多発性硬化症の日記 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
人生そろそろ疲れてきた。
あしたからにっきを書いてみる。 足が動きにくい、腕も手も。そして自力で排泄ができん。いつも笑顔でパワフルだった私、ここまではなんともなかった。
でも声が出にくい ものが食べにくい
のどが詰まる感じ、歌えない、泣いても嗚咽みたいになる、気持ちが伝わらない
これが追加したから、だんだん気持ちが
荒んできた。
少しずつ。現実が見えてきて、やばい自分に気づいた。
今回ばかりは、限界だ。 死ぬだろう、死にたいんだろうと思うと不思議と頑張れる。
ゴールが遠すぎるのは、負担が大きく過ぎる。 自分の生き方を小説にしたくなった。
どうして書き留めていこうかな。 恥ずかしいです…
時間のある時ボチボチと書きます。 〈無題〉
朝早かったので二度寝していたところに、息子の学校から電話があった。
野球部の高2、白球が当たって病院に来てるとのこと。
いつものかかりつけ医だから、車に乗って駆け込んだ。
玄関前に車をベタ付けして、普段の車椅子ではなくカートと杖での両杖歩行でヨタヨタとバリアフリーの病院を入ると、トレーナーさんが気付いて手を振った。
「今、レントゲン撮ってるところです。」
左腕の内側にデッドボールが当たって、かなりヤバい音がしたので慌てて連れてきてくれたらしい。
息子は、静かに腕を見せて呟いた。
「指を動かすと痛いし、筋痛めたかなぁ…」
診察室に入ると、いつものドクターが
「OK、大丈夫。骨は折れてないから、数日かなぁ。」
息子は、高校では主要メンバーなので、トレーナーさんはホッとした顔で、良かった良かったと何度も言っていた。
湿布をもらって、息子はトレーナーさんと学校へ戻り、私は家に帰った。
どんな大怪我だろうと、不安を募らせて駆けつけたものの 痛さだけで日にち薬で済む程度で良かった。
あとは、せっかく好調だったバッティングが狂わないかと心配だけど、そこは本人が努力して調整していくしかない。
始まったばかりの秋大会、先日の地区大会は見事優勝したばかり。次の県大会には影響なさそう。
普段応援に行けないので、できることは精一杯サポートする。
これが私のやり方だ。 〈MSと知らずに生きてきた自分について〉
病気とは無縁だと思っていた私は、幼少期、少女期はお転婆、思春期は多少感受性の高い負けず嫌いとして育った。
地元の中学を卒業し、女子校に憧れて入った高校は、通学時間が片道1時間40分。勉強も普通にしていればそこそこできた方だったので、通学時間を利用して勉強するのは快適だった。
授業後は友達と遊びまくって、その中でバイトもしていたり。とにかく1日が24時間では足りないような青春期を過ごした。
睡眠時間は、1日平均4時間。
朝は4時には起きて雨戸を開けると、向かいのおばさんも早起きで玄関前を掃除している。
毎朝会釈して、そそくさと窓を閉めると、早朝の勉強を始める。
6時過ぎ、始発から3本目の電車に乗るために、自転車をかっ飛ばして駅に着くともう電車が駅に向かってるのが見える。慌てて階段を駆け上がりホームへ滑り込むようにして、ドアが閉まる直前に列車に駆け込む。 覚え
•同級生
• 白い杖のおじさん テーマをどう絞ればいいだろう?
病歴について書くつもりもなく、自伝でもないよなぁ。
子育てをそろそろ卒業するまとめみたいなもので、人生観を描きたい訳だが
そもそも
〈MSと知らずに生きてきた自分について〉の文はいらないなぁ。
あれは、やめよう。 育児に闘病に奮闘してきた20年の歴史と、病気、障害ありきで、生き方を前向きにするために行き着いた人生観。
辛くて自殺したいと思うなら、どうせ死ぬならヘトヘトになって死ねばいいや!
難病があっても、表に出て我武者羅に生きてはきたけど、どこかでいつも死にたいという気持ちになって苦しかった。
再発が怖くて、疲労が怖くて、知らず知らずのうちに臆病になって逃げてた自分に喝を入れて 、精一杯生きようと決心できた気持ちを書き綴りたい。 病気に初めて気付いた時の心境や今の旦那との出会いは是非聞いてみたい
始めから順番に書いていけばいいと思うよ
綺麗に纏めたいならここはメモ帳として使って
別の場所で清書した文章を貼るとか >>7
急がないで大丈夫です
>>1のペースでゆっくりどうぞ
質問なのですが痛みの対処は頓服ですか? <1.MSと診断された>
忘れもしない、30歳の誕生日だった。
その日の朝、トイレに立つことができなくなった。
まさか使うことになるとは思わなかった、紹介状をもって 近くの総合病院に母に連れて行ってもらった。
その時も、いつものように、オーバーだとか心理的なものだと言われて、恥ずかしい思いをするのを覚悟していた。
1人で診察室に入って、その時初めて会ったA先生に、恥ずかしさを堪えて諸症状を話すと、A先生は無表情のまま手指、腕の関節、足や膝の関節や動きを確認して静かにこう言った。
「お家の方は、誰か一緒に来てますか?」
とうとう、私は頭がおかしいから、私には説明しても仕方ないから親を呼びなさいと言われたんだと思い、
廊下で待っている母を診察室に呼んだ。
すると、A先生は厳しい顔で
「ちょっと覚悟して聞いてもらいたいんだが、これはおそらく難病の1つだと思われます。
お母さんはお近くですか?どのくらいで仕度してこれますか?
娘さんはこのまま入院させてください。」
母は、驚いて
「まさか!何が悪いんですか? 病気なんですか? 〜〜、〜〜〜、!」
取り乱して、なに言ってるのかわからない様子だった。
-----ここからはメモ---//(急遽外出してきます。)
その頃の仕事は、車で外回りの営業をしたいた。会社の車でクーラーが壊れているのか一台あって、その車で暑い中1日80kmくらい走って取引先にいくこともあった。
その2日前、足に力が入りにくいとか、痺れがあるといつものかかりつけ医(整形外科)の先生に、紹介状を書いてもらっていた。
出産してから、よく足が腱鞘炎みたいに痛いような重いような動きが悪くなって、かかりつけ医(整形外科)に行くことが多かった。からって通院
手の指が痺れはじめて、 本日も体調悪し。
2日に1食しか食べられなかった。
(今夜は、治療記録として書いておく。)
MRIを撮って、診察。
月に一度の再発予防薬(タイサブリ)を点滴で受けてきたんだが、
夏バテで体力のない身体には堪えた。
タイサブリは、肝機能障害や発熱などの今までの薬のような副作用はなく、
定期的にMRIで、PML(進行性多巣性白質脳症)を発症していないか確認していけば、安全な薬と言われている。
でも、やはり薬は薬なので 体調が著しく悪い時に受けるとそれなりに副作用のようなダメージを受ける気がする。
症例が少なくて、問題視される機会がないのかもしれないが、少なくとも私は前回と今回の2度、ひどい体調不良に悩まされた。
一応、記録として綴っておく。 <2.MSと診断された>
先に、説明をしていなかったが、診察自体は、実はもう少し際どい診察だった。
関節の動きや筋の動きを診察するのは、診察室にカーテンで個室のようになった場所で、下着一枚になって寝るように言われた。 言われるがままに従ったけど、ものすごく抵抗があった。
だいたい、足が動かないだけで 何をされるのか全くわからなかったからだ。
カーテンの中での診察は、A先生と2人だけで行われた。
まず、腱反射を見る一般的な 先に三角のゴムのついた棒で 触れた感覚を顔の隅々から足の指先まで確認された。
頬に当てた感じを10として、右腕の外側に当てた時はどのくらいか?
頬が10で、右腕の内側は?
足の指先は、触ったのがわかるか?
頬が10で足の指先はいくつか?
親指の表側、裏側、人差し指の表側、裏側。
それから足の甲、裏側、どんどん上に上がって、パンツも無造作にずらされて、感覚が変わるところはどこか?
また、腰の辺りから胸まで確認して、ブラも無造作に引っ張ってずらされて、首元まで。
鈍いところから少し感覚がはっきりするところはどの辺?
そんなことを確認された。
その時は、確か鎖骨の辺りまで鈍くて
それも、足先は0に近いくらいの感覚、手の先も3くらい。
あとはだいたい6とか7とか4とか。
感覚の度合いなんて、よくわからないけど聞かれるがままに、それとなく答えた。 一通り終わったと思ったら、今度は 家庭科で使った、型紙を布地に印をつけるときのルーラーみたいな、先の尖ったローラ付きの棒で、同じように上から下まで。
次は、筆のような毛のついた棒、
音叉という、振動が伝わる道具での振動覚の確認
冷たい鉄製の棒で温度の感覚の確認
指先で摘まれてる感覚、
身体の隅々まで調べられた感じで、周知と不安とが表現できない初診だった。
そして、カーテンの中で受けた診察には、目を閉じて何か手に握らされて、何かわかりますか?
消しゴムや洗濯バサミやボールペンやそういう身近なものを握ってわかるかの検査、
足を先生が曲げたり、膝を曲げたりしたときの腱反射や肘や手首、手足の指先、そんなこと。
そして、ようやくカーテンの部屋から出られて、自分の指先を先生の指先に、E.T.の挨拶のように付けて、自分の鼻に移動させる、顎に移動させる、
などの位置情報の確認、
あとはもう覚えていないけれど、A先生と信頼関係云々の前に、そんな羞恥的な診察を長々と受けた後、母を呼ぶという展開になった。
なので、私はすっかり、私は言われたことがわからない馬鹿なので、親を呼ばれたのだと思ったわけだ。
実生活では、足が動かなくなる他に、指先の痺れから始まり、字がミミズが這ったような字しか書けなくなり、
営業回りしているカバンを持ち歩くと足がよろけたり、車が横を通ると 風で煽られてフラついたりした。
あとは、お味噌汁を作っていて お味噌を溶いているうちに指がお味噌汁に浸かっていて、しばらくして気付くとか、
今は病気を知っているから調べれば、代表的な症状として紹介されていることが、実生活では起きていた。
それをトータルして、A 先生は 母を呼び、敢えて難病とした上で、
「おそらく、脊椎の2番目と3番目の間辺りに病巣があると思います。
MRIを早急に撮って確認して、すぐに治療しなくてはいけません。
脊髄炎であることは間違いないでしょう。」
と言ったわけだ。 でも、脊椎の2番目?とか言われたところでイメージがわかない。何を言われているのかわからなかった。
と、長々と初診の内容を並べてみたが、
同じ病気でも、ここまで丁寧に診察を受けることはないのではないか?というほど、A先生は丁寧にじっくり診察をした。
どうやら、ドイツで勉強されてきて数ヶ月前に戻ってきたばかりで
研究してきた症状と合致した数少ない患者だったので、特に丁寧に診てくださったのだと思う。
そして、完全にうろたえていた母に、入院の支度を揃えてもらい、私は会社に連絡してり、当初通わせていた子ども達の保育園に連絡したり。
1カ月程の入院ということで、まだ2歳と4歳の子どもたちのこと、生活のこと。頭がグルグルしながら、病気の不安はそっちのけで支度した。
ちなみに、子ども達の父親とは、2年ほど前に離婚していて母子家庭として生活していた。
----覚え-----
<子どもたちと離れての生活>
初めてではない、
<診断を受ける前の子育て> >>25
痛みは常に痺れの強いようなものが麻痺してる部分似あります。
ロキソニンやリリカが手放せないです。
気温やお風呂やその他 何か体温が上がるような時は痛みやしびれやツッパリ感が増します。 >>26
レスありがとう。
常に痛みや痺れと共にというのは辛いね。
より効果的な治療法が見つかると良いのだけど。 (MSとしての初めての入院)
脊髄炎だけははっきりしていたが、難病の多発性硬化症かどうかは、MRI画像判断、ルンバール(腰椎穿刺)などが必要だった。
当時、MRIは入院して空いたタイミングで撮らないと、なかなか予約ではすぐにできなかった。
先にルンバールをして、2日後にMRIを撮った。
先生はMRIの撮影室でうなずきながら撮影を一緒に見ていた。そして、MRIの部屋から出てくると、すぐに
「ちゃんと出てましたよ。間違いありません。あとでよく説明しますね。」
と言った。
今まで、何度も足が絡まったり力が抜けて動きにくかったり。転んだり、電車に座っていると、無意識に前の人を蹴ったり…いろいろなことが、全てその日
私の思い込みのせいや、気持ちが弱いとか言われてきたことが、私のせいではなく、病気のせいだという太鼓判をもらった。
難病がショックではなくて、自分の不調を証明してもらえた、肩の力が抜けるような、ホッとした瞬間だった。 >>32
ぼくのおちんちんなめりゅ?げんきでるよ うっ でりゅうううううううう ぶりりいいりりりいりり うんちっちでりゅううううううううううううううううううううううううううう 半年に一度MRI。
今回のでは脳委縮が観られるって…体にはそこまで症状でてないけど。 >>34ぼくのおちんちんなめりゅ?げんきでるよ うっ でりゅうううううううう お前が在日じゃないと言い張る根拠は帰化したからだろww
残念でした♪
お前のDNAがチョンならお前は在日チョンだwwwww kuくっさいかっさいナマポこじき40歳クタバレニダ お前が在日じゃないと言い張る根拠は帰化したからだろww
残念でした♪
お前のDNAがチョンならお前は在日チョンだwwwww 蓄えがなかったなら福祉に頼るしかない
世間体より自分が生きることを優先しよう >>46その方法をご教授ください…
もちろん特定疾患は受給してますが、障害はないので手帳もありません まず通院中の病院のケースワーカーに相談しよう
現在生活に困窮している事を伝える
医師から就労制限されているのなら、今後収入の見込みがない事も一緒に
ケースワーカーが>>47に合う福祉の制度を教えてくれると思う
稀に頼りにならないケースワーカーもいるので良い方向へ行かなくても諦めないで 失礼
>>48はケースワーカーではなくソーシャルワーカーです
相談に行くのは早いうちが良い
1日経つごとに>>47の負担も増えていくのだから まずはタバコやめないとな…百害あって一利なしなんだろうからさ。 0
反日の臭い葛っ西は、こいつだよ
http://mb2.whocares.jp/mbb/u/tare14/1083
くっさいかっさいさん 、40代にも
なって、無職で独身か?
女なら専業主婦で社会に出てないことはわかるが、男だろ?
40年間も生活保護受給者なんて誰に対しても頭が上がらねえよ。
くっさいかっさいさん、おまえは米つきバッタだ。
一生、人のためになることはできない社会のお荷物で死んで
死んでゆくがイイ。
はっきり言って迷惑千万、おまえのような奴は今すぐ死んで欲しい
税金が勿体無い。
税金は、もっと有効に使われるものだ。
死ね。朝鮮に帰れ
(\/)
/|\(`∀´)/|\ ケッケッケッケッ
⌒⌒ΨΨ⌒⌒
I am not a bat! I am the devil! 週末の神経内科イベント@京都
第23回 世界神経学会議
脳、神経そして骨格筋の病気を治す!
─患者の声、最先端の治療、行政からのサポート─
http://www.2017.wcn-neurology.com/Documents/JAP.pdf
参加費無料、事前登録不要
会場 国立京都国際会館 知り合いから教えてもらった嘘みたいに金の生る木を作れる方法
一応書いておきます
グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
9BUQ0 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています