大久保清は1935年1月17日に群馬県高崎市八幡町(当時は碓氷郡八幡村)で生まれています。
父の善次郎は国鉄職員でしたが、国鉄をクビになった後は自営業をしていたようです。
この父親は女癖が悪く息子の嫁にまで手をだすような男で淋病もちです。食糧管理法違反(ヤミ米)と道交法違反で前科二犯だったようです。母のキヌはロシアとのハーフで、自己中心的で欲が深くて嘘をつく癖があったそうです。

小学6年の時に4歳の女の子にいたずらをする性的な事件を起こしています。また、中学3年の時にも性的な非行を行っているようです。

53年(18歳)に父に資金を出してもらい実家で「清光電機商会」を開業します。しかし、商売はうまく行かず、同業者の店で部品を万引きして捕まり、商売は止めてしまいます。

このころは角帽をかぶり法政大学生を名乗りナンパをしていたようです。

55年7月、伊勢崎市の高校2年生を強姦し、懲役1年6ヶ月執行猶予3年の判決を受けています。
55年12月、碓氷郡松井田町の高校生を襲い強姦致傷罪で懲役2年の刑となりました。

60年4月、渡辺許司という偽名で学生運動の活動家を名乗り強姦未遂事件を起こしますが、示談が成立し不起訴処分になっています。

62年5月、嘘をついてナンパした7歳年下の佐藤節子と結婚します。27歳の時でした。しかし、結婚してもナンパは続いていたようです