★★★サザンオールスターズ 602★★★
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50レスに対する爺の唯一の拠り所は
50レスと違って80年代にリアルタイムで爺が爺だった
ってだけだなあ
あれー?たぬきだっけ?キャッツだっけ?
とかいいのよw >>509
ちょっと確認のために1999年発行のサザンのディスゴグラフィー本見返してみたけど
萩原健太がサザンヒストリーみたいなのを書いてる
中に、こう書いてある
たぶんサザンが日本のポップシーンにとってのデフォルトになったのはこの1982年という年だろう。
彼らを国民的バンドなどと称する記事も多くなってきた。
そしてサザン自身といえば、主にアリーナクラスのライブの場を通じてそうした国民的バンドならではの役割をまっとうしつつ
同時にレコードのほうではけっして人ところに安住しない冒険心を適度にまぶした前向きな音作りを続けていた。
みたいな感じ
この本最近改訂版が出たみたいだけど、そこにどう書いてあるか知らないが、
1982年は匂艶、YAYA、東京シャッフル、ミスブラの頃だろ
アルバムはもちろんシングルもヒット曲も連発し絶好調だ
この頃、世界進出を目指してTARAKO出してる
そうした中で原坊の妊娠休養で、無期限活動休止だから 82年はチャコでテレビに返り咲いた年だよ
ヤヤまでが82年
この80年代の前半は1年毎に目まぐるしく状況が変わる時代だ 音的にもね
国民的バンドって称号は若いバンドからすると必ずしも嬉しい呼ばれ方ではないかもしれない
世間的には広く人気があるけど最先端とは違う
下手すればちょっと芸能人寄りってことだからね >>536
82年、すでにサザンは横綱で、わざわざテレビに出たり、シングルヒット狙ったりしなくてもいい格付けだった
でも桑田はそれじゃあ、つまらないって、敢えてチャコみたいな一般受けする曲作って、世間にアピールしたわけだろ
もうミュージシャンとして、それだけ余裕があったんだよ ちゃう、テレビに出なくなったらさほど音楽マニアではない人から忘れられそうになったから
チャコでもう一度お茶の間に出たい、となったんだよ
割とどこにでも書いてある話だが
あとカマクラの後は無期限休止ではない
クワタバンド開始時はハッキリジャスト1年と明言していた
その間に心変わりしてクワタバンドを少しだけ延長したあとサザンに戻らずソロに突入した
ちなみにTDKのCMはBAN BAN BANリリース前な >>538
カマクラの頃、原坊は産休
最初は一年で復帰の予定
ところが1年後に第二子を妊娠
だから復帰の目処が立たなくなったの
その頃撮られたCMがTDK?富士フィルムのカセットじゃなかったか?
これは契約とかいろいろあったからね
本来、業界の格から言って、今さらさほど音楽マニアでない人にまで受け入れられる必要はないけど
桑田は敢えてお茶の間受けを狙ったってこと
別に危機感はない
そこがサザンらしくもあるが 82年当時はヒット曲狙いでヒット曲作れた
それが桑田のすごいところ
だから天才と呼ばれた
しかしさすがに近年は狙ってヒット曲作れないだろ もうボウリングだけやらせてあげてけろ〜
お代官様ぁ〜 >>537
それは絶対に嘘だな
お前さあ、俺ら若者()が勉強してないと思っててきとーにハッタリかましてないか? タイニイとステレオは1位はとったものの
サザンのアルバムとしては売り上げは低い方
C調を最後にシングルヒットも途絶えた
桑田はテレビをやめて作品に全力投球したものの
アルバムだけのアーティストになるのは嫌だと言ってチャコを作ったんだよ
どこにでも書いてあるよ
富士フィルムは遠い街角でしょ >>538 >>543
これも、全部あたし知っていたなー(クエスパラヤ風)
ていうかさあ
もうTVはごめんだってfive rock showをやってみたけど全然ヒットしなくて、そろそろ当てないとやばいってときにチャコが当たって復活なんてサザン史の最も重要な部分のひとつだろ?
実は当時を見てもいない俺の方が詳しいんじゃないのか?
