【3DOワンダースワン】マイナーハード総合【JAGUAR LYNX】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
語るスレがないなというハードについて語るスレです。
3DO、ワンダースワン、カセットビジョン、LYNX、JAGUAR、プレイディア、ジークラスタ、OUYA、MSX、その他色々 幼いころたくさん持ってた電子ゲーム
全部捨てちゃったんだよなぁ…
今思うともったいね タカラトミーのポケットドリームコンソールがほしいんじゃが ポケットドリームコンソールのゲームをまとめて移植してくれぬか… リンクスは当時店頭に試遊用が置いてあったけど買う気にはならなかったな
ソフトないもん ショップで3DO見つけたけど
ソフトをほとんど持ってないし、探してまでやりたいソフトもなく 世界初の家庭用ゲーム機は、プレイヤーが画面にフィルムを貼り付けて遊ぶもの──
ファミコン以前のテレビゲーム機の系譜を語ろう
【新連載:ロード・トゥ・ファミコン】
http://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/190104 PS1のMSXコレクションやったけど、これやってると
ファミコンってすごい高性能だったんだなって思うわ 初めて買ってもらったゲームは「カラーテレビゲーム15(初期型)」だったなw 剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣
https://game.watch.impress.co.jp/docs/20031106/toy130.htm
2003年か
Wiiを先取りしたような内容だな
むしろWiiがこれをパクッタんじゃないかって位 XaviXを開発した新世代株式会社は、1995年に滋賀県草津市にて設立された。
元々は任天堂にてファミリーコンピュータ、スーパーファミコン、NINTENDO64などのゲーム機の開発に携わった社員らが、
世代が進むにつれてどんどんマニア向けになるゲームに対する反省から、
真に「家庭用」のゲームを作るためにスピンアウトして設立した会社である。
社長となった中川克也はファミリーコンピュータの開発の中心人物であった。
新世代社はベンチャー企業として滋賀県からの援助を受け、
4年の歳月をかけてXaviXチップを開発し、
それによって2000年頃から「家庭用体感型ゲーム」という、新たなジャンルのゲーム市場を切り開いた。
2004年には任天堂のファミリーコンピュータのようなコンシューマーゲーム機として
XaviX PORTを販売したが、体感が売りであるため、あえてゲーム機ではなく、フィットネス機器として売り出した。
しかし、新世代社のスピンアウト元である任天堂が2006年に、
非ゲーマーにも親しみ易い体感型コントローラーであるWiiリモコンを採用したゲーム機、Wiiを市場に投入した。
Wiiの大ヒットによって、新世代社は体感ゲーム機の市場シェアを奪われた。
さらに2007年、任天堂はXaviX PORTと類似したフィットネス用周辺機器、Wii Fitを投入した。
大手の任天堂が直接競合する製品をリリースしたことで、新世代社は市場から撤退せざるを得なくなった。 剣を振っても反応しないは発売当時から言われてたみたいだな
室内のセッティングが難しいらしい
Wiiと比べると熟成不足な部分があるのかもしれない
今となっては別の問題もあるようだ
今の薄型テレビの上に、本体を設置するのが困難という事だ
言われてみればどう解決していいやらわからないから、
今から試してみようなんて思わないほうがいいのかもしれない 豪快なチャンバラごっこが楽しめる!
タカラ「ズバズバブレード」 2002年
https://game.watch.impress.co.jp/docs/20020808/toy77.htm
ソフトとゲーム機本体が一体化していて、付属のケーブルをテレビに接続すればすぐに遊べる
「PlugIt!」シリーズの最新作だ。 コナミも爽快ゴルフチャンプっての出しとったんか
こんな流行がこの頃にあったとはなぁ
なぜか素通りしていた たまごっちみたいな超ロースペゲームが大流行して
ポケステ、ビジュアルメモリ、ポケモンミニみたいなのが続いた時代もあった
そんなロースペ回帰現象が再び起こる事はあるだろうか グーグルやアップルが相次いでクラウドゲーム参入を表明
定着するか、それとも捨て去られるマイナーとなるか? ミニものの日本での集大成として、
エポック社は「カセットビジョンミニ」を出す必要がある と思う。 3DOもスーファミメガドラに比べれば高性能なんだろうけど
魅力あるソフトに欠けてたもんなぁ ジャガーのスペックって結局どのくらいだったんだろうね
実質16ビット機だったそうだが、スーファミよりはさすがに性能良いだろうし 幼い頃にやった電子ゲームの音が
今でも焼き付いている 20世紀のちょっとマイナーな家庭用ゲーム機の旅
https://togetter.com/li/1089438
