2020年10月1日、JR西日本が京阪神地区で運行している「新快速」が50周年を迎える。当初は国鉄113系で運行されていたが、1979年には117系が登場。現在は最新鋭の225系と223系がその任に当たっている。
 技術の進歩とともに、新快速の車両も大きく変わった。そして、そんな車両たちを大勢の運転士が操り、新快速の運行を支えてきた。現在、明石電車区に勤務する後藤武夫さんもその1人だ。

■父親も鉄道マンだった

 後藤さんと新快速の最初の思い出は、高校生のころ。運転免許を取得するため、姫路から明石まで乗車したという。
 「そのころはまだ117系がデビューする前で、153系という元急行用の車両が使われていました。『ブルーライナー』と呼ばれる、グレーに青帯が入った車両でしたね」
 後藤さんが鉄道マンになったのは、1981年のこと。最初に配属されたのは姫路第一機関区で、機関車の入れ換え作業などが任務だった。
 「私の親父も、姫路第一機関区で機関士として働いていました。親父が運転する機関車の先頭に乗って、入れ換えをしたこともあります」
 1年後、網干電車区に移動して車両のメンテナンスを担当し、1986年に念願の運転士となる。主な担当エリアは、東海道・山陽本線の大阪―岡山間。新人もベテランも関係なく、普通電車から新快速まで乗務したそうだ。
 当時、新快速に使われていたのは、国鉄時代に新快速用として開発された117系だった。それまでの153系が固定式のボックスシートだったのに対し、大阪―京都間で競合する阪急や京阪の特急車両と同じく、前後の向きを変えられる転換クロスシートを採用。木目調の壁や枕カバーが付いた座席など、豪華な雰囲気が乗客から好評を博した。
 「117系は運転台が広く、運転していてとても気持ちのよい車両でした。当時は冷房がない車両もまだ多いなか、117系は客室はもちろん運転台も冷暖房がよく効いたので、快適だったのも覚えています」
 また、従来の車両は故障が発生した際、車両から降りて各機器を操作する必要があったのだが、117系は運転台で一部の応急処置を行えるようになった。「例えば、モーターが正常に動かなくなった場合、そのモーターを使わないようにする『ユニット開放』という処置や、車内の蛍光灯やクーラーに電気を供給する装置のリセットが運転台でできるため、安全で迅速な処置が可能となりました」