日本が中国と戦争したこと
日清戦争、日中戦争
植民地主義の時代だった
日本が生き残るためには、軍事的に強くなければいけない
そういう時代だった
戦争に負ければ植民地にされる。独立国ではなくなる
そういう時代だった

戦争も、独立国であるためには、やむをえない時代だった
いままた、そういう時代が来ようとしている
中国の膨張主義のためにね

油断できないよね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
植民地主義

1.3 アジア・アフリカの植民地化の開始

1757年に起こったプラッシーの戦いが一つの転換点となった。この戦いで勝利したイギリス東インド会社はベンガル地方の徴税権を獲得し、事実上この地域を支配下においた。そしてここを足掛かりに徐々に侵略を進め、19世紀半ばにはインド全土がイギリスの支配下に入った。

現地住民を支配して収奪し利益を上げる型の植民地支配が主流となっていった。一方でこの時期においてもオーストラリアやニュージーランド、カナダなどの入植型の植民地は引き続き進められており、これら入植型植民地においてはある程度の人口や体制が固まったのちは自治領としてある程度の自治権が与えられた。

1910年ごろには世界分割はほぼ完了し、植民地主義は最盛期を迎えた。

勅許会社
植民地化の初期には本国政府や軍が直接進出することは少なく、しばしば勅許会社が設立されて該当地区の支配権確立と開発をゆだねられていた。こうした勅許会社で最も著名なものはインドにおけるイギリス東インド会社であるが、これは貿易を業務とする会社が次第に現地で支配地域を得るようになったもので、本来的には植民地開発を目的としていたわけではなかった。こうして商業資本から植民地経営に乗り出した勅許会社としては、他にハドソン湾会社やオランダ東インド会社などが存在する。