後期クイーン的問題とかってくだらない。
第一の問題
「作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できないこと」
第二の問題
「作中で探偵が神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決定することについての是非」
もっともらしい名前がついてるけど、こんなんの問題でもなんでもないじゃん。
第一の問題は現実でもそうでしょ。作中に限らない。
法廷に出された証拠がすべてで後は存在しないなんて思ってる人いるの?
新情報が出て判決が覆され、冤罪が証明されることもある。
第二問題なんて、問題ですらないじゃん。こんなの問題視するほうがどうかしてるだろ。
ほとんどのミステリーは探偵が指摘した後、ちゃんと司法の裁きを受けてる。
探偵が神だなんて誰も言ってないだろ。
探偵の存在そのものが事件に与える影響というが、そんなの警察でも一緒でしょ。
警察の捜査から逃れるために、証拠を隠滅するために、殺人を起こすことだってある。 >>65
『名探偵登場』
>>63
『刑事コロンボ』
映像作品だけど実例ではこんな感じ 問題の本質を理解して語れよと言いたくなるレスがちらほら >>67
ゆとりなんで、あなたが理解されてるであろう、問題の本質とやらを
ぜひ教えてください。 自分はわかってるってアピールするだけで理由を書かなかったら意味がないと思う
>>1含めこの問題を疑問視してる人はそこはちゃんと書いてるわけだから 確かにこれは後期クィーン的問題というよりも、法月厨2病問題と呼んだほうがいいかもしれないな。
不確定性原理と不完全性定理を中二丸出しで、ムリヤリミステリーにこじつけただけ。
クィーンと不確定性原理、不完全性定理3つを自分の説の権威付けに利用してるだけじゃねーか。
これをくだらないと言わずして何をくだらんと言うのだろうか。 後期クイーン問題というより、法月問題ではないか?という意見は、確かに「なるほど」と思った。
ただ、「権威付けだ」とまで言って貶める必要は無いと思う。
ヤツは、法月は、本気だ。 とりあえずもう一回「十日間の不思議」と「九尾の猫」と「第八の日」
読み返そうぜ >作者が取るべき道は、当て推量を含む探偵小説を書くか、与えられ
>た手がかりはすべて真であると割り切って本格ミステリの探偵小説を書くか、
>探偵小説を書くことをあきらめるかのいずれかである。
三人称小説の中で、ナレーターが真相を述べるだけで解決するよ
ナレーターの発言を真実とみなすことによって小説は成り立ってる
「おじいさんは山へ芝刈りに行った」と書いてあれば、これは確実に真実なのだ
これすら認めないのであれば、ミステリーに限らずあらゆるジャンルの小説・ドラマ・映画は崩壊する
探偵の一人称小説であれば、その推理には常に間違いの可能性が残る(これは現実でも同じ)
だが三人称小説でナレーターが探偵の正しさを保証してやれば、間違いの可能性はゼロだ
結論:やはり後期クイーン的問題など存在しない、としか言いようがない
第二の問題の「神であるかのように振る舞い」のところ、
ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンスも、
バーナビー・ロスのドルリー・レーンも、
自らの手で犯人を裁いて、なんの咎めも受けなかったことがある。
これは問題のあることだとは思うけど、
作者と読者の各々の中に答えを求めるべき問題であって、
第一の問題とは性格が全然違う気がする。 上手く言えないが
第一も第二も作中の探偵が作中の人物として、その中で悩む問題、という事なんだろうか
現実なら「そんな事言ってもしょーがねーだろ」って話にはなるんだろうが
この時代の海外のミステリの平均レベルってどんなものなんだろ
日本にくるのは当然傑作ばかりなわけで カーのアンリ・バンコランは、
犯人と分かってる(本人も自白している)のに証拠が無くて捕まえられないヤツがいて、
「うう、くやしいのう、くやしいのう」と嘆いていたら、調子に乗った犯人が二階から足踏み外して首に縄が掛かって首吊り状態になり、
それを見て、ヘイ!ラッキーとばかりに口笛吹いて喜んだ、という描写がある。
シムノンのメグレ警部は、
ある国(まあフランスだろな)で死刑になるような罪を犯したヤツが、死刑の無い国へ行ってもう一度犯罪をし、
その国で逮捕されることによって死刑から免れようと画策したのを、メグレが何とか水際で阻止し、
ラスト犯人の肩をポンと叩きながら、「♪さあw絞首台が君を待っているよww」と話しかける描写がある。
法月倫太郎は、
ラスト犯人の自殺を見逃した後に、実は裏で全てを画策していた存在がいることが分かり(いわゆる“あやつり”だな)、
「ああ僕は今後期クイーン問題に直面しているぅ」と、気持ち良さげにどっぷり浸っている描写があったな。 インテリおよびインテリもどきは、ありもしない問題を自分ででっちあげて、
それに頭を悩ませるという、マッチポンプどころか、マッチガソリンな
人種だからなあ・・・ マッチガソリンwww
確かにそういう人いるよなぁ
哲学者なんて特にそう 後期なんちゃら問題みたいに
火消しの楽しみもあるってもんよw しばしば目にする、不確定性原理どうこうって言い出したの法月さんなの?