ファミコン以前の、懐かしいを通り越して
見た事もないゲーム機がいっぱいだw セレクトとスタートは今でこそ浸透してるけど
選択と開始って用途をそのままネーミングにするって謎だよな
ファミコンの初期はセレクトボタンで1人用か2人用か選んで、スタートボタンで開始してたな
よく考えると当時になんでこんなボタンつけたのか謎だな。
十字キーとAボタンで代用できるのに
おぼろげだけど「モード切り替えスイッチ」と「ゲーム確定スイッチ」として
本体(システム)側にあったような気がする。
当時のアーケード筐体だったかもしれないけど。。。
俺もうろ覚えなのだが、ゲームウォッチの時代にスタート/セレクトがあって
ファミコンにもその流れを受け継いでいた様な気がする
ゲームウォッチ起源説は興味深い
検索してもそれっぽいボタンの製品が見つからなかったけど、信憑性あって面白い ぶっちゃけセレクトボタンは意味なかったな
上下の方が選びやすいし
最近のゲーム機もセレクトボタン付いてないっしょ 名前はともかく
ボタンの数的には必要だったんじゃないかな? セレクトボタンは色んなゲームで活躍してたねえ
武器セレクトとかマップ、アイテム確認とかクソ多かったね
あの頃はボタン1個多いだけで快適になったけど今のゲーム機はボタン多すぎてな・・・ まずロードが1倍速
カセットテープの記録媒体で、読み込みもカセットデッキ。
20分のカセットなら、ゲーム起動のナウローディングが20分かかる。
それでようやくゲームが出来ると思いきや、裏面にひっくり返さないと残り分が読み込めなくて、
ひっくり返したらreturnキーを押さないとならないが、忘れてて始まるまでの時間を大幅にロス。
ようやくゲームが出来るようになった頃には、親が帰って来てほとんど遊べない。
読み込みの時の音は、ぴーひょろろーぎがーって、今風に言うなら
間違ってファックスに電話しちゃった時の音。
それより私は、タイトルなしでカセットだけ持ってたゲームで、女神転生風の
3Dダンジョンの青っぽい画面を進むやつのタイトルを知りたい。
敵に遭遇すると下の方にリザードマン的な奴と戦闘(スペース押すだけ)をして、
宝箱を落としても、開けるのに失敗とか毒をくらうゲーム。 大技林に裏技が収録されなかったのが真のマイナーハード ファミコンのコントローラーは画期的だったよ
ゲームウォッチの流れだけどな
それまでのコントローラーは、ジョイスティックとか言う電動こけしや
アンプのボリュームツマミみたいな奴しかなかったよ SG-1000は、1983年7月15日に発売。
同日に任天堂がファミリーコンピュータ(ファミコン)を発売した。
同じ月には、エポック社がカセットビジョンJr.を、トミーがぴゅう太Jr.を発売するなど、競争の激しい時期だった。
上位機であるSC-3000は、同時期のホビーパソコンである、M5やMSXなどとほぼ同等のスペックである。
SG-1000はそれらと同等のハードウェア性能を持ちながらも、キーボードやBASICをオプションにすることで
15000円という低価格を実現していた。
しかし、当時としては段違いに高性能かつ低価格なファミコンの前に、劣勢を強いられることとなる。 VCのスペースマンボウ買ったんだが
30フレのガクガクゲーだし
難度も低くなく、殺されるとかなり戻されて繰り返しが辛い
連射機能もなくて連打が面倒
コナミらしく音楽はいいけど、今更やりたくないしんどいゲームだった
当時のコナミってなんでこんなファミコン以下のくそ環境に
熱心にゲーム提供してたんだろ?
産廃の山やろこんなん ファミコンは一つのメーカーが年間に出せるゲームの本数に制限があったからね MSXには、画面表示モードが以下の4種類ありまして
スクリーン0…文字専用モード
スクリーン1…1行32文字までの色付き文字・単色スプライトモード(但し色は一文字あたり16色中1色)
スクリーン2…256×192グラフィック・単色スプライトモード(横8ドット辺り16色中2色まで)
→グラディウスのイラストは、多分、このスクリーン2で書かれています。
スクリーン3…ローレゾグラフィックモードで、商用ゲームではほぼ使われなかったと思いますので、説明割愛します。
ご覧のとおり、かなり貧弱で、
ゲームは容量圧縮のため、大抵マップチップを使うんですが
マップチップを使うためのPCG(文字を別の形に置き換えてキャラクターや背景に使う機能)が使えるのは、事実上スクリーン1のみということで
普通にゲーム作ろうとすると、グラフィックはかなり貧弱なものにしかならなかったわけです。
ですが、コナミを初めとした一部メーカーは、結構綺麗なグラフィックのゲームを出しています。
これは、MSXにスクリーン1をスクリーン2であると思い込ませて実行する、通称スクリーン1.5モードが使われていたからです。
身も蓋もなくいうと、裏ワザです。
スクリーン1.5モードは、一文字あたり、水平ラインで16色中2色を指定することができましたので、
PCGを使えば、結構カラフルなキャラクターや背景を作ることができました。
スクリーン1.5が一般に知られはじめたのは、私の記憶だとMSX版グラディウスが出た1985年頃
1?2年後には、私みたいなアマチュアも使いはじめたのですが
そういう事情もあり、1985年辺りを境にして、MSXのグラフィックはガラッと変わりました。
そうすると、後はセンスがものをいう時代に突入しまして
まあ、横8ドット辺り16色中2色というのは、そうはいっても、かなりな制限でして
MSXを使いこなせるメーカーと、使いこなせないメーカーに分かれていくことになります。
MSX2ではないかと誤解されるぐらい、スクリーン1.5を上手く操っていたメーカーというと、以下のメーカーが思い浮かびます。
コナミ、コンパイル、T&Eソフト、ファルコム
ソフトでいうと、グラディウス、グラディウス2、沙羅曼蛇、ゴーファーの野望、
ザナック、ハイドライドII、ハイドライド3、ディーヴァ アスラの血流、
スーパーレイドック、ドラゴンスレイヤーJr.ロマンシア、ドラゴンスレイヤーIIザナドゥ(メガロム版)、この辺りが思い浮かびます。
レリクスを挙げてらっしゃる方もおりますが
MSX版レリクスは、グラフィックの壁を破れず、原型を留めないローレゾグラのゲームになっています。
レリクスでのキャラクター表示では、スクリーン1.5は余り意味がなかったと思いますので、仕方がないとは思いますが
但し、MSX2版は、8ビットマイコンでは唯一、オリジナルのPC-9801版と同じく、
画面切り替え方式ではなく、スクロールを実現した完成度の高いレリクスです。
こんなところからも、いかにグラフィックの性能が、MSXの足を引っ張っていたかが分かるわけですが。
スクリーン1.5モードは、MSX2ではスクリーン4として正式採用されますが、
MSX2の、512×212ドット・512色中4色、又は256×212ドット・512色中16色という性能からは、かなり見劣りしていまして、
スクリーン4を使ったゲームは、恐らく無いか、もし使っていたとしても、MSX2で起動すると
MSXより少しグラフィックが良くなると言われていた、アイレムのR-TYPEがそうじゃないかなぁ?と思うぐらいで、ほんの僅かだったと思います。
そうはいっても、単色しか使えなかったMSXのスプライトと、
横一ライン512色中1色、2枚重ねると色の論理演算が出来るため、横一ライン当り3色使えた、MSX2のスプライトの差は決定的で
比べれば明らかにMSX2の方が綺麗だったわけですが
MSXの透明感のある発色もあいまって、スクリーン1.5を使ったグラディウス2など、今見ても、あー、綺麗だなぁ、と思ったりします。 レリクス RELICS は、1986年にボーステックより発売された、PCゲーム。
レリクスアンソロジー RELICS Anthology は、プロジェクトEGG内でダウンロード販売されていた、各機種版のレリクスを、
Windows版としてひとつにまとめてパッケージングして、2003年に発売したもの。
オリジナル版レリクスは、1986年にPC-98用のゲームとして発売され、PC-88版、FM7版、X1版、MSX版、MSX2版、MZ-2500版、X68000版と
当時の国内の主要な機種を網羅する形で、移植された。
翌87年にはファミリーコンピュータディスクシステム用として、レリクス暗黒要塞が発売された。
自分が誰だか記憶すらも定かでない、影のような精神体となって、海上に浮かび上がった遺跡を舞台に、
謎を解き明かすという、アクション型のアドベンチャーだった。
PC版では、詳しい設定などはほとんど明らかにされておらず、光と闇が交錯するぼんやりとした背景と、
操作方法を書いたマニュアルのみが付属していた。
プレイヤーは影となって、遺跡内にうごめく住人に乗り移り、相手を倒すことでより強い身体を手に入れることができる。
経験値の代わりに新たな体を入手することで、強くなれるということで、当時はRPGに分類されることもあった。
この時期の作品としては、まだ珍しかったOPとEDが用意され、クリスタルキングが音楽を担当した。
倒した相手の体に乗り移ることで強くなるという、当時としては斬新な設定や、
体の各パーツを別々に作って、大きなキャラクターを滑らかに動かすという技術が使われており、
PC雑誌に広告が打たれてから、発売までに2年ほどかかったということで、いやがおうにも期待が盛り上がった。
またSAVE機能が付いておらず、最初は何をすればよいのかというヒントらしいヒントもなかったため
手探りでゲームを進めていく必要があった。
それでも、エイリアンのH・R・ギーガーに影響を受けたグラフィックや、徹底的に作りこまれた世界観、
発泡スチロール製のパッケージが、エイリアンが彫り込まれたレリーフになっていたりと、
いろんな意味で話題になり、多くの人の記憶に残った作品だった。
このレリクスアンソロジーには、X68000版を除く、PC-98版、PC-88版、FM7版、X1版、MSX版、MSX2版、
ファミリーコンピュータ版レリクス暗黒要塞が収められている。
