ場合に恐怖が訪れる
乱暴に言えば一度も恐怖演出を出さずに進む事こそエンディングに進むための必要な行動
要するに、恐怖演出を見てしまう=殺される事
乱暴に言えば
だから、先に進むためにプレイヤーに求められるのは恐怖演出をどれだけ見ないで出さないで進む事ができるか
どれだけなんも起きない安全な道だけを進める事ができるか?
それを恐怖演出を何度も体験し必ず乗り越えながら先に進むから、「恐怖演出なんて対した事ない」になる
本来誰もが自然とそうつっていたものだけど
今は誰もがどれだけプレイヤーを殴りつけて痛めつけるカこそ恐怖だと勘違いしている
恐怖が見てはいけないものだったらそれこそ必死に見ないようにするけれど
見てもいいならそんなに恐怖しないでしょう
さらに、必ず通過儀礼みたいに通過するならそれこそ恐怖は何も得られない
雰囲気だけの内容 ,,,,,,iiiilll!l″
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liill!!l゙゙゙’ .iiiiil!!゙゜
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..゙',iiii"llllll ゙!!゙"  ̄
: ,lllll`.llllll
..l゙゙゙゜ .!!゙゙′ 今の人たちって何かに対する「恐れ」「〜に対する恐れ」の感情がないというか
その部分で頓珍漢になってるんじゃないかと
今の人の描きたいのは「暴力」
加害者視点に立った、いきなり殴られるだとか
八つ裂きにされるだとか
虫にたかられるだとか
そういうやられ方目線
むしろ残酷な描写を見たいというか、そういう人たちの集まり
「恐れ」とは、何かその対象に対して恐れて恐怖する気持ち
「残酷な描写を見たい」というのとは対極の感情
「何かを恐れたい」「何かに恐怖するその感情を再現したい」って人が作っている訳じゃないから怖いものを作れないのではないかと
怖い作品を作ってる人は「こうなるのは嫌だ」って気持ちをきちんと再現できている
視点の違いも気になる
最近の作品は主人公に視点を当てている
主人公に対して、幽霊を与える、傷を与える、怪物を出す、気持ち悪いものを出す
怖い作品の当てる視点は”恐怖の対象”
ゾンビならゾンビ、悪魔なら悪魔、怪物なら怪物
窓を開けたら悪魔が出る、扉を開けても悪魔が出る、戸棚を開けても悪魔が出る
または悪魔に由来する悪い事が起きる
焦点が当たっている先が、プレイヤーや主人公か、”恐怖の対象”か
違う
プレイヤーを殴れればなんでもいいって感じだったり、主人公を惨殺できれば何でもいいって感じなのが現在出ている作品の多数
どこに行ってもゾンビから逃げられないっていうのが本来の表現
どこに行っても悪魔は出る=「悪魔に対する恐れ」
では、主人公を殴れればいいっていうのは何か恐れているのだろうかという
その対象がない
漠然と、プレイヤーが歩いてきて、そこに「痛めつけ」を入れるだけ、と
必要なのは、何かをどうしても避けたいと思う気持ち?
何かというのは物質的なものではない精神的なものや抽象的なもの
どうなってしまうんだろう?悪い予想の未来、回避したい避けたい一つの未来
そこに流されている気がする 全てが一つの事柄に結びついていて、一つの未来につながっている
窓を開いた時…悪魔によって首を落とされる
扉を開ける…悪魔が入って来る
火をのぞき込む…火の中に押されて焼き殺される
これ、すべてそれぞれ起きている事はバラバラだけど
でも実は、一つの共通点が存在する
それはすべて同じ原因で同じ根柢に由来する出来事だという事
悪魔がすべての原因で、何をやっても悪魔から逃れられない
その象徴的な出来事
未来は悪魔の所為で、悪魔に由来する出来事で最悪な結末の分かれ道に収束している
これが因果が取れて、それぞればらばらの出来事になった瞬間ただの脅しになってしまいます
いきなり殴られた
いきなり別の人に刺された
道端で何か気持ち悪いものを発見した
それぞれ関連性がないなら [狂] [牛] [ス] [.レ] [(゚听)イラネ]
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`u-u´ `u-u´ `u-u´ `u-u´ `u-u´ 変な人が沸いてるのと
【業者の手口】ワッチョイ導入スレはステマの温床・ゲサロ板【バラします】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1469009392/
の人らで変の刺激起こしてる気がする
どっちにしろいつもうんこブリブリしてるのとは別の人たちが来て厄介してるんじゃないかなって勝手におもってるよ 直接的にしか与えられないから恐怖の発想が薄っぺらい
奥がないから
今主流になってる作品でいうところの恐怖っていうのは、「今どれだけ大変か」
どれだけ唐突に出現するか、どれだけそれが出現したら逃げられないか、どれだけ強いか…
その今体験している強さだけが敵の本質で、単に力負けしてるから勝てない、だから怖いんだって理屈
この発想から卒業しないと本来の恐怖にならない
奥の設定っていうのは、この今表面に出ているものはすべてではないよ
この今表面に出ているものを対処できたってなんの解決にもなってないよ
だって、本当の問題点はそこじゃないのだから…
設定の仕方の問題や練り込みがされてない問題
強すぎて倒す事のできない敵から逃げるだけっていうのはこれ以上は何でもにないから逃げるだけ意外に頭で悩む必要ない
設定割れてるから
「強すぎて倒す事のできない」という設定、それ以上でもそれ以下でもない
必要なのはその奥
倒す事のできない敵は何で倒す事ができないのか
何が見つけられればいいのか
それが見つからなければ永遠に助かる事はない…という
「強すぎて倒す事のできない」という設定、それ以上でもそれ以下でもない
だったら、ただ逃げるという作業をこなしていればいい訳だから楽
後はシナリオ通り道なりに進んでいればいいだけ
それがただ単に難しいというだけ
道を直進すればいだけだからもう解決してるも同然
でも難しいので暴力的には痛めつけられるよ、と
要するに、暴力的には痛めつけられる必要はないけど解決までの道のりの安心感を与えちゃダメ
今直面してる表層的な問題は簡単に解決していいけど、本当の解決への道のりは難しい 最近のゲームの恐怖についての考え方でおかしいと思うところは
全ての脅しがこけおどしで後には続かない事
脅かしたいがために、部屋一面血まみれにしたり、いきな敵が出てきてプレイヤーを殺したりするんだけど
それはそこだけで単発で
例えば、部屋が血まみれな事と、自分が殺されたり、何か悪い事が起こるかという点において関係性が一切ない
「血みどろで気持ち悪いですよ」ただそれだけ
それを見たからといって何か悪い事につながる訳でもない
ただそういう景色というだけ
また、いきなり強すぎる敵が主人公を殺したとしても、単に戻ってやり直したら済む問題
共通点は、その単発に何も意味がない事
血みどろな部屋は、その血みどろな部屋の外観がすごいってだけでその他の現象とは一切関係性がない
敵が自分を殺すっていうのもただその敵が強かったというだけで回避すれば済む問題
恐怖の持って生き方っていうのは単品では意味を持たないでただの脅かしにしかならない
これを修正して本来の恐怖の運びにするとこう
血みどろの部屋を見てしまった、するとなんか悪い事が起きる一歩前段階だ
血みどろの部屋が出たら今にも敵が出てきそうだ、実際にそのサインを無視して進むと敵が出る
引き返したらそういう悪い事は起きない
このジャンルでプレイヤーの触れる恐ろしいものは、より恐ろしい結果を迎える警告な訳で
そこで踏みとどまるからこそ葛藤が生まれる
