大阪や奈良の庄内式土器の出土地は、物部氏と関係の強い地域である。
物部氏が、饒速日命とともに九州から近畿地方に天降ったり、
九州の人びとが神武天皇に従って奈良に入ったことと関係すると思われる。

奈良県と大阪府の地名の類似や、さらに、同じ地名が九州にもあることも、
饒速日命や神武東征の伝承で伝えられるような、
九州から近畿地方への人の移動を裏付けるものである。

この時期に卑弥呼.邪馬壹國が奈良.邪靡堆へと移動した時期だろな。
だからこそ、その他の遠絶国に巴利国播磨や支惟国吉備、鬼奴国紀ノ國とか
瀬戸内海沿いの国名に合う国が多いんだよ。

『隋書』では俀国について「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」
邪靡堆(奈良ヤマト)を都にする。すなわち、魏志の言うところの邪馬臺(卑弥呼ヤマト)である。