日大全共闘養成ギプス5
正直なところを書きますが、糞尿を垂れ流しの現在ですね。前立腺肥大で排尿するためには力をこめる。そうするとうんこが出てしまう。手術が必要なのかな。自殺を選択肢として考えます。 だけどね、自殺すると敵が喜ぶのが簡単に想像できる。「過激派世に憚る」、でいきます。 日本の占領を初期から担った「ニューディラー」たち、「民政局」スタッフの粉砕対象は、「軍閥」、「財閥」、「官閥」だったらしいです。 残念ながら「官閥」は、今もゆるぎない。「コロナ禍」で思い知らされた医系技官のための医療・公衆衛生行政のあり方。やっぱりもう一度「焼け野原」からの再出発しかないのかな。 今月の30日で、初めてデモに参加してから50年になります。1974年3月30日に初めてデモに参加しました。 ベ平連の最後のデモ、「経団連はベトナムへ行くな」デモでした。代々木公園から経団連を経て解散地点はどこだったかな? 代々木公園で初めて見た実物の小田実のガタイの良さにはホントびっくりした。 デモ隊が出発してあまり時間がたたないうちに、福富さんの怒声が響き渡った。 機動隊員がジュラルミンの盾を振り上げて女性の顔面を殴打したのでした。女性は眼を負傷した。その場所には血痕がありました。 横断歩道橋に警察は、絶対にプレスのカメラマンを登らせなかった。写真を撮らせないのでした。 私の布製のショルダー・バッグには、紀伊国屋書店で買ったばかりの、法律学全集の憲法Tと憲法Uがあった。 表現の自由、なんか日本には無いに等しいのだということを、骨身に染みて実感させられたデモ参加初体験だったですね。 ありがとうございます。デモ初体験により日本の権力のあり方を知っていたから、日大法学部に入学してヘルメットを被ることに何の抵抗も無かったですね。 70年代のデモは、都心の幹線道路の車線を数十分間占有する数千人規模のデモであっても、警察が隊列を分断することが無かった。 基本的人権のなかでも「表現の自由」の優越的地位(奥平先生)を、社会が認めていたということなのかな。大規模なデモが予定されている場合には、予めラジオで何度も迂回のお願いを放送していた。 事実として、私は、1978年度の日大法学部における、暴力団員と暴力団員にやとわれた国士館大学、拓殖大学の学生たちをガードマンとして導入したことに対する抗議行動のなかで、それなりの役割を果たしたので、言行一致で卒業していません。ごめんなさい。私は、あの闘いに参加しながら日大法学部卒である者を軽蔑しています。 軽蔑すると書きましたが、生活者として生きるのには、何の問題もないでしょう。ただ、日大闘争について、日大全共闘について、社会に向けて語るのは止めて欲しいということです。 当たり前でしょう。自分自身ができなかったことについて語るのは、人格の崩壊であり精神の病ですからね。 村上春樹が、作品中で早稲田大学の闘争に参加しながら「母親を泣かせられない」として卒業証書を獲得した学生をあざ笑っていますが、村上春樹自身が7年をかけて早稲田大学卒の資格を取得していますよね。何で中退しなかったのでしょうか。 村上春樹は、特に「騎士団長殺し」以降、リベラルよりに左傾していますよね。明らかにノーベル賞狙いでしょう。大江健三郎の大きなプッシュが欲しかったのでは。 甘いのではありませんか。左傾したら、売り上げはガタ落ちになった。はっきりとノンポリ支持層が離れてしまった。 気持ちは分かりますが、この「ガラパゴス日本」で物凄く稼ぐことと、嵐吹きすさぶ世界で高く評価されること、とを両立させようって、村上春樹さん、あんたそれは虫が良すぎる。欲が深すぎる。 後進国の理論的優位で、日本のマルクス研究は世界一でした。マルクス主義研究ではありません、あくまでもね。 柄谷行人は、平田清明が1995年になくなると、翌1996年には、マルクスは「資本家的私的所有の否定の否定としての個体的所有の再建」を共産主義社会のラフ・スケッチとして描いていたと書いて、100%の平田清明からの剽窃をやってのけた。 村上春樹からすれば、もう柄谷行人が羨ましくてしかたないでしょうね。 柄谷行人。文学者の世界にゲーデルという数学者を持ち込み他を黙らせて、マルクス研究がすっかり下火になるとマルクスを論じはじめる。まさに、かつて高橋敏夫氏が予言したとおりの「なるようになる」の道を進んだ。 もちろん、「なるようになる」は、丸山真男の「つぎつぎなりゆくいきほい」に準ずるものに他なりません。 高橋敏夫氏が若い日に、吉本隆明、柄谷行人を、小林秀雄批評圏の人、としたのは、途轍もない慧眼だったわけです。 高橋敏夫氏の若き日の天才的な著作である「多様性の秩序」を、どこかが復刊してくれないかな。 ここまで酷く劣化する前の、批評のあり方を知り、現状を対象化して相対化することを可能にするためにも。 そう、山口昌男、浅田彰、中沢新一らが、批評を席巻する前の息吹を何とか次の世代に伝えるためにも。 京大全共闘に参加しながら、社会学者として資本の下請け市場調査で稼ぎながら、ついには東大教授になり、社会に向かっては「おひとりさま」を喧伝しつつ、不倫相手の妻が亡くなると「入籍」し「妻の座」に収まる、という日本人の劣化の象徴ともいうべき、あの「総どりの妖怪」である千鶴の局が出現する背景ですよね。 女性解放運動の歴史の上での深刻な知的な恥辱ではないのか。千鶴のお局という存在。妖怪を対象化して相対化してみせろや、日本で女性解放を叫ぶ者たちよ。 いやほんと、昭和の妖怪が岸信介ならば、平成の妖怪は上野千鶴子です。 土曜日、3月2日の午後、新宿駅東南口で「女性の投票でマッチョな自民党政治を終わらせよう」というイベントをやっていた。その中で登壇した立憲民主党の大河原雅子のスピーチが、とにかく酷いものだった。. あのような者を絶対に言論の府たる国会に送ってはいけない。 私が、生で聞いて街頭での通行人に向けたスピーチがとてつもなく上手いと感心させられたのは、自民党の野田聖子ですね。 野田聖子に限って言えば、世襲の力というか、遺伝子はすごいです。 私は、JR上野駅と京成上野駅の間の上野公園山下で、また、新宿駅周辺で、中島みゆきさんの「ファイト」のサビの部分をを叫んでいるのですが、明らかにこたえて「ファイト」と拳を突き上げてくれるのは、女子高生だけなんです。 私は、もう老齢でチンコが役に立たないからスキャンダルになりようがないのですが、若新さんとかの事情は分かりますね。女子高生には信頼できるだろう希少な大人だったのだろうと思います。 活動からは、すべて引退です。尿失禁を止められません。もちろん、医者にかかり薬で改善はするのでしょうが、気後れしています。人生には、寿命、とは別の、健康寿命があるそうで、健康寿命が尽きたようです。さようなら。お騒がせしました。 活動から退くのですから、一切の言表を辞めます。私は、営業左翼を志向していたわけではありませんから。 高橋和巳の「憂鬱なる党派」の主人公である西村は、最後に大阪の釜ヶ崎であるだろう日雇い労働者の街で、色情読物を書きながら生を終えます。私も官能小説は、書けるものならば、書きたい。妄想全開で女性蔑視の極みになるのですが、耐えて世の中を支えている、同じオヤジたちに少しばかりの歪んでいるのだが、癒しになりたいと思います。 バカと5ちゃんは死ななきゃ治らない、です。かつて、キッシンジャーは書いた。米国には4年ごとの大統領選挙と中間選挙というネックがある。 私が、トランプと金正恩との対談実現を、その前年の9月から10月に予測していたのも、大統領選挙を睨んでのことでした。著名人には、誰一人として予測した者はいなかった。 もちろん、昨年に開始されたハマスのイスラエルに対する攻撃も米国大統領選挙を睨んでのことです。 しかし、ハマスは凄い。米国、イスラエル、英国、フランス等の諜報機関が事前に攻撃開始情報を掴めなかったのだから。 イラン対イスラエルの全面戦争は考えられない。しかし、イスラエルによるジェノサイドによって、どう考えてみても以前の中東には戻らないとみるべきだ。 サウジアラビアは、なぜイスラムの教えに根源的に背いて異教徒である米軍を駐留させておくのか。それはやはり、自国の軍人による王制打倒クーデターを何よりも恐れているからだ。