そうやって、小さな不安はより大きな恐怖へ、起こる恐怖は最悪の結末への予兆になる
プレイヤーのなんとしてでも避けたい事はその最悪の結末で
だから、小さな不安に遭遇するとその最悪の結末の足音が聞こえて来る訳で
もしも主人公が弱いとするなら、難しい強い敵になど挑めない
挑んで勝てるならそれは主人公は強い事になる
だから、いかに難関な敵を出してそこを潜り抜けなきゃいけないみたいな構造のゲームでは恐怖は薄い
だから守りぬかなければいけないのは「主人公の弱さ」
いかに主人公を弱いままで進むように作るか? 同じ逃げるでも、解釈次第では正反対
・敵から物理的にどうやって走って逃げるか
足音を立てないように、見つからないように、敵に動きをきちんと予測して
敵から逃げ切るスキル、自分の実力が試される
・いやいや、敵から逃げるスキルとかの問題じゃない
敵と張り合うような構成はやめて
どこに行っても敵がいるこの状況の問題だ
どこに逃げても幽霊のいるこの屋敷で幽霊のいない外に出れるかどうかが試される
今の作品の理論は上で、たいていはどうやって敵と張り合ってどう敵から逃げ切るか
そこに視点を置いてる 今の作品は、語り手と、受け手が、完全に分離されている
例えば、受け手という他人に対して恐怖を与えたい場合
受け手を他人ととらえていて、「ウォー〜〜〜!!!」と怒鳴ってみる
すると、受け手は怖がる…、だろう
という打算
与える側のする事は「ウォー〜〜〜!!!」と脅すだけ(脅かすまでが与える側のする事)
受け手がどう感じるかは、受け手が勝手に感じる
昔の怖い作品は、与える側が、「受け手がどう感じるべきか」までを指定する
その上でどうすればその所定の感じ方を受けてもするか?を考えて作る
一つの感情を作るためには事細かに方向性を指し示したり
指定した感情になるよう努力の痕跡 最近の人のいってる恐怖(HORROR)と昔からの恐怖(HORROR)は別物
本来のHORROR作品の恐怖というのは、受け手の恐怖心の具現化を楽しむもの
最近の人の言う恐怖というのは、どれだけ脅かしてやるか(さらに脅されてるだけなので楽しっものでない)
最近の人のやってるHORRORは進んでいると突然何かが出てきたり
受け手が命の危機を感じるような状況や演出がされたり
残酷な表現による演出をされる
事で”ビビる”
ような内容を指す
これらは作者=恐怖を与える側の思う恐怖を受け手にぶつける
本来のHorrorは全然違って
受け手が深層で望んでいる事を具現化する
このふたを開けたらもしかしたら同僚の惨殺体が見つかるんじゃないか
もしもここをのぞき込んだら恐ろしいものが飛び出すんじゃないか
何もできずにとどまっているとスッと冷たい空気が通り抜ける感覚 だから今の人はHorrorを作れていないし作れない
でもこの今の恐怖ジャンルは今の恐怖ジャンルで望む人もいるのだろうとは推定される
ただこの今の恐怖によって全て置き換っているため本来のHorrorは現在絶滅状態
Horrorを求める人が怖いものを作れというと、このようなものが作られ敬遠され
だから恐怖を取り除けば、また恐怖がないと苦情が来る
作る側に作れる人がいない なんかスレの必死すぎる人の存在が一番恐怖を演出していてワロタ 恐怖をシステム的に作ろうとする
追いかけられ勝てないとか 今の人は作ろうとする側も遊びたい側も恐怖を感じた事ないから何を作ろうとすべきか分からない
だから連想創作になっている
怖いとは、「強いものに痛めつけられる」「残酷だ」「脅かされる」
遊ぶ側も、残酷なもの見て、何かそられしいものが出てきたらそれでいいんだろうって思っていて高評価を付ける
本当に怖いものを体験した事がないから怖いものの不思議さと神秘性とかが理解できていない
「何がいるんだろう?」「何が起きるんだろう?」「こうなったらどうしよう」
今の人間の作る恐怖っていうのは足がしっかり地に着いた前提で
そこから始まり、残虐性、被虐性を表現したものをhorrorといっているだけ
本来は、ふはふは足が浮いた状態で、夢の中を歩いているような感覚になる
何か起きてもそれが現実かどうか定まっていない
それが定まるようになったら解決へ向かってしまう 伝承や言い伝え、不思議な出来事に恐怖し理屈をつけて理解しようとする姿勢
それが本来のhorror
伝承や自分の怖いと思っている妄想や頭の中を再現したもの
今の人の言うhorrorっていうのは、被虐、加虐、グロ等の人の嫌がりそうなものをならべただけ
中身がない
完全に3者から見た視点 だから、horrorを楽しみたい人だったら期待するだろう事が一切作られていない
horrorっていうのは、受け手側が期待しているのだから、何か起きる前に何か起きそうという事が分かる
ここを捲ったら何か恐ろしい事を見てしまうんじゃないだろうか?
ここをいじったら何か起きてしまうんじゃないだろうか?
ところが今の人の作ったものは、できるだけ何か起きるかどうかを察知されないようにしていきなり脅かす事を理想とする ゲームサロンもおもしろけど自分で小遣い稼ぐ方法
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BTGPU やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 最近の作品って思うのはどれもスキンとかふうみとかテイストだけ
どれも中身は普通のACTやAVGやRPGで
その見た目やスキンだけを『暗闇で、化け物が出てきて、血液が飛び散る』に差し替えただけ
正直怖がるところがないというか、怖がるところが全部吃驚なので恐怖感が得られない
インディーズも
だからちょっと前にグロいゲーム連発したけど流行りで話題になっただけで広まってないし受け継がれていない 万人受けするホラーじゃなくてもいいのがインディの強み
わからんが そのインディが全然できてない
グロを入れただけで一部には光るゲームだと思ってる 最近不思議なものとか神聖なものとかない
何故作れないのだろうか とても簡単な在宅ワーク儲かる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
XGC >>81
それと脅迫や威嚇も違う
ただグロいだけだったり、厳しい出来事が起こるの多いけど
恐怖の例えは熱湯で例えると分かりやすい
熱湯がかかる前までに感じるのが恐怖
または熱湯すら出てこない状態で感じる
最近の一番の勘違いの一つもこれ
熱湯をかけて感じるのはダメージや痛み
最近のやり方は、凄惨な出来事やグロを頻繁に画面に表示する
それを見て恐怖する
という主張だけど
それは画面外にいる人間から見たら、凄惨な場面やグロ映像を流して脅迫してるように感じる
恐怖っていうのは何かの起こる前までに感じてる
いつグロが出て来るか?の段階で感じるから
今のグロを表示して感じるものとは別
グロが出ないか出るかの闘争なのが恐怖で(上質な恐怖)
拒否する権利のないグロ映像を一方的に垂れ流して脅迫するのは恐怖ではない
その頻繁にたれ流される凄惨なもので主張してるのはただの悲痛さ
それを恐怖と錯覚している人間多いけど
さらに慣れるというのそこにかかって来る
本当は恐怖は慣れない
起きてしまった凄惨な出来事には慣れる
恐怖は凄惨な事が起きる前の段階、凄惨な出来事が起きるか起きないか
『起きるかもしれない』その場面で感じるもの
だから本来的に何も起きないただ静穏な空間で恐怖心は育つもの >>86
なんか見た目だけゾンビや怪物や血出て来る
中身はただのFPSのゲームばかり作られてる
FPSの時点でずれてる ホラーに良ゲーなし
ホラーなどチープの言い替えに過ぎない >>90
「弱い」の意味もそれぞれ
屈強な軍人でも化け物の前では弱者
女性でも蟻の前では強者
・数値的に弱い(敵に数値的に勝てない)
・設定が弱い(主人公は車椅子の知的障碍者だが敵をばたばた倒す)
敵に対して弱いのか
ゲーム世界に対して弱いのか
実は弱いに拘っても怖いのは作れない
三国志物で弱い自キャラが強過ぎる敵に挑む場合を想像してみて >>91
それは作ってる人間がチープなだけ
単に吃驚とグロを詰め込んでるだけや主人公が単に弱いだけでなぶられるだけだったり
ちゃんと作れる人間が一人もいないのでそう感じるのも仕方ないけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています