南武線の宿河原駅からは多摩川沿いにあった「砂利採取場」まで引込線が設けられていた。写真右上にきれいにカーブしつつ伸びる道がかつて多摩川まで線路の敷かれていた線路跡だ


【南武線の意外(2)】南武線の起源は「多摩川砂利鉄道」だった

南武線は、1920(大正9)年に多摩川砂利鉄道という会社が川崎町〜稲城間の鉄道敷設免許を取得したことに始まる。

社名どおり多摩川の砂利の採取および、輸送を目的として会社が設立された。この多摩川砂利鉄道を名乗った期間は短く、2か月後には会社の名称を南武鐵道と改めている。砂利鉄道という会社名は、さすがに一般受けはしなかったということなのだろう。

会社を設立したものの路線の開業まで7年もかかっている。当時の鉄道工事は免許を取得してから短期間で進めることが多く、この7年は異例の長さと言って良い。開業に乗り出した発起人の力が弱かったことも一因だったが、取り巻く経済状況が非常に厳しかったことも延びた理由の一つだった。

まずは会社を創業した1920(大正9)年には第一次大戦後の戦後恐慌が発生した。さらに1922年に銀行恐慌、1923(大正12)年には関東大震災が起り、震災恐慌と呼ばれる状況に陥っていた。

さらに南武線沿いを流れる多摩川では水上交通による輸送も盛んだった。水上交通に携わる人たちにとって、鉄道が開業したらそれこそ強力な商売敵が生まれてしまう。少なからず反対の声もあったようだ。
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