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日本人なら知っておくべき特攻の真実〜右でもなく、左でもなく…
当事者の証言とデータから実像に迫る
神立 尚紀 2018.4.15

支那事変(日中戦争)、ソロモン、硫黄島と激戦を潜ってきた角田和男少尉は、
昭和19(1944)年11月6日、部下の零戦3機とともに飛行中、エンジン故障で不時着した基地で、
「当基地の特攻隊員に一人欠員が出たから、このなかから一人を指名せよ」と命じられ、
「このなかから一人と言われれば、自分が残るしかない」
と覚悟して特攻隊を志願した。
角田さんは、
「昭和15(1940)年、第十二航空隊に属し、漢口基地から重慶、成都空襲に出撃していた10ヵ月の間、
搭乗員の戦死者は一人も出なかった。
それが、昭和17(1942)年8月から18(1943)年にかけ、
ソロモンで戦った第二航空隊(途中、五八二空と改称)は、
補充を繰り返しながら一年で壊滅、しかし一年はもちました。
昭和19(1944)年6月に硫黄島に進出した二五二空は、たった三日の空戦で全滅し、
10月、再編成して臨んだ台湾沖航空戦では、戦らしい戦もできなかった。
そんな流れで戦ってきた立場からすると、
特攻は、もうこうなったらやむを得ない、と納得する部分もありました」