96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 22:39:19.69 ID:6KVL+wPL0
聖恵の歌のうまさは語り手と語り口(声・歌い方)を適切に選ぶセンスの良さによるところが大きいと思う
(ただし主人公と語り手とは必ずしも一致しておらずより効果的に共感と感動を生む演者を選んでいる)
たとえば同じように哀愁に満ちたバラードでも「ふたり」と「歩いていこう」の歌い分けは見事だ
「ふたり」では思いやりと勇気ある少年のように健気に「歩いていこう」は舌足らずな幼い少女のようにいじらしく
どちらも楽曲の描き出す世界(感)に合わせて見事に演じ分けているのが素晴らしい
それが歌詞・メロディーとアレンジともマッチして生々しいイメージと深い感動を呼び起こす
これは常に人を注意深く観察して会話を演じ分けて再現できる彼女の持って生まれた(大家族の中で培われた)
能力によるところが大きいと思う(ANNのトークを聴いていても感心してしまう)
そして単なる技術的なものではないので同じセンスがないとものまねするのは難しいだろう

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 01:31:14.45 ID:A28uYy5Z0
>>96
こういう歌唱法(表現方法)では如何にリアリティーを出すかが最優先課題となるから
それを損なうような余計な装飾(ビブラートやファルセット)や自己表現は排する方向に行くのは自然だろう
それはとりもなおさず真直ぐで自分を滅した歌唱法に行き着くということであり
それが聖恵の語り手としての才能を最大限に発揮するための必然の帰結であったというのは
(歌の千本ノックの結果として)真直ぐな歌唱を得意とする彼女にとっては幸運だったと言えるだろう