まじで残りの人生デロリアン作ることに使ったら? TDKのCMはクワタバンドで
スモークオンザウォーター※映像はサザン5人
神様お願い
雨を見たかい
3本もあるよ
80年代には爺はすでに爺だったんじゃないの? >>544
俺はリアルタイムで知ってるんだよ
当時、年初から今年はテレビにいっぱい出ます。ヒット曲出しますって宣言してたの
ムクの本なんかにも書いてある
シングルは売れなくてもアルバムは売れてた
当時はシングルは歌番組出たりプロモーションないとなかなか売れなかった
サザンはしばらくプロモーションとかしてなかった
だから前曲のシャララも売れなかった、チャコより良い曲なのに
チャコは積極的にキャンペーンやって話題作りなんかもしたからファン以外にもー売れたんだよ 後付けで意味づけされた歴史を勉強しても、リアルタイムを知っている者の感じ方では真実とは限らない
本は事実を都合よく盛ってる、美化してところあるからね >>542
ウソじゃないよ
お前、当時の日本の音楽状況わかってないだろ >>547
ということはサザン結成はほとんど大森のお陰というのも相当盛ってるかもな >>548
当時、たとえばユーミンとかRCとかオフコースとか井上陽水とか松山千春とか山下達郎とか、どんな人が売れてて
サザンがどんな位置づけだったか、分かってないだろ >>550
じゃあさ、すでに国民的バンドだったなら
その辺の爺が挙げてる先達より格上になってたってこと? >>550
だいたいはわかるよ
そいつらはTVに出ないから別格で、サザンはTVでわーわーやる人気者(ただし当時TVで洋楽っぽい曲や洋楽そのものをやる連中はほとんどいないためなんかすげー奴ら)こんな感じだろ?
明らかにビッグバンドの王様ではないだろ
だいたい記憶があやふやな爺の私見があてになるのかよ リアルを体験してる割には史実の思い違いをベースとした私見が多いんだよな…
35年の時を遡れ、爺の思い!
でもひょっとして爺は当時のなにかしら関係者では?
契約がどうとか
だったら逆に大森に対する思い入れもありえるだろうなとは思う
まあその割には思いこみ激しいけどw >>553
それは音楽を知らないお茶の間の感覚
そう言う区別が言いたかったわけじゃない
業界的評価は、サザンは先にあげたような当時のいわゆるニューミュージック界の大物ミュージシャンと同ランク
80年代から当時の日本のトップクラスの一角だったんだよ
だからって先輩は先輩だから、天狗になっていたわけじゃないが
レコードの売り上げでもライブの動員数でも負けてなかった
本来、アルバムアーティストだからシングルヒットなんてどうでもいいんだよ 絶対認めないよなあw
たしかにチャコ〜ヌードマンはブレイクしたけど
綺麗はまたちょっと落ち着いて
ミスブラ〜人気者でまたドカンときて
カマクラで国民的バンドwを確立だよ
82年はまだブレイクのスタートだっつの
アルバムはもちろんだけどシングルも売れなきゃ地味だから嫌だと発言している
第一インビテーションを離れる時に出たバラッドカセットが サザンてシングルは派手だけどアルバム曲滲みるなあって地味に評判になったくらいなんだから それって国民的バンドに対する評価じゃないでしょうよ 当時、桑田が「最近刺激が足りない」「今年はテレビにも出てヒット曲出そう」とか言って
チャコを出したというエピソードは、後年、間違ったイメージで伝説化されてると思う
それまで、しばらくシングルヒットがなかったのはプロモーションが足りないから当然のことだし
アルバムは売れてたし、別にサザンの人気が落ちてたわけじゃない
そんな深刻に考える状況じゃなかった
ただ、桑田自身は前年もいい曲をたくさん作って、シングルカットしてるのにヒットしないのことには不満だったのだろう
逆にいえば、桑田は相当自信があったと言うことだ
サザンが新曲出して、ちゃんとプロモーションして、世間に曲を認知させれば、必ずヒットすると確信していたわけで
それで、チャコを作り、言葉どおり大ヒットさせた
これはすごいことだ
当時の桑田は自分の曲作りにそれだけ自信を持っていたし、有言実行で、久々のシングルヒットを出した
そう言う意味で桑田はすごい、天才だと言う文脈でチャコのエピソードがあるのに
ヒット曲が出ず悲愴感漂う落ち目のサザンが、起死回生を狙い、一念発起してチャコを出し、
念願の紅白にも復帰したみたいな捉え方は間違った解釈なんだよ
まあその方が後付けでは一般に受けるだろうが >>557
バカか?
