1 この時点で基本計画が決定された各路線で,複数ルートの競合が見られた。北海道は, 小樽・ニセコ経出のj七回りルートと苫小牧・室蘭経由の南限りルートが競合,東北は, 東北本線に並行して八戸を経由する東回りルートと奥羽本線と並行して花輪・弘前を経 由する商問りルートが競合,北陸は,高崎一長野間で較弁沢を経由する北回りルートと 佐 久 子 宮 を 経 由 す る 1有 国 り ル ー ト , 長 野 か ら 北 陸 に 抜 け る 区 間 で 糸 魚 川 を 経 由 す る ル ー ト
と北アルプスを貫通させるルート,敦賀 大阪照で琵替湖の東岸を経由するルートと西 岸を経由するルート,そして小浜を経 E討するルートが競合,九州、|は,八代一西鹿児島間 で鹿児島本線と並行する海岸ルートと八代と西鹿児島を直線的に結ぶ山間ルートが競 合,長崎では,筑肥線と並行する震津Jレートと佐賀・佐世保を経由するルートが競合し ていた。 1973.6.4付の毎日新誌の事前予測では,北海道は1有国りルート,東北は東出り 1レート,北陸は佐久・糸魚川・小浜を経由するルート,九列、Itま海岸ルート,長崎は佐賀・ 佐世保を経由するルートが有利とされている。