ちなみに、後にプロジェクトEGGの通販特典用の非売品として、X68000版も収録した、レリクスアンソロジーLiteが出ている。
最初に発売されたPC-98版がオリジナルで、スクロールから画面切り替えになり空が夕焼けになったPC-88版、
FM7版、X1版、スプライトによりキャラクターを表現し解像度を落とすことで移植されたたMSX版、
オープニングがカットされたものの、ROMカセットのため高速に動きスクロールも実現していたMSX2版、
PC-98版用のグラフィックを流用したX68000版など、各機種ごとの違いや特性が分かって楽しい。
ほとんど内容は同じだが、各機種ごとに微妙な違いがある。
当時オーナーだった機種、あこがれて欲しかった機種などに、思いを寄せて遊ぶのが、これの正しい楽しみ方だと思う。
PC-98版では、最初に出てくるウサギ(セム Semb)に乗り移ると、アイテムが持てなかったり、
相手に倒されるとそこで終わってしまうこともあり、ある種のトラップだった。
MSX版では、セムのまま地下水路を抜けてドラゴンを通り抜け、KINGへと憑依して、そこからまた寺院内に戻ったりできる。
XBOXで開発中だった、ポリゴンでリメイクされたレリクスも、特典映像として収録されている。残念ながら発売はされなかった。 レリクスアンソロジーのCD-ROM。プロジェクトEGGのNO.0001となっており、最初のパッケージソフトだった。
その後も、スターアーサー三部作や、DAIVA全機種版、夢幻戦士ヴァリス コンプリート、
ソーサリアンコンプリート、ドラゴンスレイヤークロニクルなど、マニアな企画が続いている。
これらのパッケージ商品は、販売が終了してしまうとすぐにプレミア化してしまう。
レリクスは、プレミア付いていない方だが、それでもアマゾンだと一万円ほどする。ちなみに発売時の定価は4,800円。
暗黒要塞に思い出(思い入れ)がある層には、あのローディング地獄のない、快適な仕様になっている。
レリクスアンソロジー本体の方は、各機種まとめて起動したりできる。
個人的な思い出としては、当時雑誌広告で期待して、
友達の家のPC-98版で遊び、発売されたばかりのMSXのテープ版で遊びました。
90年代に入った頃には、学校近くのリサイクル店で、中古のMSX2とMSX2版のレリクスを手に入れて、再び遊んだ。
ネット上には思い出として、暗黒要塞のロードが頻繁だったことが話題になっているが、
MSXのTAPE版では、ロードが始まるとカセットテープで5〜10分ほど読み込みを始める仕様だった。
おまけに専用モニターなどないMSXで、個人ごとのテレビも一般的でない時代だったので、これを茶の間で無理やり遊んだ。
親父が飯を食いながら、その様子を眺めていたりと、なんとも牧歌的な時代でした。
また、クリスタルキングの幻想的な主題曲も、世界観を深めるのに大きな役割を果たしていた。
この主題曲Womanと、エンディング曲Smile Againに歌詞が付いていると知ったのは、ネット時代になってから。
個人的には、大都会、愛をとりもどせ!!と並ぶ、クリスタルキングの代表曲だと思う。
1999年には、Win版としてRELICS -The recur of "ORIGIN"がリメイクされ、
2001年に正式な続編、RELICS -The 2nd BIRTHが作られた。
2005年には実質的な続編と言えるRINNEが、日本ファルコムの開発、ソフトバンクBBの販売で発売されたが、ボーステック社は残念ながら倒産していた。
ここを書くために調べてみるまで、ボーステックがなくなっていることすら知らなかった。
ちなみにRELICS -The recur of "ORIGIN"は続編ではなく、オリジナルのレリクスを拡張したような内容だった。
オリジナルでは、大帝HELLはエンディングのエピローグにしか登場しないが、こちらではHELLもHEAVENも遺跡内に登場している。
でも、世界観や雰囲気は悪くない。
プロジェクトEGGも元々は、ボーステックのSoft-City内のコンテンツとして始まった。
2003年発行の公式ガイドブックでは、ボーステックの社長や現在の運営会社であるD4エンタープライズの代表などの、座談会が収録されている。
このWin版RELICS -The recur of "ORIGIN"の発売時期や、プロジェクトEGGの立ち上げの前後には、
ボーステックのサイトでPC-98版のレリクスが無償配布されていた。
外部のサイトでWindowsに対応した全機種版が配布されていたり、2000年前後には、雑誌の付録や書籍にもレリクスが収録されていた。
レリクスは、ある意味ボーステックやプロジェクトEGG、レトロゲーム復刻の象徴なのだと思います。
この頃には、それらの動きに影響されてか、雑誌やムックなどでも、MSXマガジン復刻版や、蘇るPC-88伝説など、
レトロゲームにエミュレータをセットした復刻企画が多かった。
昔の作品をエミュレータにより再現したウルティマコレクション、ウィザードリィコレクションなどもこの時期です。
このような流れが、Wiiのバーチャルコンソールなどに結びついていったのでしょう。
2003年頃には、レリクスなんて懐かしい〜と思って、復刻されたこれらの作品群を見ていましたが、
もうすでに12年も前ですし、今となってはこの時期すら懐かしいように思います。
ボーステック社はなくなってしまいましたが、またいつかこのような記憶に残るムーブメントを起こして欲しいと願います。
レリクスに現れた影、精神体とは、プレイヤーの意識なんですね。
確かにあの頃には、あの遺跡内を探索していたことを懐かしく思います。
ということで、80年代と2000年代と二重の意味で懐かしい、RELICS Anthologyでした。 海外のコモドールとかスペクトラムとか無茶移植すげーよ。
アムストラッドもあったっけか。
80年代ってアーケードの移植がまともにできるPCって
日本製のx68kとタウンズくらいしかないよね
こんぴーたー本場のメリケンですら、アタリSTとかコモドール64みたいな
ファミコン以下のカスゴミスペックマシンが、90年代初頭まで現役だったとか
MZ2500のドルアーガとかゼビウスとか、憧れたもんだが、移植度はどうだったんだろうか。
それはそれとして、買う側も同じゲームを違う機種で揃える的な事をしてたな。
そして糞化しようが、違いを楽しむ。
MZ-2500はゼビウスが出てたこともあって、当時すごく欲しかった(でも買えなかった)んだが、
ハードウェアスクロールの機能があったんだよね。
でもスプライトはないから、やはりきれいな動きはできなかったんじゃないかな。
それでも当時の8bitPCとしては、スクロールと発色数だけでも優れてたほうだったのは確かだけど。
あと、ゲームでは活用されてなかっただろうけど、0.5ドット縦スクロールなんてことができたっけ。
MZシリーズへの移植はカックカクだけど、ドルアーガはファミコンより
グラやBGMの再現度が高いので、結構喜ばれてた記憶
あの頃のナムコのPC業界けん引力は半端なかった 2006年のMSXゲーム「Malaika Prehistoric Quest」
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm27405099
MSX1でもここまでできるんだなぁ ゲーム機初のネットブラウズできるマシンは
ドリキャスではなくピピンだった? Jaguar
1993年に発売。日本では1994年12月8日に発売
全世界累計販売台数は推定で25万台と少なく、世界で3番目に売れなかったゲーム機
と書いてあった>Wiki
売れてたら、VRHMDが出る予定だったんだよな
あの時代なんでバーチャルボーイレベルだったと思うけど
ジャガーはよう買わんかったけど、リンクスはソフマップの叩き売りで買ったでw
ソフト2本付きで3000円やった 3DOはポリスノーツとスーパーストIIの為に買った。
ついでにVideoCD再生アダプタとSFCコントローラー変換機も買った。
PC-FXは天外魔境IIIが出ると聞いて買った。
結局出なかったけど。
あぁ女神さまっと鬼神童子ZENKIは面白かった。
MD-32Xはバーチャレーシングの為に買った。
32X-CDは日本では出なかったな・・・。 Best Atari 7800 Homebrew Games
https://www.youtube.com/watch?v=XaSdPXQW1MU
クラシックゲームはええな
唯一無二の個性の数々が、忘れ得ない印象を残す FM TOWNS マーティーは、1993年2月20日に発売した、
FM TOWNS系の、コンシューマ向けマルチメディア機(CD-ROMプレイヤー)。
キャッチコピーは「Martyにチャンネルを合わせたまえ」。
イメージキャラクターはワニの「Mr.T」で、郵便局の簡易保険のCMにも登場していた。
富士通が、「LIST方式」(Line Interporation Scaning Technology)という、画像処理技術を利用した、
ビデオ信号チップ(ワンチップのスキャンコンバータ)を開発したことを受けて、企画された。
この技術により、640×480ドット(VGA相当の画面解像度)の画像を、一般のテレビで表示することが可能となったとしている。
それ以前には、テレビ接続するタイプのゲーム機やパソコンは、320×240ドットの解像度を前提にするのが基本であった。
家庭用テレビへの接続に特化し、小型化された、FM TOWNSである。 CPUは、80386SX(クロック周波数16MHz)相当品で、性能的には、初代FM TOWNS程度である。
マウスの代わりに、専用のジョイパッドを使って操作できる。
パッドにはZOOMボタンがついており、対応ソフトでは、ハード的に画面の拡大表示が可能である。
トップローディングのCD-ROMと、3.5インチ2HDのFDDを、それぞれ一基ずつ搭載している。
ほかにPCカードスロットがあり、本来はICメモリカード用の、JEIDA4.0仕様ではあるが、専用のモデムカードを使用できた。
本体色は白。RGBの代わりに、S端子を備える。 キーボードは別売。背面には蓋がモールドされた拡張バスがある。
当初富士通では、テレビを意識して、対応ソフトを「番組」「チャンネル」と呼んでいた。
FM TOWNS向けの、CD-ROMソフトウェアの多くが、そのまま利用できる、という触れ込みだった。
ただし、マーティー発表時点で、富士通より公表されていた通り、
マーティー発売後のFM TOWNSタイトルは、ソフトのパッケージに、「マーティー対応」という注意書きがないと、使用できなかった。
なお、マーティー発売後のFM TOWNSタイトルは、
マーティー専用IPLが書き込まれたソフトウェアと、旧来のFM TOWNS用ソフトのIPLが書き込まれたソフトのみ、そのまま起動する。
マーティー発売以後に発売された、FM TOWNS専用IPLが書き込まれたソフトは、マーティー本体のプロテクトにより、起動しない。
マーティー発売以前に発売されていた、TOWNSタイトル約660本のうち、
約200本がマーティー対応で、
新作ソフトを含めると、発売時点で約250本のソフトが、マーティー対応とされていた。 【機種】独立系体感ゲーム機
【ジャンル】 ガンコントローラーシューティング
【画面】 2D
【遊んだ時期】 2000年前後
【その他覚えていること】
テレビに繋げて遊ぶタイプで、はじめてのwiiのような、ミニゲーム集になっている
コントローラーが銃の形をしている
1つ目の巨人を撃って倒すモードや、数字の付いてる太陽(?)を撃つモードがある
タカラのガンガンアドベンチャー >>61-62
wikiの内容貼り付けるのやめて、要点をまとめて下さい。
何が言いたいのか解りません。 富士通としては、家庭用ゲーム機ビジネスを参考にした、
ソフトウェアベンダがハードベンダに、生産委託料などの名目で、ソフトの生産数に応じた
ライセンス料を支払う、ロイヤルティ徴収方式の、ビジネスモデルを描いていた様である。
ゲーム機に対抗できる、簡易なゲーム用パソコンというスタンスであり、
当初、発売から3年で、販売台数100万台という目標を立てていた。
しかし、売り上げは低迷し、1993年12月末時点で、マーティーの累計出荷台数は、4.5万台だった。
主な原因として下記が挙げられる。
搭載メモリの容量が2MBと、当時でも小さかった。
FM TOWNSのRAMは、初代モデル1を除けば、標準で2MBであり、
これがFM TOWNS規格としてのデファクトスタンダードだったものの、
マーティは増設不可で、制限を受けるソフトウェアもあった。
SCSIがなく、背面に拡張バスを一応備えながら、蓋がモールドされていて、本体を加工する必要があった。
そのため、ハードディスクなどの拡張機器が出なかった。
マーティー用の拡張ハードとしては、サードパーティーのアーバンコーポレーションから
プリンタポート「MTPR-80」が発売されたのみである。
当時、普通のパソコンの中にも、10万円を切る価格で販売されていた機種が、存在していたが
それより低性能でありながら、本体価格が9万8000円(税込みで10万円)と、価格差が極小であり、
ゲーム機として見ると、高い設定価格であった。
そもそもFM TOWNSに、ゲーム機市場に対抗できるようなキラーソフトが、そう多くは出ていなかった。 翌1994年、本体価格を6万6000円に下げて、色をグレーにした
「マーティー モデル2」の投入も行われた。
しかし性能的には何も変わっておらず、不調に終わった。
その後マーティーは、中古ショップに積まれたが、それでもあまり売れた気配はなかった。
マーティーの突然の発表と失敗は、一時は堅調になってきたかと思われた
FM TOWNSの市場に、逆に水をさしてしまった。
また、当時流行していた「マーフィーの法則」にひっかけて、「売れる可能性のない物は売れない」=「マーティーの法則」とも揶揄された。
ただし価格さえ見合えば、アダルトゲームには最高の環境、という話も聞かれた。
1995年、FM TOWNS唯一のラップトップモデルとして、教育市場向けに「FM TOWNSII モデルSN」が発売された際、
これこそが、本来マーティーのあるべき姿であった、という記事もみられた。
但しモデルSNは、本体価格52万8000円と、マーティーと比較するとかなり高額な価格設定であった。 日本だとマイコン少年でないとなじみのない記号だしね
ナイコン族とかそんな死語もあったな 小学校2〜3年の頃は、モノポリーとか人生ゲームとかの、リアルボードゲーム時代だった
イラン、イラク、サウジアラビアに、高層ビルの駒を置いておいて、
他のプレイヤーが止まると、ガッツリと金をゲットしていたあの頃
もしくは生き残りゲームや、沈没ゲームあたりか
あの色ボール、良く紛失してたわ
ペトロポリスかな?
トミー ポケットメイト
https://i.imgur.com/CYkk1Vp.jpg マーティーはドリキャスよりも数年早く
640×480ドットの画面を出していたんだな…
しかし早過ぎても売れないのがゲーム業界の難しさか 3DOで洋ゲー/ギャルゲー以外でオススメのソフトってありますか?