ブレイクは勝手にシンドバッドだろ
サザンはずっと安定的に順調に売れていたんだよ
深刻に落ち込んだことなどない だいたい、ステレオ太陽族なんて、その年のベストアルバム的な評価だったぞ
本当、おまえらって分かってないよな >>558
長いなあ
だから落ち目まで言ってないっての
爺は解釈が極端だし客観的事実がなくてこうあってほしいという推測が強過ぎる
それから根拠のない自信ね 俺は絶対間違えてないという 実際記憶はどれもこれもあやふやなくせに
むしろこの人そんな話も知らないのか?と思うくらい
ブレイクは82年の話をずっとしてきたんだからC調以降の話に決まってるだろ 「ベストアルバム賞」あって
セールス的に他に比べて群を抜いているワケではない
なんか時間の浪費を実感し始めてきた >>561
萩原健太はブレイクが82年とは言っていない
サザンが国民的バンドになったのが82年と言っている
無知な50レスは、それは90年代のコバタケ期だと思い込んでたんだろ? >>564
答えられないレスってなんだ?
相手にされなかったからって言いがかりつけるな >>561
こうあって欲しいの推測はお前の専売特許だろ、タコ >>562
売り上げなら、泳げたい焼き君とかだんご三兄弟が群を抜いてるだろうが? 80年代のことをリアルに話せるということは50代以上ヘタすりゃ60歳越えってことだよな
いい大人が何やってんだかって感じ
もう墓は買ったのか? >>570
その指摘は必要ない
お前のような論点ずらしは邪魔だ
今爺の歪曲された記憶と認識を徹底的に追い詰める遊びしてるんだから邪魔をするな サザンが国民的バンド()になったのって、2000年だろ?
自称し始めたのは2008年(本人は否定していたが提灯記事なんてあのくらいから事務所が書かせている)だが、2003からその流れは作られていた
でもベースにあるのは2000年の活動だよ で、だ
萩原がその本で言ってる"国民的"の意味だが、当時は本格的な音楽をやっているバンド自体が少ないわけだよ
そうなると80年代序盤ですら日本で一番有名なバンド=サザンになるわけ
そういうことなんじゃないの?
爺さ、もし言葉のフォーカスを意図的じゃなくずらしてるとしたらそれ悪い癖だから改めた方がいいと思うぞ あとさー
地球音楽ライブラリーの萩原の当該部分前後ざっと読んだけども
タイニィ〜ステレオの部分で
桑田佳祐&サザンオールスターズから何の注釈もいらないサザンオールスターズへ
って書いてあるんだけど
これはどうなんだ?
これが事実であればサザンが"サザンだった"のは81〜85年のたった4年ということになるけどそれはOK?
異論反論爺は上気してget downしなくていいの? あと爺が持ち出した部分の後ろのとこ読んでいくと、サザン解散主義の萩原がサザンという名義でなければできない音楽があると認めているじゃん
俺が言いたいのはこういうことなんだよ
楽曲が素晴らしければサザンオールスターズアンドオールスターズで一切問題がないわけ
今はもうサザンとソロの区別が完全になくなったから↑みたいなことも萩原は言わないだろうけどね
まあ敢えてサザンでしかできない曲って言ったら壮年ジャンプみたいな安易な曲かな
あれを桑田佳祐のソロで出すのは本人も辛いだろうし サザンを誰よりも知る男萩原健太
「サザンがバンドであるべきなのかどうかについても、この時点に至ってしまうとあまり意味のある論議ではない気がしてきた。」(1999年時点の発言)
これもな
結局俺が爺に対し相手にすることが馬鹿らしい不毛で女々しいメンヘラと感じるのも、こういうこと
サザンスレ筆頭として、35年以前のものしか認めないとか言ってる超老害は除名でいいと言っている
わかったかな? 爺は石橋貴明とか好きなの?
なんか興奮した時の口調がそんな感じ >>572
長すぎて論点がよく分からん
これが50レス、お前の主張だろ?
↓
>だがよりレベルの高い楽曲を手掛けるようになったのはKUWATA BAND以降なのだよ
>稲村ジェーン前後は神そのものじゃん、実際に作ってる曲も佇まいも
>あの数年はほとんどすべての曲が完璧
>ほとんどの音楽人が到達できない絶頂状態っていうのはああいうのを言うんだろうね
>歴史的事実としては元々高かった桑田への注目度が「サザンの人」から「超天才、いわゆるゴッド」になったのはKUWATA BAND〜稲村ジェーンくらいだろ?
