益子から京都に帰り、夫は窯を築いた。
築いたといっても作業場を設置しただけ。
場所は京都市内から遠く離れた大山崎の新興住宅街だった。
片田舎と言っていいかも知れない。
周辺には畑が広がる。空気の中に土の匂いがした。
家は普通の住宅である。
和風の建て売り二階建て住宅。
その一階を陶房という名の作業場にした。
両隣が迫っている。
狭苦しい感じは否めなかった。
夏はヨシズを張って道路からの視線を防いだ。

2017年早春。千晴たんが京都市産業技術研究所に通い出して
一年が過ぎようとしていた。
そろそろ研修も終わりである。
千晴たんは行き暮れた気分になっていた。
研修では何かしら得たものがあるような気がした。
自分は最高の講師に出会ったという満足感もある。
しかし実際の方向性は掴めない。
自分はこれから夫の窯で、独立しているようなしていないような
形で陶器を焼いていくのだろうか。
そこから展望が開ける可能性も無くはないだろう。
それが一番自然であることも分かっている。
だが、そうすることに自分でも不思議なくらい情熱がわかないのであった。
夫が懸命に作品作りに励んでいることは分かっているのだが、夫との
生活に人生を賭ける気持ちは薄れていた。
夫とは作家としての方向性が違うといえば月並みな表現になる。
方向性といったって自分の方向性も掴めてはいないのだ。
ただ、夫の作品に対する思い入れが無くなっている。
以前は、新しい作品が完成すると気持ちが沸き立った。
その出来映えに一喜一憂したものだ。それが今は無い。
それだけはハッキリと感じていた。