個人的には一番大事な点はそこじゃないと思うんだけど この問題はダークナイトディテクティブことバットマンに与えよう まあ結論としては、悩みたいやつは勝手に悩め。
でもそれは自慰だから、公の場で愚図愚図いうな。
というところでしょうか。 後期クイーン問題そのものを、エンタメとして歓迎する勢力があるならば、
これからも公の場で繰り返し語られるであろうよ。 >>27
遅レスだが、麻耶雄嵩の神様ゲームがあるよ クイーンの後期作について、海外ではなにか論じれらてるの?
代筆作があるとか、そういうことじゃなくてw http://umineco.info/?%E5%B0%8F%E5%86%8A%E5%AD%90
後期クィーン的問題って、この竜騎士がアホっぽく語ってること?
真相は次々と上書きされる可能性を否定できないって。
「綿流し編」「目明し編」の例を挙げてるけど、でも、あんなの単純に物証がないのに勝手に
決め付けてるからでしょ。
推理だけだったら、そりゃ、いくらでも真相が上書き可能だよ。
指紋、毛髪、皮膚、衣類の繊維、あらゆる物証を電子顕微鏡レベルで徹底的に調べたら、間違った推理は
かなり排除できる。
双子のすり替えトリックだって、指紋を調べてないから起こるんでしょ。
だいたい推理だけで行き着いた答えなんか真相とは言わないでしょ。
膨大な物証の裏づけがあって、初めて真相と呼ばれるわけだし。
クィーン的問題と言うよりも、単純にミステリー全般が物証を軽視しているだけじゃないの?
目撃証言だって、偽証罪が成立する法廷だからこそ信頼性が保たれるんだし。
推理だけだったら、そりゃ、正解かどうかは決定できんわ。
まあ、警察が本気出して毛髪、皮膚、衣類の繊維レベルで調べ始めたら、もはや名探偵の出番なんかなくなるけど。 そもそもの話として、
竜騎士は「後期クイーン問題」という用語だけ持って来て
「推理しろ!俺に挑戦しろ!
でも出題編の範囲は俺が自分のさじ加減で思い通りに引き延ばすけどさ。
その間どんどん改変してくぜプゲラ」
っていう言い訳の煙幕にしてるだけ
(他にもこの人物の「用語の俺様解釈」は枚挙に暇がない。
「悪魔の証明」然り「ヘンペルのカラス」「ノックスの十戒」然り)。
「後期クイーン問題」を問題化すること自体には賛否あるかもだけど、
挑戦型ミステリを緻密に作ろうとしたがゆえに悩んでる人たちと
整合性も何もとっ散らかし放題で居直ってる人間を一緒にしたらさすがに失礼でしょう。 自分を賢く見せようと思って長々と文章を書いてみたが
かえってアホぶりが露呈してしまった、というのはよくある光景
>>90のリンク先もそう
後期クイーン問題の信者ってあんなのばっかなの? なんか、後期クィーン問題とか言ってる奴は、本格ミステリーを基本的に過大評価しすぎなんだよ。
だから読者に対する挑戦の厳密性だの、本格は必ず合理的に考えたら答えにたどり着かなきゃいけない
だの妙な堅苦しさが生まれる。
フィクションの小説なんだよ。数学の問題でも、詰め将棋の問題でもない。
厳密にルールが決まってるわけじゃないし、しょせん盤上のことしか考えない詰め将棋と違って、
小説は変数が多すぎる。疑おうと思ったらありとあらゆることが疑える。問題として成立しないんだよ。
クローズサークルは本当に閉じられているのか? 抜け道はないのか?
密室に抜け穴はないのか? 証言者に偽証はないのか? 本当に被疑者はこのなかの登場人物だけなのか?
同姓同名の人物なだけではないのか? この人物は本当に男なのか?
詰め将棋に穴があったら問題だけど、むしろ穴のない本格ミステリーなんかないだろ。
みんなそんなことわかってプロレス的に楽しんでるのに、ミステリー作家が自意識過剰になって
妙なこと気にしすぎなんだよ。
本格ミステリーは人間の遊び心の産物であって、論理主義や合理主義とは何の関係もない。
しょせんプロレスはプロレス。ガチにはなれないんだから。
才能が尽きて行き詰った法月が、自分のスランプをクィーン問題のせいにしてるだけだろ。
ただのいいわけ。それ以上でもそれ以下でもない。 後期クイーン問題はおわコン。
法月もおわコン。
以上 >>93
好意的に考えると、その自作自演のマッチガソリンの中から、
なにか新しい形のミステリーが生まれないかって、もがいてるように
見えなくもないが。
どうせ無駄だろうけど。
それに、法月は本気で悩んでるっぽいが、竜騎士は、
ミステリー初心者を煙にまいて、これまで誰も作ったことのない物語
”っぽい”ものを、俺は作ったぞと、みせかけているだけって気がする。
なんつーか、単なるパッケージングというか、
クィーン問題を、売りのための道具として使ってるよな。 評論って行為自体がある程度プロレス的な面を持ってるから
あんまり厳密に突っ込むのも野暮かなって気がする 適当にWebを漁った上での印象だけど、
"名探偵からの挑戦状、手掛かりは全て示された
論理的に推理すれば真相は自ずと解き明かされる"
みたいな文章で示される形式美が問題の根っこかな
でミステリーを書く作家は当然何らかの真相を前提に話を書いているんだろうけど
自分の想定した以外の真相が存在しないことを証明出来ないから困っちゃうのかな?
毒チョコとかはこれを逆手に取ってる訳だし、後期クイーン問題の解決方法とかで挙げられる
何点かの作品もこういう形式美からはずれちゃうんだよね
この形式美だけがミステリーの全てじゃないのは言うまでもないことだけど
これに魅了される読者も作家も居続けるのは確かだと思うんだよ
でどちらかと言えばこういう形式美も好きな自分からすると
このスレで後期クイーン問題なんて下らないとかそういう意見を見ると
この形式美まで否定しているように思えるんだけどどうなんだろう? いい意見だな。
新本格とかにはまっちゃうとそういうのは理解できなくなるのかも。 後期クイーン問題って、挑戦状がない作品は問題視してないの?
俺法月の論文読んでないんだけど、クイーンのネタバレしてると思うからまだ読めない
先に読んでおくべきクイーンの作品を教えてください 「あしながおじさん」でも、クイーン問題ってあてはまるよ。
作中でヒロイン(ジュディ)とあしながおじさん(ジャービス)が結ばれたことが、
真実かどうか作中では証明できないよな。
この話は全部ヒロインの妄想でした、もしくはおじさんの妄想でした
って一文をつけくわえたら全部ひっくり返るわけだし、書かれてないからって、
そうじゃない保障はない。
・実は2人ともM78星雲からやってきた宇宙人でした。
・ヒロインはおじさんの正体を知っていて、騙されたフリをして逆に操っていた。
などなども、書かれてないからって完全には否定できないし、
そうじゃないとも誰も証明できない。
また、あしながおじさんは、裏から手をのばしてヒロインの運命を、神のごとく扱って、
最後は自分のものにしちゃうけど、倫理的問題はさておき、これが否定されたら
物語として成立しないな。
じゃあ、探偵とあしながおじさんの差ってなによ?って問いかけたら、
法月は答えられるのかねえ?
俺には目的が違うだけで、他人の運命を操るって点では同じにしか見えない。 もっと言えば、普通の日常生活を描いた小説で、
母親が「ハンカチ忘れちゃだめよ」と息子に言ったとする。
そして息子はハンカチをポケットに入れた。そのおかげで、
学校のトイレで手を洗った時に拭けた。
これも立派に他人の運命を操ってるよな。
母親の言葉で、トイレで息子はハンカチで手を拭けた。
探偵の言葉で、事件の真相は暴かれ、犯人が捕まった。
探偵とこの母親の差ってなに?他人の運命を操ったって点で、
まったく同じやん。 勘違いっつうか、何か、後期クイーン問題に一言述べたい一言反論しておきたいという思いが先走りとなって、
とりあえず「おれのかんがえたさいきょうのこうきくいーんもんだいだとうろん」を展開してみたが、
的外れ勘違いの産物でしかなくなってるという…… とりあえず何か言っておかないと気が済まない典型的なゆとり体質ですかね。 「おれのかんがえたあんちこうきくいーんもんだいにはこうかえせ」www
>このスレで後期クイーン問題なんて下らないとかそういう意見を見ると
>この形式美まで否定しているように思えるんだけどどうなんだろう?
逆だよ
後期クイーン問題否定派は「挑戦状を挿入したければご自由に」という意見でしょ このスレで>>103や>>105みたいに、誰かがクイーン問題についてお前のクイーン問題の解釈は
間違ってるだの、的外れだのって言い出す奴が、これまで何度か出ているんだけど、
じゃあ、どう勘違いしてるか具体的に言ってみろって聞くと、
みんな黙っちゃうんだよねw
「おれのかんがえたさいきょうのこうきくいーんもんだいだとうろん」
とやらを出す方が、一応は自分の意見を述べてるわけで、まだマシだな。
>>103や>>105は、ただ勘違いしてるってだけで、なに一つ具体的な理由を
言わないんだから。 「勘違いの理由」って勘違いしてる方にあるんじゃね?普通w 自分に原因を探らないで他人を頼ることしかできない、
他人が自分の満足する回答を与えてくれないとすぐキレる、
それが後期ユトリ問題 追いつめられるとゆとりを連発するのが前期ユトリ問題ですねw 何か言われたら言い返さずにはいられない。
それが真のゆとり魂。
ゆとりナメたらあかんで。 >>110はわざと挑発的に書いて、反応を待ってたんだが、
みなさんの意見はよーくわかりました。
つまり、やっぱり何も説明できないのね。
むしろ、ゆとりがクイーン問題の本当の意味を勘違いしてるのを
具体的に指摘してくれる、ご立派な教育を受けた非ゆとりの賢者が
登場するのを期待してたのに・・・
>>117
まったくだ。
マジックワードを連呼するだけで、一切、議論に踏み込んでこない。
なぜ、ゆとりが勘違いしているか、具体的に説明をまったくしない。
”満足する回答を与えてくれないと切れるのが、後期ゆとり問題”だってw
回答自体してないくせになにを言ってんだか・・・だめだこりゃ。
ま、要するにこいつらは、ゆとり以下のチキンなチンカスってことですな。 で、俺に対するレスが、ゆとり顔真っ赤www・・・とかなんとか書いてくるんでしょ?
別に顔色なんぞ赤でも黒でもいいけど、具体的にどう勘違いしてるかは
今度もまた書いてこねえだろうなw
だって本当は反論するネタなんて最初っから無いんだろうしw
ちなみに俺は>>101-102を書いた者で、もちろん>>1にも>>93にも大賛成だ。
というか、俺の書いた例え話など、所詮>>1のバリエーションに過ぎない。
これらに対して反論があるなら、いつでも聞く耳は持つ。
それがちゃんと納得できるものなら、こちらも意見を改めるよ。 >>109
それはつまり、上で書いた形式に対してどういうスタンスになるんだろ?
名探偵からの挑戦状なんてどうでもいいから好きにすればいい、ということなのか
名探偵からの挑戦状に価値を見出してるからこそとにかく作品を発表してくれということなのか まあまあ、意見があるならちゃんと書き込んで、それをみんなで見れば良いじゃん
ゆとりがどうのこうのマジックワードがどうのこうのみたいな無駄な駆け引きはやめて、中身のあるレスをしようぜ 挑戦状つけたら「後期クイーン問題」と呼ばれるものが一律に発生するのかね?
もしそうならつけないのも手だぜw
挑戦状と関係ないんだったらそれこそご自由にとしか言い様がない。
>>109
うん、逆だと思う
その形式美だか様式美にしてもある程度はお約束として妥協している部分があるわけで
後期クイーン問題にこだわり過ぎること自体がそれを否定してるって気もする >>119 せっかくだから
>>101で倫理的問題はさておき、と書いてるがその倫理的問題がクイーン問題の二つ目でないかな
それをさておいたら、そりゃ問題じゃなくなるだろう。
足長と探偵は目的がちがうだけで同じだと言うなら、当て嵌まるのだろう
で、足長に当て嵌まったらその問題は考えるに価しない問いだ、と主張してるのかな。
そしたらそれは何故?という疑問は出るけど。 >>121
>このスレで後期クイーン問題なんて下らないとかそういう意見を見ると
>この形式美まで否定しているように思えるんだけどどうなんだろう?
そもそもなんでこういう意見を持つようになったのか謎なんだが
挑戦状を問題視してるのって、後期クイーン問題に賛同してる人たちだよね? 初期クイーンの「読者への挑戦状」パターン大好き=後期クイーン問題もそれなりに受用している。
それなりというのは、自分で突き詰めて考察したがってはいないが、法月がその問題で悩んでいる事について、
「おお法月よ、相変わらず悩んでいるね、いつまでもそのままの君でいておくれ」ってな感じで好意的に考えられるということ。
後期クイーン問題とか、俎上に載せることすらバカバカしいことだ=「読者への挑戦状」? 好きにすれば? 俺はそんなのに価値があると思わないがな。
図式としては、こうだろう。 > 「読者への挑戦状」? 好きにすれば? 俺はそんなのに価値があると思わないがな。
ここが最大の誤り
むしろ後期クイーン問題否定派は今のままで成り立ってると肯定してる側だよ
にも関わらずそのお約束の重箱の隅をつついてる法月はナンセンスって論法だから >>128
賛同という言い方は確かにおかしいわ
そんなわけで>>127を書き直した文章が↓ >>121
>このスレで後期クイーン問題なんて下らないとかそういう意見を見ると
>この形式美まで否定しているように思えるんだけどどうなんだろう?
そもそもなんで>>97が「後期クイーン問題否定派は挑戦状を否定している」と思ってるのか謎なんだが、
挑戦状を問題視してるのって、後期クイーン問題肯定派の方だよね? 名探偵からの挑戦状を見たら自動的に以下の暗黙の但し書きがあることにしよう。
「ここでいう真相とは、
厳密に数学的に論理的に演繹的に導き出される唯一存在可能なものではなく、
最も、そして際立って合理的な解釈のことである」 あるいは
「読者はすでにホームズと同じだけの手掛かりを手にした
果たして読者はホームズがいかなる推理をしたか当てられるだろうか?」
これでなんの問題もないんじゃないかなあ とりあえず、不確定性原理と不完全性定理はあまり関係ない
よく解らないくせに、カッコつけて難しい言葉使うのはやめてほしいものだ 言ってることは全部同じようなもんだが、
元になる理論は全く関連がないさね 基本的に、「真相」と言うのはあくまで「その作中で名探偵がなんと推理するか?」だろ。
読者は真相を推理するんじゃなくって、名探偵の推理の結論を当てる遊びなんだよ、本格ミステリーは。
だから合理的か論理的かどうかなんかまったく関係ない。
例え不合理であっても、名探偵の出した結論が正解であり、真相なんだから。
プロレスの勝利者予想と一緒だよ。
内容は八百長なんだけど、勝敗結果は出るものだから、クイズとしての勝敗当てが可能になる。 本格を標榜しといて合理的ですらなかったら駄作ってことだろw 駄作かどうかは関係ない。
例え不合理でも、この名探偵ならこう推理して結論出そうだなと思ったら、ミステリーの
犯人当て、真相当ては成立する。
「名探偵の結論=真相」という大前提を疑うから、しょうもない無限循環に陥る。
探偵の結論が絶対であり、それ以外の真相など考慮する必要がないんだよ。
探偵が真相を当てられない(間違う)作品もたまにあるが、そういう場合は名探偵そのものが存在
しなかったって言うこと。
最後まで真相にたどり着けないのなら、名探偵じゃない。 >>137
少し誤解があるような。
後期クイーン問題は読者が事件の真相を推理できないという問題ではない。
読者は、読者への挑戦状を読んで「必要な情報は出揃いました」というメタ情報を
得られるんだから。
問題は、作中の探偵が「必要な情報は出揃いました」という確信をどうやって得るか?
ということ。
個人的には「そんなものは無理」でいいと思うけどね。
> 例え不合理でも、この名探偵ならこう推理して結論出そうだなと思ったら、ミステリーの
> 犯人当て、真相当ては成立する。
合理性が全く無ければ読者の推理が不可能であって不成立。 >>141
不可能じゃないだろ。
勘で当てればいいじゃん。
結果が出る以上、当てるのは不可能じゃない。
昔、桜玉吉のしあわせのかたちで、オホーツクにきゆの何の根拠もない犯人当てやってたけど、
たった一人だけ正解者出たよ。
推理はあくまで推理なんだから、基本的に勘だろ。 当てもんミステリーに『本格!』って帯ついてたら詐欺だろw >>140
>個人的には「そんなものは無理」でいいと思うけどね。
同意
それでこそ現実の探偵・警察・裁判官と同じ立場と言える
必要な情報が他に存在しないことを知ってる探偵なんてファンタジーの世界 そうやって法月を宥めすかしても、
得られた材料から立てた推理が正しいことを
証明できないと言って騒ぎ立てるんだろw
当たり前のことを騒ぎ立てるほんとに迷惑な奴だwww 後期クイーン的問題とかってくだらない。
それはこのスレのくだらなさを見れば判る事 ギロンに参加できないとくだらないと決めつけるインターネッツの法則 のりたんとクイーン(のライツヴィルもの)は、
物語のラストで探偵を不幸にしたり孤独にしたりすることが多い。
なにか思うところがあるのだろうか。 第一の問題
「作者がOKならOK」
第二の問題
「探偵も登場人物の1人なんだから作者がOKならOK」
でイイんじゃね いくつか紹介
* 法月綸太郎「初期クイーン論」
一応、後期クイーン問題を提起したとされる文章。
しかし現在「後期クイーン問題」で連想される偽の手がかりの問題は、
この「初期クイーン論」でも、続編に相当する「一九三二年の傑作群をめぐって」でも
中心の問題ではない。
また、クイーンの作家的変遷を数学基礎論の歴史に重ねられていくけど、
実際の数学基礎論の歴史評価とはほとんど関係なくて見立てや暗合に近い。
実際の主題は、レベルの階梯化やレベルの混同によって生じる
探偵小説の不均衡かつ動的な構造の分析をクイーンの実作から読み取ること。
偽の手がかりによる探偵の操りは、
犯人=死体トリックや(作者名=探偵名によって行われる)読者への挑戦
などと並んで、探偵小説構造の不均衡さの事例として扱われるだけで、
偽の手がかりの処理の仕方といった問題を扱うわけではない。 * 巽昌章「法月綸太郎論 「二」の悲劇」
法月の小説作品だけでなく評論も含めて論じた法月論。
法月の後期クイーン論については、偽の手がかり問題としてではなく、
探偵小説に見られる構図や図式の問題としてとらえている。
さらに、法月の評論「浜村龍造を殺そうとかまうものか」に対して
>> ここで法月は、すかさず見る--見られるという無限の循環を示唆する。
>> これは、いわゆる後期クイーン的問題と類似した思考である。
と書くように、法月の他の評論とも連続した問題系として扱っている。 * 法月綸太郎「複雑な殺人芸術」
扱っているのはロス・マクドナルド作品(主に「ウィチャリー家の女」と「さむけ」)
で、いわゆる「後期クイーン問題」(偽の手がかり問題)とはほとんど関係ない文章。
しかし語り手=探偵による主観的一人称と神の視点の緊張関係、
名前や立場の入れ替わり・混同など、
法月のクイーン論自体とは密接に関連した内容になっている。 * 北村薫「ニッポン硬貨の謎」
作中で述べられているクイーン論の原型は北村の学生時代に書かれたものなので、
法月のクイーン論とは直接的には関係しない。
しかも、一見すると「シャム双子の謎」への評価が法月と逆のように見える。
法月が「シャム双子」を本格推理小説のゲーム空間の瓦解を示す作品と述べるのに対し、
北村はもっともクイーンらしさの出た作品として肯定的に評価する。
しかし、二人の論は根底の所で繋がっている。
犯人の指摘がどこで止まるか解らない作品であるがゆえに読者への挑戦が入らず
同じ理由で最後の犯人決定も論理以外によってなされるのだという北村の指摘は、
階梯化による不均衡さや最終的な推理の恣意性といった法月の指摘に共鳴する。
また「もっともクイーンらしさの出た作品」において、
初期クイーンのトレードマークともいえる読者への挑戦を入れられなくなる
(しかも、メタレベルでの偽の手がかりが理由で)という「シャム双子」の構造は、
ゲーム空間の遊技性の追求がスタティックなゲーム空間自体を瓦解させる
という法月の論の実例とみなせる。 このスレにはプロがいるな
クイーン&ロスのスレとレベルが違うわ
だから伸びないね * 笠井潔「探偵小説論II 虚空の螺旋」
8章のタイトルが「後期クイーン的問題」
おそらく後期クイーン的問題という言葉が使われた最初期の文章。
それが法月の「初期クイーン論」によって提出されたとしているけど、
具体的にどういう問題を指しているのかは書いていない。
偽の手がかりよりは犯人による探偵の操りに重点を置いていて、
クイーンの作品だと「十日間の不思議」を重視している。
いつもの笠井の評論と同じく時代的精神だとか現代社会とかに結びつけて論じている。 * 笠井潔「探偵小説と二〇世紀精神」
「シャム双子の謎」と「ギリシア棺の謎」を扱った部分が
法月の「初期クイーン論」と重なる。ただし法月に全面同意ではない。
この二作品には論理的不備があるとして、かなり細かく論じている。
もしかすると後期クイーン問題=偽の手がかりの問題
という印象の普及にかなり貢献した文章かもしれない。 * 飯城勇三「エラリー・クイーン論」
第二部の「ギリシア棺の謎」論は、法月・笠井の主張への反論。
おそらくクイーンが考えていたことを越えた論理を用いて
「ギリシア棺」の推理に不備がないことを論証しようとする。
(飯城の言うような複雑に入り組んだ論理をクイーンが実際に考えていたなら、
そのことを作中に書かず不備と誤解される書き方をするのは不自然だと思う)。
クイーンばりにアクロバティックな論理が楽しめるので
正しいかどうかと関係なしに面白い。
第三部は副題が、<後期クイーン問題>論。こちらは評論としては少し弱い。
法月や笠井の論がクイーンやミステリの歴史的変遷について
(成功しているかはともかく)論じようとしているのに対して、
飯城はクイーン作品を賞揚する姿勢が出すぎている印象を受ける。 * 諸岡卓真「現代本格ミステリの研究」
副題が「「後期クイーン的問題」めぐって」
後期クイーン問題=探偵の唯一最終の真実への到達(不)可能性をめぐる問題
を扱ったとみなせる諸作品をとりあげ、いかに処理されてきたかを論じる。
どの作品の論も同じような読み方をひたすら反芻しているため
文芸評論的な面白さはちょっと乏しいけど、後期クイーン問題受容史研究としては有用。