それに対して俺は、既にこう答えている
それは違う
デビュー3〜4年の恋人も濡れる街角の頃から天才ソングライターとして認識されてたし
サザンはもうカマクラの時点で大御所だっただろ
90年代はもう桑田ならこのぐらい普通というレベル
今さら驚くような事はなかったな
90年代の厨房から見た認識は知らんが、90年代の桑田が神なんて感覚、違和感しかないわ >>579
お前が普段だらっだらだらっだら普書いてる長文よりはまとまっているはずだ
一つ一つ読んで回答せよ
逃げるな >>580
自分で論点をる整理しろ
長すぎて俺に聞いてるのか、萩原健太に聞いてるのか分からん
萩原健太の以下の文意には概ね同意している
まあ、俺は別にサザンを国民的バンドとは思ってないがな
それは世間が言ってることだ
>たぶんサザンが日本のポップ・シーンにとってのデフォルトになったのはこの1982年という年だろう。
彼らを国民的バンドなどと称する記事も多くなってきた。
そしてサザン自身といえば、主にアリーナクラスのライブの場を通じてそうした国民的バンドかっこならではの役割をまっとうしつつ
同時にレコードのほうではけっしてひとところに安住しない冒険心を適度にまぶした前向きな音作りを続けていた。
後は>>579の通りだ >>572
kamakuraのキャッチコピー知ってるか?
国民待望の二枚組だぞ >>538
チャコははっきり言ってコミックソングだからな
桑田もそこまで好きじゃない的なことを言ってる
でもあの曲を作ったおかげでサザンは再びお茶の間に戻ってこれたわけだからな
で、はっきりさせておきたいのが、サザンの潮目が変わったのは間違いなく82年。
売れなかったと思われがちな綺麗も実は年間チャートに入ってるんだよ。
78年〜79年までのサザンが「一発屋的」売れ方だとしたら、82年のサザンは再ブレイク。
それ以降サザンは国民的存在になった 自分は読む気がなくなるような長文を投稿しまくる癖に
相手から的確に痛いところを突かれまくったら一切答えないで逃げまくる
こ れ が 鎌 倉 爺 だ 国民待望の2枚組、ってさんまに言われても、
(俺の好きなサザンはいつから国民云々レベルになったんだぁ笑)
って感じだったな、当時 >>585
どこが痛いところだ、キチガイ
意味不明だ >>584
だからさ、なんでそ潮目が変わったの?
サザンのデビュー時に、一発屋のコミックバンドだと思ってた一般人の見る目が変わったということか?
だったらそれはエリーが売れた頃に変わったよ
サザンはデビュー以来、シングルも、アルバムも、ふつうの音楽ファンから見て、
ずっとクオリティの高い作品を出し続けていると変わらず評価されてたんだよ
音楽の分からない一般人の感覚で語るなよ
81年のステレオ太陽族は当時のサザンの最高傑作と評されたし、その地位はカマクラが出るまで続いていたと思うぞ あそこで萩原健太が言ってたのは、サザンはデビュー以来着実に成長し、82年には日本のポピュラー音楽シーンでトップクラスにランクされるまでになったということだろ
別に潮目が変わったわけじゃない 爺、>>574についてコメントせよ
サザンは桑田佳祐という才能を支えるバックバンドと見られがちだったとも書いてあるぞ?
サザンをageまくるための本でここまで書かれるって相当だよ?
どうなん?デビュー当時から大森の魂のギターがああああって否定するとこじゃないの? >>590
その人が言ってる潮目の意味はそうじゃないと思うぞ
エリーで一般意識は変わったけどその後また前のやり方で少しヒットしてTVから消えたからバンドとしての地位はそこから動いていなかった
やっぱりこいつらってすごいんだなって思われたのが82年だろ
これくらいのことは文献を読んでその後のシーンを追いかけている俺でもわかる
議論するときに相手の言ってることをわざとずらして解釈するのやめた方がいいよストローマン >>589
読んだよ 読み放題系に入ってる人ならただで見れる
ざっくりまとめると
・コイツをボーカルにしてバンドを組みたい、と思ったので、一緒にバンドやろうよと誘った
・デビューする気なかった桑田の家に泊まりに行って説得した
・コミックバンド扱いに、みんなこんなはずじゃなかったと思っていたが、いいじゃん頑張ろうと励ました
・86年の休止後、解散状態だったサザンを、俺が桑田にサザンのファンが待っていると言い、またやらなきゃダメだって俺がメンバーを説得して歩いた
・薬物にはもう手を出していない、弁護士に抜き打ち検査をお願いし、そのことを裁判官にも伝えた
・サザンでデビューできたことは誇りに思ってるし自分が生きてきた証
・桑田たちとまた一緒に音楽をやりたい気持ちは持ち続けてる、元気なうちにね、やってもいいんじゃないの >>593
その通り。俺が言いたかったのはそういうこと
もっと言えばエリーC調のヒットは積極的なテレビ出演がベースになってた。
それにサザン側が嫌気がさして、働けロックバンドで苦悩を吐露しfive Rock showに入った。するとサザンは一気に失速した。
「テレビに出なければ曲は売れない」この事実に桑田は直面した。
だから桑田は「テレビに出てこそ、お茶の間に出てこそサザンオールスターズだ」とある意味開き直った。その結果がチャコの大ヒットだった。
潮目が変わったっていうのはそういうこと。 熱い 10万
10ナンバーズ 68万
タイニイ 40万
ステレオ 48万
ヌードマン 97万
綺麗 63万
人気者 81万
カマクラ 95万
SAS 118万
稲村 113万
万葉 179万
ヤングラブ 249万
さくら 97万
キラスト 113万
葡萄 53万
だそうです
ステレオからヌードマンは倍増してるね
タイニイ・ステレオと綺麗は売れてる部類ではあるものの、前後と比べればヒットシングルがないせいかちょっと落ち着いたと言えるんじゃないでしょうか
参考まで 大森脱退してから、シングル オリコンで1位取ったことあるの? 大森の話に若干文献と違う点があるのはとりあえずまたの機会にして
>>595
ですよね
あと俺の認識だとチャコのヒットは曲の力だけじゃなく桑田原の結婚という芸能ニュースでブーストかかってると思うんだけどこれも正解?
たぶん今よりずっと歌手とワイドショーと視聴者の距離が近かったと思うので、そういう話題性で上手くプロモしたんだろうと推測してるんだけど後年書かれたものは「チャコがヒットした」「この時期桑田原が結婚した」という風にセパレートされているんだよね
同じように2000年にサザンが国民的()になったのはTSUNAMIと茅ヶ崎ライブ、ついでにレコ大がセットだと思うんだけどどうも茅ヶ崎ライブを軽視してTSUNAMIのヒットだけを取り上げる傾向にあると思う 大森抜けてから、サザンのCD売上が明らかに落ちてるやん。
偶然やCD自体が売れなくなったと言えるかも知れんけど、大森はそういう運を持っていたのではないの? >>601
ねーよ馬鹿
そこはもう結論が出てる
ノータリンはしゃべんな >>599
サザンが国民的存在になった要因としては桑田原坊結婚も間違いなくあるわな
だからそういう意味でも82年というのはサザンにとって特別な年だったと思う。 >>596
ヤングラブの売れ方が異常だが、これはCDバブル全盛期っていうのもあるよな。96年って言ったら小室ブームとかミスチル現象真っ盛りの年だし。まぁそれにヤンラブもジャケット含めて基本的には耳馴染みのいいポップアルバムだし。 >>594
>86年の休止後、解散状態だったサザンを、俺が桑田にサザンのファンが待っていると言い、またやらなきゃダメだって俺がメンバーを説得して歩いた
これ凄いな。地味に新証言じゃないか?
88年の大復活は基本的にはアミューズ・ビクター主導で行われた(おいしいねの歌詞等)と思われがちだが、そこに大森の働きかけもあったとは知らなかった。
よく「大森は桑田に意見が言える数少ないメンバーだった」とか言う人がいるが、こういう話を聞くとあながち間違いでもない気がする。
やっぱり要所要所でサザンを動かしてたのってやっぱり大森なんじゃないか? マジで大森側から見た正しいサザン史をもっと教えてほしいわ
まだ明かされていない新たな真実とか、かなりありそうな気がする こんなもん言うたもん勝ちなだけ
存在しなかったレベルまで無視してるんだから、いちいち反論もしてこないって分かった上で好きなこと勝手に言ってるだけでしょ >>609
君は大森が嘘をついてるって言ってるわけ?
一体何のために? 海の親からクレジットを外されたことで
もういいや!って思ったんだろうなあ
でもこういうのは…どうなんだろうね >>574
お前、バカなの?
これが事実であればって、それ萩原健太の感想が書いてあるだけで、
そう思う人もいれば、そう思わない人もいるだろ
俺は思ってなかったし
そういうのは事実と言わないんだよ
サザンは6人編成のバンドとしてデビューして、大ブレイクした
これが事実
で、お前は俺に何が言いたいの?
それで俺を言い込めたとでも思ってるの?
萩原健太に質問があるなら萩原健太に訊けよ
まあ、その前に、熱い胸騒ぎを100回聴いて、ムクのキリギリスと桑田と萩原健太のロックの子を読め 個人の主観と客観的事実を混同するなよ 50レス
お前はいつもそうだ >>599
おまえさあ、この当時のシングルレコードの売れ方、全然分かってないじゃん
とうじは、まず曲が認知され、浸透しなければシングルレコードは売れなかった
だからプロモーション、キャンペーン、テレビ出演、ラジオや優先のリクエストはいまと比べ物にならないほど重要だったの
何もせずにシングルヒットなんて出ないんだよ
だいたいそのメディアを再生するレコードプレイヤーの世帯普及率なんて、テレビ、ラジオ、カセットレコーダーと比べても低かったし
当時、何年にもわたってシングルヒットを出し続けてる歌手なんてサザン以外にはいないよ
ヒット曲なんて3曲以上あればもう大スターだわ >>612
なら「82年からサザンは国民的バンド」なんてのもただの萩原の感想だよなwww >>615
レスの意図がよくわからない
シンドバッド〜C調の期間で一回弾けてる歌手が数年後に再びブームメント(バカ用語)起こすっていうのは極めて珍しいのでは?
そういうとこも含めて82年は"ブレイクの年"だよね?
ニュアンスとしては一過性のものではなくなった的な
サザンは78-81、82-85、88-93、95-00、03-08、13〜現在で形態変化してると思う(03〜現在でいいかもしれんが曲の質で一応分けた)
81と82は明確に違うよ、爺 >>617
だからアルバムはでびゅーいらい、ずっと売れ続けていただろ
チャコの前もサザンは全然落ち目じゃなかった
レコード出したけど全く売れずに赤字なんて一度もないだろ >>616
国民的は知らないが、82年にはいわゆるニューミュージック部門ではトップクラスの売れっ子だったんだよ >>617
アルバムごとに新機軸を出して成長もしてるだろうが
81年と82年に特に明確な違いなんてないよ、シームレスだ
それに、どう考えてもチャコより、シャララの方が曲のクオリティは高いだろ >>618
桑田さんはチャコの前はちょっとまずいかなと思っていたという話を何回もしていますよ?それこそにわかがイエローマンがーと言うのと同じくらいに。
プロモに金かけてないから赤字ではないだろうけど、ジャズマン3.7万枚、わすれじ3.4、ビッグスター3.3
こんなのピンチだと思うけどね
一番ましなシャララが6.4万
>>619
そんなことは言われなくてもわかっているよ?でも決定付けた?のは原との結婚効果も含めたチャコのヒット、NUDEMANの大ヒット(及び82年にリリースした艶色、yayaのクオリティ)だよね >>620
国民的ロックバンドというのは俺が言ってるわけじゃなく、世間が言ってるんだろ
俺はそうは思わないと言っている
俺はそういう風にサザンを見ていない >>620
敢えて放置したんだが俺は優しすぎるかな?
>>621
チャコはネタ極振りの曲だからな
それは言っても仕方ないわ >>622
だからテレビの歌番組にいっぱい出て露出を増やしプロモーションしたからだよ
その成果だ >>625
プロモしまくるだけでヒットするんなら5 rock showの曲もTVに出てれば30万枚レベルのヒットになってたと思う?
俺はそれしてたら飽きられて再ブレイクの機会も狙えなかったと思うんだが? 何度もいうが81年のステレオ太陽族は大傑作アルバムだ
はっきり言ってヌードマンや綺麗より上だ
社会的にも高く評価されていたし
あれが売れてるんだから、シングルが売れなくても、大したダメージない
だいたい5ロックショーみたいな企画、最初から売れるわけないだろ まあ、いなせなロコモーションとレイドバックはちゃんとプロモーションすれば売れただろうね
シャララも売れただろう
ただ1ヶ月で次の曲出すんじゃ浸透しない
プロモーションもできないだろ 5ロックショーの時は桑田があれで売れると思ってたなら、それは考えが甘い
周りのやつは何も言わなかったのかね
だから、さすがに反省して、チャコの時は本気で売ろうとしたんだろ 涙のアベニューもじっくりプロモーションすれば売れたと思う
でも恋するマンスリーや、後のビッグスターブルースは売れないだろうな >>630
この二曲も本気で売れば絶対売れた
一般受けする
のちにバラッドにも収録され好評だったと思う
まあ、サザンファンはステレオ太陽族買うから、シングルは買わないだろ
やっぱりステレオ太陽族は最強だわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています