、不幸は突然彼を襲う。
1月30日、京都競馬第7Rでオギジーニアスに騎乗、4コーナー手前で脚色が鈍り失速したオギジーニアスは最後の直線で左後脚に故障を発生、投げ出された彼の後を若駒たちが駆け抜け、不幸にもその中の1頭が避けきれずに彼の頭部と接触してしまう・・・

筆者はこの風景を京都競馬場で目撃していたのだが、当時は今のようにパトロールビデオが流れる時代ではなく、4コーナー付近で蹲って動かないジュンペーをスタンドで見守るしか出来なかった。

彼の怪我は予想以上に重く、17日の壮絶な闘病生活の後、彼は天国に旅立つこととなる・・・
享年24歳、天才の早すぎる死であった。

北海道様似町にある彼の生家には、

冬枯れの 淀のターフに 散りし夢 永遠に忘れじ 君の面影

と彫られた石碑があるという。

無事であれば武豊と共に関西、日本の競馬サークルを背負って立っていたに違いない逸材であり、その短すぎる生涯は競馬サークルの大きな至宝を失った悲しい出来事であった。
デビューから僅か5年余りであったが、彼が緑のターフを駆け抜け、躍動していたことを決して忘れることはない。