松本崇「持たざる国への道」 解説 加藤陽子

一九三〇年代半ばになっても…欧米列強は、二九年の…世界恐慌の痛手から脱することができなかった。
それに対し、高橋是清蔵相による一連の施策…によって
いち早く恐慌を脱出できた三〇年代半ばの日本の経済や社会は、十分な輝きや勢いを持っていた。
著者はそのさまを、同時代人…宇垣一成の感慨
「その当時の日本の勢い…は産業も着々と興り、貿易では世界を圧倒する…」を引用し…確認する…
日本…と、イギリスがその植民地向けに輸出した額の比較では、一億ポンドのラインで…競っていた
日英の順序は一九三七年に逆転し、この時点で日本が世界最大の植民地帝国となっ…た…
続いて展開される著者の「問い」…三七年七月…日中戦争の泥沼化とともに国民生活が逼迫し始めると、
その責任を国民に説明するにあたって国家は、
「英米のブロック経済が『持たざる国』である我が国を追い込んだため」と喧伝する。
しかし…三〇年代半ばの日本が英米の嫉妬を買うほどの好況であったとすれば、
「繁栄していた我が国が突然『持たざる国』になって窮乏化していった」…のはおかしくはないか…

むしろ、原因と結果が逆だったのだ。経済合理性を無視して満州経営をおこなった陸軍…は続いて、
政府や財界をも巻き込み、通貨戦争…で、考えられないような愚作を華北分離工作でおこなった。
国民生活を窮乏化させた真因は、「軍部による経済的な負け戦」であったのに、
「英米の敵対政策のせいだと思い込んだ国民は、英米への反感を強め、
実はそれをもたらしている張本人である軍部をより一層支持するようになっていった」…との
パラドクスとアイロニーが描かれる。