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ヤフー発見 孫氏を動かした一言 ネット興亡記 日経
コラム(ビジネス) ネット・IT
(2/2ページ)2018/7/11 6:30

 「大企業からとやかく指示されるのはごめんだ」。2人の若者のベンチャー気質も、孫をパートナーに選んだ理由だったようだ。孫は社長室長だった井上雅博を2人のもとに送り込み、ヤフー・ジャパン発足に向けて動き始めた。

 孫のM&Aラッシュの総額は、ざっと5000億円。だが、そのほとんどが失敗だった。反感を買ったテレビ朝日株も、取得時と同額で売却を余儀なくされた。孫自身も後にこう語っている。

 「大型買収が立て続けに損切りで売却。まあ、かっこ悪いですよね。もう自信喪失ですよ」

 ところが、ゲイツの助言を頼りに「発見」したヤフー1社によって数々の失敗を帳消しにしてしまう。

 孫はヤフーに100億円余りを出資するが、これがピーク時に日本円換算で13兆円に。額面5万円のヤフー・ジャパンも上場後の2000年に株価が1億円を付けた。

■孫氏を見ていた男

 揺れ幅が大きい株価より、事業面での貢献が大きい。ヤフー・ジャパンの安定した収益は、ブロードバンドや携帯電話への参入など2000年代に入ってからの孫の挑戦を支えることになる。

 ただ、孫はヤンとの会話の中に不安の種が潜んでいたことを認めている。

 「実はジェリー・ヤンと僕とでは、ひとつだけ意見が違うことがあったんです」。それが検索エンジンへの考え方だった。後にこの考えの相違が米ヤフーの致命傷となるのだが、この頃はまだ孫もその重要性を見過ごし、目をつぶってしまっていた。

 ところで、孫がジフ・デービス買収を仕掛けた際に日本興業銀行(現みずほ銀行)の担当者だったのが、三木谷浩史という行員だった。米ハーバード大学への留学中に、ジフ社創業者の息子と知り合ったことが縁だった。

 孫のジフ社買収計画は一度失敗するが、孫はあきらめない。二転三転しながらも野望を実現していく。敗北を認めなければ負けはない――。その姿に三木谷は起業家のあり方を見た。

 そして95年1月17日、三木谷の運命が変わる。この日、孫とともにニューヨークに出張する予定だったが、大地震が故郷・神戸を襲った。