>>150
>朝廷にお墨付きをもらった勢力が「正当性=大義」を得る、という社会の差は大きいと思います

日本中世史のよくある疑問として、藤原摂関家、平家、現時以降の武家政権はなぜ天皇家をつぷしで成り代わらなかったのか、という疑問がある
途中、平将門、足利義満などが天皇に成り代わるかのような素振りを見せたが天皇になったとは言わなかった

しかし、歴史上、天皇朝廷から権威と権力が引き剥がされたのは南北朝分裂である
鎌倉時代後期までは幕府、朝廷の二重権力構造で公家も荘園などを維持していたが、両朝分裂で天皇親政を打ち出した南朝は離反が相次ぎ劣勢に追い込まれ、天皇の権威も失墜した
一方、北朝の公家も義満に警察権、裁判権、徴税権などを取り上げられ衰亡した
結果、両朝合一のときには足利将軍家による支配体制の確立と守護ががっちり固める地方が出来上がっていた

そこにはあんたの言うような、純朴な「天皇の御威光にみな痛く感じ入っていた」などというほど牧歌的な情景ではなかった
侍は親方(頭領)の間に「御恩と奉公」という現実的でありながら強固な連帯で結ばれていたが、
天皇との間には何もなく、何なのこいつは?という意識はあったそうである。