WW2イタリア機を語る
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0001名無し三等兵
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2011/12/04(日) 12:59:28.73ID:???
マッキ、フィアット、レジアーネ、サボイア
とにかくマイナーなイタリア機について語りましょう。
0455名無し三等兵
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2013/10/03(木) 21:13:58.09ID:???
 カプロニ Ca101/ Ca133、S.M.81、S.M.79が民間旅客機からの派生で信頼性が高く、逆に軍用機専用設計のBR.20以降が
今ひとつ。
 エンジンに因るところが大きいんだろうけど、アルファロメオ 126 RC.34 (単列9気筒)がほぼベストで、複列エンジンだと
フィアットA.74を除くと、ピアジオの14気筒も、フィアットの18気筒(A.80)も良くないんだよね。

 『イタリア軍入門』では地中海の緒戦における空軍に関して記事がないので、再び『〜プロファイル〜』から戦歴を紹介。
 エーゲ航空隊 第39航空団のS.M.81は、6月22日、7月7日、あと数回アレクサンドリアを空襲。8月11日にはポートサイドと
スエズ運河を攻撃している。

 The 39゜Stormo was one of the most active Italian bomber units during this phase of the war against naval objectives.
On the night of 22nd June it made its first raid on Alexandria with 12 S.M.81's ; another raid was made on 7th July , this
time with 11 S.M.81's, More raids followed in July.
 On 11th August the same unit attacked Port Said and other objectives in the Suez Canal Zone.

 ロードス島から片道800`なのでCR.32の護衛は無しだろうな、でもなんでこの戦歴の紹介記事はほとんどないのかな…。

「スエズ運河を消せ」 デヴィット・フィッシャー著
ttp://d.hatena.ne.jp/t-komiya/20111203/1322914961
こんな本もあるし、もしかして、『ジャスパー・マスケリン』一杯食わされたのかな。英側の記述が見てみたい。
0456名無し三等兵
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2013/10/05(土) 13:08:48.63ID:???
>>448
言い回しとか翻訳した松谷健二さんの文章なのかも知れないけど
その味は良く出てると思う。

>>451
Googleマップで見ると空港(Leros Municipal Airport)あるけど、
これ何時出来たのかだよね。ついでに島には戦争博物館があるみたい。
単座の空軍機って洋上航法出来たんだろうかとふと。

>>453
こういう図はよく分かって助かる。
0457名無し三等兵
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2013/10/05(土) 18:17:27.03ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
0459名無し三等兵
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2013/10/05(土) 18:58:21.95ID:???
戦争博物館 " LEROS WAR MUSEUM "の発見はヒットですね。Viva!

ttp://www.leros.org/newphotos/wm5bg.jpg
右は黒シャツ部隊のM33ヘルメットですかね。(「イタリア軍入門」P276右下角版写真参照)
あと9気筒エンジンとか、機銃は、ゆっくり吟味しないと…分かりません。英文(極一部はギリシャ語のみかな?)
なのでゆっくり読んでみたいと思います。

>単座の空軍機って洋上航法出来たんだろうか

 爆撃機の護衛に付く場合は、爆撃機が先導機になるので、それにくっ付いていけば良いのでしょうが…、
 洋(海)上航行といっても、作戦可能な戦闘機の7〜800qしかない航続距離もあり、実績としてはシチリア島及び
パンテッレーリア島からマルタまでの攻撃しかないような…。
 航続距離の長い作戦機があれば、カントZ.506やカプロニCa.311系あたりを先導機につけるとか。

 そんなこんなで、航空支援の無いまま、1941年3月のマタパン岬沖海戦で海軍を見殺しにしてしまうあたりは、空海軍の
連携の悪さもさることながら、空軍の洋(海)上作戦能力の低さを露呈させてしまっているのではと思ってしまった。
0461名無し三等兵
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2013/10/06(日) 13:06:07.63ID:???
上手い答えになってなかったのでご参考までに
ttp://www.jal.com/ja/jiten/dict/p295.html

 リンドバーグは一人で大西洋横断を成し遂げたけど、これは事前に綿密な計画を立てた『地文航法』だったと私は理解
しています。洋上であっても「島」や停船している「船」を目印にすれば、単座機であっても洋上航行はできますが、途中で
目的地をリスボンにに急変更するということは、ほぼ不可能だったと思います。セカンドプランとして計画があれば別ですが。
 これが大方の単座戦闘機の現状だと思います。

 信頼性は極めて低かったものの、クルーシーを装備していた零戦は、帰路(母艦に帰る時)のみ極初歩的な『無線航法』…。

 「じゃあ『推測航法』が出来るように、艦上戦闘機にも航法士を搭乗させよう!」
 そこでフルマー(複座)艦上戦闘機ですよ!!
 冗談抜きで、海洋国家の英国らしい選択肢の一つだと思います。戦闘能力を無視すれば、洋上において少ない制約で
戦闘機を運用出来るのですから。
0462名無し三等兵
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2013/10/06(日) 13:35:04.06ID:???
フルマーが出たついでに彼我の戦力比較で英国戦力を『海戦〜』から引用。

 1940年の5月末には、長距離偵察機をふくみ、エジプトの陸軍がうけもついくつかの戦線での空軍作戦と、東部地中海と
紅海における海軍との共同作戦の責任者であるロングモア空軍中将の手には、96機の爆撃機(ブレインハイムT型)と
輸送爆撃機(ボンベイ)、75機の戦闘機(グラディエーター)、24機の陸上協力機(ライサンダー)それに10機の飛行艇
(サンダーランド)しかなく、それは必要最低限の数にも明らかに不足した兵力だった。

 (英)空母イーグルにも戦闘機はグラディエーターのみの様子。フルマー12機が登場するのは1940年9月1日に
空母イラストリアスがアレクサンドリアに到着してから。24機のハリケーンがやってくるのは、さらにその後。

 フルマーが登場するあたりから、伊・爆撃機/偵察機の損失が増え始めてる様。
0463名無し三等兵
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2013/10/07(月) 20:23:21.27ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
0465名無し三等兵
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2013/10/09(水) 21:19:09.26ID:???
 アレクサンドリア空襲を調べようとしてリデル・ハートの『第二次世界大戦』を見てみたけどかすりもしなかったが、
ぐぐってみたらオーストラリアの1940年当時の新聞記事がヒットした。

ttp://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/40928210
ttp://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/74940326
ttp://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/17706725
ttp://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/49467082

 伊・英ともそれぞれ「大本営発表」的な部分はあるにしろ…
 (一番目より) LONDON, August 26. — Alexandria had its sixth air raid within four days yesterday.
 〜ロンドン発、(1940年)8月26日、アレクサンドリアは4日と経たないうちに6回目の空襲を被った。〜
 8月末までに少なくとも6回の空襲があった事は事実として認識してもよさそう。
 戦果確認の容易ならざるところを、わざわざ被害を敵に入手が容易な新聞という媒体を通じて発表することは無いだろうが、人的被害は別にしても、在エジプトの英国艦隊の元気な活動から推測するに、艦船、港湾施設、燃料資材の備蓄施設に
伊空軍が与えた損害は微々たる物だったのかも…。
 そのかわり英側の撃墜の記述もないところからすると、S.M.81の損失も無かったということか。
 夜間爆撃だったので、そもそもグラディエーターも迎撃に上がってこなかったのかな…。

        最大速度 上昇限度 上昇力          武装         巡航速度
S.M.81     335 km/h 7,000 m               7.7_機銃6挺    260 km/h (126RC34搭載機)
グラディエーター  407 km/h 10,000 m 3,050 mまで 4.75 min 7.7_機銃4挺
S.M.79-T   430 km/h  6,500 m              12.7_×3 7.7_×2  340 km/h

 さすがに護衛無しのS.M.81では、相手がグラディエーターとはいえ昼間作戦は自殺行為か。
 S.M.81が高度3,050mを巡航速度260km/hで進入と仮定する、4.75minでS.M.81は20.6q移動する。大雑把に言えばS.M.81
の20.6q手前でグラディエーターは飛翔出来れば会敵可能。また最大速度の差からグラディエーターは5分飛べば6qの差を
詰めることが可能。
0467名無し三等兵
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2013/10/16(水) 20:27:38.12ID:???
大戦中の通信機サイトがヒットしまた。以下のものが確認できます。
ttp://www.radiomilitari.com/ra350.html

MILITARY RADIOS>>ITALY

大型機用の標準的な通信機
AR350 transmitter (送信機)
AR8 receiver (受信機)<SM81、SM79 辺りは“AR5 receiver”らしいが>

単座機用の通信機
Allocchio-Bacchini B.30

通信能力、信頼性については…なんともいえませんが、ちなみに「Type of signals: Phone, C.W.」
など「CW」はモールス信号対応のこととおもわれます。あっ、モールス・キーを発見。
ttp://www.morsekey.net/caimi%20leggero.html

すくなくとも、オスプレイの『第二次大戦のイタリア空軍エース』のP.10に書いてある
「地上から空中への、また空中同士の無線連絡手段も、王国空軍には事実上存在しなかった」
は、少々言いすぎでは…。

SPY... >>ITALY
の O.M.I. (Ottica Meccanica Italiana) NISTRI (暗号機)が興味深いですね。

P63 radio compass とか P63N radio goniometer などと出てくる大型機搭載の航法計器も、別のサイトで発見。
Telefunken Zielflug-Peilanlage P 63 N ドイツ製の無線方位測定機のようです。
ttp://www.luftfahrt-archiv-hafner.de/ausruestung.htm
屋根のループアンテナ「Ω」がこれでしょうかね。
0468名無し三等兵
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2013/10/16(水) 23:17:16.45ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
0470名無し三等兵
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2013/10/18(金) 22:00:57.43ID:???
伊空軍最後の(基地配備)水上戦闘機隊の記録が出てきた…

『 Courage Alone: The Italian Airforce 1940-1943 』 Chris Dunning 著 より

161 Squadriglia CM
This was the only fighter-floatplane unit left operational by June 1940. The Ro43 was used
for training. The eight Ro44s flew continuous patrols around the Aegean Islands, and joined
in all the actions in the area for the next twelve months. In April 1941 it bombed and strafed
the naval bay of Milos, prior to the German attacks on Crete. In June 1941 it transformed
from Caccia Marrittima to Caccia Terrestre, receiving CR42s at Rodi.
it may have been this squadriglia that transferred from Grottagli to Sicily on
6 November 1942 with sixteen MC200s annd five G50s, to help protect the supply routes to Tunisia.

 独立第161水上戦闘飛行隊は、1940年6月(の開戦時)に於いて、作戦可能な唯一の部隊だった。Ro43は訓練機として
使われていた。8機のRo44はエーゲ諸島を絶え間なく哨戒し、また、開戦以来ここ12ヶ月間のドデカネス諸島区域の戦闘
には全て参加した。
 1941年4月には、ドイツ軍のクレタ島攻撃(5月)に先行してミロス島の軍港を猛爆撃した。1941年6月には水上戦闘機隊
から地上戦闘機隊に改編され、ロードス島にてCR42を受領した。……

う〜ん“ bombed and strafed ”(爆撃につぐ猛爆撃)とはずいぶん勇ましいなあ(強い表現だなあ)。
でも箱だしのRo44には爆弾吊架装置無いし…戦爆CR42のように後付の可能性もあるけど…
ほかの爆撃隊 56゜Gruppo BT や、92゜Gruppo BT に随行した程度なのかも…。
クレタ本島ではなく副次戦場のミロス島ってとこがまた微妙だなあ。

ミロス島
ttp://goo.gl/maps/yqo5R
0473名無し三等兵
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2013/10/20(日) 10:49:10.16ID:???
芝草君おはよう

>470の
>作戦可能な唯一の部隊だった × 間違えた…

訂正→作戦可能な唯一の<水上戦闘機>部隊だった
0474名無し三等兵
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2013/10/20(日) 15:54:00.56ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
0475名無し三等兵
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2013/10/21(月) 05:54:16.63ID:???
WW2イタリア機 激弱〜。3週遅れぐらい時代遅れ。
0476名無し三等兵
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2013/10/21(月) 08:47:01.11ID:???
MC72みたいな歴史的に何一つ価値もない無意味なニッチ記録機造る技術はあるけどね
0477名無し三等兵
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2013/10/21(月) 18:36:28.71ID:???
マッキにしてもレジアーネにしても、なんでパイロットのキャノピー
後半は両側面をエグッタ変な形を延々と続けたの?
後方視界を確保したいんだったら、全部取っ払っえば済む話だ。

変なとこばかりこだわっていたから、弱っちい2流機しか持てなかった。
0478名無し三等兵
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2013/10/21(月) 19:08:24.59ID:???
>>475
月曜の朝は出勤前のプレッシャーでストレスが溜まりますよね、なんとか乗り切りましょう。

>>476
 十分なプロパガンダになりましたよ、スウェーデン、ベルギー、ハンガリー、バルカン諸国、中南米、そして日本までもが
イタリアから航空機を買いましたよ。
 純軍事技術という意味では残念ながらエンジンメーカーのフィアットは、せっかく積み上げたノウハウを捨て去ってしまい
ましたが…。
 ボディーワークのマッキは1930年代の前半までは、ちっちゃなヴェンチャー企業でしたが、MC72など一連の技術の蓄積
により量産機を開発製造出来るまでに成長しましたよ。(製造に関してはサヴォイア・マルケッティとの提携受託生産で技術
を取得した事が大きいようですが)
 特異な技術の表面ラジエーターもカントZ.501やマッキC.200でオイルクーラーとしてそのアイデアが採用されています。

>>477
仏のデボちゃん辺りも同じなんですよね、何でなんでしょうね。
0481名無し三等兵
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2013/10/22(火) 09:27:55.81ID:???
レジアーネRe.2001なんて、見たとたんに「ああ、垢ぬけない低性能機だな」って思うよね。
0482名無し三等兵
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2013/10/22(火) 18:52:07.62ID:???
 皆さんこんばんわ。

 レジアーネRe.2001ですか…
 確かに0系時代から量産3機種を比較すると、(イマーム、ウンブラ他の4〜5社の試作機のみの機体比較は勘弁して)
翼面積(u):フィアットG.50(18.15)、マッキC.200(16.61 小さ!)、レジアーネRe.2000(20.40 でかっ!)レジアーネが翼面積が
一番広く、速度面では不利な事がことが分かります。
 ただこの翼の大きさが後々生きてくる訳でして、フィアット、マッキ(C205“N”のほう)は5系では翼を新設計しなければ
ならなかったのに対してレジアーネはRe.2005に於いて0系ファルコ由来の主翼のままで高高度性能の要求に対応する
事が出来ました。(勿論エンジンは更新ね)

 方向性としては限界設計寄りのマッキに対して、レジアーネは余裕のある設計だったのでしょうか、独:MG151/20
20_機関砲パックの主翼下への追加装備も、マッキC.202は操縦性の悪化から却下され、Re.2001CN が採用になって
いますよね。CB戦爆型とかも含め…まあ隙間埋めには重宝したというか…。
 『 万能機列伝 』飯山幸伸 にもややネガティブな意味での万能機として取り上げられてましたね。
 それでも最後にRe.2005で、ひと花咲かせたかなあと…「みにくいあひるの子」や貴種流離譚のような浪漫を感じます。

 あと…
『 中島戦闘機設計者の回想 』 (光人社) 青木 邦弘
 まあ、基本、私の比較考察の仕方はこの本の受け売りなんですが…見識が広がりますよ、この本。
 …剣…に関しては私のごとき浅学が口を挟むのは、はばかられます。
0483名無し三等兵
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2013/10/23(水) 22:00:28.54ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
0484名無し三等兵
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2013/10/26(土) 13:02:18.30ID:???
レジアーネRe.2000がイタリア軍に採用されず、他国への輸出用だったわけだから、
もしも日本海軍が昭和15年にサンプル輸入してたら、雷電は和製Re.2000に生まれ変わるんじゃないか、
って妄想することがある。

Piaggio_P.XIは87オクタン、φ1328mmで1000ps級だっけ?
火星1xは吸気設計ミスがありながら、91オクタン2速過給で1340ps/4000mだったかな。
600km/h迄は届かないにせよ、580km/hぐらいなら届きそうな感じするわけでね。
0485名無し三等兵
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2013/10/26(土) 14:03:40.23ID:???
(あれっ?なんで水曜日に雷電スレにおじゃましたことが分かっちゃうんだろ。)

(ピアジオの14気筒)ノームローン14K由来では全然だめなのです。その後の正常進化バージョンでないと…
排気バルブ、全体の冷却等…いいのは改良版ノームローン14"R"だったかなあ、あとソ連のツマンスキーだったかな…

雷電は、(離発着時の難を除けば?)、諸元を比較するとフィアットG55、Re2005 同等、それ以上の部分もあるよう
に感じるのだけどなあ。
0486名無し三等兵
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2013/10/26(土) 14:52:05.14ID:???
Re2001って猿人換装しても全然性能が向上しなかったウンコ機だろ?

主翼が異様に分厚かったり、全長が寸詰まりだったり、機首のあちこちに
無節操に小さなエアインテークが散在してたり・・・
見ただけで空力特性悪そうなんですけど。

脳天気なイタリア人が造りそうなユルーーーイ感じの飛行機。
0487名無し三等兵
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2013/10/26(土) 15:36:06.22ID:???
すいませんねえ、Re2001ネタはあと英空母ヴィクトリアスへの不発弾ぐらいしか知らないんで……
別な戦史の話をさせていただきます。

163 Squadriglia CT
This unit was formed in June 1935, transferring from Ciampino to the Aegean in December of that year. It began the
war with eleven CR32s. In July 1940 nine CR42s, specially modified for fighter-bomber duties, were received for training
in this new role. On 4 September the CR32s intercepted an attack by the Royal Navy aircraft carrier HMS Eagle,
claiming five out of the twelve Swordfish from 813 and 824 Squadrons, FAA. Three others force-landed.
 During the late spring of 1941 the unit moved to Gadurra. In April it used eight CR32s in the operations against Crete.
A section of these aircraft was detached to Cattavia landing ground in May. Between 20 and 31 May the unit also used
the fighter-bomber CR42s against Crete and Castelrosso, bombing and strafing in support of the German paratroops.
After the conquest of Crete, the CR32s were relegated to training duties. On 11 June 1941 the squadriglia joined
161 Gruppo.   『 Courage Alone 〜 』 Chris Dunning 著 より

 163 Squadriglia CT は1935年6月に編成され、12月には、チャンピーノからエーゲに移動になった。開戦時には11機の
CR32を揃えていた。1940年7月に9機の戦闘爆撃機任務用に特別に改修されたCR42を受領した、この新しい任務の
訓練の為に。163(戦闘)飛行隊は9月4日、英国海軍空母 HMS イーグルによる攻撃(*1)を、CR32によって迎撃した。
空母イーグルの艦隊航空隊(FAA)の813と824飛行隊の12機のソードフィッシュのうち5機を撃墜(*2)し、他に3機を
不時着(*3)させたと報告した。
 163(戦闘)飛行隊は1941年の晩春中に(同じロードス島内のマリッツア基地:Maritzaから)ガーデュラ(Gadurra)
に移動になった。同年4月のクレタ島の作戦には8機のCR32を使用した。これらのCR32のうち1分隊は5月にCattavia
(ロードス島南西部)簡易飛行場に分遣された。
0488名無し三等兵
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2013/10/26(土) 15:40:18.62ID:???
>487の続き

 5月20日から31日には、ドイツ降下猟兵を支援するために、CR42戦闘爆撃機を揃えた部隊を使いクレタ島とカステロリゾ島
(英:Kastellorizo、伊:Castelrosso)を猛爆撃した。クレタ島の占領の後、CR32は訓練機用に格下げされた。1941年6月11日
に163(戦闘)飛行隊は(それまでは独立飛行隊だったが)161航空群に隷下に組み入れられた。

以下は私自身の注釈です。
(*1)母体は、空母イーグル、空母イラストリアスなどを含む諸艦連合部隊。「ハッツ作戦」を参照。
(*2)英国側資料は被撃墜4機。
(*3)強制着陸させ伊軍が鹵獲したソードフィッシュK8403もそのひとつなのか。

ハッツ作戦 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%84%E4%BD%9C%E6%88%A6
HMS Eagle (1918) ttp://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Eagle_(1918)
空母イーグル行動表 ttp://homepage1.nifty.com/HARPOON/Eagle3.html
鹵獲 ttp://www.dodecaneso.org/SWORDFISHmaritza.htm
   ttp://www.fleetairarmarchive.net/rollofhonour/pow/H.html

 ロードス島空襲の、伊:マリッツァ空軍基地 側の損害は、wikiの「HMS Eagle (1918)」によると、地上にてSM79を2機を
撃破(この時期だとSM81の可能性が大ではあるが、3発爆撃機ということには変わりはないか…)、なを他に4機の航空機
に損害を与えたとあります。
 英軍は直掩機を出さなかったようで、シーグラディエーターとCR32の空中戦は今回は無かったようです。
 捕虜鹵獲機の1機も英国発表の「被撃墜4機の内数」なのか、「未帰還機5機のうち被撃墜4機」なのかははっきりしませんね。
伊軍側もあくまで "claiming" 戦果の主張ですし、筆者の Chris Dunning 氏も英軍側の資料と付き合わせると云う事には
主眼を置いてないようです。(やや伊バイアスが強いかな…)

 1940年9月頃は英仏海峡戦用に戦力(CAI)を抽出中なので、エーゲ航空隊は装備の更新には本当に恵まれていませんね。

やはりマタパン岬沖海戦(1941年3月)において、ロードス島からの航空支援は気配も無しなのか…。
カステロリゾ島…なんか戦役がありましたね…。
0490名無し三等兵
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2013/10/29(火) 17:58:11.37ID:???
Re2001の主翼ってP-35に酷似。
性能、戦果も同じような感じだ。
0491名無し三等兵
垢版 |
2013/10/29(火) 19:31:45.50ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
0492名無し三等兵
垢版 |
2013/10/30(水) 18:56:59.67ID:???
>490
イギリスにはハリケーンに間違われてますね。

 そもそもRe.2000のいわくについては『 Reggiane Re 2000 &#8211; Falco, Heja, J.20 』Maurizio Di Terlizzi 著 に興味深い新説・仮説
があるようなのですが、…私、伊文は読めないんです…。
 Ca.3の輸出と製造権の販売以来、カプロニ伯爵はアメリカ合衆国航空産業界と以外に強いコネクションがあるようなので、
レジアーネがIRI保有による国営化を経てカプロニ傘下*である以上は、私としても色々と密約、陰謀を推測するところがある
んですよ…。

>P-35はスウェーデンにも輸出された。スウェーデンでの呼称はJ9である。発注は120機だったが半数
>の60機を引き渡したところで1940年6月に兵器輸出を禁止する法律が成立したため、
>残りはアメリカ陸軍が引き取った。

 上の事実とカプロニ伯爵を結びつけると、例えば…
1)セバスキー社による、合衆国議会に内緒の、P-35 のイタリアへの不正技術供与。とか…
2)セバスキー社からスウェーデンへのP-35の不正な迂回輸出の実体が Re.2000 。とか…
あっても不思議じゃ無いなあと…。

 ただRe.2000の初飛行が1939年5月24日なので、時系列が合わないかあ…。
 ただスウェーデンへはぴったり穴埋めになりましたね。
 イギリス政府も開戦直前まで、イタリアに対して離独宥和政策の一環でカプロニにCa.311やRe.2000の引き合いを盛んに
出す辺りは…なにかとカプロニ伯爵の周りは、不思議なことが多いですよねえ……。

*Wikiのカプロニ伯爵自身の項の英、邦文ページでは、レジアーネがカプロニ子会社であることは、都市伝説であるとして
否定しているが、それこそが都市伝説なのではないでしょうか。
セバスキー P-35 
ttp://www.warbirds.jp/data/us/htm/p-35.htm
0494名無し三等兵
垢版 |
2013/10/31(木) 10:24:28.21ID:???
Re2001って、主脚の引き込み方はP-40(っていうかP-36)のコピーか?
さすがにP-35は90°捻りを横着したので、もっともダサい引き込み方になった。
(まあ、P-35は主脚に限らず全体的に未完成な雰囲気バリバリだけどな)

しかし、Pe2001って寄せ集めの典型みたいな機体だなあ。
0495名無し三等兵
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2013/10/31(木) 19:13:51.83ID:???
Re2001の主脚ですか…
ピンポイントで解説してある写真や資料を持っていないのでなんともいえませんが…、

 基本、Re 2000から2003までは一緒だと思いますよ。
 カーチスと比べて、カバーを主脚とタイヤ側に付けることで、主翼側の開閉機構を省略出来て、簡単な作りになって
いますね。動作の様子を見ると…もしかすると、作動原理も油圧と電動の違いがあるかもしれませんね。

Re 2000 の腹部
ttp://www.axis-and-allies-paintworks.com/e107_plugins/forum/forum_viewtopic.php?294
Re 2001 1分30秒あたり
ttp://www.youtube.com/watch?v=7sM-NiylFEY
カーチス P-40
ttp://www.youtube.com/watch?v=dD_ZTQ3-Kxs
飛行機の脚
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~t_miyama/landgia.html
0496名無し三等兵
垢版 |
2013/11/01(金) 13:41:16.88ID:???
不人気イタリア機の中でも、さらに知名度低いRe.2001が話題になるとは・・・・

さすがに模型もほとんど出回っていない。
SuperModel(旧FROG)の1/72ぐらいしか思いつかん。

でも妙に大らかさがあって(っていうか脳天気な呑気さ)、それなりに魅力的に見えてきた。
0497名無し三等兵
垢版 |
2013/11/04(月) 00:27:37.15ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
0498名無し三等兵
垢版 |
2013/11/04(月) 08:13:57.27ID:???
>>496
旧FROGではなくItaleliであろう。
Re2001(とかRe2000)をキット化するのは、Itareliぐらいなモノだ。
0500名無し三等兵
垢版 |
2013/11/04(月) 12:03:27.63ID:???
へタリア人って、先端テクノロジの機械とか電子機器を活用しての
戦闘はからっきしダメ。(頭がよくない種族なので、複雑なオペレーションに対応できない)

だから、戦闘が馬とか弓矢とかまでの時代までは何とかなった。
(WWUではすでに限界を超えていたので、激しく弱かった)

現在は、その弱小ぶりはさらに加速しており、お話にならないくらい弱い。
現在の戦闘は情報と頭脳と最先端テクノロジで戦うのであって、筋肉で戦うワケでなない。

特に脳みそまでが筋肉な↓ではねえ・・・ オホホ
http://theswash.com/wp-content/uploads/2012/05/italian-army.jpg
0503名無し三等兵
垢版 |
2013/11/04(月) 14:57:39.78ID:???
50 GRUPPO BT (Squadriglie 210,211. 16 Stormo)
This unit received the original Z1007 in May 1939. By June 1940 the twenty on strength were considered non-operational
due to their poor characteristics. The much-improved Z1007bis was issued and the unit moved to Brindisi for operations
over Greece.
 On 25 January 1941 it bombed Salonika, and on 6 April began operations against Yugoslavia with a raid on Mostar. Moving
to the Aegean in mid-April the unit pursued the Allied forces with attacks around Crete and Tobruk (12 May). Between 21
and 29 May it supported the German invasion of Crete with bombing and reconnaissance missions. This was followed by
raids on Egypt and Palestine. One aircraft was lost over Alexandria harbour during a reconnaissance mission, being shot
down by five Tomahawks of 250 Squadron, RAF, on 8 June.
 After a rest and refit in Italy the unit was sent to Sicily for anti-shipping sorties and the bombing of Malta. The Gruppo
was by now Autonomo and a daily average of fifteen to eighteen aircraft were used against Malta.
 After another refit in Italy the unit was sent to Sardinia to take on the invasion fleets and ports of North West Africa. On
31 January 1943 it rejoined 16 Stormo. On 9 July it had six operational aircraft. By September there were none left
serviceable.                    『 Courage Alone 〜 』 Chris Dunning 著 より

 第50(地上)爆撃航空群は1939年5月に最初期型*aのカントZ1007を受領した。1940年6月までは、12機の兵力は、Z1007の
低い性能ゆえに、熟慮の上に実戦向きではないと考えられていた。大幅に改良されたZ1007bis*bが配備されると、部隊は
ギリシャへの作戦の為に(ヴィチェンツァ*1から)ブリンディジ*2に移動になった。
 1941年1月25日に、第50爆撃航空群はサロニカを爆撃した。また4月6日にはモスタル*3の空襲によりユーゴスラビアへの
作戦を開始した。
0504名無し三等兵
垢版 |
2013/11/04(月) 15:04:49.46ID:???
>503の続き

 4月中旬(14日)にエーゲ海に移動になると、部隊はクレタとトブルク(5月12日)周辺を攻撃して、連合国軍を追った。
 5月21日から29日にかけて、部隊は爆撃*4と偵察の任務に就き、独軍のクレタ侵攻を支援した。然る後に、部隊はエジプト
とパレスチナを空襲した。
 6月8日に1機がアレクサンドリア港での偵察任務中に、英国第250飛行隊の5機のトマホークにより撃墜され失われた。
 イタリアでの休養と修理、改装の後、部隊は英国輸送船団攻撃とマルタ空襲のために、シシリーに送られた。部隊は今や
「独立」航空群となり、1日平均15〜18機*5をマルタへ出撃させていた。
 イタリアでの別の修理、改装の後、部隊は侵攻艦隊と北西アフリカの港を引き受ける為に、サルディーニャに送られた。
 1943年1月31日に部隊は第16航空団に最編入された。7月9日には部隊には6機の作戦可能機があった。9月までには作戦
可能な機体は1機も残っていなかった。

以下私の注釈です。
*a ttp://www.wwiiaircraftphotos.com/Regia4/CantZ1007-24f.jpg
   イソッタ・フラスキーニ Asso エンジン(水冷V12気筒)+環状ラジエーター装備型便宜上 Z.1007“Asso”と呼ぶことも、
   写真は51グルッポ213スクアドリッリア所属の機体。
*b ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/Cant_Z_1007_first_series.html
   1941年初頭のギリシャ作戦時の50グルッポ210スクアドリッリアの Z.1007bis (ピアジオP.XI RC.40 空冷14気筒エンジン
   搭載)。
*1 イタリア北部、ベネチアの西
*2 イタリア南端ターラントの東、アドリア海沿岸
*3 サラエボの南西
*4 5月21日には英海軍駆逐艦Junoを撃沈(『海戦』マッキンタイア著)
   ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/Juno_sinking_Italian.html
*5 定数で1個GRUPPO(BT)は2個Squadriglie(各9機)の計18機
0505名無し三等兵
垢版 |
2013/11/04(月) 15:11:31.43ID:???
>504の続き、締め。

 1941年4月14日から9月5日までの5ヶ月間だけエーゲ航空隊の隷下にいた50グルッポです。ほぼ効果の上がらない
高高度からの水平爆撃により、5月21日には英海軍駆逐艦Junoを撃沈という殊勲を挙げたため、英国輸送船団攻撃と
マルタ空襲での活躍を期待されたのか、シシリーに送られています。
 
 シシリーでは高稼働率を誇っているようですが、額面どおりに受け止めるのはいささか……機体素材(木材)のトラブル
(ささくれ、シワ)が未解決だったようですし…。
 主力爆撃機としては、フィアットBR.20よりも Z.1007bis が期待されたものの(ロベルト・ロッセリーニ監督により『 Un pilota
ritorna 』ギリシャからの帰還、という映画も戦時中に作られていた。 Z.1007bis が登場する。)、素材トラブルで振り出しに…
 で結局 SM.79 が Z.1018 の登場まで支えきるといったところでしょうか。
0506名無し三等兵
垢版 |
2013/11/07(木) 00:57:32.91ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
0508名無し三等兵
垢版 |
2013/11/07(木) 22:29:28.91ID:???
イタリア軍って、みんな頭が悪そうだなあ。
0509名無し三等兵
垢版 |
2013/11/07(木) 23:09:55.71ID:???
コピペに毎度毎度反応されて、御苦労様です。
0510名無し三等兵
垢版 |
2013/11/07(木) 23:36:15.72ID:???
イタリア陸軍

ttp://www.esercito.difesa.it/Pagine/default.aspx

陸上自衛隊

ttp://www.mod.go.jp/gsdf/

( ´∀`)ゝ゛
0511名無し三等兵
垢版 |
2013/11/09(土) 09:49:37.48ID:???
開戦時当初からエーゲ航空隊にいた部隊はこれで最後です、まだ途中加入の部隊が数個ありますが…。

84 Gruppo RM (Squadriglie 147,185 Storm Autonomo)
Formed on 1 October 1937 under Regia Marina control, this unit had twelve Z.501s at Lero on 10 June 1940. There was also
a Sezione Ricognizione Strategica with two Z.506Bs attached to the Gruppo. 147 Sq was originally the 6 Sezione Costiera.
The Gruppo joined in the battle of Capo Spada on 19 July and protected shipping between Tripoli and Crete. Two aircraft
were lost during an air attack on Lero on 3 October.
 In February 1941 the unit was involved in operations against Force H from Gibraltar. The squadriglie continued
independent operations through the next year with convoy escorts and maritime reconnaissance between the Aegean and
Africa, although the Gruppo was temporarily disbanded until 1 August 1942.
 On reforming the unit moved to Crete to protect convoys crossing to Cirenaica and supplying the Axis forces before
Alamein. During 1943 it withdrew to Italy, replacing both squadriglie with 140 and 145 Sq on 11 June. it now covered the Alto
Tirreno area.
 147 and 185 Sq meanwhile stayed at Lero under the Greek Area Command until the Armistice, at which time they had
four Z.501s and four Z.506Bs operational with a section at Rodi-Mandracchio. On 20 May 11 Sszione Aerea di Soccorso was
formed from 185 Sq at Lero. Effectively, 185 Sq disbanded on 10 June when its remaining aircraft and crews were passed
to 147 Sq. On 7 September 84 Gruppo had three Z.501s, two Z.506Bs and five RS14Bs operational.
                    『 Courage Alone 〜 』 Chris Dunning 著 より

 第84水上(海上)偵察航空群(グルッポ){(独立航空団*1 隷下であり、第147、185飛行隊によって構成されている)}
 1937年10月1日に海軍の制御下にある部隊*2 として編成された84グルッポは、1940年6月10日の時点でレロス島を拠点と
し、12機のカントZ.501飛行艇が配備されていた。
0512名無し三等兵
垢版 |
2013/11/09(土) 10:00:52.72ID:???
>511の続き

 この84グルッポには2機のカントZ.506Bが配備された戦略偵察分隊が付属していた。第147飛行隊(スクアドリッリア)は元々
は第6沿岸飛行分隊であった。84グルッポは1940年7月19日のスパダ岬沖海戦に参加しており、またトリポリ=クレタ間の
船舶護衛任務に就いていた。10月3日*3 のレロス島空襲中に2機を喪失した。
 1941年2月に84グルッポはジブラルタルより来る英国H部隊を巡る作戦に巻き込まれていた。84グルッポは1942年8月1日
まで一時的に解隊させられていたが、飛行隊、単体でエーゲ諸島とアフリカの間の輸送船団護衛と海上偵察の任務において、
独立した軍事行動を翌年まで継続した。
 84グルッポが再編されるやいなや、部隊はクレタへ移動になった、キレナイカへ渡る輸送船団の護衛の為にそしてアラメイン
前面の枢軸軍の補給の為に。1943年6月11日に84グルッポは隷下の2つの部隊を140、145スクアドリッリアに入れ替えると、
1943年じゅうはイタリア本土に退いていた。部隊はチレニア海(イタリア西海岸)空域を受け持った。
 その一方で、147と185スクアドリッリアは、休戦まで、“ギリシャ方面部隊”*4 隷下としてレロス島に留まった。休戦時に、
147と185スクアドリッリアは、4機のZ.501 と4機のZ.506B が作戦可能であった、ロードス島の『 Mandracchio 』*5 水上飛行機
基地の部隊として。
 1943年5月20日にレロス島で、第11航空救難分隊は185スクアドリッリアから編成された。185スクアドリッリアは1943年6月
10日に完全に解隊した、残っていた作戦機と要員は147スクアドリッリアへ移譲された。
 1943年9月7日に、84グルッポは3機のZ.501と2機のZ.506B と5機のCMASA(フィアット)RS14B が作戦可能な状態にあった。

私的注釈です。
*1 正確には、Comando Superiore Aviazione Ausiliaria Regia Marina 海軍補助航空隊最高司令部>Comando Militare
   Marittimo Autonomo "Isole Italiane Egeo"『イタリア領エーゲ諸島』独立海軍(指揮下)部隊
*2 ttp://www.youtube.com/watch?v=QhphVB7b7tA
  従って動画の、指揮所の白い服の士官は海軍士官なのでしょうか?(動画の部隊は188スクアドリッリアを隷下に持つ
  85グルッポRMと思われる)
0513名無し三等兵
垢版 |
2013/11/09(土) 10:06:54.41ID:???
>512の続き、締め

*3 10月13〜14日であれば、英空母「イラストリアス」艦載機による攻撃なのですが…。
  ttp://worldwar2daybyday.blogspot.jp/2010/10/day-410-october-14-1940.html
  ttp://ja.wikipedia.org/wiki/MB6%E4%BD%9C%E6%88%A6
  さもなくば、英軍中東地上基地のブレニムおよびボンベイか、ギリシャ軍の攻撃ということに…。
*4 Comando Aviazione Ausiliaria Regia Marina >Comando Militare Marittimo "Grecia"『ギリシャ』海軍(指揮下)部隊
*5 Idroscalo di Rodi-Mandracchio
  ttp://it.wikipedia.org/wiki/Idroscalo_di_Rodi-Mandracchio

Z.501 の詳細な写真
ttp://www.network54.com/Forum/394728/thread/1266023943/1266219592/The+CANT+Z.501+GABBIANO++in+Spain+and+Romania-+part+1
Z.501 のアドリア海における船舶護衛
ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/CZ501-PATT-ANT-3-42.html

 で、カントZ.501 です。個人的にはエンジンを串型の櫓にして垂直尾翼を2枚にすれば……マンマユート…に…。
 動画、写真を見て思うのですが前方の機銃手、非常に危険です、すぐ背後にプロペラがあります。
 生産数454機の内、半数はカントで、半数はパレルモの『 Aeronautica sicula 』社で作られています。この sicula 社は、
またしてもカプロニの子会社だったりします、さすが伯爵、手広いこと。
 Z.501 は原型初飛行が1934年3月とSM.81に次いで古いです、水上偵察機は新規専用設計の RS14 に更新する計画も、
例に漏れずにてこずり、民間機のZ.506 を軍用に発展させた物を繋ぎでバックアップとして使い始めるが、バックアップ機が
主力機になるという…、Z.506B は出自が民間機のSM.79 と似た状況のようですね。

『 Aeronautica sicula 』社
ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/AEROSICULA-PA-CZ501.html
ttp://www.palermonotizie.com/2010011620295/officine-aeronautica-sicula-ducrot-palermo.html
0514名無し三等兵
垢版 |
2013/11/09(土) 10:26:57.50ID:???
拡大期のカプロニ社はローリングトウェンティーズの好況にわくアメリカ市場にも進出を図る。
WW1の航空機ライセンス生産で関係のあったカーチス社と再び合弁企業カーチス・カプロニ社を
設立し、工場を建てたところで折悪しく大恐慌がアメリカ経済を直撃、飛行機どころではなくなった
のでこの計画は放棄されてしまった。ボルチモアにあった工場は新生ノースアメリカン社の
初代本社工場の一部として再利用されたが会社はすぐに西海岸へ移転していった。
0515名無し三等兵
垢版 |
2013/11/09(土) 22:25:14.34ID:???
よりによって、合弁相手にカーチスを選んでしまうとは・・・・
0518名無し三等兵
垢版 |
2013/11/12(火) 13:26:25.10ID:???
カプロニって、胴体がダクテッドファンな飛行機とか作ったヘンな会社だよね。
パイロットの乗るとこが無くて、無理やり茶筒みたいな胴体の上にコクピットがあってワロス
0519名無し三等兵
垢版 |
2013/11/12(火) 13:30:58.68ID:KytRHddR
シュナイダーカップの出場機とかはカッコよかったのに、
なんで1930年半ば以降はヘタレになったの?
0520名無し三等兵
垢版 |
2013/11/12(火) 14:15:45.13ID:???
あれは水冷エンジンを直列双発にしたりして相当無理してたからな。
イギリスの技術的協力もあった。

機体の設計技術や手作り技術は高かった。カッコはG50とかMC200とかもいいだろ。
フェラーリとトヨタの差だ。
0522名無し三等兵
垢版 |
2013/11/12(火) 18:33:56.74ID:???
ビル・ガンストンの「航空ピストンエンジン」だったと思うけど、
シュナイダー・トロフィー・レースでは、英BPにしろ伊アジップにしろ、
ビル・ガンストンがいうところの“魔法の燃料”(たぶんちょっぴり危険
で有害な添加剤などが含まれている意味だと思う)が使われていて、
大出力を引き出すのに一役買っていたとあった。
0523名無し三等兵
垢版 |
2013/11/12(火) 23:24:05.42ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
0524名無し三等兵
垢版 |
2013/11/13(水) 07:48:59.42ID:???
イタリアの(レース機はともかく)軍用機はヘタレ。
他国の2周遅れぐらいの陳腐な機体ばかり。
0526名無し三等兵
垢版 |
2013/11/14(木) 21:27:57.24ID:???
レジアーネってチーズみたいな名前だとオモたら、地名なんだな。
(グレーターで挽きたてのParmigiano Reggianoが大好き)

イタリアはチーズとかワインとかはヨイけど、工業製品はダメだな。
高度な工業製品である航空機はもっとも苦手な科目だ。

あまり知能も高くないし、勤勉でもない種族だからなあ・・・・
0527名無し三等兵
垢版 |
2013/11/14(木) 22:37:24.63ID:???
ヘタリア人は生まれながらの臆病者
0528名無し三等兵
垢版 |
2013/11/14(木) 23:41:30.44ID:???
単品生産の「工芸品」なら何とか・・・・
0529名無し三等兵
垢版 |
2013/11/15(金) 05:06:38.29ID:???
そもそもイタリア人が飛行機とか戦艦造れるわけないだろうに・・・
有能なイタリア人なんてこの100年、一人だって存在しないぐらいなのに
0530名無し三等兵
垢版 |
2013/11/15(金) 06:09:28.02ID:DnMIpK9B
戦車とか自走砲とか陸戦兵器はもっとダメ。
小火器(ベレッタとか)が何とか使い物になった程度。
本当にダメな民族だ。
0531名無し三等兵
垢版 |
2013/11/15(金) 14:08:29.65ID:???
だから何でイタリアと同盟したのかとか
それどころかNATOは何でイタリアを加えてるとか欧州人はマゾか?
0532名無し三等兵
垢版 |
2013/11/15(金) 14:40:15.46ID:???
チハよりはカルロアルマートの方が完成されてるし一式砲戦車よりセモベンテの方が完成されてるよな。

処女卒業と同時にあっさり撃沈されたビスマルクや永遠の引きこもりのティルピッツよりはイタリア戦艦のほうが粘っているといえる。
首なし戦闘機を無謀に大量生産した川崎よりはマッキの方が常識的だったかもしれない。
震洋や伏龍よりはデチスマスのほうがはるかに戦略的に有効だったともいえる。
0533名無し三等兵
垢版 |
2013/11/15(金) 22:28:24.05ID:6mwhFzIG
イタリアってヤパーリだめだな。
0535名無し三等兵
垢版 |
2013/11/15(金) 23:20:09.19ID:???
>>533
合コンが上手くいかなかったのはよく解りました。
0536名無し三等兵
垢版 |
2013/11/15(金) 23:28:54.84ID:???
>>533
人生うまくいかないこともあるさ、練炭で心を暖めておやすみなさい。
0538名無し三等兵
垢版 |
2013/11/16(土) 07:16:40.19ID:???
イタリアって、もともと国民性が【怠け者】だから。
スペインも。
0539名無し三等兵
垢版 |
2013/11/16(土) 09:50:13.66ID:???
ここは国民性を語るスレじゃねえんだよ。
古紙回収にチラシ全部だしちまったのか。
息止めてねてろ。
0540名無し三等兵
垢版 |
2013/11/16(土) 10:42:24.94ID:m93i6GH3
国民性が怠惰だから、ロクな兵器も作れず、士気の低さと相まって
最弱ヘタレ軍隊になったワケだが。
0541名無し三等兵
垢版 |
2013/11/16(土) 11:07:32.50ID:???
>>539
最近のなんとかこれブームと一緒に流入した方々に一々お相手なさらずともとよろしいかと…。
スレの主旨と関係の無い話を繰り返す人は相手にしなくてもよろしいですぞ。
心の興奮は止まないかと思いますが、せめてsageくれませんかねェ。
0542名無し三等兵
垢版 |
2013/11/16(土) 11:15:04.08ID:???
この手の愛国と排斥を勘違いしてる輩は、自尊心を守りたいだけの自慰レスだから、相手にしても無意味だよ
0543名無し三等兵
垢版 |
2013/11/16(土) 11:20:14.16ID:???
>>540
『〜最強だろ?』みたいなスレでうんちく語れば?
0544名無し三等兵
垢版 |
2013/11/16(土) 11:40:46.74ID:???
>>540
今日は新大久保あたりで○○○スピーチとかやらんの?
自慰レス気持ち良かった?
0545名無し三等兵
垢版 |
2013/11/16(土) 19:29:52.54ID:???
なにか最近、枯れ木も山のにぎわい、とでも言うのでしょうか…

86 GRUPPO BM*1 (Squadriglie 190,191. Stormo 35)
This unit was formed in 1937, with the Z.506B floatplane bomber arriving in November of that year. It supported the
occupation of Albania. In June 1940*2 the unit briefly flew against Bizerte port and its shipping, then concentrated on sea
warfare. On 9 July it attacked the Royal Navy cruiser HMS Malaya in the battle of Punto Stilo. The three days of this
battle highlighted the lack of recognition*2 by air and naval units, which caused much confusion. This problem remained
throughout most of the war.
 The Gruppo joined the Greek campaign and, with an average nine out of twelve aircraft operational, continued fighting
against the Yugoslavs. From 28 April to 1 May 1941 it assisted in the occupation of Corfu, Zante*3 and Cefalonia. On 30
April five Z.506Bs ferried troops to Cefalonia as part of the occupying force. By 5 May the unit had moved to Greece for a
brief stay, while converting to the Z.1007bis land-based bomber. Two armed SM82s were received for long-range bombing in
May. They were then passed to 145 Gruppo.
 On 7 April 1942 the Gruppo was sent to Africa, to replace 13 Stormo. It received aircraft from the disbanding 176 Sq.
Night attacks were carried out against Tobruk between April and June.
           『 Courage Alone 〜 』 Chris Dunning 著 より (本文が長いので途中までです)

第86水上(海上)爆撃航空群(第35航空団>第86水上(海上)爆撃航空群>第190、191飛行隊)
 第86水上(海上)爆撃航空群は1937年に、同年11月に到着したカントZ.506B 水上爆撃機をもってして編成された。部隊は
アルバニア侵攻を支援した。
 1940年6月(対仏海戦時)に、部隊は簡単にビゼルト港(チュニジアの北端)と船舶に対して飛んだ、その時は海上の戦闘に
注力していた。同年7月9日には、カラブリア沖海戦(プンタ・スティーロ沖海戦)で、英国海軍 マレーヤ(クイーン・エリザベス級
戦艦)を攻撃した。
0546名無し三等兵
垢版 |
2013/11/16(土) 19:38:34.78ID:???
>545の続き〆

 3日間のこの海戦で、空軍と海軍間の相互の敵味方の認識能力(空軍と海軍の意思疎通)の欠如を強く浮かび上がらせた、
また、その欠如は多大な混乱を引き起こした。この問題は大戦の大部分の期間を通して残っていた。
 86グルッポ(航空群)はギリシャ戦役とユーゴスラヴィア戦役とを通して参加した、(作戦期間中は)平均的に12機の作戦可能
機体の内、9機が稼動していた。1941年4月28日から5月1日にかけて、部隊はコルフ島、ザキントス島およびケファリアニ島の
占領を支援した。4月30日に5機のZ.506B がケファリアニ島占領部隊の一部を同島に空輸した。
 5月5日までには部隊はギリシャに移動になっていたが、ほんの短期間であった。その期間に部隊は Z.1007bis 地上爆撃機に
機種変換を行った。5月には長距離爆撃の為に、武装した2機のSM82を受領した。2機の SM82 は145グルッポから来た機体
だった。
 1942年4月7日に86グルッポはアフリカへ送られ、13ストロモ(航空団)隷下に配置換えになった。86グルッポは解隊になった
176スクアドリッリア(飛行隊)から機体を受領した。部隊は4月から6月のあいだ、トブルクに対しての夜間爆撃を遂行した。

以下私的注釈です。
*1 B=Bombardamento  M=Marittimo
*2 基地はブリンディジ(Brindisi)
*3 誤爆、誤射も含めた空軍と海軍の連携のまずさを意味していると思われる。
*4 【英】Zakynthos

 水上機のながれからカントZ.506B を…
 316機中177機をカントが残りをピアジオが作ってますZ.1007に受け継がれる乗員のタンデム配置はここから始まっている
んですかね。
 Z.506B 開戦時には偵察機隊への配備が26機程度に対して、爆撃機隊への配備が86グルッポを含む4個グルッポ48機
なんですね、2個グルッポはZ.1007bis に機種変換をして地上爆撃機航空群へ、2個グルッポは合併という形で水上偵察航空群
になっています。
 カントからカント、SM79ではなくてZ.1007bis…ちょっぴり既得権益とか癒着といった匂いがします。

 Z.506B もZ.1007bis も雷撃が可能ということになっているようですが、実戦での雷撃の記述は未だ見受けられませんねえ。
 Z.506B は『 Alfa Tau! 』という映画にも登場しますね。
0547名無し三等兵
垢版 |
2013/11/17(日) 10:39:21.75ID:???
>546の
>4月30日に5機のZ.506B がケファリアニ島占領部隊の一部を同島に空輸した。
のちの状況を写したと思われる写真
ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/CZ506-IS-GRECHE.html
0549名無し三等兵
垢版 |
2013/11/17(日) 14:48:45.14ID:???
他国の足を引っ張るためだけに生きております。
0552名無し三等兵
垢版 |
2013/11/17(日) 15:09:32.79ID:???
まーた自慰くんを相手にしちゃって。
0553名無し三等兵
垢版 |
2013/11/17(日) 15:14:14.34ID:???
>>549
ほんとこの手の糞レスはいらねーんだわチラ裏してろカス
せめて一式陸攻と ピアッジオP.108を比較してみましたとかやってみろよ
二度とくんなオナニー野郎
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