WW2イタリア機を語る
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マッキ、フィアット、レジアーネ、サボイア
とにかくマイナーなイタリア機について語りましょう。 在日の戦略にひっかかり、全ての間違いが始まった2009年 夏
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|::::::::::( 」 < 民主になればこの世はバラ色、政権交代!
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| ┬ |それでも懲りない日本人、韓国民団総理支持率30%w早く目を醒まそう!
>>117
それが何か?せっかく文字と言う良い物が入ってきたのにそれを活用せず
突き放す方が愚か。
文字を持たなかった古代イタリアのローマ人だってギリシャから文字を喜んで
受け入れたぞ。だからってローマ人は猿って事にはならんぞ。 >>117
あなたの国の言語がいつ作られて、いつごろ普及したかご存知?
1000年以上の歴史のある言語を他にあげてみなよw >>111
上二つは用途じゃなくてG55がベストだけど配備が遅れてやむなくMC205
って感じだった気がする と言うかあの当時ローマに比肩できる国って存在したのかwその国と比べてる時点で在日脳まるだしだろ。
またローマ人になっちゃった「つもり」なのか? カルタゴとかペルシャ(オスマン=トルコ)とか漢とか新羅とか高句麗とか ヘタリア人=泥棒
外務省 海外安全ホームページ
ttp://www.anzen.mofa.go.jp/manual/itary.html
防犯の手引き
イタリア生活を安全に過ごすために
イタリアは、日本に比べ、必ずしも治安の良い国とは言えません。
ローマ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ナポリなどの観光地を中心にスリや置き引き、
ひったくりなどの犯罪に遭う日本人が後を絶ちません。 フィンランド空軍は、有難くG.50を使わせて頂いておる。 実際カエサルがガリア戦記書いてた頃、日本では貝塚作るくらいしかしてなかったんだからなw
紀元前1世紀のアウグストゥスの治世では
こんな凄いモン作ってたんだな
↓
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Pont_du_gard.jpg
そのころ日本は何やってたんだ?稲作がやっと普及して荘園国家分立ってとこか?
それどこじゃない日本に卑弥呼が現れる前にあのコロッセオが完成してる。土民の相手じゃないよw フィンランド空軍であるが、G.50輸入の件、近々イタリア軍総合スレッドへ受領にうかがう、よろしくたのむ。
当方もパイロット不足のゆえ、一度に2機程度であろう。 >>133
イタリア軍機より弱いに本軍プゲラッチョ 3)|::::| ■|。。 4)|::::| |##| 。。5)|::::| |%%|
アイコンどれにしよーか、意外に4が良いような気が・・・。 イタリア人A「なんでも日本じゃ『ヘタリア』て馬鹿にしてる奴がいるってよ」
イタリア人B「へー日本人ねぇ〜、まぁ、ローマ帝国全盛期に影も形もない国の奴に言われてもな…」
イタリア人A「イヤイヤ、それがさ、皇紀2600年とか言ってて、ローマがまだ都市国家だったころに日本はすでに建国されてたって言うんだw60年前は全日本人がそう信じてたんだぜ?」
イタリア人C「ホー、そりゃすげェな、大したオカルト国家だw」
イタリア人A「だから、そんな連中に貶されるのは寧ろありがたいよなw仲間になりたくねェしw」
3人大爆笑 イタリア人とローマ人は別の民族なんだが
そう言うお前はニダーか さてこつこつと始めまつ。
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G50にいくには、まず
FIAT
tp://www.fiat-auto.co.jp/aboutfiat_history.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88
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FIATの歴史は、日本でいうと、豊田自動織機より古く、官営八幡製鐵所と同じくらいですね。 |::::| |##|
お隣おフランスのルノーさんと同世代ですね、業種も製鐵系では無く、加工組立系で一緒です。
WW1以降、タクシーで財を成したルノーさんは、その後タクシーの武装と装甲の強化に注力したようです。
FIATは、棺おけ製造には興味がなく、小規模な航空機メーカーを吸収し、航空機事業を展開させたようですね。 |::::| |##|
時代は複葉機から単葉機への転換期を迎えるのですが、複葉機の頂点を極めたとも言えるのが、CR.32、CR.42では無いでしょうか。
CR.32
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88_CR.32
CR.42
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88_CR.42
あら、いやだFIAT2000と FIAT3000、 黒歴史とパクリかしら。まっ基本エンジン・サプライヤーね。 |::::| |##|
1937年2月いよいよG.50が初飛行をむかえます。
全金属製(一部布張)・単葉・引き込み脚という構造です。
tp://ja.wikipedia.org/wiki/G.50_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
tp://military.harikonotora.net/img/1450-50.jpg
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性能面では見劣りのするG.50ですが、独Bf109(1935年)、英スピットファイア(1936年)と、初飛行で遅れをとるものの、
米F4F(1937年)と同年、米P-40(1938年)、十二試艦戦(1939年)よりは1〜2年早く、イタリアの技術開発力は他国と遜色ないものでしょう。
G.50自身、北欧で戦果を挙げていますし、その後G.55へと更新し性能も改善されている訳ですし。 自分の国で戦果挙げないと意味ないやん・・・
しかもG55は一番重要なエンジンはドイツのだから事実上自国機じゃないし >>146
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自分の国で戦果挙げないと意味ないやん・・・←これは無意味では自国他国関係なし。
全国産ではないのは事実、エンジン単体では空を飛べないのも事実。E/Gが先か、機体が先か論争になるのかな。 三式戦の出来からすればG55はすばらしい。
ただ新型機に機種変更中にイタリア降伏で生産数が少ない。 >>149
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なるほど、そういう比較対象をだすと進行し易いですね。(三式戦も軍の要求に対して優れた結果を出した機体だとおもいます)
エンジンを同じDB605ベースで比較したいのですが、それは無理なので、・・・
三式戦ニ型:出力1500HP、乾燥重量2,855kg、最高速度610km/h(高度6,000m)
フィアットG55:出力1,475HP、乾燥重量2,630kg、最高速度620km/h
う〜ん、重武装の割りに機体を軽く仕上げたG55、マエストロに敬服です。
レアメタルが調達出来ず重量増の三式戦、その割には健闘してるような・・・。(同じ枢軸側だし環境にてるか・・・)
邪馬台国もなかった頃以前に建てられたローマ建築
↓
ttp://www.hrmc77.com/Roman.html
弥生時代後期の「弥生式住居」
↓
http://www.city.saitama.jp/www/contents/1043989465212/index.html
しかしこの差は歴然だなw マッキ205、フィアットG55、レジアーネRE2005といった5シリーズは
日本機をはるかに凌駕した高性能機だった。これだけの高速機は日本には
開発不可能だった。 ,,,,,,,,,,,,
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i´ノ从lii从〉 ξ
ノ リ*^ヮ゚ノリ c□ 皿/
三 ζノ;;と)i丱)つ━━━━━
.とく/_ハノ
し'
カップチーノいかが ゆっくりしていってね。 >>あら、G50とか空冷機が好みなんだけど、残念ね。 >>153
またゆっくりと始めまつ。
マッキ MC.205 いこうかな、イタリア機は制式番号に合理的法則がありそうで親しみやすいな<
末尾の5、これエンジンのDB605の5からきてるんだろうな、それで5シリーズ、フィアットを
除けば頭はメーカー(設計者)名、簡潔、合理的だね・・・(あっこれはドイツ的表現、いけない)
メーカーはマッキ=現アレーニア・アエルマッキ社。ふ〜ん・・・・・・・ジブリの香りが・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AD イタリア軍を語るとき、かのヴェネチア海軍を避けて通れまい…
レパントの海戦でキリスト教徒連合艦隊の主力を務め、
当時最大のオスマントルコ海軍を打ち破った歴史的快挙は素晴らしい。
その頃、日本は地方大名の水軍しかなかった訳だがw >ニューポール=マッキ株式会社はフィアットに10年以上遅れて1913年、第一次世界大戦直前だね、ジュリオ・
マッキによって設立されたんだね。会社設立の目的が戦闘機のライセンス生産のようだ。
オートバイの生産もしていた様だけど、なんといっても航空機のスピードレース、シュナイダー・トロフィー・
レースによってその機体の開発・製造技術を培ってきたんだろうね。 >機体メーカーとしてのマッキ社にとってのパートナー、つまりエンジン・サプライヤーは、イタリア国内 <
には主力としてフィアットとイソッタ・フラスキーニ社(Isotta-Fraschini)の2社があったようなんだけど
戦間期には世界恐慌の影響で、イソッタ・フラスキーニ社は衰退してしまったようだ。高級自動車メーカー
(スペインのあの会社ににてる?)としても知れ渡った同社だが1,950年頃には自動車生産から撤退し、現在は汎用
エンジンメカーとして存続しているようだね。(ロールスロイス英国との国力差が・・・・)
それでもマッキ社は戦間期の1933、1934年とMC72でレシプロ水上機の速度記録を打ちたてている。
この記録現在も破られていないんだね、もっとも高速レシプロ水上機の需要もないんだけど。
MC72、戦前からE/Gが水冷でしかもタンデムなんて・・・・侮れないわ。
あら、こちらには星型じゃないけど私好みの空冷E/Gがあるわ、倒立V型だなんて強烈ね。
イソッタ・フラスキーニ デルタ、宗一郎さんもびっくりよ。
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/79/Isotta_Fraschini_Delta_RC131.jpg
>159での会社の設立年、これは間違いないんだろうけど、会社としての歴史からすると19世紀半ばにはその<
前身である工場が木工製品の製造を始めていると表現した方がいいみたいだね。
水上機のイメージが強いマッキだけどこれは結果であって、同社はスピードを追及していたんだと思うんだ
最速こそがマッキの航空機の商品価値で、スピードに特化したのだと、その結果として当時有利だった水上機
が選択されたのだと。
1936年にマッキ社は、イタリア空軍から軍の増強計画に基づく「軽武装の迎撃機開発」のコンペに参加します。
そうして1937年12月24日に初飛行したのがMC.200(Saetta サエッタ)です。
ttp://www.airliners.net/photo/Italy---Air/Macchi-MC-200-Saetta/1549591/L/
>161
そんなギネス狙い(あの当時はなかったけど)のキワモノ造って何が嬉しかったんだろう・・・
努力が全く無駄だっだということはMC200の惨敗ぷりを見たらすぐわかるし
>162
実用性もなく、量産できないエンジンに価値などない >>165
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三 ζノ;;と)i丱)つ━━━━━
.とく/_ハノ
し'
>>165
まず話の方向としてはMC.200→202→205と正常進化を追っていこうと思っています。
言いたいことが>>164でうまく伝わらなかったので繰り返すけど、マッキ社はキワモノ
造って、キワモノを販売するのではなく、キワモノを作って高性能をアピールして
高性能をある程度反映させた量産品を販売する事業モデルを目指していたのではないか
ということ。
スピードレサーはあくまで単一生産機、事業の中核には量産機をと、マッキ社は考えて
いたと想像するんだけどなぁ。 >>165
あなたにはトラックのエンジン辺りがお似合いね。
私にはV12のカンツォーネが似合うかしら。 スーパーマリンも水上機!
マッキとはシュナイダーカップで争い、以降英国とアフリカの空で争った。
スピットファイアと200シリーズだ。
やはり工業力の差は大きかった。 >171
そういえば、英国が3連続で有終の美だった、まっRAFもスーパーマリン社もプロパガンダ、プロモーション、<
技術開発と、そのイベントの有効性を認めていたということかな。
>スピットファイアから遅れること1年余、1937年に初飛行を終えたMC.200なんだけど、さぞ流麗なフォルム
でデビューかと思いきや・・・・・、機首のカウルもバルジででこぼこ、スピナーも未装着、G.50より古臭く
思ってしまうのは私だけではないはず。現在のレベルでの風洞実験検証があるわけでもないので、スピナーに
関しては異論もあるでしょうし、機首もバルジを付けてもカウル径を細く絞り込めれば、良いかとも思えますし。
それでも同一E/GのG.50に較べると、翼を小さくすることで(翼面積、全幅とも)少なくともトップスピード
