華麗なる()三原舞依の歴史

◆シニア編 @
2016-17
シニアデビュー。ネーベルホルン杯優勝。スケアメ3位、中国杯4位。
浅田真央を憧れと言ったことから悪質なオタを寄せ、他選手叩きのために利用される。
4CCの優勝候補だった宮原欠場、オズモンド不調により、棚ボタで優勝。同じ日本人選手の本郷や樋口を叩きまくる。
世界選手権ではSP15位と出遅れたにもかかわらず、ソツコワやポゴリラヤなどの有力選手が相次いでミスを重ねたため、ここでも5位と棚ボタの入賞。
案の定三原より下位の成績だった樋口や本郷を叩く。
国別では忖度採点により日本女子歴代最高点()を更新。エラーもURも見逃されての得点だった。 なお、この時平松純子(スケ連の理事)が関わっていた模様。

2017-18
シニア2年目。昨季の栄光を引きずっていた上に、JOで再び忖度採点をされ、「五輪の表彰台から見る景色は〜」と調子に乗っていた。
悪質たちが「日本のエース()」とTwitterで主張し、怪我から復帰した宮原や躍進する樋口を叩いていたが、三原は肝心の中国杯4位、仏杯4位と台乗りできなかった。
三原は敗戦の理由として、中国杯ではロシアのトゥクタミシェワとの衝突を、仏杯では振付師の指導を仰げなかったことを挙げている。
全日本SPでは2Aで転倒したため7位と出遅れ、五輪代表入りが絶望的になる。
全日本5位と五輪代表入りは叶わず、号泣していたことを坂本に暴露される。
ちなみにこの時、「寒くて練習ができなかった」と意味不明な言い訳をしていた。
4CCで同門の坂本が優勝すると、「親友のかおちゃんの邪魔にならないような演技をした」とまたしても意味不明な言い訳。
プランタン杯では五輪での疲労が残っている坂本を抑えて優勝した。