長崎県の新幹線ゴネ歴史

1978年 長崎県・自民党・政府「むつ密約」
1985年 国鉄「早岐ルート案」
1987年 JR九州「早岐ルートは採算が取れない」で継承権消滅

ここから長崎県のゴネが始まります
全ては「長崎市へフル新幹線を通すため」

1992年 新幹線鉄道規格新線での武雄温泉以南短絡コース案。博多−武雄温泉間は既設在来線使用
 6者協議(1992年)で佐世保市議会の反対を無視して、長崎県県知事・佐世保市長は「新幹線鉄道規格新線での武雄温泉以南短絡コース案。博多−武雄温泉間は既設在来線使用」を合意
  佐世保市議会、佐世保市長に対して「市長に猛省を求める決議」を可決

1999年 フリーゲージトレインのための現新鳥栖駅(新幹線単独駅)設置を要望
 長崎県知事が佐賀県知事(のちに佐賀県鳥栖市長も)をフリーゲージトレインでそそのかして、新鳥栖駅設置を共同要望する

2002年 全線フル新幹線
 完全にこじれてしまい、 2004年に国交省が「フリーゲージトレイン案」を出すものの、2008年の起工式までに合意せず
 2008年にほぼ1992年合意で起工(長崎から諫早へ短縮される)
  長崎県が新鳥栖駅新幹線ホーム接続を拒否したため、新鳥栖駅に新幹線鉄道規格新線車両発着の在来線ホームが必要となる(結局佐賀県が自腹負担)

2012年 フリーゲージトレインを用いて、武雄温泉−長崎間フル新幹線設備へ変更

2016年 フリーゲージトレインを排除できる合意を結ぼうとして実質失敗する
 長崎県と国交省鉄道局とJR九州(3者ともKの法則発動中)は日本語が理解できなかったため、フリーゲージトレインを排除できる合意を結べたと思い込んだ

2018年 JR九州が引き金を引いてフリーゲージトレイン排除・全線フル新幹線化
 しかし、2019年国交省鉄道局は変更認可したものの、国交省の別の部局から「変更認可に必要な手続きしていないから公文書送付は不可能」と突っ込まれて公文書送付できず

何が何でも全線フル新幹線@長崎県