は40qほどMC.200が凌駕しています。(スペック上は)
で、いきなり初期トラブル(欠陥に近いと思う)、パイロットからの合理的?迷信的?改善要求、などが突きつけ
られることになるのです。・・・・・・(スピットファイアは順調に熟成してたんだろうなぁ・・・) 機種のカウルの件で、意見が否定的すぎたので修正します。
>E/Gカウルにあんなに沢山バルジを配したら、製造工程でコストが余計に発生するだろうに、それでもあのカウルを
設計したのには、何かメリットが有ったんじゃないかなぁ。
シリンダーヘッドの冷却効果とか、トータルでの空気抵抗の低減(フラッシュサーフェイス化よりメリットがあったのかな)とか。
機体も、尾部のデザインはすきだな、機体前部からの流れが1点に集約されて完了している。その後の発展の可能性を
予感させてくれる。
邪馬台国もなかった頃以前に建てられたローマ建築
↓
ttp://www.hrmc77.com/Roman.html
弥生時代後期の「弥生式住居」
↓
http://www.city.saitama.jp/www/contents/1043989465212/index.html
しかしこの差は歴然だなw ふ〜ん、MC.200って、引き込み式主脚はずいぶんシンプルにまとめたのね、やけに長いシリンダーがあるけど。
英、独の真似をして外側引き込み式を採用しなくて良かったじゃない。
メッサーシュミットみたいな事が起きたら、苦労しそうよ。 >動画発見、主脚引き込み時、零にやや似た動作をする事が解った。油圧?不足なのかなぁ。 <
12.7mm機銃の発射速度は、結構のんびりに感じた、標準的なのか。
ttp://www.youtube.com/watch?v=wv7P4eJ0V-E >MC.200の初飛行後の辺りからの話の続きになります。
wikipeでは、「〜フィアットG.50、CR.42等、他のプログラムR応募作品中、最優秀機と判定されたため〜」と、<
ありますが、これちょっと変だと思う、フィアット機は1938年には既に量産に入ってスペイン内戦にも参加しているし。
MC.200は、1938年のトライアルにおいて競合の、レジアーネ(Reggiane)Re.2000や、カプロニ・ヴィッツォーラ
(Caproni-Vizzola)F.5、エアロナウティカ・ウンブラ(A.U.T.)18、I.M.A.M. Ro.51、に対し優秀な性能を示し勝利した。
マッキ社には、空軍から量産の指示がだされた、それと平行して空軍は旧式化した戦闘機をフィアットCR.42、G.50と
更新していった。(以上、私の解釈になります)
Re.2000は、空軍には採用されなかったが、輸出向けとイタリア海軍向けに約170機が生産された。
マッキ社は最初にMC.200を99機で空軍と契約を結んだ。
イタリア人A「なんでも日本じゃ『ヘタリア』て馬鹿にしてる奴がいるってよ」
イタリア人B「へー日本人ねぇ〜、まぁ、ローマ帝国全盛期に影も形もない国の奴に言われてもな…」
イタリア人A「イヤイヤ、それがさ、皇紀2600年とか言ってて、ローマがまだ都市国家だったころに日本はすでに建国されてたって言うんだw60年前は全日本人がそう信じてたんだぜ?」
イタリア人C「ホー、そりゃすげェな、大したオカルト国家だw」
イタリア人A「だから、そんな連中に貶されるのは寧ろありがたいよなw仲間になりたくねェしw」
3人大爆笑 >>180
∧_∧
<丶`∀´> <ふぅー
( ̄ ⊃・∀・)
| | ̄l ̄
〈_フ__フ >99機の生産計画(99機にトライアルの1機を加えて100機という意味だと思うんだけどなぁ)は、すぐに拡大されます。
1940年末までに、3個戦闘機航空団(ストロモ)を編成するに十分な数まで、生産計画機数は引上げられたようです。
そうして結果的に、1940年6月のイタリア第2次世界大戦参戦時には、150機のMC.200が前線に配備されていたそうです。
MC.200は、最終的に1,153機が生産されました、その内マッキ社が生産したのは400機余りで、残りはブレダ社と
SAI-アンブロジーニ社で受託生産されたそうです。
前線に配備されたMC.200なのだけど・・・・・・・・・。
紀元前1世紀のアウグストゥスの治世では
こんな凄いモン作ってたんだな
↓
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Pont_du_gard.jpg
そのころ日本は何やってたんだ?稲作がやっと普及して荘園国家分立ってとこか?
24 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/10/12(水) 22:10:51.40 ID:???
ポンデュガルーな、水道橋だな、見に行ったことあるよ。
それどこじゃない日本に卑弥呼が現れる前にあのコロッセオが完成してる。土民の相手じゃないよw >1939年10月(8月説もあるようです)に前線への配備が始まったMC.200ですが、複葉機に乗り慣れた保守的なパイロット
から信頼性に疑問を持たれてしまったようです。
最初にMC.200を配備される事になった、第4航空団'Cavallino Rampante'では、新型機MC.200の受領を拒否して、
複葉機フィアットCR.32(及びCR42)を使い続けるという事態が発生します。
これCR.42に到っては新型単葉機の受領を拒否して、複葉機の到着を待つということになるんでしょうかね。
何という保守的発想、複葉機へ逆戻り、なにもバックギアを使わなくても・・・・・・。
でもパイロットは(非戦闘時ですら)命が懸かっている訳ですから、現代の尺度では計れない部分もありそうです、
また当時のイタリア国内の航空機・工業界の事情と、色々考えると何か政治的配慮もあったかも・・・・・・・。
単葉より全ての面で劣る複葉戦闘機に乗るなんて自殺行為だよなぁ・・・
イタリア人はそんなに自殺したかったのか?
まあ複葉機程度しか造れないほどイタリアの工業力が劣っていた可能性もあるけど
補足、CR.42の前線配備は1939年5月から。MC.200の量産開始は1939年6月から(前線配備ではない)
>185
イタリア人パイロットの心境としたら、複葉機への固執が半分、未成熟の新型戦闘機(新技術というべきかな)は<
信頼出来ないのが半分、といったところではないでしょうか。事実MC.200は、失速による墜落事故を起こし、主翼の
改修を受けているようです。(死亡事故だったのかな?ドキュメント読んでる途中なのです)
イタリア空軍にも既に爆撃機等、単葉機は普及していたのですが、パイロットを安心させるだけの、工業力(工業力
であって決して、技術力ではない)の裏打ちは乏しかったのでしょう。
WW1ではパイロットの半数(?)は貴族だったのに対し、この時期志願兵といえども実験台は・・・・・。
日本でも十二試艦戦(試験中、空中分解事故をおこす)に対して九十六式艦戦を評価するパイロットも少なくなかったとか。
WW2直前、殆どの成人が車を運転出来て、カラー映画を観て、通信販売で買い物をする、そんな米国などとは工業製品も
それに対するパイロットの心境も、日伊ではかなり異なるのでしょう、そう思います。
フィアット社の、お家事情もありそうな気が・・・・・・・。
Cavallino Rampante イタリア空軍の系譜、Francesco Baracca .
ttp://www.finn.it/regia/immagini/prima/francesco_baracca_spadvii.jpg
>イタリア人パイロットの複葉機への固執には、WW2直前のスペイン内戦での、航空戦も大きく影響しているでしょう。
スペイン共和国軍側の、ソ連ポリカルポフI-16(単葉機)を、Fiat CR.32(複葉機)が格闘戦において圧倒してしまった為
(一説には、撃墜300対損害132、撃墜には複葉機のI-15も含まれていると思う)格闘戦至上の風潮がイタリア空軍内に、
あったのかも、そう私は思います。
ただ、私これは、大きな誤謬だったとおもうんです。共和国軍側のパイロット(ソ連兵と、義勇兵?)の錬度
にも疑問がありますし、特にI-16に有利な一撃離脱で攻めて、格闘戦を避けるという戦術も、確立されては、
いなかったのか、もしくは徹底もされていなかったでしょう。戦果は機体の差だけではない、そう思います。
何れにせよこの奇妙な戦訓が、伊露の航空機開発を一時期ミスリードしたのでしょう、ポリカルポフI-153とか。
I-16って結果を残せてない様だけど、開発時の設計思想と機構・構造は評価できると思います。
イタリアの航空史って、1930年代前半停滞してる気がするなぁ・・・・世界恐慌、国内政治か・・・・。
>では、MC.200シリーズを開発する前後にマッキ社は、何をしていたんでしょう・・・・・・。
1930年から戦闘飛行艇マッキM.71(複葉、木製モノコック)を軍に納入(52機)した後は、1935年辺りまで数年間、<
マッキ社は軍需からは遠ざかってしまっているようです。これにはマッキ社の都合というよりも、軍の都合、つまり
国家予算の配分が影響しているのでは・・・・・、私はそう思います。
一方で民需の方は、1930年代初頭からマッキ社は、旅客飛行艇のMC.94(木製、単葉)の開発を始めていたようです。
MC.94これ速度のレコード・ホルダーなんですね。あれとは別ですよ、シュナイダー・トロフィー・レースは1931年で、
終了しています。ただMC.94の生産機数は12機だそうです。損益分岐・・・どうなんでしょう、あまり儲かっていないことは、
想像できそうです。
そんな頃、同業他社からの受託生産の依頼と、空軍からは装備刷新の計画が・・・・・。
しかし、フィアット社の迷走は・・・・・。
邪馬台国もなかった頃以前に建てられたローマ建築
↓
ttp://www.hrmc77.com/Roman.html
弥生時代後期の「弥生式住居」
↓
http://www.city.saitama.jp/www/contents/1043989465212/index.html
しかしこの差は歴然だなw イタリア空軍の系譜3. Italo Balbo
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a6/Prospero_Gianferrari_all%27Alfa_Romeo_2.JPG
>MC.200は空冷戦闘機の中では、コクピットの位置がずいぶん後ろなんだなぁ、フォッケウルフFw190や、<
一式戦と較べると。最初からE/Gの換装による、フロントヘビー化を想定してたなんてことは・・・・・。
世界恐慌の影響でシュナイダー・トロフィー・レースが終了になる1931年辺りまでは、エアロナウティカ・
マッキ社のレース機開発費の一部(具体的な数字が無いので適切な表現が出来ない)は、国家プロジェクトとして、
国費の援助があったようです。当然、この費用で賄われた開発技術は、軍需の量産機(まっ、多くて100機程度
なんですけど)に、流用出来ますから、量産機の原価低減に繋がったと、私は思います。
開発費の一部は、国が負担してくれて、量産機は軍が買ってくれる。戦間期の一時期、マッキ社は恵まれた
事業環境にあったのではないでしょうか、それが世界恐慌で、国の援助は無くなるは、軍の発注は無くなるはで、
事業環境が悪化したのでしょう。軍の依頼が無い限りは、独自で輸出用軍用機を、開発することは到底無理でしょう。
これが、1930年代前半に、イタリアの航空史が停滞(新型<技術>戦闘機が開発出来ない)した原因だと、私は思います。
あっ、ジェットとか実験機は除いて、実用機の範疇で。
爆撃機の開発は進むんですよねぇ、エチオピアが影響してるのかなぁ・・・・・。 ( |::::| †.|##| 王立軍仕様 )
>私が想像するに、経営の芳しくないエアロナウティカ・マッキにも、転機が訪れます。<
第二次エチオピア戦争(1935.10/3〜1936.5/5)さなか、ムッソリーニの構想に基づく王立空軍の、
完全なる刷新計画が、スタートしたようです。
1936年2月10日に出された、近代設計に基づく要撃機の、計画要求書の性能要求は、次の
様です。最高速度500km/h、上昇力6,000mまで5分以内、兵装12.7mm機銃1丁(のちに2丁に増やされる)
また一説には、航続力2時間の要求と、単発エンジンの指定もあったとか。
前述の通り、この新型要撃機は、数社競合のトライアルになります、そこで受注獲得を、
狙いにいった、マッキ社の行動が、私には大変興味深く思えるのです。
邪馬台国もなかった頃以前に建てられたローマ建築
↓
ttp://www.hrmc77.com/Roman.html
弥生時代後期の「弥生式住居」
↓
http://www.city.saitama.jp/www/contents/1043989465212/index.html
しかしこの差は歴然だなw ビジュアル訴求 ttp://www.youtube.com/watch?v=JxicbKMvG3E&feature=related
>エアロナウティカ・マッキに比べて、フィアット、ブレダの2社は事業規模も大きく、軍とのコネクションも、
比較出来ないような部分があるようですねぇ、1930年代前半の軍用機の受注状況を見ると・・・・・。
今回の1936年2月通達の試作指示では、マッキ社の競合他社の中に、エアロナウティカ・ウンブラというメーカー
が参入しています(Aeronautica Umbra S.A.)。このウンブラ社の設立者、ムツィオ・マッキ( Muzio Macchi)は、
マッキ社創業者ジュリオ・マッキ( Giulio Macchi. 1866 - 1935)の息子さん、つまりマッキ社の二代目経営者
ということです。
そうなんです、ウンブラ社はマッキ社の、子会社として1935年に設立されたようなんです。この時点では先代は
恐らく、既に引退しているか、亡くなっているではないでしょうか。
親子会社で競合して、さらに他社と競合して、1つの受注枠を争うのか?・・・何か非合理的な感じがするような・・・・・。
そこで、マッキ社は保険を掛けたのではないかと、私は踏んでいるのです。
1つの受注を是が非でも得たいが為に・・・・・。
>マッキ社が、子会社としてエアロナウティカ・ウンブラ(Aeronautica Umbra S.A.)を、設立した理由は、
サボイア・マルケッティ社から、SM.79の生産受託、つまり下請けを受注したから。・・・・・これでほぼ間違い
と思うのだけど・・・・・。
SM.79の生産開始が、1936年の10月からで、時期的にもぴったりだと思う。設立当初は生産子会社、この位置付け
でしょう、恐らくは。
スペイン内戦時のイタリア空軍。SM.79、SM.81、その他
ttp://www.youtube.com/watch?v=rYSOxIlzvs4
イタリア空軍の系譜2. Fulco Ruffo di Calabria .
ttp://www.collegiomondragone.com/ex76.htm
>1社1案しか出せない、競合トライアルにおいて、方向性の異なる設計を2案出したい、これがマッキ社の狙い。
その為に、子会社のウンブラ社を使い、2案目を空軍に提出した。・・・・そう私は想像するのです。 <
マッキとフィアットでは、似たデザインでしたが、ウンブラのデザインは、それらとはかなり違ったものに
なった事が分かると思うのですが・・・。
アエロナウティカ・ウンブラ A.U.T.18
ttp://www.airwar.ru/image/idop/fww2/aut18/aut18-1.jpg
ttp://digilander.libero.it/lealidellaregia/AUT18.htm
コクピットの位置が前寄りなんですよね、A.U.T.18は、MC.200、G.50に較べると、ずいぶん。
A.U.T.18は、空冷E/Gを追求したデザインで、 MC.200は将来、空冷E/Gへの発展を見据えたデザインじゃないかと、
あくまで私の想像ですが・・・・・。
エアロナウティカ・マッキ MC.200
ttp://www.asisbiz.com/il2/MC-200/Macchi-MC200-Saetta/images/1-Macchi-MC200-Saetta-73Sa-73-3-01.jpg
イタリア人A「なんでも日本じゃ『ヘタリア』て馬鹿にしてる奴がいるってよ」
イタリア人B「へー日本人ねぇ〜、まぁ、ローマ帝国全盛期に影も形もない国の奴に言われてもな…」
イタリア人A「イヤイヤ、それがさ、皇紀2600年とか言ってて、ローマがまだ都市国家だったころに日本はすでに建国されてたって言うんだw60年前は全日本人がそう信じてたんだぜ?」
イタリア人C「ホー、そりゃすげェな、大したオカルト国家だw」
イタリア人A「だから、そんな連中に貶されるのは寧ろありがたいよなw仲間になりたくねェしw」
3人大爆笑 誤記訂正:○アエロナウティカ
×エアロナウティカ
>Brindley, John F.氏によると、1932年にイタリアの工業界のトップは、政府の航空所轄の省庁から、
次の様な、強い指導を受けていたという。
「戦闘機用のエンジンの、信頼性を向上させる為に、戦闘機用のエンジンは、空冷(星型)エンジンに、
開発と生産を集中させよと」
イタリア空軍が使用した射爆照準器
ttp://gunsight.jp/b/1/sight-i.htm
>204をちょっと検証してみましょう、アルファベット順で、まずはアルファ・ロメオから。 <
アルファ・ロメオは、1933年に事実上国営化されているそうなので、お上のお達しに一番忠実なはず、自動車
用には水冷だろうがDOHCだろうが、高性能エンジンガンガンに造ってますけどね。
航空機用に1930年辺りから造り始めたのが、英国ブリストルジュピターのライセンス生産が原点の126RC.34などの
シリーズ、これは空冷星型9です。それ以前のD2も空冷星型9、それと110と115も空冷直6、そして121は戦後かな?
ということで、アルファ・ロメオは、政府の指導をしっかり守っていたようですね。
今更ですけど、王立空軍時代は制式が無いよね、一般に知られていないだけかな、制式が知られているのは、
日米ぐらいか、少数派なのかな・・・・・・・。
>>208
映画「テルマエ・ロマエ」を観れば、
ローマ文化と日本の差異に驚愕するだろう。
>ABCDEFでF、フィアット、車のスポーティーさのイメージだと、アルファが上だけど、航空機E/Gだと断然フィアットが上。
但し、今は量産機の話なので、AS.6などS系(スポーツのSでしょ、多分。航空機E/Gは全部Aなのか?)のE/Gは除外します。
乗用車からの影響なのか、A.10(1914年辺り)からCR.32(1933年初飛行)搭載のA.30まで、直列及びV型の水冷E/Gを、
フィアットは生産しています。その後、水冷E/Gはお休みになります。CR.32が端境期のようですね、空冷に生産集約の
政府指導が1932年ですから。途中でA.18水冷星型E/Gという物を造っていますが、試作のみで終っているようです。
空冷星型E/Gは、1928年頃にA.50(7気筒1列)を開発して、プラット&ホイットニーR-1690ホーネットのライセンス生産
のA.59を経て、A.70(1934年7気筒1列)、そして今回のG.50、MC.200用の、A.74(7気筒2列)を開発するにいたっています。
それまでの、V型水冷の路線から、大きく路線転換をしている様にも見えますね、政府の指導が効いているのでしょうね。
>F.G.IでIsotta Fraschini 、イソッタ・フラスキーニです。広報Vを見つけましたので、どうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=Z0hD1z7nunA
1910年代から航空機E/Gでは、Vと言う名の水冷直6で、成功を収めV12からW18まで造っちゃったのが今回の
イソッタ・フラスキーニです。黄金の1920年代が終わり、世界恐慌後は、カプロニ社の傘下に入り、レジアーネ
と共にカプロニ・グループを形成します。大型自動車、船舶用E/Gの、売り上げに占める割合が高かったのかな。
航空用E/Gは、ほぼ水冷一本やりで、1930年代前半に、ブレダBa.65用に空冷星型E/Gを、ライセンス生産で
200機あまり造って終えています(仏ノーム・ローヌ14K)
ただ、双発以上の、中、大型(爆撃)機用には、1930年代後半も水冷E/Gを造り続けています。試作ばかりで、
あまり採用になっていませんが(空冷に負けています)
政府の指導の「縛り」も、戦闘機みたいだし、水冷E/Gを造り続けてもいいのか・・・・・・・。
習作で空冷星型E/Gのライセンス生産やってみたけど、新規で開発するのは遠慮します、他にも食い扶持あるし。
イソッタ・フラスキーニにしてみれば、そんな感じでしょうか・・・・・・・。
∩∩ ヘ タ リ ア 軍 参 上 ! V∩
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/ ノ | / ヽ ヽ、_/) (\ ) ゝ |
| | | / /| / レ \`ー ' | | /
邪馬台国もなかった頃以前に建てられたローマ建築
↓
ttp://www.hrmc77.com/Roman.html
弥生時代後期の「弥生式住居」
↓
http://www.city.saitama.jp/www/contents/1043989465212/index.html
しかしこの差は歴然だなw >IJKLMNOPでP、Piaggio、ピアッジョです。現在は、Piaggio & C. SpAと、Piaggio Aero Industries s.p.a.です。
WW2以前は、船舶用の家具内装、鉄道車両、自動車、船舶、航空機と、手広く輸送機器を手がけております。
航空機用E/Gを、自社で生産し始めたのは1931年辺りからのようです。自社のP10用にP.Y(空冷星型9気筒1列)を、
生産しています、これは英ブリストル・ジュピターWのライセンス生産でした。
その後、仏ノーム・ローヌのライセンス生産(実質、英ブリストルの孫ライセンスということか?)で、P.Z、
P.\、P.XI(7気筒2列)、P.XU(9気筒2列)と、以上全て空冷星型E/Gを、生産しています。
航空機E/Gに、空冷星型で参入して以降、ライセンス生産、空冷星型オンリー、参入時期は1931年前後と・・・・・・
ピアッジョは、政府の指導に一番沿っている様ですね、沿わされたというか・・・・・・。
勘繰りようによっては、自社の進みたい方向に、政府を誘ったとも・・・・・・。
ttp://www.finn.it/regia/immagini/piaggio/p108_crew.jpg
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