あっ、ポリスノーツとスーパーストIIXは持ってます。 Jリーグバーチャルスタジアム
今やって面白いかはわからないけど一応3Dサッカーゲームの先駆者
ソード&ソーサリー
3DOでJRPGをやろうと思ったらこれとブルーフォレスト物語しかない >>70
あえて「ザ・ドラえもんズ」を挙げてみる。
あと「モンタナ・ジョーンズ」(NHKでやってたアニメ)とか。
3DO独占タイトルです。
アーケードからの移植なら「スターブレード」かな。
「J.B.ハロルド ブルー・シカゴ・ブルース」のような推理モノもいいね。 マイコンでゲームしてた奴らからしたら
ファミコンでさえ、容量に物を言わせたスカスカゲーらしい ファミコンだけしか視界に入ってない人には
ハイドライドは1と3だけで、2が存在してないように見える
(実際には2はPCゲーで出てる) PC版の2を知らずに、FC版の3をクリアしたら、死の間際のラスボスが
「バラリスやエビルクリスタルを作ったのも自分」って言ってて、
バラリスが1のラスボスだという事は知ってたけど(3にも中ボスとして出てくる)、
エビルクリスタルって何だろうと思ったのを覚えてる
(かなり後で、2のラスボスだと知った)
バラリスって唯一無二の魔王とかじゃなくて、2の最終局面でたくさん出てくる、普通のモンスターなんよね
この中の一個人が、地上に出て魔王名乗ってたのかな、と うる星やつらと同時期なこともあって、アラレちゃんのゲームは
パソコンの方で出てることは出てるよ
現在、ゼロから遊べる環境構築しよう思ったら、違法DLに手を染めるしか手がないかもしれんなあ
5インチフロッピーなんか、今のPCでは読めないだろうし なんか昔のゲームは子供向け、今は大人向けが増えた、とか言ってる奴いるけど、
元々は大人のPCユーザー向けのもんだぜ?
ファミコンで急に大衆化が進んだだけで。
元の形に戻ってきただけ。 3DO ウルトラマンパワード
発売日:1994年3月20日
ジャンル:対戦格闘
開発元:バンダイ
CD-ROMの大容量を活用した、実写取り込みの動画や
高品質なBGMなど、発売当時としては先進的な演出がなされていた。 @project_egg
1988年にブレイングレイ社より発売された『ラストハルマゲドン』の権利者の方を探しております。
もしお声がけ頂けるようでしたら、こちらよりご連絡を頂けますでしょうか。
何卒よろしくお願いいたします。
まずもって原作者の飯島健男に問い合わせるところからはじめればいいんじゃないのと思うが、
Project Eggはその原作者すら当たりを付けられない無能なのかよ?
それか、澤武一夫を探してみればいい
飯島に聞くのはとっくにやってるだろうよ
会社や権利関係はそんなに単純じゃねぇんだよ
そもそもあの問題の多い人物に渡してたら、とっくに続編商法しまくってると思うしな
ブレイングレイ後継のフジコムがどう承継したかだが、フジコムもとっくの昔に消えてるしなぁ グレートギアナシスターズは、
コモドール64、アミーガ、アムストラッドCPC、Atari ST、MSX2、に対応して製作されたが、
スーパーマリオブラザーズと酷似している事から、任天堂に訴訟を起こされ
発売中止となった経緯があり、コレクター間ではレアで貴重なゲームとなった。 光栄が出した英語学習ソフト的なアドベンチャーゲーム「EMIT Vol.1~3」。
PC9821/FM-TOWNS/Mac/3DO/SS/PS/SFC/Win3.1/Win95と出ていた。
キャラデザインが”いのまたむつみ”で、主題歌が篠原涼子だったかな?
3DOで数少ない国産ゲームだが、どれほどの人が買ったのだろう? Zemmixは韓国で売ってた
パソコンとして使えないMSX互換のゲーム専用機 整理をしていたらMSXのゲーム「イシターの復活」が押入れから出て来た。
本体は無いけど。
1chip-MSXを買い逃した今となっては、中古のMSXを探すのも一苦労だ。
経年劣化でイロイロと壊れていそうだし。FDDとか。 PC-FXは11万台しか売れてないから、失敗ハードの中でも特に群を抜いて酷い失敗
ワンダースワンは300万台だしドリキャスも200万台
それ以下となると、ピピンアットマークとかになるな プレステ、サターン、N64、3DO、ネオジオCD、プレイディア、PC-FX、32X、Marty、レーザーアクティブ、Pippin@、ルーピー、Jaguar
あの頃は本当に色んなのがあったな RPGで比較
3DO ブルーフォレスト物語,ソードアンドソーサリー,王国のグランドシェフ,
AD&Dロストダンジョン,ドラゴン・タイクーン・エッジ,ファラオの封印
PC-FX ブルーブレイカー,ミラークルム,バウンダリーゲート,
アンジェリーク天空の鎮魂歌,ルナティックドーンFX,負けるな!魔剣道Z
3Dっぽいのが少ない点で、PC-FXは厳しいかも。 >>87
PC-FXなんてまだマシな方だろ?
専用ソフトが5本しか発売されなかったPCエンジン スーパーグラフィックスと言うものがあってな・・・。 中国産のWindowsベースのゲームマシン、小覇王Z+は
定着せずに終わったようだな
ゲーム機としては終わっても、Windowsマシンとしては使えるらしい 『シスコヒート』 (cisco heat) は、1990年にジャレコから発売された
業務用大型筐体ゲーム。
坂の都市と呼ばれる、サンフランシスコ舞台にしたレースゲームである。
Amiga、Amstrad CPC、Atari ST、コモドール64、PC/AT互換機、ZX Spectrumに移植された。
プレイヤーは2種類のパトカー(キャデラック・フリートフッド・ブロアムと、日産・300ZXがモデル)から選び、
サンフランシスコを景観としたコース内を、指定された場所(実在の地名を使用)まで
制限時間内に高順位で走破するのが目的。
全5ステージ。
筐体上部には派手なパトランプが設置され、通信対戦可能なツインタイプも用意されていた。
本作は同社の『ビッグラン』(1989年)の基板を流用して制作された、コンバージョンタイトルであり、
この為クラクションボタンが本作にも継承されている。 3DOにはVideoCDアダプターがあったな。
SSにもあったか。
PSやDCでは非正規周辺機器であったっけ?
手持ちのビデオテープから99分CD-Rを使ってVideoCDにして3DOで観ていたなぁ。 サターンのビデオCDパックは本体に収納できてスマート 物置を整理していたらPC98用PCーFXGAボードとPC-FX:鬼神童子ZENKIが出てきた。
中古でPC9821でも買って遊んでみるかな?
PCーFXGAだとCD-ROMドライブが高速なものを選べるし、RAMをキャッシュにするソフトもあるみたいだし。
http://www.fenix.ne.jp/~fez/soft/fxga/ 引越しで掃除してたら、スワンクリスタルのワインレッドが出てきた。
けど、電池替えて電源オンしても縦線が数秒表示されるだけだった。。。
液晶故障してるのかなあ。今まで見向きもしなかったけど、なんか惜しい。 旧いゲーム機の故障は大体コンデンサ
コンデンサが経年劣化すると、液晶も映らない >>97
分解して見れば
コンデンサが破裂して粉吹いてるとかGBでは良く出会ったもんだw
見た目に異常がなければ一応電源スイッチや電池周りの端子清掃してやれば動く場合もあるな 知識無いけど時間あれば分解清掃してみたい(´・ω・`)
でも引越しの準備優先なので今はちょっとキツイかな。
ロマサガ刺さったままなのでまた遊べたらいいな。 音が出ないなんかもボリュームダイヤル周り清掃するだけで復活したりとか普通にあるから、外傷が無いなら試して見ても良いかもね
それでも無理だとしても最近WSはカラーがバックライト改造液晶が出た
もしかするとそのうちクリスタルも対応商品が出るかもしれんのでそれに期待して大事に保管しとけば良い モルカー × たまごっち コラボ商品発売決定!
PUI PUI モルカっち
https://toy.bandai.co.jp/series/tamagotchi/molcar/
【10月9日発売予定】 >>96
PC-FX実機より、PC9821+PCFXGAボードの方が快適に遊べるのか?
でもそこまでするくらいならエミュの方が良い?
https://emu-portal.com/pc-fx.html PC-FXは全63タイトル
その内、アニメフリーク6本と他機種(PCE/SS/PS/3DO)同タイトル24本を引くと、PC-FX独占のゲームは33本になる
さらにPCから移植の「ルナティックドーンFX」「パワードールFX」「ああっ女神さまっ」を引くと30本しかなくなる
余談だが、ゲームのケースは標準CDサイズに統一して欲しかった
無駄にデカいハードケースは邪魔だ しかというより、そんなに出てたんだって感じ
なんとか軌道に乗せようとしてたのはうかがえるね マーティーってFM-TOWNSのソフトの一部しか動かないのだっけ?
動くソフトの一覧とかあったら分かりやすいのだけどなー PC-FX本体は持っていないけど、PC-9821とPC-FXGAボードなら持ってる
BIOSさえ吸い出す事が出来ればエミュで動かせるのになぁ ATARIをマイナー扱いするのは失礼すぎたしないか? Jagurは68kを搭載しているから16ビット機だと貶めるやつがいるが
実際には32ビットRISCを2個(トムとジェリー)搭載しデータ幅を64ビットとした32ビット超のアーキテクチャだった
アタリでは68kをコントローラ制御に使うことを推奨していたが自由度が高い代わりにマルチプロセッサを使いこなすのが難しく
慣れた68kをメインに使いたがるゲーム屋が多かったようでPSやSSに見劣りする原因にもなったようだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています