☆天皇制のメリットを書いていくスレ其の1☆
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
【パスまわし、九条″】 無謀な勝負に出て失点 <奇襲、玉砕、特攻> 専守防衛で攻めずに時間稼げ
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1530671116/l50
九条改悪はパス回し(専守防衛)を禁じるもの、戦わずに勝った名将、西野監督を、防衛大臣にしよう! 皇室は皇統が変わったと言っていた。韓国人の天皇アキヒトとミチコの部下が。
少数の韓国人で日本人を支配するという野望を持っている皇族ども。
皇統が変わったじゃねえだろ。皇族どもめ
日本人は韓国人の天皇など認めない
日本から消えろ! 韓国人 皇族どもめ
平成になってから帰化人ばかりの総理になったのは韓国人天皇のせいだ
日本人の敵 皇族
諸悪の根源は今の天皇家 日本の天皇明仁が韓国国籍を離脱できない。共産主義の脅威を騒ぐ世界の恥 警察のトップ天皇、皇族 37【皇室ブログちゃんね
https://goo.gl/5ZLzio 天皇制のメリットは同和のような朝鮮人には大アリだが
日本人は搾取されるだけ
天皇の特別会計でイスラエルを支援したり、アメリカ軍産を支援しているが
それで国債を発行されて国民が納税で払うことになるが
同和朝鮮人は祖国に1円でも送金すると、日本で納付した税金は全額還付される
朝鮮人大勝利だ 金子光晴「絶望の精神史」1965年
明治の開国当時の列強は、僧服をつけた狼たちであった。
そこで、負けん気の日本犬が、狼のすることをまねて、
大けがをしたというお伽噺ができあがった。
明治からの行きかたが正道だったと、このごろになってうそぶいている御仁もあり、
敗戦の二十年の日本を、新しい出発と考える人もある。
明治からの国是が正しいという人にとって、「大東亜戦争」の敗北は十分な教訓となっていない。
つまり、条件がそろい、実力がつけば、
同じ無謀をくり返しかねない人間の、性悪な情熱を代表している。
…しかし、このような問題の以前に、僕の知りたいことは、
日本人のもっている、つじつまの合わない言動の、その源である。
たとえば、今度の敗戦にしても、人心の裏返りの早さは、みごとといってもいいくらいだ。
あれほど、アメリカやイギリスを憎み、
米英にけものへんをつけて「?米?英」などと書いていた連中が、
とたんに新米・親英の旗手になった。
また、皇居へ足をむけては寝なかったような人間が、舟を乗り換えるように共産党に大量入党した。 表面は恬淡として、無欲な日本人、無神論者の日本人。
だがその反面、ものにこだわり、頑固でうらみがましく、
他人を口やかましく非難したり、人の世話をやくのが好きなのも日本人である。
その点、そばに比較対象物のない…日本のような国では、
自分たちが、ほんとうに幸せなのか、不幸せなのかがわからなくなる。
だから、統治者が、日本は神国だと言えば神国ということになり、
日本ほど美しい、すぐれた国はないと歌えば、それがすぐ全国民の合唱となる。
客観的に正しいときは文句がないとしても、
それが真実から遠い、統治上の宣伝であったりした場合には、
傲慢不遜な国民や、狂信的な国民ができあがる。
明治末年に近い、僕が知ってからの日本の民衆は、
国力を知っている政府当局者にとっては、すこし迷惑なくらい、自信たっぷりだった。
はでで、強気で、「もっとやれ。もっとやれ。何をためらっているのだ」といったふうで、
国力の信頼が度を越して、いい気持ちになっているようなところがあった、
こうした性格は、日本人の現実を軽く見たがる、軽はずみなある特徴となって、いつまでも残った。 大正という時代が、あれほどさかんに、あれほど自由に人間の真実やヒューマニズムについて検討し、
世をあげてそれを支持したようにみえながら、それが新しい伝統として根づかなかったのは…
気むずかしく、好悪の情がむらで、そのくせ芯の弱い、日本人としての特質を、
その身に備えていながら、そういう自分を、一度も反省してみたことがなかったと思う。
僕の心には、主人が駆り出されて蕎麦屋の店をしめた家をのぞいた、寂しい印象が残っている。
死の危険よりも、もっと耐えがたい、柄にもない悪鬼羅刹の立場を強制されることで、
極端に自己を圧縮され、破裂しそうになっているのだ。
彼らを戦力として、あやつっている軍の幹部たちのほうは、長年の夢が実現して有頂天となり、
いまや、なにごともわが思いのままになる快味にひたっている。
軍の名で、非理を押し通すことを、いたって当然のことのように思い上がっていた。
兵士たちは、ほんとうの胆が自分でも決まらないという精神の混乱状態にあった。
兵士たちの軍人精神も、懐疑と憂慮でかすんでみえた。
それは、大正文化の所産で、この戦争が大詰めに近づくほど、矛盾ははっきりしてきた。
追いつめられた苦戦のなかでは、不動のはずの軍の階級も実力に追いやられ、
上官の命令は、一蹴されるにいたった。
このような無規律の原因は、軍指揮者の腐敗にあった。
部隊長たちは、城地を占領するなり、王侯の楽しみに溺れて動こうとしない。戦線は膠着状態となる。 僕は、日本の孤立した地理的条件と、
湿潤な風土がかもしだす抑圧された精神の異常な発酵とに目を向けてみたい…
それらが、近代日本人の歴史的な性格まで作りあげたものであるからでもある。
つまり、近世の旧幕時代にあった義理人情の世界が今日まで温存されている…
…人々の迷信深さを利用して、不条理な世界へ追い込んでいる。
それというのも、明治精神をつくりあげるための根固めとして、日本人は、
天皇を中心とする義理人情の結束を強めるために、合理精神のかわりに、神秘主義、
つまり亡霊の世界を呼びだしてきたからであろう。
それが小国日本のただ一つの手持ちの駒だったのであろう…
「見ざる。聞かざる。言わざる」の消極的な小天地のなかで、
よそへは通用しない、横柄で小心、悟りすましているようで勘定高い、ちぐはぐな性格ができあがった。 今日の日本人のなかにも、まだ残っている、あきらめの早い、あなたまかせの性格や、
「長いものに巻かれろ」という考え方から出てくる、看板の塗替えの早さ、
さらには、節操を口にしながら、実利的で、口と心のうらはらなところなどは、
江戸から東京への変革のあいだを生き抜けてきた人々の、
絶望の根深さから体得した知恵の深さと言っていいものだろうか。
…こうして亡霊たちに気を使う習性は、滅びた権力や、家柄、格式、老舗などに、
実質はさておき、無条件に頭を下げる日本人の事大主義として、われわれの心に残った。
亡霊に続いて、この湿潤な風土が生んだ陰惨さは「山椒大夫」のような人買いの話、
「紅皿欠皿」のような継子いじめの話、
柳の老木の精が人間の男と契って別離を悲しむ「三十三間堂棟木由来」や、
女の執念が蛇となる「日高川」や「細川の血だるま」のような、男色関係の血なまぐさい物語や、
「武道伝来記」にある仇討ちの話などに満ち満ちている。
どれ一つとして、陰惨でない話はない。
そして、その話が、日本の風土や生活形式に、どんなにぴったりしていたことか。 僕の知り合いの知り合いができたパソコン一台でお金持ちになれるやり方
一応書いておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
8RZ 国民が大統領を選べる外国、総理大臣すら選べない日本 https://goo.gl/c7sYpR
皇室と日本政治について考えてみよう ユーチューブ https://goo.gl/bAkzNv こっそり反ユダヤ アキヒト事大主義 韓国天皇
2000年頃から2ちゃんねるでユダヤ批判をしていたのは天皇の手下の警察
だから国内の政治批判は皇族によってすべてアメリカやユダヤに向けられてきた
今でもそう。ずっと。
ユダヤ系長文は警察の用意したコピペだろう
アメリカ批判もそうだ。
だから国内の政治家に向かうべき批判は、アメリカ、ユダヤ批判にすりかえられてきた
これは皇室の常套手段
国内批判が続くと、皇室にむかってくる
そこで天皇とミチコは警察OBの侍従に指令してロスチャイルド批判、ロックフェラー批判を展開させた
過去スレを見てみよ!
外国批判してもしょうがない国内政治。
長年、韓国人天皇アキヒトは国内批判を外国批判に摩り替えた。
天皇アキヒトとミチコはニコニコ笑い、低姿勢で人を欺き、人気者気取りの悪党である。
警察は通信の隠ぺいが得意だから、いくらでも正体を隠せる
指摘するとすぐにやめるが、気がつかないと続ける
韓国人天皇とミチコによる擦り付け。
公安調査庁も宮内庁の警察OBと連絡して、宮内庁の天皇側近の情報をよく聞いて知っている。
天皇アキヒトは韓国人だから事大主義者だ。
中東問題でも暗躍した韓国人天皇。手下の公安はこっそり反米的活動をしていた。
それだけではない。その韓国人天皇は韓国大統領とも何かある。
明仁のせいで日本は韓国に対して腰が低い。
日本からすれば韓国は格下だが、天皇がチョンだから立場が逆転しているのだ。
アキヒト天皇が韓国大統領の手下。管理下。
日本の技術なんか韓国に盗まれているのだ。まともに文句すら言えないでいる。
韓国の大統領が、在外韓国人にたいする法律の改正でもしたら、天皇アキヒトや皇族は強制的に韓国に呼ばれてしまうのだ。
つまり一生おどされて金をふんだくられる存在なのだ。
日本国民にとってこの外国人天皇アキヒトは、日本の金を韓国に取られる諸悪の根源である。
日本人がどんなに創意工夫をし、働いても、韓国人にその努力の結晶を盗まれてしまうのだ。
いままでそうだったろう。
こんな変な奴のせいで! 一度は偉大な?悲劇、二度目は背筋が凍る笑劇?の、日本近代に巣食う妖怪ども
日本の戦後は戦前の反復になっている。それがこの対GDP国家負債比率のグラフに現われている。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/30210307.html
何故そうなっているのか。先ずは強者=先進国にすり寄って蜜月となり、
その時代に自分が持たない先進技術を取得して近代化
(というよりも精神性を伴なわない“表面的な”産業化・工業化)と富国強兵を図り、力をつける。
他国の戦争(第一次世界大戦、朝鮮戦争・ベトナム戦争)に便乗して戦争景気を謳歌して
(一時的な)経済強国となる。そして自分が手本とした先進国が苦境に見舞われた、その時
(例えば英仏がドイツの猛攻により本国で手一杯で、アジア植民地から眼が離れているとき、
或はアメリカがベトナム戦争、米ソ冷戦、米ソ宇宙競争で手一杯のとき)を狙って《裏切り行為》に出る。
戦前も、山本五十六、大西瀧次郎が霞ヶ浦でイギリスのセンピル卿から飛行技術
(空母上での航空機運用、水平爆撃、航空魚雷の使い方)を教わったのが1921年である
(その他にも日本の軍用航空機メーカーにはアメリカからライセンスが渡り、製造設備が渡り、
アメリカ人技術者が日本の軍事工場で技術指導していた)。
その僅か20年後にマレー攻略(でイギリス東洋艦隊のプリンスオブウェールズ、レパルスを撃沈)、
真珠湾奇襲を行なっている。 ttps://www.youtube.com/watch?v=cBr9j0evjLY
「川崎航空機」東京シネマ1958年製作
戦後も朝鮮戦争を切欠に「MSA協定」(1954年=昭和29年)を結び、
(日本に弾薬製造、戦車やトラック、ジェット戦闘機の整備を行わせるため)
アメリカは日本に対して技術供与した。
その僅か20年後に日本はその技術を使ってアメリカに経済戦争を仕掛けた。
例えば(ニクソン大統領が佐藤栄作、田中角栄首相に激怒した)日米繊維摩擦だ。
敗戦国にも係わらず(その戦争責任者である昭和天皇共々、極右と軍部
=旧支配層をそのまま政治・経済の中枢に残すなど)日本を助けてやった。
それにも係わらず我々から得た技術を逆用し、我々の苦境時
=ベトナム戦争を戦う最中に、朝鮮戦争・ベトナム戦争で大儲けしながら切りかかってきた。
その後も日米自動車摩擦、半導体摩擦と続いて行く。アメリカに戦争責任を免除された日本の支配層は、
このアメリカの日本批難を『不当な圧迫だ』と叫び自己正当化を謀った。
その(アメリカ“逆”批難の)《キャンペーン》によって国民を煽った
(煽られた国民は『アメリカが悪い!』と思い込んだ)。
だから湾岸戦争でアメリカが日本に戦費を要求し、日本がそれを断ったときアメリカは激怒した。
『ベトナムの時と同じことをするのではないだろうな?』
(ベトナム戦争では我々からの発注で大儲けし)
(我々から技術を得ながらその技術を逆用して、我々の“背後から”《弾》を撃つのではないだろうな?)と。 軍事でアメリカを叩けない
戦後日本はこうして経済力で(ベトナム戦争で手足を縛られた)アメリカを追い詰めた。
アメリカの核の傘に護られながら(しかもGHQによって戦争責任を免除された者らが)。
アメリカから得た技術+国民の過重労働でアメリカの民生品市場に殴り込み、
ベトナム戦後の経済環境=FF金利20%以上の高金利で喘ぐアメリカ企業を叩きのめし、
貿易黒字を稼ぎ出した。その莫大な貿易黒字はアメリカ側の大赤字となり、
それは《ドル暴落の危機》に直結した。ニクソン・ショックである。
アメリカはベトナム戦争を戦うために(国民に配慮して)増税しなかった。国債発行で戦費を賄った。
そのため高インフレの素地が形成されていた。
そこへ更に巨額の貿易赤字が加わるような、
日米貿易摩擦は《ドル基軸通貨体制の揺らぎ》につながる大問題となった。
だからアメリカは日本に対し、『過剰に輸出するな』と警告した。
だが日本側は『安くて良いモノが売れて当たり前、何が悪い』と開き直った。
その結果起ったのが『プラザ合意』である。 ttps://kohada.5ch.net/test/read.cgi/eco/1370648795/271-273
沖縄返還時に佐藤栄作首相はニクソン大統領と密約をした
ttps://peace.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1436952329/199-201
「知日派」の提言 過去と未来 自画像描くべき時 「風」 立野純二 ワシントンから
朝日新聞2012年8月27日
ttps://peace.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1436952329/212-217
ttp://blogs.yahoo.co.jp/iwamotoseminar/30210307.html
戦前と瓜二つな『対GDP国家負債比率』が意味するもの 1ドル=360円の固定レートは(極東の《反共防波堤》である)日本が輸出し易いように設定された優遇だった。
だが本来、輸出ばかりして輸入しない国の通貨は値上がりする
(のは自然の摂理だ。稼いだ莫大なドルを売って少ない円を買うと円が値上がりする)。
つまりアメリカに逆らったことで、戦後日本の“優遇が”解除されたのだ。
ところが日本は朝鮮戦争を切欠に復活した輸出主導の産業構造を変えようとはしなかった。
(アメリカから得た技術で築いたそれは)日本の支配層の、支配の源泉だからだろう。
大事故を起こした原発などもその典型だ。
それで一向に輸入しようとはしなかった(自分たちを守るために)。それでどんどん円高が進行して行った。
そして(バブルも崩壊した95年に)1ドル=79円となり、日本企業は“本格的に”海外に工場を移転し始めた。
そして今やこうした職(製造業)は日本から消え去った。
地銀の預貸率は98年頃には98%あった。それが2013年には65%になっている。
それだけ地方では貸し出す先が無い。それで地銀は余った預金で国債を買っている。
ところが黒田日銀がマイナス金利にした。
アメリカから得た技術で築いた輸出産業(と、今もそれを支配する、日本を敗戦に追い込んだ者ら
=GHQと取り引きして罪を免れた者ら)を守るために日本経済が壊死している。
今日本で起っていることは、満州事変以降で起ったことと同じである。
(中国の皇帝に代わって)《昭和天皇が大東亜共栄圏の盟主になる》という
“妄想”に囚われて日本本土に落すべき資金を満州、中国、仏印と、使い果たして破綻する。
つまり自国民を見捨て、他の国へ行ってそこの経済を支えるために日本の資金が使われている。
それがこの対GDP国家負債比率のグラフに現われているのである。 日本の貿易収支が第一次所得収支の四分の一ぐらいしかない。それだけ産業を外に出している。
ttps://www.youtube.com/watch?v=mKM9-Xmk64Y&feature=youtu.be&t=410
ゲスト 7月5日 武者リサーチ 武者陵司さん ttps://facta.co.jp/article/201307029.html
アベノミクス「落第」地銀全リスト
政権与党が切り込む「地銀再編」。「預証率」が高く、「中小企業向け貸出比率」が低いダメな地銀を狙い撃ち。
2013年7月号 BUSINESS [地銀はもっとカネを貸せ!]
政権与党の立場から成長戦略の政策立案を担う自民党の日本経済再生本部(本部長・高市早苗政調会長)が、
5月10日に発表した中間提言で地銀再編に切り込んだ。
「地銀は大量に集まった預金を地元で循環させずに、国債ばかり購入してきた」。
自民党議員がこう語気を強めるように、
中間提言では日本経済が20年にわたって停滞した理由に「金融機関の消極的な与信姿勢があった」と指摘。
地域金融機関がバブル崩壊以降、その役割を十分に果たしてこなかったことを踏まえれば、
自民党が地域金融を槍玉に挙げるのも無理はない。
金融機関の本来的な役割は、いうまでもなく
顧客から預かった預金を貸し出して経済を活性化させる「金融仲介機能」にある。
その代表的な指標が、預金残高に対する貸出金残高の割合を示す「預貸率」。
日本銀行の統計資料などをもとに政府が自民党に提出した資料では、
1998年4月末に97.95%あった全国銀行の預貸率が、2013年2月末には64.67%にまで落ち込んでいる。 この体たらくぶりに金融調査会メンバーを中心とする自民党議員たちが激怒。
「いくらアベノミクスで金融緩和したところで、地銀が金を貸さなければ経済は上向かない」
「国債で運用するだけならバカでもできる」。
貸出全体に占める中小企業向けの比率は、有力地銀で軒並み20〜30%台の低水準にとどまり、
昨年度は遂に地銀平均で40%を切る非常事態に陥っている(表2)。
「もはや地銀の存在意義は失われている」。
中間提言のとりまとめ作業が進む4月中旬、自民党内ではこんな声まで聞かれるようになっていた。
地方経済では、当然ながら地銀にその役割が求められる。
だが、「リスクを取れない地銀に、地域の企業をリードする役割は果たせない」(中堅議員)
ところが、リスクを取らずに安全資産ばかりで運用してきた地銀に、その思いはなかなか伝わらない。
各地銀が策定する今年度の貸出計画をみても従来と変わった様子はなく、
「まともに金を貸せる先があるなら、とっくの昔に貸している」と逆ギレする始末。
こうした地銀の肌感覚を感じ取った金融庁幹部は、「
地銀はリスクを取らないのではなく、取る能力を失ってしまっているのではないか」と真顔で心配する。 既に『日本“全体が”輸出基地である』という構造は壊れてしまっている。
大企業は日本の下請けを切ってアジアへ出て行った。
にも係わらず金融緩和してその上部構造だけを助け、もぬけの殻の地方で地銀の尻を叩いている。
過去に莫大な貿易黒字を稼いでアメリカに経済戦争を仕掛けたので、優遇の円安が消え、
持続的な円高で国内輸出産業が維持できず、それらの多くが外へ出て行った
(日本の支配層は経済戦争を仕掛けて“またも”敗け、産業と工場の海外移転を受け入れ、
つまり或る階層部分の産業とそれに関する国民の職を『差し出す』ことによって
その責任を“またも”アメリカから免除されている)。
産業の空洞化で地銀が貸し出す先が無い。アメリカに経済戦争を仕掛けたこれは罰である。
だから第三次アーミテージ・ナイ・リポートは『これを8月15日に発表するのは偶然ではない』
(=君たちは既に敗けている。この《新ポツダム宣言》を受け入れよ)と宣言しているのである。 今の日本の政治はかつて《自国を潰して敵に寝返り罪を免れた者ら》が、
『夢よもう一度』で経済戦争を仕掛け、再び敗けて、
その敗けが確定した戦後日本(を引き受けさせられてしまった後の世代の支配層が、そ)の現実を、
国民の眼から隠し責任回避して、(自分が現役、或は生きている間だけ)時間稼ぎをする。
そのための“事後処理の”政治である、と思われる。 といった構図を考えてみましたが、あくまでこれは妄想です。真偽のほどは自身でお確かめ下さい。
バカのくせにまた偉そうなことを書いてしまいました。皆さまにお詫び致します。 復古右翼運動が脚光を浴びるのか?
いくら旧仮名遣い氏がネット掲示板で叫んでも
一般社会では脚光を浴びる事は無い?
一般社会ではパワーハラスメントや
セクシャルハラスメントや
人権運動が盛んになり
外国人が守られている日本が
更に移民政策を進めて行くだけだろう >>225
最う戰後の新左翼、革新、自稱リベラルの云ふ抽象的な言論なんぞ平成の今社會では殆ど影響力は無い。
パラダイムは固定されぬし、常に移り變る。 豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見」2008年
戦後日本の枠組み形成において、
やはり重要な意味をもったのはマッカーサーと天皇との直接的な会見であったとおもわれる。
これまで一般に確認されているところでは、
両者は一九五一年四月のマッカーサー解任に至るまで併せて一一回会見している。
しかし、それらの内容についてはほとんどベールにつつまれたも同然である。
ただ、一部明らかになったところから判断するならば、
とりわけ重要な政治的内実を有しているのは、第四回の会見とそれにつづく天皇の行動であろう。
この会見が行われたのは四七年五月六日のことであった。
この日をはさんで、四月二五日の総選挙では社会党が第一党となり、
会見当日には吉田内閣において辞表がとりまとめられ、
五月二〇日には遂に同内閣は総辞職し、六月一日には社会党の片山哲を首班とする新内閣が成立した。
そして…会見の三日前、五月三日からは新憲法が施行された。
このように激動する情勢のただ中で行なわれた会見であったが、
会談内容は…極秘とされた。 …しかし、翌七日付の東京初AP電は重大な情報を伝えた…
だた、問題のAP電とマッカーサーによるこの否定については、
GHQ当局の検閲によって国内では一切報道が禁止され、
しかも第一回の会見につづいて通訳を担当した奥村勝蔵が情報をもらしたとの理由で懲戒免職に付され…
会見内容は再び厚いベールにつつまれてしまった…
ところが一九七八年になって、
第一回会見と同じくこの度も児島襄によって会談記録の一部が公表された(『日本占領(3)』)。
しかもその内容は、ほぼ上記のAP電に沿うものであった。
…会談では冒頭から新憲法、とりわけ第九条をめぐって議論が交わされた。
天皇はまず、「日本ガ完全ニ軍備ヲ撤廃スル以上、ソノ安全保障ハ国連ニ期待セネバナリマセヌ」と、
切り出した上で、しかし「国連ガ極東委員会ノ如キモノデアルコトハ困ルト思ヒマス」と、
四大国が拒否権をもっている極東委員会をひき合いに出して、
事実上は国連に期待できない旨を強調し、マッカーサーの意見を求めた。 これに対し、第九条の挿入に熱意をかけたマッカーサーは、
破壊力の飛躍的な増大によって今後の戦争には勝者も敗者もないであろうこと等を指摘し…
「日本ガ完全ニ軍備ヲ持タナイコト自身ガ日本ノ為ニハ最大ノ安全保障デアツテ、
コレコソ日本ノ生キル唯一ノ道デアル」と、改めて“第九条の精神”を天皇に説いた…
さらに国連についても、現状はともかく「将来ノ見込トシテハ国連ハ益々強固ニナツテ行クモノト思フ」と、
天皇とは異なる評価を展開した。
しかし天皇は、第九条にも国連にもおよそ期待をかけていないかのように、
「日本ノ安全保障ヲ図ル為ニハ、
アングロサクソンノ代表者デアル米国ガ其ノイニシアチブヲ執ルコトヲ要スルノデアリマシテ、
此ノ為元帥ノ御支援ヲ期待シテ居リマス」と、米軍による日本防衛の保障を求めた。
そこでマッカーサーは、「米国ノ根本観念ハ日本ノ安全保障ヲ確保スルコトデアル。
此ノ点ニツイテハ十分御安心アリタイ」と答え、具体的な軍事戦略上の問題に議論をすすめたが、
…奥村の記録はここで切除され、後半部は破棄されている… 実は両者は四六年一〇月一六日、新憲法発布の三週間ばかり前に行なわれた第三回の会見ですでに、
天皇が「戦争放棄を決意実行する日本が危険にさらされる事のない様な世界の到来を、
一日も早く見られる様に念願せずに居れません」と第九条に懸念を表明したのに対し、
マッカーサーが「戦争を無くするには、戦争を放棄する以外には方法はありませぬ」と、
第九条の意義を強調する議論を交わしていたのである…
以来およそ半年を経て天皇は、事実上第九条に代わる日本の安全保障のあり方、
つまりは米軍による防衛の保障をマッカーサーに求めた訳であった。
それにしても、わずか一年九カ月前まではアジア・太平洋諸国を「危険にさらしていた」国の「象徴」が、
その償いも何ら果たしていない段階で、しかも戦争放棄の第九条がなぜ求められることになったのかという
歴史的な経緯もほとんど認識されていないかのように、
ひたすら自らの国が「危険にさらされる」ことのみを考え、アジアや世界に眼を向けることもなく、
もっぱら占領者のアメリカに「安全保障」を求めるという発想方法には、ただ驚かされる…
否、むしろ天皇のこのような発想こそが、
戦後日本の歩みをそれこそ“象徴”しているのかもしれない… 最近の災害続きは、皇室のせいかもしれない。来年4月に上皇、カメ子天皇予定でしょ。
日本はアメリカの人工降雨と人工地震の実験対象になっているっぽい。
政権を超えた天皇犯罪。(日本側は)
皇室の目的 考察
その人工の偽装災害の後、天皇と皇后、そしてナルヒトと悪魔崇拝者の雅子が被災地に行って
『いい人たちだなー』と、何も知らない奴が言うのを期待しているのだろう。
(しかし、これは最近指摘されて、ばれてきているのでやらないかもしれない)
大雨による災害が続いているのに、外国みたいに人工降雨で被害を防ぐ事をまったくしようとしていない。
今の軍事技術は人工降雨が可能という事をかくしているでしょ。たぶん。 今の平成天皇のせいで日本はアメリカの人工地震と人工降雨テロの実験台になってしまっていると思う。
人工降雨で災害を防ぐという案が政府から出ないことがおかしい。
明仁は韓国王室関係者。
韓国(朝鮮王)といえば、古代から日韓併合まで朝鮮王の下 モンゴルや中国の属国になっていた元凶。
頂点に外国の奴隷か服従をしている王が統治していた失敗政治体制。
平成天皇 明仁は 朝鮮王の関係者だ。 つまり 李明仁だ。 李一族は今の東宮と秋篠宮家。
明仁本人が朝鮮王との関係を認めた。李明仁の祖国は韓国。
そして気象兵器使用がばれた時の為に日本側の人工テロの犯人を李明仁天皇ではなく、
他人にすり替える為に安倍を長期政権化させている。
偽装自然災害は自民党以外の時にも行われていたし、気象兵器を使用するにしても警察公安による調査などの準備期間がある。
安倍長期政権化は なすりつけを安心して李明仁が出来ると考えているからだろう。
アメリカの犬 李明仁が日本の最大の悪だ。
こいつらが居る限り政権交代も無意味だ。 豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見」2008年
まず、「不平等条約」と言われる旧安保条約の内容はいかなるものであったの…か。
何よりも、日本には米軍に基地を提供する義務があるが、
米軍の日本駐留はあくまでも権利であって米軍には日本防衛が義務づけられていない。
しかしその一方で、米軍には日本の「内乱」に介入する権利がある。
さらに、「極東条項」がおかれ、米軍は「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」するという、
国連憲章の裏づけもないあいまいな目的のために日本の基地を利用することができる。
しかも、その基地については、提供地域が特定されない「全土基地化」の権利が米軍に与えられている。
また裁判権の問題にかかわって、米軍には事実上の「治外法権」が保障されている。
最後に、この条約には有効期限が設定されておらず、
その失効には米政府の承認を必要とすると規定されているのである。
昭和天皇の側近達は、朝鮮戦争の帰趨と天皇制の将来を直結させて、深刻きわまりない危機感を抱いていた…
つまり、彼にとって「朝鮮有事」とは「日本有事」であり、そして「天皇制の有事」であった。
この点で、「大陸の政治動乱がわが島国を直接に脅かさなかったことは歴史の事実」との…判断を背景に、
「朝鮮有事」と「日本有事」を峻別した吉田とは情勢認識を大いに異にしていた…
昭和天皇の側にあっては、朝鮮戦争で米軍が苦境にたつならば、
それはソ連による直接侵略が国内共産主義者による間接侵略かはともかく、
「革命」と「戦争裁判」と天皇制の打倒につながるものと看做されていたのである。 この未曽有の危機を救えるのは米軍以外にないという結論に至るのは、きわめて自然の成り行きであった…
従って、吉田が基地提供という「根本方針」でいささかなりとも“動揺”を示すことは許しがたいことであり、
ましてや、基地提供を交渉カードに使うといった発想それ自体が認められないことなのである。
つまり、日本の基地提供と米軍駐留は、天皇制の死守をはかる昭和天皇にとって絶対条件となったのである。
こういう昭和天皇の立場にたてば、日本はあくまで無条件的に米軍駐留を「希望」「要請」し、
基地の「自発的なオファ」に徹しなければならない…それこそが、安保条約の「根本趣旨」なのである。
さらに「内乱条項」は、きわめて重要な位置を占めていたであろう。
こうして、皮肉な表現を使うならば、「国体護持」を保障する安保体制こそが、
「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったのである。 昭和天皇によるこの「口頭メッセージ」が、
基地問題への吉田の対応と密接な関係をもっていたであろうことは、
同五〇年八月にまとめられダレスに送られた「文書メッセージ」によって、一層明確になってくる…
カーンは、七月に帰米してハリマン国務次官補と会食した際に…
パケナムに日本側と文書化作業をすすめるように指示した。
こうして、八月に入って松平は葉山の御用邸に隣接する自らの別荘にパケナムを招き、
数日間を費やして天皇メッセージの文書化の作業が行われたのである。
そこには、「天皇の側近達」も参加しており、パケナムとの間で率直な議論が交わされた。
パケナムによれば、側近たちは占領改革によって警察組織が弱体化し
共産主義者の活動が活発化したことを批判したという。
さらに、朝鮮戦争において仮に米軍の側が負けるようなことがあれば、
側近達の全員が「首切り」にあうのではないかという恐怖感にさいなまれていた、という。 日米の関係者による作業を経てまとめられた昭和天皇の「文書メッセージ」では、
これまで「無責任で代表的ではいアドヴァイザー達」が占領当局に影響を与えて
「多くの誤解が生じてしまう」という恐れがあったので、
今後は「信用ある経験豊かな人々によって構成される諮問グループ」が組織され
アドヴァイスできることが望ましい、と強調されている。
具体的には、「現在は沈黙しているが、もし公に意見表明がなされるならば、
大衆の心にきわめて深い影響を及ぼすであろう多くの人々」がいるのであるが、
彼らの多くは「追放」に処せられているのであり、
従って「追放の緩和」こそが日米両国に「最も有益な効果」をもたらす行動、とされるのである。
さて、問題は…この「文書メッセージ」の最後の締めくくりにおいて昭和天皇は、
「口頭メッセージ」では直接的には触れなかった吉田への批判を、明確かつ具体的に打ち出している…
つまり、右に指摘されたような人々が「仮に彼らの考え方を公に表明できる立場にいたならば、
基地問題をめぐる最近の誤った論争も、
日本の側からの自発的なオファによって避けることができたであろう」ということなのである。
ここで言われる「基地問題をめぐる最近の誤った論争」とは、
先に触れた六月二二日の吉田・ダレス会談での吉田の対応とともに、
この「文書メッセージ」の作成作業が行われる直前の国会における吉田発言を指していることは疑いない… 実は七月二九日の参議院外務委員会において、
「内外とも吉田さんは、軍事基地を貸すつもりでおるのだ、腹はそう決まっておるのだ、
という声は消えて行かない」との社会党議員の追求に対し吉田は、
「私は軍事基地は貸したくないと考えております」
「単独講和の餌に軍事基地を提供したいというようなことは、事実毛頭ございません」と明言したのである。
昭和天皇は「文書メッセージ」において、「日本の側からの自発的なオファ」という方向をとるならば、
こうした事態は避けることができると主張した…
以上のように、昭和天皇は新憲法の施行から三日後のマッカーサーとの会見で、
「日本の安全保障を図る為には
アングロサクソンの代表者である米国がそのイニシアティブをとることを要する」という、
政府や外務省も何ら決定していない安全保障問題の核心的な問題について「自らの方針」を語った訳であったが、
天皇は米軍による日本防衛の確保にむけて、さらに高度な「政治的な行為」に踏み出した。
それが、第四回会見から四カ月を経た九月一九日に
マッカーサーのシーボルト政治顧問に伝えられた「沖縄メッセージ」であった。 ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/233-237
>米軍には日本の「内乱」に介入する権利がある。
>さらに、「極東条項」がおかれ、米軍は「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」するという、
>国連憲章の裏づけもないあいまいな目的のために日本の基地を利用することができる。
>しかも、その基地については、提供地域が特定されない「全土基地化」の権利が米軍に与えられている。
>また裁判権の問題にかかわって、米軍には事実上の「治外法権」が保障されている。
>最後に、この条約には有効期限が設定されておらず、
>その失効には米政府の承認を必要とすると規定されている
>昭和天皇の側近達は、朝鮮戦争の帰趨と天皇制の将来を直結させて、深刻きわまりない危機感を抱いていた…
>つまり、彼にとって「朝鮮有事」とは「日本有事」であり、そして「天皇制の有事」であった。
>この点で、「大陸の政治動乱がわが島国を直接に脅かさなかったことは歴史の事実」との…判断を背景に、
>「朝鮮有事」と「日本有事」を峻別した吉田とは情勢認識を大いに異にしていた…
>昭和天皇の側にあっては、朝鮮戦争で米軍が苦境にたつならば、
>それはソ連による直接侵略が国内共産主義者による間接侵略かはともかく、
>「革命」と「戦争裁判」と天皇制の打倒につながるものと看做されていたのである。 >この未曽有の危機を救えるのは米軍以外にないという結論に至るのは、きわめて自然の成り行きであった
>こういう昭和天皇の立場にたてば、日本はあくまで無条件的に米軍駐留を「希望」「要請」し、
>基地の「自発的なオファ」に徹しなければならない…それこそが、安保条約の「根本趣旨」なのである。
>さらに「内乱条項」は、きわめて重要な位置を占めていたであろう。
>こうして、皮肉な表現を使うならば、「国体護持」を保障する安保体制こそが、
>「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったのである。 >こうして、皮肉な表現を使うならば、「国体護持」を保障する安保体制こそが、
>「独立」を果たした日本の新たな「国体」となったのである。
昭和天皇が安保条約と地位協定をダレス側と結び、こうして戦後、米軍によって守られる天皇制が生れた。 ttps://www.youtube.com/watch?v=SpabZjTLzrg
[2018 9 3放送]藤井聡 あるがまま日本・京都
「沖縄」からはじまる日本の復活! 週刊ラジオ「表現者」(KBS京都ラジオ)
ttps://www.youtube.com/watch?v=xDDL2zTrpQw
[2018 6 25放送]藤井聡 あるがまま日本・京都
文学から考えてみよう、「ニッポン属国論」 週刊ラジオ「表現者」(KBS京都ラジオ) ttp://mevius.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1507299396/279-280
田原:
…国民の側では、東京裁判で天皇は裁かれなかった、
だから責任はないんだとか、逆に責任逃れだなどという議論があった。
でも…天皇が訴追されなかったのは、GHQの占領政策をうまく運ぶためだった。
こういう認識を国民的に共有する機会のないまま時代は平成に突入し、いまの右傾化につながっていく…
後藤:
'89年は世界の構図が変わった年であり、分水嶺だった。
以後、日本社会の歪みはさらに増していったように思えます。
ある意味で呪いの年とも言えるかもしれません…
田原:
私は冷戦が崩壊したことの意味を、日本人が理解できなかったことこそが呪いだと思う。
冷戦期は、日本は西側諸国の「西の端」であって、
ソ連に対抗するために米国が守らなければならない場所だった。
その状況が変わったということを、日本人はその後10年くらい気が付かなかった…
後藤:
こうして話していると、'89年を考えることが、戦後70年を迎えたいま、
日本が抱える矛盾と課題の源流を探ることに重なっていると気付かされます。 ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/227-230
ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/233-237
こうした学者の調査・研究によれば、
戦後日本を《捕虜収容所状態》に置いたのは自国を潰したその罪を
“免れようと”米軍の庇護を求めた昭和天皇自身であった。
そこを見ない限りこの戦後日本の《捕虜収容所状態》を抜けられない。
日本が起こした(特に満州事変以降に続く)太平洋戦争とは何だったのか。敗戦とは何だったのか。
そこで日本の(戦争)指導者らが如何に動いたのか。外国と交渉したのか。
自分らの野心のために世界と日本国民とを犠牲にし、
その罪の追求をかわす=免れるために占領国に庇護を求める。
その“見返り”として自国(の国土と権利)を売り渡す。
それで戦争責任追及が出来ないように《暴力と情報宣伝》を使って封印する。
とするならば、これは彼らが戦後日本にかけた《呪い》である。 それにしても、自国を潰し自国民を大量死に追い込みながら、
敗けたら敵と煽ったその旧敵に寝返って、
(東條英機元首相ら少数のA級戦犯と、自分らが命令した現地司令官ら約千人のBC級戦犯に罪を着せ)
罪を免れた者らが振り回す国旗、国歌とは何だろうか? ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/227-230
ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/233-237
>日米の関係者による作業を経てまとめられた昭和天皇の「文書メッセージ」では、
>これまで「無責任で代表的ではいアドヴァイザー達」が占領当局に影響を与えて
>「多くの誤解が生じてしまう」という恐れがあったので、
>今後は「信用ある経験豊かな人々によって構成される諮問グループ」が組織され
>アドヴァイスできることが望ましい、と強調されている。
>具体的には、「現在は沈黙しているが、もし公に意見表明がなされるならば、
>大衆の心にきわめて深い影響を及ぼすであろう多くの人々」がいるのであるが、
>彼らの多くは「追放」に処せられているのであり、
>従って「追放の緩和」こそが日米両国に「最も有益な効果」をもたらす行動、とされるのである。
ttp://mevius.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1505776734/635-637
マーク・ゲイン「ニッポン日記」 解説 中野好夫 デイビッド・E・カプラン、アレック・デュブロ「ヤクザが消滅しない理由。」2003年(要約)
四六年アメリカ当局はすべての超国家主義者組織を禁止しそのリーダーたちを追放した。
だが、こうした組織を禁止する立場にあるはずのG2が、
実際には左翼をスパイし弾圧するのにヤクザを使っていた。四七年になると右翼追放は完全に勢いを失った。
『ニッポン日記』の著者マーク・ゲインは四八年にその嘆かわしい情況をこう記している。
「右翼追放は今日では見せかけのものになった」…「戦争犯罪者たちは国会議員、閣僚、裁判所判事になり、
新しい『民主的』な法律を作成し…戦争犯罪者は教科書を『改訂』し、報道機関を管理し、
ラジオや映画製作業をも支配している…
思想統制機関は何度も追放を受けながらも、ふたたび重要な位置に姿を現すようになっている。
それも…アメリカの援助のもとで、だ」と。
占領時代のほぼ全期間中、ヤクザたちは左翼や組合へ攻撃を続けていた。
四九年SCAPは本格的な右翼追放政策の停止解除に乗り出す。
これこそ占領下で起きた悪名高い「逆コース」であった。
その内容は、朝鮮戦争の勃発までに一万人の公職追放を解除し、次の一年半で合計二〇万人を解除した。
公職追放が撤廃されて右翼暴力団への加入の数が大きく増え、
占領期の終わりまでに団体数は七五〇にもなった。
フランス共産党員に対しCIAがコルシカマフィアを利用したのと同じように、
占領軍はヤクザと超国家主義者を使うことによって日本の体制を左翼や共産主義から守ることに成功した。
しかしこうした政策は好ましくない副作用を生むこととなる。 CIAがフランスの暗黒街を支援したことにより、
コルシカマフィアがアメリカへ大量のヘロインを売りさばく仕組み、フレンチコネクションを築いた。
日本でも「秘密作戦」の後遺症はフランスの場合と同様の深刻なものとなった。
G2や(講和後に)その仕事を引き継いだCIAによって
右翼やその武闘共闘者であるヤクザに与えられたカネと特権が、その後数十年に渡って続く権力機構の中に、
腐敗の構造を作っていった。ヤクザは江戸時代からの伝統的のヤクザではもはやなく、
米国をバックにした圧倒的な強い立場を誇示し、日本の政界へカネや腕力を提供した。
企業の用心棒として労組のスト、学生運動、公害反対活動を暴力的手法で粉砕した。
ケーディスは一九四七年の記者会見で、「ボスやチンピラや、ゆすり、
たかりをする連中が結合して党派的に裏で動くことは、
アメリカによる日本の民主化という目標にとって最大の脅威である」と主張したが、
これは未来を予感させるものであった。
アメリカが権力を誤用し、日本の民主化への道を封じる勢力に手を貸してしまったことは、
今となっては誠に残念なことである。
アメリカの占領が、ヤクザをこのうえなくのさばらせてしまったと言っても過言ではない。
ヤクザの全盛期はここから始まったのである。 ttp://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1471762772/151-153
永野健二「バブル−日本迷走の原点」
>大株主の三光汽船の立場を認め、提携関係から合併にいたるという選択肢は、
>ジャパンラインにも興銀・運輸省にもあり得なかった。交渉の窓口は興銀にゆだねられた。
>水面下の交渉が始まる。興銀は、裏社会で隠然たる力を持つ児玉誉士夫を代理人として使うことを選ぶ。
>おそらく、中山素平が友人の財界人を通じて、児玉誉士夫につないだのだろう。
>児玉は戦前に諜報機関で活躍し、戦後は保守勢力の再編に力を注ぎ、
>山口組など暴力団にも直接パイプを持つ右翼の巨頭だった。
>そしてもう一人の代理人として、そごう社長の水島廣雄が登場する。
>水島は興銀出身の経営者であり、学者でもある一方で、児玉という闇の世界の人脈にも通じていた。
>興銀が水島に大きな借りをつくり、
>90年代のそごう倒産にいたるまで、抜き差しならない関係になったのは、この事件がきっかけだった。
>興銀の宿痾は、この時に始まった。
>ある興銀幹部が自嘲気味につぶやいていた。
>「歴代の頭取以下、あらゆる幹部が、ジャパンライン問題の当事者なんです。
>だから、誰にも責任を取らせることは出来ないのです」。
>ジャパンライン問題は、興銀の「終わりの始まり」だった。
>しかし、この問題で責任をとった経営幹部はいない。
>そして、興銀とアングラ社会のつながりは80年代のバブル時代の「そごう問題」、
>「尾上縫事件」にまでつながり、興銀の命脈を絶つのである。 或る意味、バブルとバブルの崩壊、
それ以降の数十年に渡る日本のデフレ経済も、《敗戦後の構造》が裏に存在して起っている。 ttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/56962
終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた
「次から次へ、体じゅう痛くて…」
貴志 謙介 元NHKディレクター・プロデューサー 2018.8.15
ところがここへ来て、思いがけず、戦後ゼロ年をめぐる新しい視野がもたらされようとしている。
原動力のひとつは、機密資料の公開である。
たとえば、2007年に機密解除された10万ページのCIA文書があり、
150万点に達するGHQの検閲記録がある。
A級戦犯に対するIPS(国際検察局)の尋問記録やアメリカ戦略爆撃調査団の調査報告も公開された。
こうした極秘文書を多くの証言とつきあわせていくと、驚くべき真実が続々と浮かび上がってくる。 日本政府がつくった「性の防波堤」
この日、組閣された東久邇内閣の国務大臣に就任した近衛文麿がなによりも急いだことは何だったか。
実は近衛は入閣直後、ただちに警視総監の坂信弥を呼びつけ、
米軍相手の売春施設を作るよう要請したのである。
40万人の占領軍上陸を2週間後に控え、
日本の戦争指導者がもっとも恐れたことは、兵士による性犯罪であった。
そして「性の防波堤」と位置づけられたのが、
「国策売春組織」、すなわち「特殊慰安施設協会(RAA)」であった。
電光石火のごとく霞が関が動いた。外務省・内務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁など、
主要官庁がこぞって協力。座長役を務めたのは、大蔵省の主税局長・池田勇人(のちの首相)である。
池田の号令で大蔵省がポンと3300万円を出す。現在の価格に換算すれば10億円を超える。 占領が始まる前に、政権の中枢にいた政治家や軍人、そして官僚が何を置いても、
外国の軍隊による性暴力にこれほど強い恐怖感を抱いたのは、なぜだろう。
国家が主導した売春施設を準備した警視総監・坂信弥は、内務省の資料のなかでこう証言している。
「東久邇さんは南京に入城されたときの日本の兵隊のしたことを覚えておられる。
(略)それで、アメリカにやられたら大変だろうなという頭はあっただろうと思います」
〈(RAA協会は)戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の難事業を課せらる。
(略)『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、
(略)「国体護持に挺身せんとするに他ならざることを重ねて直言し、以て声明となす〉
敗戦国であるドイツやイタリア、あるいはソ連に占領された東ヨーロッパの国々にも、
占領軍を相手にする売春婦は大勢いた。
しかし、国家が号令を発して、莫大な予算を投じ、官僚がプロジェクトを組み、
「国体護持」のために女性を犠牲にするという“理想”を高らかに掲げた国はほかにない。
8月27日、RAAは、占領軍の上陸地点に近い品川の大森海岸に「慰安所第一号」として、
「小町園」を開店した。ポツダム宣言の受諾からわずか2週間しかたっていない。 戦後ゼロ年のブラックホールに迷い込んだのは、国家の「いけにえ」となった女性ばかりではない。
占領下の東京には、いたるところに、ブラックホールが存在していた。
あらたに発掘された映像からも、その痕跡がみつかる。
たとえば、東京湾から引き揚げられた大量の金塊の映像。数兆円にもおよぶ日本軍の隠匿物資の一部である。
もとはといえば、本土決戦のために軍が国民から徴用した物資であり、
こうした莫大な財産は国民には返還されず、
高級軍人や官僚など特権階級に横領されて、ヤミ市に横流しされていたのである。
もし、隠匿物資が国民を救うために使われていたら、どれほど多くの戦災者が救われていたことだろう。
人々を苦しめた敗戦直後の地獄は、物資の隠匿に狂奔したエリートの不正によってもたらされたのである。
その事実を、私たちの記憶のなかに、あらためて刻み込んでおかなくてはならない。
膨大なCIA文書から、戦後ゼロ年にどのような権力構造が生まれていたかを知ることもできる。
たとえば、占領軍は、表向きは「日本を民主化し、軍国主義者を追放する」政策を推進したが、
裏では大本営の参謀を戦犯の訴追から外し、対ソ諜報戦の手先にしていた。 米軍の諜報機関に囲い込まれた軍や特務機関の残党は、
アメリカの後ろ盾を利用して密輸や謀略を重ね、密かに影響力を拡大していく。
軍国主義の残党、ヤミ成金、官僚や政治家を問わず、
占領軍に深く食い込んだ者だけが権力を確保し、利権を得た。
こうして戦後ゼロ年を出発点として、アメリカの秘密工作に積極的に協力した
日本の支配層との合作で「世界最大の親米国家ニッポン」が造られていく。
そのときできあがった権力構造のDNAは、いまも日本を支配している。
戦後ゼロ年は、戦前のしがらみを断ち切った年ではなく、むしろそれを温存し、
戦争を推進した旧支配層を取り込んで、
アメリカの国益に沿った日本社会の改造が開始された年だったのである。
『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』という本では、
いままで視界から失われていた闇を見つめ、わたしたちの記憶の欠落を埋めていくことを試みた。
復元された戦後ゼロ年の姿を現在の日本と重ね合わせれば、
いまの日本を呪縛する仕掛けも見えてくるにちがいない。 こんなスレだーれも書き込まないなw
2もありえないだろう 大川周明(おおかわしゅうめい、1886年12月6日 - 1957年12月24日)
貴族院議員の《徳川義親侯爵と親交が深く、徳川から金銭的援助を受けており》、
徳川は、大川やその他日本改造主義者たちの経済的パトロンであった。
三月事件・十月事件・血盟団事件など殆どの昭和維新に関与し、
五・一五事件でも禁錮5年の有罪判決を受けて服役。
徳川義親(とくがわよしちか/ぎしん、1886年10月5日 - 1976年9月5日)
1886年10月5日、元越前藩主である《松平春嶽の五男》として生まれる。
1908年4月、尾張徳川家当主徳川義禮の養子となって義親と改名する。
同年5月、養父の後を受けて同家19代となり侯爵を襲爵する。
松平永芳(まつだいらながよし 1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、
日本の海軍軍人、陸上自衛官、神官。
靖国神社第6代宮司(1978年 - 1992年)時代には、A級戦犯の合祀を実施したことで知られる。
東京に生まれる。《祖父は松平春嶽》。父は春嶽の長男・松平慶民(子爵。宮内大臣戦後は宮内府長官)。
母幸子は、新田家一門岩松氏の男爵新田忠純の四女。 妻充子は、侍従武官・侯爵醍醐忠重(海軍中将)の二女。
また、尾張徳川家を継いだ侯爵《徳川義親(靖国会初代会長)は、叔父》に当たる。 吉田裕「昭和天皇の終戦史」1992年
宮中グループを中心にして、ファシズム期における
日本のパワー・エリートの内部構成を分析した岡部牧夫は、
「武家、公卿、皇族のような伝統的特権支配層と、
明治以後の新階層である藩閥政治家ないし官僚、軍人、ブルジョアジー」とが、婚姻を通じて、
「多角的に接合」している事実に注目し、
そこにパワー・エリート内部の「意図的な血縁同盟」の存在を見出している(「日本ファシズムの社会構造」)。
本書にたびたび登場する松平康昌を例にとるならば、本人は福井藩主松平春嶽の孫にあたり、
夫人の綾子は公爵徳川家達(いえさと)の長女、妹の銀子は三井財閥のトップ、三井高公の夫人、
また、重臣の岡田啓介は福井藩の旧藩士であり、
その関係で岡田内閣の組閣の際に岡田は組閣費用を松平から借りている(『岡田啓介』)。
宮中グループは、このような婚姻関係を通じて、
さまざまな勢力との間に独自の人脈と情報のネットワークをつくりあげることに成功していた。
東条首相の秘書官でその側近の一人であった元陸軍大佐の赤松貞雄は、右の松平康昌について、
「親しく交際していくにつれ、宮中、政府内、財界、政界および言論界の各方面にわたって
なかなか強い潜在勢力を持っており、広い情報網を握っていることを、痛い程理解させられた」としながら、
「当時の華族関係、貴族院関係など、いわゆる雲の上の状況を知ることは、
東条首相も私も不得意であったので…
松平氏の世話にならざるを得ない実情であった」と回想している(『東条秘書官機密日誌』)。 この「独白録」の作成に際して、天皇からの聞きとりにあたっているのは、
侍従次長の木下道雄、敗戦時の宗秩寮総裁で四六年一月には宮内大臣となった松平慶民、
宗秩寮総裁の松平康昌、宮内省御用掛の寺崎英成、
松平康昌のあとをうけて四六年二月に内記部長に就任した稲田周一の五人だが、
この五人は、天皇からの聞きとりの会を「五人の会」と称したようである。
「独白録」の政治的意味あいを知るためには、この「五人の会」の活動がポイントとなるが、
そのなかでも、とりわけ重要な政治的役割を果たしていたのは、寺崎英成と松平康昌であった。
「五人の会」のもう一人の重要人物は、松平康昌である。
松平が四五年中からGHQ関係者との接触を開始していたことはすでに述べたが、
四六年五月に東京裁判が開廷すると、その活動にいっそうの拍車がかかった。
外務官僚の加瀬俊一によれば、高松宮は、「天皇と裁判を分離するために」、
GHQの幹部を夫人同伴で高松宮邸の晩餐にさかんに招待したが、
その人選には松平と加瀬があたっている(「高松宮の昭和史」)。
また、前掲『天皇家の密使たち』が明らかにしているように、
松平はキーナン主席検察官と来日早々から頻繁に接触していただけでなく、
自宅にも東京裁判の関係者やGHQの幹部を招待して派手な饗応をくりひろげた。
その晩餐会では宮内省大膳寮のコックが直接料理を担当したというから、
このような「接待攻勢」は、まさに宮内省ぐるみの活動だった… 当時、主厨長として、「天皇の料理番」をつとめていた秋山徳蔵も、
GHQ要人の接待の際には、自分が直接料理を担当しただけでなく、
彼らへのさまざまな付け届けなども欠かさないようにしていたと回想している。
秋山によれば、この時代は、「太鼓もち同様のことをやった」という意味で、
「一生のうちで最も屈辱的な時代であった」…。
同時に松平は、国際検察局の尋問にも積極的に協力して、
戦争を推進したと目される人物についての彼自身の人物評を供述している。
たとえば、四六年五月二〇日の尋問のなかでは、
すでにA級戦犯容疑者として起訴されている人物について言及している。
その内容は、橋本欣五郎・星野直樹・永野修身・大島浩・嶋田繁太郎・鈴木貞一は対英米開戦を支持し、
広田弘毅はなすべき時に何もなさずみずからの責任を回避した、
また、松岡洋右は最もドグマティクな人物で、
大アジア主義を実現するための戦争と三国同盟を強く支持した、などというものである。 >この五人は、天皇からの聞きとりの会を「五人の会」と称したようである。
>「独白録」の政治的意味あいを知るためには、この「五人の会」の活動がポイントとなるが、
>そのなかでも、とりわけ重要な政治的役割を果たしていたのは、寺崎英成と松平康昌であった。
>「五人の会」のもう一人の重要人物は、松平康昌である。
>そこにパワー・エリート内部の「意図的な血縁同盟」の存在を見出している(「日本ファシズムの社会構造」)。
>本書にたびたび登場する松平康昌を例にとるならば、本人は福井藩主松平春嶽の孫にあたり、
>夫人の綾子は公爵徳川家達(いえさと)の長女、妹の銀子は三井財閥のトップ、三井高公の夫人、
>また、重臣の岡田啓介は福井藩の旧藩士で 豊下楢彦「昭和天皇・マッカーサー会見」2008年
「口頭」と「文書」の天皇のメッセージは、それが送られたタイミングとその内容において、
文字通り「天皇外交」と称することのできるものである。
「口頭メッセージ」は、朝鮮戦争が勃発した翌日の五〇年六月二六日に、
天皇の側近松平康昌が、宮中と太いパイプをもつ
米誌『ニューズ・ウィーク』の東京支局長パケナムを介してダレスに伝えたものであった。 豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」
その上でキーナンは田中に、「最後はマッカーサー元帥が定める所であるが、
私としては、天皇を無罪としたい。貴君もそのように努力してほしい」と、“支援”を要請したという
(田中隆吉「かくて天皇な無罪となった」『文芸春秋』一九六五年八月号)。
さらに、同じ頃に同様の天皇発言を田中に明かしたのが、
キーナンと密接な接触を続けていた松平康昌であった。
田中の狙いは、
「出来るだけ少数の人に重い罪を背負ってもらって、その範囲をしぼるように努めるよりほかはない。
またそれが多数の容疑者を救う唯一の途でもあるし、
誰も罪をかぶらないと、お上に責任が及ぶことになりかねない」というものであった。
従って、満州事変の実行者をはじめとした、数々の内部告発の激しさを非難されると
田中は「おれの真意が分らぬのか。
俺は天皇を裁判にかけないことに努力しているのだ」と反論したという(吉田前掲書、一一三頁)。
いずれにせよ右の田中証言から明らかなことは、
昭和天皇の「全責任」発言は、まさに“裁判対策”として活用された、ということなのである。
そうとすれば、「絞首台に上がる」覚悟を固めていたはずの昭和天皇が、
クルックホーンへの「御回答」や英国王への「親書」や、あるいは独白録において、
ひたすら東条などに責任を負わせ、自らの戦争責任については釈明に次ぐ釈明に終始したことも頷ける…
すべては、東京裁判への訴追を回避するという至上の課題に絞り込まれていた ttps://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1517566115/42-43
豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」
>この歴史的な危機にあって昭和天皇は、
>天皇制の維持が確保された新憲法の制定と、自らは免訴となった東京裁判の結果を、
>内外情勢を踏まえつつリアルな判断で受け入れ、事態を主導した
>マッカーサーに対して率直に「謝意」を表した
>時代は下って、一九七〇年代後半になって靖国神社へのA級戦犯の合祀が問題となったとき、
>昭和天皇は「親の心子知らず」と厳しく批判した…。
>「親」とは、占領期に側近中の側近として昭和天皇を支え続けた宮内大臣の松平慶民であり、
>「子」とは、靖国神社の宮司として一九七八年に
>「東京裁判を否定しなければ日本の精神復興はできない」との信念でA級戦犯の合祀に踏み切った、
>慶民の長男の松平永芳のことである。
>昭和天皇にあっては、「松平親子」の関係が問題なのではなく、
>A級戦犯の合祀が天皇家と靖国神社の関係、靖国神社の存在それ自体、
>さらには国際社会における日本の立ち位置を危うくすることが問題であった
靖国神社にA級戦犯を合祀したのは松平慶民氏の長男である松平永芳氏である。 貴志謙介「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」
…この本では、戦後ゼロ年の東京、
すなわち、一九四五年九月のマッカーサーによる東京進駐から始まって、
翌年の夏、敗戦一周年を迎えるまでの虚脱と狂乱の一年間を、
おおむね時の流れに沿い、追体験していく。
そして、新たに発掘された資料や映像を手掛かりとして…
戦後ゼロ年の時空を俯瞰するパノラミックな透視図を作ってみたい…
もし、その透視図を現在の東京の姿と重ね合わせることができれば、
“なぜ日本社会がこうなっているのか”、その仕掛けがおのずから透けて見えてくるに違いない。
戦後ゼロ年の「東京ブラックホール」には、時空を超えた通路がある。
おそらくその通路は、七三年後のいまに直結する、秘密の抜け道になっている。
>もし、その透視図を現在の東京の姿と重ね合わせることができれば、
>“なぜ日本社会がこうなっているのか”、その仕掛けがおのずから透けて見えてくるに違いない
>(東京ゼロ年と現代との間には)時空を超えた通路がある。
>おそらくその通路は、七三年後のいまに直結する ttp://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1471762772/151-153
永野健二「バブル−日本迷走の原点
>ある興銀幹部が自嘲気味につぶやいていた。
>「歴代の頭取以下、あらゆる幹部が、ジャパンライン問題の当事者なんです。
>だから、誰にも責任を取らせることは出来ないのです」。
>ジャパンライン問題は、興銀の「終わりの始まり」だった。
>しかし、この問題で責任をとった経営幹部はいない。
>そして、興銀とアングラ社会のつながりは80年代のバブル時代の「そごう問題」、
>「尾上縫事件」にまでつながり、興銀の命脈を絶つのである。 太平洋戦争は“彼らの”戦争であって日本国民の戦争では無かった?!
正に《占領期に造られた構造》が今につながっている。
それが様々な未解決事件の裏に在るのかもしれない。何故ならそれは権力犯罪だからだ。
或は権力の過失だからだ
故に国民に開示できない。開示したら権力の権威が失墜する。正統性が崩壊する。
だが『戦後ゼロ年』が今につながっている“だけ”ではない。
『戦後ゼロ年』に自分らが仕掛けた大戦争の、責任回避に動いた者は誰なのか。
松平慶民や松平康昌ではないか。彼らは松平春嶽の実子であり、家督を譲った養子の子だ。
ペリー来航で250年の権威=幕府に外圧がかかり、その権威・権力が動揺した。
そのとき、その“揺らぎに”乗じて幕府主流に《クーデター》を仕掛けた“非主流派が”居た。
幕末に徳川斉昭と松平春嶽は幕閣主流派の井伊直弼と(開国か否か、及び次期将軍を廻って)対立し、
井伊を桜田門外で切り殺した。殺したのは斉昭の配下、水戸藩「天狗党」である。
靖国神社に祀られる者らの“3割は”水戸藩関係者(「天狗党」)だ。
春嶽はその斉昭の盟友だった。それで斉昭らは、実子の一橋慶喜を次期将軍にゴリ押しようとした。
(自分らだけでは不安だった)彼らは徳川“内部の”クーデターに、
加勢として薩摩の島津斉彬と西郷隆盛を引き入れた。
だが西郷は後に長州と組み、(外国である)イギリスの力を借りて徳川“自体を”滅ぼした。
斉昭と春嶽らの徳川“内部の”《クーデター》は
(外部をまき込んで拡大し)徳川“自体を”潰す結果に終わった。 27歳のとき、近衛文麿は「英米本位の平和主義を排す」を書いて、
英米が仕切る(欧米が多くの植民地=資源地帯を抱え込んで“澄ました”顔をしている)「平和」に
“軍事力で挑戦する”(先行する支配文明が築いた《世界“主流”秩序》に対して
軍事クーデターを仕掛ける)ことを宣言した。
それで昭和に入ると春嶽の五男、徳川義親が大川周明を通じて昭和のテロの殆どに資金提供し、
親英米派の政治家らを政治中枢から一掃する。
更に対英米戦争に反対していた皇道派の将校らが226事件を起こしたものの、
昭和天皇が激怒して鎮圧される。こうして日本は対英米戦争にまっしぐらに突き進んで行く。
だが、世界の主流派英米に(奇襲攻撃で)“クーデターを”仕掛けたものの、
自国を潰し自国民を大量死に追い込んで惨敗する。
つまり(幕末の学者が既に唱えた「東南アジア=資源地帯への侵攻」を、
若いころに近衛文麿が構想し、「開戦の詔書」を発して昭和天皇もそれに乗った)
松平春嶽の五男らが仕掛けた“世界に”対する《クーデター》は自国を潰す結果に終わった。
つまり幕末の徳川斉昭、松平春嶽らの系統が行う家業=《クーデター》は
(自分らの母体である)徳川を潰し、
更には(“空前の”損害を出しながら)日本“自体を”潰す結果に終わった。 すると春嶽の別の子である松平康昌と慶民がGHQにすり寄って、
(世界に向かって自分らが仕掛け、自国を潰す結果に終わった)戦争責任回避の工作をする。
そして康民の子(つまり春嶽の孫)である松平永芳氏がA級戦犯を無理やり靖国神社に合祀する。
その靖国神社とは何なのか。
徳川主流派=南紀派の井伊直弼が仕切る幕閣に、《クーデター》を仕掛けて死んだ
水戸藩の「天狗党」(及び『尊王攘夷』を発案した「水戸学」に感化され、
徳川自体に《クーデター》を仕掛けた死んだ薩長の武士ら)を祀る神社である。
つまり彼らの《My神社》である。 更に奇妙な(?というよりも必然的な)事実が在る。
「日本会議」会長、田久保忠衛氏の曽祖父は水戸藩藩士で「天狗党」の残党だという
(田久保忠衛《千葉県生まれ。家は水戸藩士の家系。曾祖父は天狗党の乱に参加して、流罪になっている》)。
元「生長の家」信者らの「日本会議」と幕末の水戸藩「天狗党」は
(『戦後ゼロ年』が現代につながる“だけ”ではなく、何と《幕末》が“現代に”)“こうして”つながっている。
その「日本会議」が目指しているものが《保守革命》である。
つまり、ときの主流体制に《クーデター》を仕掛け権力の簒奪を謀ることである
(だがその《クーデター》は過去に二度も仕掛け、二度とも失敗に終わっている。
一度目は自分の母体を潰し、二度目は自民族に大損害を与えながら日本“自体を”潰している。
こうした者らが自分を《保守》と呼び、誇っている)。それを懲りずに“また”狙おうとする。
何故ならそれが(「水戸学」という、
クーデターを自己正当化する魔のイデオロギーを掲げた斉昭・春嶽以来の)《家業》だからだ。
徳川主流派と我々一般日本人は、今度こそ彼らの《クーデター》を阻止するべきではないか。
そうでなければ二度目の《日本の自滅》が起るだろう。 ttp://hbol.jp/64526
安倍政権と筆頭ブレーンが目指す「憲法改正」。
そして明言された「明治憲法復元]【草の根保守の蠢動 第17回】
2015年10月17日
日本政策研究センターは、前回も解説した「保守革命」路線…
8月2日、「第4回『明日への選択』首都圏セミナー」が都内某所で開催された…
レジュメで示された、「憲法改正のポイント」は大きく分けて以下の三つだ
1.緊急事態の追加
非常事態に際し、「三権分立」「基本的人権」等の原則を一時無効化し、
内閣総理大臣に一種の独裁権限を与えるというもの 2.家族保護条項の追加
憲法13条の「すべての国民は、個人として尊重される」文言と、
憲法24条の「個人の尊厳」の文言を削除し、新たに「家族保護条項」を追加するというもの
3.自衛隊の国軍化
法9条2項を見直し、明確に戦力の保持を認めるというもの
ここで注目すべきは、「改正対象」の順番だろう。
長年、改憲議論は「憲法9条」を中心に行われてきた。
しかし日本政策研究センターが提示する憲法改正リストのトップは、緊急事態条項であり、
憲法9条は一番最後に来ている。先に紹介したセミナー参加者も
「実際、最もウエイトを置いて語られたのは、
緊急事態条項の箇所でした」とセミナー進行の様子を語ってくれた。 長かったけれど、幕末と現代がやっとつながった。
彼らがやろうとしていることが何なのか、漸くその意味が見えたような気がする??有り難う!!
ttps://www.youtube.com/watch?v=HleK43TrFCY
安倍晋三氏・内乱予備罪・告発記者説明会 ttp://echo.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1471762772/117-119
靖国が祀らぬ「幕末殉難者」の悲劇 情報誌FACTA 2009年8月号
水戸天狗党と対決した諸生党殉難者は、逆賊の汚名を着せられ一切合祀されない……。
靖国神社に祀られた幕末期の「英霊」(祭神)の3割以上は、旧水戸藩出身者だ。なぜ、水戸藩なのか。
死者を峻別する靖国成立期の英霊の“正体”とは――。
水戸藩出身の殉難者が靖国神社に初めて合祀されたのは、1889(明治22)年5月だった。
明治維新から21年。大日本帝国憲法発布(同年2月11日)で国中が祝賀ムードに沸き返ったこの年、
12年前の西南戦争で朝敵となった国民的ヒーロー、
西郷隆盛の恩赦を大々的に伝える新聞記事に熱狂する帝国臣民はいても、
水戸藩関係者の靖国合祀のベタ記事に気づく者は少なかっただろう。内容もしごく簡単だ。
「かの桜田事件(『桜田門外の変』)の金子孫二郎、高橋多一郎、佐野竹之助以下
合わせて千三百三十名(注・千三百九十名の誤り)……いよいよ靖国神社へ合祀せらるる旨告示せり」
(東京朝日新聞、同年5月3日号) 皇室の秘密 公安4課
警察が保有する皇室関係の重要機密情報。なんだろうか。 当ててみよう。↓ほとんど全部事実。
1、明仁は韓国人。これはもはやおなじみの情報。今の皇室は飾り。見せ掛けだけ。外国人であり、害悪。よって廃止。
2、美智子が経団連。 皇后の立場を利用して税金を盗み放題で、親戚どもが、兆単位の資産をもっている。(かも)
3、明仁は他の朝鮮人と組んで毎年日本人を数万人単位 公安が殺している(変死体)
4、愛子は偽者多数(公然の秘密)
5、美智子は何人かいる。元々の美智子はすでに他界?(顔でか、肩せま)
6、明仁も東宮、秋篠宮、雅子も紀子もその子供も 韓国民族、つまり韓国国籍保有の韓国人(二重国籍)明仁は日本国籍がないらしいから韓国国籍のみ。
7、雅子の親がスイスで多額の金を盗もうとして逮捕された?明仁は無視?
8、皇族は反日であるという事(ばれないように声かけの言葉は練習によって緻密に考えられている。)
9、韓国、中国、北朝鮮、アメリカに多額の金を渡していた
10、外交は天皇がずっとやっていた。(秘書の侍従は日米合同会議トップ 元外務省北米局長)本当はこいつのせいだった駄目外交。
11、明仁はずっと重要決定をやっていて、ハンコを押して勝手に決めていた。(総理はそれに合わせていただけ。口止めされながら)
12、李ぎん、李く の親戚(血のつながった親戚かもしれない)ただ、本当に韓国の王室関係らしい
13、あと明治天皇の説。だけど明仁の段階で関係なくなっているから、それほど重要視されていない
14、他の在日と組んで日本支配を企んでいる。(アメリカの世界征服支配に便乗して。天皇の手先の公安課長徳永のから情報)
15、人工地震、人工降雨兵器をアメリカと共謀して、日本で実験している。証拠多数あり(皇族スレを見ろ)
16、宮内庁は警察トップのOBが多数、元検事総長、元外務省日米合同委員会トップ、元最高裁長官などがゾロゾロ居る
いくらでもあるだろう
というか、外国が皇族の家の盗聴やネット情報のパケットでも盗もうものなら、皇居で韓国語ではなしていたり、韓国料理ばっかり食っていたり、
韓国ドラマばっかりみていたり、(ビデオ録画も)、毎日重大情報が出てくるだろう(理由はチョンだから)
キリがないんだよ。
もう廃止しないと駄目だよ。
日本人が主権を盗まれているのはこいつら皇族のせいです。 >>275
その自分のレス内容をすべて立証して下さい。立証できなきゃ無駄レスだわな。 ttp://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1453477774/509-515
ttps://www.youtube.com/watch?v=QWAwCiO3z24
20170628 UPLAN 島薗進・石川健治・西谷修「教育勅語―なにが問題か:天皇・軍隊・人間」
45.37 …何故そういう人たちがですね、教育勅語を肯定する議論を作って行ったのか。
というのが大きな問題だと思います。これついての研究を見ておりまして、
色々良い研究が有るんですけれども『やっぱり薄いなー』というのがわたくしの今の感想です。
この準備をしながら、戦後の精神史の中で、教育勅語に対する批判の議論がですね、肯定論というものが、
どういうふうにせめぎ合って、そのー48年の結論になったか、
或は、それ以後のですね、教育勅語を復興させようという議論が続いて行く。
その中には1950年代初期の文部大臣だった天野貞祐、獨協大学の…だったですが、
天野貞祐がかなり教育勅語の価値を、まあ重要と見ていた。
『もし教育勅語を廃止するならそれに代わる道徳教育をどうするんだ』、
ということが基本的な問題意識としてある訳ですよね。
で、それに対して教育勅語というのはやっぱり復活させるべきではない。
『何故、何処がどういけないんだ』というね、この議論。これがやっぱりあまり研究されていない、ですね。 ですからわたしどもは明治維新のときに出来た神権的国体論、国家神道というものに対して、
どうこれを位置づけて、まあ克服して行くのか。
そこで提示されているようなモラルコミュニティのような観念をですね、
どう、こう引き継ぎ、違う何かを置くのか、というね。こういう宿題がずっとあるんじゃないかと思うんですね。
46年、47年、48年の段階で我々はどういうふうに、その、教育勅語的なものを克服する、
教育勅語が持っている権威主義的な、そして一体性を強調しながら個人の独立を軽視するような、
そして結果的に命の軽さ、尊厳を軽んずるような、そういう支障をもたらすのか、
ということについての、我々の思考過程というのが明白になっていないのではないかと。
まあそういうふうに思う次第です。
それからいうと私どもは、東アジア的な権威主義の伝統というものを、
どういうふうにこう相対化しようとしているのか。どういう経験を以て相対化して行くか。 …今のお話に二点ほど申し上げておきたいのですが、一つは…13条と書いたことに込めた思いですね。
これは今の「個」の尊重、ということになる訳ですが、
これは東アジア的というふうに言って良いのか、「個」自体、コントラバーシャルですけれども、
或るこの権威主義的な思考様式の中で
全体を演出することは得意だけれども「個」を演出することが出来ないというのが、これまでの在り方で、
教育勅語もその路線でやって来ている。
ですから、この戦前の体制ってのは、…35年以降ってのは、
個を全体に代表させる、全て個を全体に吸い上げてしまう、という論理構造が成立していて、
そのための装置として天皇制や、或はその、国家神道が使われていると。こういうことがあった訳ですね。
…やはりその伝統を封印するということの中に、どのようにして、そのー、正に13条の思想をですね、
個人の尊重、個人の尊厳、これをまあ組み込めるのか、というのが一つの在り方で、
組み込むためには先ず枠組みから作らなきゃということで、枠組みを作っている訳ですが、
魂がこもっているかどうかというと、これは別問題で、
その魂を何処から持って来るか、伝統から調達するようになるのか、返ってそれは危険なのかという、
そういう話なんじゃないでしょうか。 ttp://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1453477774/509-515
20170628 UPLAN 島薗進・石川健治・西谷修「教育勅語―なにが問題か:天皇・軍隊・人間」
教育勅語というのはやっぱり復活させるべきではない。
『何故、何処がどういけないんだ』というね、この議論。これがやっぱりあまり研究されていない
極東委員会が出した勧告の中で、教育勅語を厳しく批判していて…
近代日本の精神史を観る時にやっぱり天皇崇敬という要素をどういうふうに観るかが重要
教育勅語的なものを克服する、教育勅語が持っている権威主義的な、
そして一体性を強調しながら個人の独立を軽視するような、
そして結果的に命の軽さ、尊厳を軽んずるような、そういう支障をもたらすのか、
ということについての、我々の思考過程というのが明白になっていない (過去にこの分野を研究していた西欧の精神医学者は、
自分の社会の病理を研究しようとしていたので)「教育勅語」を直接“まな板に”載せて分析はしていないが、
一般的に、あらゆる超越的価値観を排除した
(がる、階層構造=主従関係に拘った日本)社会が陥る精神病理は精神医学によってとっくに分析されている。
それはナルシシズムの社会である。
この、超越的価値観を拒否して成り立つ社会が落ち込む先は、《呪術祈祷》の世界である。
自分の主観に埋没し、その主観の実現を願う精神的な態度であり、主観を正当化しようとする態度である。
また、自分の主観に沿ってその他の人間を自在にコントロールしようとする態度である。
これが正にナルシシストの在り方なのだ。
そのナルシシストとナルシシストの主観同士が衝突し、
(弱い方は抹殺されて)最後に独裁者の主観が社会“全体に”押しつけられる。
このナルシシストの主観が偽の理屈、偽の物語(『アジアの解放』のような戯言)を生み出して、
これが現実とは異なる偽の《イメージ》を創り出す。
そして(真の現実を説明する正しい言葉から切り離された)
空虚な《イメージ》によって他人(と社会)をコントロールしようとする。
こうした状況に陥った典型例が、ナチス時代のドイツであり、戦前の日本なのである。 >>277 〜 281
すべてスレチ。よそへ行け。 ttp://www.nikkei.com/article/
天皇陛下「生前退位」強く示唆
天皇陛下ビデオメッセージ全文 2016/8/8 15:00
戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、
ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、
この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、
天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、
私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来、私は国事行為を行うと共に、
日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、
更に日々新たになる日本と世界の中にあって、
日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、
人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、
加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、
これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、
どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、
また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。
既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、
これまでのように、
全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、
この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。 私はこれまで天皇の務めとして、
何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、
同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、
その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、
天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、
天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、
常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、
私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、
国内のどこにおいても、その地域を愛し、
その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、
私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、
人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、
国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、
天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、
これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉(しゅうえん)に当たっては、
重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、
行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。 始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。
そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、
これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、
そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、
ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを、切に願っています。 >天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、
>私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
>日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
>日々新たになる日本と世界の中にあって、
>日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、
>人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
>これまでのように、
>全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。 >私はこれまで天皇の務めとして、
>何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ました
>同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、
>その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
>天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、
>天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、
>天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、
>常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。 >これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、
>国内のどこにおいても、その地域を愛し、
>その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、
>私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、
>人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。 >これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、
>そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、
>ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。 ttps://www.news-postseven.com/archives/20180930_771685.html
「陛下は靖国を潰そうとしてる」靖国神社トップが「皇室批判」
2018.09.30 16:00
天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた平成最後の終戦記念日、
靖国神社(東京・九段北)には安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、
中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。
しかし、その落ち着きの裏で、靖国神社は“爆弾”を抱えていた。
来年、天皇の「代替わり」と創立150年が重なる大きな節目を目前に、
前代未聞の問題発言が神社トップである宮司から飛び出した 「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。
そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?
遺骨はあっても。違う?」
「そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。
はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
「あと半年すればわかるよ。
もし、御在位中に一度も親拝(天皇が参拝すること)なさらなかったら、
今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか?
新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」 静まり返る会議室で小堀宮司の高圧的な口調の“独演”と、速記のキーボードを打つ音だけが響く──。
この会議は、小堀宮司の意向もあって複数の出席者が記録のために録音していた。
宮司の「総括」から始まる110分に及ぶ音声データを本誌は入手した。
小堀宮司が語気を強めたのは、今上天皇が即位以来、一度も靖国を参拝したことがない一方、
かつての戦地を訪れ、戦没者の霊を慰める旅を続けてきたことを指しているとみられる。 「今上天皇が靖国を参拝されない理由はわかりません。
が、あえて推察すれば、昭和天皇が1978年のA級戦犯合祀以来、靖国においでにならなくなった、
その思いを咀嚼されたのではないかと考えられます。
今上陛下は戦争体験をお持ちで、戦中の国民の苦しみは直接ご存じでした。
だからこそ、国内外にわたるすべての戦地で慰霊を行ないたいというお気持ちになられていたと思います。
天皇陛下の慰霊の旅は、強い信念に基づいて行なわれているものでしょう」
その慰霊の旅が、小堀宮司の目には靖国神社を否定する行為に映っていると、靖国神社関係者が言う。
小堀宮司からすれば、英霊の御霊は靖国にこそあり、戦地にはない。
にもかかわらず、今上天皇は靖国よりも慰霊の旅を選んでいるとなると、
靖国の存在意義を否定することになってしまうという思いがあったのではないか
靖国神社は来年までに天皇の参拝を実現させようとしていた。靖国神社職員はこう語る。 「平成の御代のうちに天皇陛下にご参拝をいただくことは、私たち靖国神社からすると悲願なのです。
小堀宮司は、“平成の御代に一度も御親拝がなかったらこの神社はどうするんだ”と口にしていました」
この日の会議は、靖国の創立百五十年史略年表の作成・出版などについて話した後に
「戦犯に対する誤解や東京裁判の不当さについて調査考証する」という議題に入った。
そこで出席者の職員が「富田メモ」について言及したことが、小堀発言に繋がった。
この富田メモについて、職員が、
「もしそれが本当の昭和天皇の発言だったらどうするんだ、ということで私は真剣に考えましてですね」
と言い出し、合祀の経緯を振り返った上で、こう熱弁を振るった。
「このまま時代を50年、100年経過していったときにどういうふうな説明をして、
国民が理解していけるのか、
というところの先読みしたような考え方を持っていく必要があるんじゃないか」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています