【朗報】ひなちまさん、ぐう聖 [無断転載禁止]©2ch.net
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どんな時でも周囲への感謝の気持ちを忘れない
やちN1 私が高等学校にいた頃、比較的親しく交際つきあった友達の中にOという人がいた。その時分からあまり多くの朋友ほうゆうを持たなかった私に
は、自然Oと往来ゆききを繁しげくするような傾向があった。私はたいてい一週に一度くらいの割で彼を訪たずねた。ある年の暑中休暇などには、
毎日欠かさず真砂町まさごちょうに下宿している彼を誘って、大川おおかわの水泳場まで行った。
Oは東北の人だから、口の利きき方かたに私などと違った鈍どんでゆったりした調子があった。そうしてその調子がいかにもよく彼の性質を代表
しているように思われた。何度となく彼と議論をした記憶のある私は、ついに彼の怒おこったり激したりする顔を見る事ができずにしまった。私は
それだけでも充分彼を敬愛に価あたいする長者ちょうしゃとして認めていた。
彼の性質が鷹揚おうようであるごとく、彼の頭脳も私よりは遥はるかに大きかった。彼は常に当時の私には、考えの及ばないような問題を一人で
考えていた。彼は最初から理科へ入る目的をもっていながら、好んで哲学の書物などを繙ひもといた。私はある時彼からスペンサーの第一原理とい
う本を借りた事をいまだに忘れずにいる。
空の澄み切った秋日和あきびよりなどには、よく二人連れ立って、足の向く方へ勝手な話をしながら歩いて行った。そうした場合には、往来へ塀
越へいごしに差し出た樹きの枝から、黄色に染まった小ちさい葉が、風もないのに、はらはらと散る景色けしきをよく見た。それが偶然彼の眼に触
れた時、彼は「あッ悟った」と低い声で叫んだ事があった。ただ秋の色の空くうに動くのを美くしいと観ずるよりほかに能のない私には、彼の言葉
が封じ込められた或秘密の符徴ふちょうとして怪しい響を耳に伝えるばかりであった。「悟りというものは妙なものだな」と彼はその後あとから平
生のゆったりした調子で独言ひとりごとのように説明した時も、私には一口の挨拶あいさつもできなかった。
彼は貧生であった。大観音おおがんのんの傍そばに間借をして自炊じすいしていた頃には、よく干鮭からざけを焼いて佗わびしい食卓に私を着か
せた。ある時は餅菓子もちがしの代りに煮豆を買って来て、竹の皮のまま双方から突っつき合った。
大学を卒業すると間もなく彼は地方の中学に赴任した。私は彼のためにそれを残念に思った。しかし彼を知らない大学の先生には、それがむしろ
当然と見えたかも知れない。彼自身は無論平気であった。それから何年かの後のちに、たしか三年の契約で、支那のある学校の教師に雇われて行っ
たが、任期が充みちて帰るとすぐまた内地の中学校長になった。それも秋田から横手に遷うつされて、今では樺太かばふとの校長をしているのであ
る。
去年上京したついでに久しぶりで私を訪たずねてくれた時、取次のものから名刺を受取った私は、すぐその足で座敷へ行って、いつもの通り客よ
り先に席に着いていた。すると廊下伝ろうかづたいに室へやの入口まで来た彼は、座蒲団ざぶとんの上にきちんと坐すわっている私の姿を見るや否
や、「いやに澄ましているな」と云った。
その時向むこうの言葉が終るか終らないうちに「うん」という返事がいつか私の口を滑すべって出てしまった。どうして私の悪口わるくちを自分
で肯定するようなこの挨拶あいさつが、それほど自然に、それほど雑作ぞうさなく、それほど拘泥こだわらずに、するすると私の咽喉のどを滑すべ
り越したものだろうか。私はその時透明な好い心持がした。 「きっとひなはゆっくりじっくり、
大きく花開くその瞬間まで努力して
自身で成長していかなければいけない人なんだな」
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