性善説vs性悪説
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メンヘルになった原因、つまり人から心を無茶苦茶にされたのは、
他人を性善説的に信じる無邪気な僕の心を、性悪説の他人が踏みにじっていったと
思うわけさ >>1
その通り
社会は悪に染まってる
従わないものは殺される だからこのスレで、僕は性悪説に対する性善説の優位性を訴えてみたいと思う 理解してほしいこともある
不遇の事故や死が原因の鬱じゃない場合、根底には必ず発達気質が潜んでいる >>6
一緒にコテしよう。
2ちゃん歴長いが、自分はコテには向いてない気がする
叩かれ弱いだけでなく、性格がちょっと歪んでる
コテは愛されキャラの方が良いと思う
でも、一緒にやるならええで。 >>5
優位でありたいという感覚は全くないけれど、
精神病棟に入院や刑務所に行くことなく
せめていい人だったと言われて死にたい。
鬱病の症状がひどくて
最低限の処方薬がないと正気を保っていられない。
未来が怖い。 いつからか心の美しさが、社会における人間的価値の最下層に位置するようになってダメ人間とかクズとか言われて詰んだのだ >>9
うちからのアドバイスや。
いい人と評価されるのは、他人に思いやりのある人だけや。
仏教で言うところの利他行為や。
自分さえ良ければいいという自己中心的な人間ばかりのこの世の中で、
あなたは他人にとって必要な人間となって、現代社会に
風穴を開けるんや。
あと、病気のコントロールがどうにか出来るようになったらいいね。
このくらいの量と種類を飲んだら抑えられるという一線が分かればいいし、
もがくことが君の今の人生そのものなんだな。
みんな未来は不確定だよ。 善悪の二分法に捉えるのは人間の意識であってそれが実態でもないでしょう
自分のこと、自分の人生、生活を自分で台無しにすることもあるし、逆に豊かにすることもある
それは対他人でも同じこと
いいも悪いもある
極端に自分を台無しにしてしまう自分というパターンの人もいるだろうし
極端に他人に悪さをして台無しにしてしまう人もいるだろう
その場合は脳レベルや生まれつきレベルでおかしいのかもしれない
まあとにかく良いも悪いも混沌である
二分法ではない
二分法で割り切ってもそれで問題は解決しないし
地道に目の前のことからやっていくしかない
まずはお茶でも飲んで一息つくだけでも目の前のことだ >>14
人間の精神状態は多面的で
矛盾を抱えてても不自然じゃないから
2極論は弊害があるよね。
ただそれがわかってても自分にも他人にも振り回される。
特に若い世代の女性のそれはいつも想定の範囲を
はるかに超えるからいまだ受け入れきれない 究極的に「善」なのか「悪」なのか。
人の愛情や信用を無にしてしまう「性悪」。
私が悪いのよ私を責めて〜といいつつ不倫再婚をする女のようだ。
に比べ、究極的には安心安全が得られる「性善」。
皆が性善なら、性悪の人間は性善になる。 なにかの機会に、「ああ、かわいそうだ」と感じることがある。
そのときの心を、ふだん平気で見過ごしていた事がらにまで広めたもの、それが仁である。
また、「絶対によくないことだ、やるまい」と決心することがある。
そのときの心を、いままで平気で行ってきた事がらにまで広めたもの、それが義である。
たとえば、「他人から軽んじられたくない」という気持ちを大切にし、自分にそれだけの実質的人格を
育ててゆくならば、行うことすべて義の道にかなうのである。
(孟子) 仁の心はだれにでもある、というわけはこうだ。
幼児がヨチヨチと井戸に近づいて行くのを見かけたとする。
だれでもハッとして、「かわいそうだ、救ってやろう」と思う。
それは別に、幼児を救った縁でその親と近づきになりたいと思ったためではない。
村人や友人にほめてもらうためでもない。
また、救わなければ非難される、それが怖いためでもない。
してみると、かわいそうだと思う心(仁)は、人間だれしも備えているものだ。
人間は生まれながら心を備えているように、この仁を備えている。
それなのに、自分は仁や義など実行できぬと決めこむのは、自分を傷つけるものである。
他人に対しても、同じように決めつけるのは、他人を傷つけるものである。
自分に備わっているこの仁と義を、育てようと思い立てば、樹木が生い茂るようにそれは
限りなく大きくなってゆく。そうすれば、天下を安定することもできる。
しかし育てなければ、自分の父母を養うことすらできない。
(孟子) 仁ならば栄えるし、不仁ならば辱めを受ける。
辱められるのを嫌がるのに不仁であるならば、それは湿り気を憎みながら低湿地にいるのと同じことだ。
書経にこうある、
「天の下す災いはまだ避ける道もあろうが、みずから成せる災いから逃れる道はない」
(孟子) 人を尊びてこそ人から尊ばれる。我が身の不運ばかりを嘆かず 暗黒と光、陰と日向といった、まったく対照的なものも、実は一個の統一体の側面の反射に過ぎません。
陰なくしては日向も有り得ず、光なくしては暗黒も有り得ません。
それと同じ理屈で、困難は魂が向上するための階段です。 嫉妬、劣等感、卑下、執着、憎悪、全てがマイナスの感情である。
されど、心得違いをするな。これらの感情は人間にとって必要な物でもあるという事。
マイナスの感情なければプラスの感情にもなれぬ事。マイナスがあってはじめてプラスとなりえる事。
病気をして、はじめて健康のありがたさを知るように。
台風で水が飲めぬ地方の人間は、水がどれほど大切な物か身にしみて感じおろう。
不幸があってはじめて幸せ感じえるものなり。
不幸の時は不幸に感謝されよ。病気の時は病気に感謝されよ。
マイナスの感情無くば人間は努力できぬものなのだ。その事を肝に銘ぜよ。 現世に悪因縁を持ちこす人も多いが、この人達は徳を積まず
罪障清算にも励まない人生だった為
似たような条件での人生をもう一度繰り返すのである
例えば前世で胃腸の弱かった人は現世も胃腸が弱く
前世に片足が不自由だった人は現世も片足が不自由で
不本意で退廃的な人生を送る形です
神仏は生きている人間でも霊に対しても
聞く耳を持たず反省もせず徳を積まない者は捨て置け!と言われるが
人は自分を幸福にする為の努力が必要だからである
だから不本意な人生で他人を妬み恨み言ばかり言っている人は
悪因縁から脱出出来ない 偉いことを説いてるようだったので熟読したら説得力全くなくてむしろ驚いた 人間は元から集団生活をする生き物で、馴れ合ったり助け合ったりそういう本能がある。
一方で生物として弱肉強食というか、
優しさだけではない側面があるのも事実。人には好き嫌いも当然ある。
性善説だけで他人や社会を捉えてると
現実の実態とずれてくることもあるだろうし、
だからと言って、互いに思い合い優しくするような人間同士の良い関係性というものを、自ら無きことにして生きることもない。 wikiで調べただけだけど
性善説も性悪説も悪に屈するなって意味じゃないの? どんな善性を持つ者でも悪に屈することもあれば
どんな悪性を持つものでも善性をもつことができる
ようは教養と礼儀を見に着けるべしってかんじ 子孫繁栄の面でも経済的な面でも
意識していなくても行われている
水面下の資源の奪い合いが人の心の余裕をなくす
未来がどうしようもなく毎日不安だし
人の結婚も素直に喜べなくなってしまった
俺はもう悪なのだろうか 性善説=理性的=左翼
性悪説=本能的=保守
と考えたら、やっぱ俺って性悪説なのかと >>31
産めよ増やせよって時代は
人を消耗品として扱ってる帰来が有ると思うよ。
血の繋がらない他人の子でも
実子同様に分け隔てなく
キチンと育て上げれば
親業としては〇だと思うよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています