WW2イタリア機を語る
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マッキ、フィアット、レジアーネ、サボイア とにかくマイナーなイタリア機について語りましょう。 戦車とか自走砲とか陸戦兵器はもっとダメ。 小火器(ベレッタとか)が何とか使い物になった程度。 本当にダメな民族だ。 だから何でイタリアと同盟したのかとか それどころかNATOは何でイタリアを加えてるとか欧州人はマゾか? チハよりはカルロアルマートの方が完成されてるし一式砲戦車よりセモベンテの方が完成されてるよな。 処女卒業と同時にあっさり撃沈されたビスマルクや永遠の引きこもりのティルピッツよりはイタリア戦艦のほうが粘っているといえる。 首なし戦闘機を無謀に大量生産した川崎よりはマッキの方が常識的だったかもしれない。 震洋や伏龍よりはデチスマスのほうがはるかに戦略的に有効だったともいえる。 >>533 合コンが上手くいかなかったのはよく解りました。 >>533 人生うまくいかないこともあるさ、練炭で心を暖めておやすみなさい。 イタリアって、もともと国民性が【怠け者】だから。 スペインも。 ここは国民性を語るスレじゃねえんだよ。 古紙回収にチラシ全部だしちまったのか。 息止めてねてろ。 国民性が怠惰だから、ロクな兵器も作れず、士気の低さと相まって 最弱ヘタレ軍隊になったワケだが。 >>539 最近のなんとかこれブームと一緒に流入した方々に一々お相手なさらずともとよろしいかと…。 スレの主旨と関係の無い話を繰り返す人は相手にしなくてもよろしいですぞ。 心の興奮は止まないかと思いますが、せめてsageくれませんかねェ。 この手の愛国と排斥を勘違いしてる輩は、自尊心を守りたいだけの自慰レスだから、相手にしても無意味だよ >>540 『〜最強だろ?』みたいなスレでうんちく語れば? >>540 今日は新大久保あたりで○○○スピーチとかやらんの? 自慰レス気持ち良かった? なにか最近、枯れ木も山のにぎわい、とでも言うのでしょうか… 86 GRUPPO BM*1 (Squadriglie 190,191. Stormo 35) This unit was formed in 1937, with the Z.506B floatplane bomber arriving in November of that year. It supported the occupation of Albania. In June 1940*2 the unit briefly flew against Bizerte port and its shipping, then concentrated on sea warfare. On 9 July it attacked the Royal Navy cruiser HMS Malaya in the battle of Punto Stilo. The three days of this battle highlighted the lack of recognition*2 by air and naval units, which caused much confusion. This problem remained throughout most of the war. The Gruppo joined the Greek campaign and, with an average nine out of twelve aircraft operational, continued fighting against the Yugoslavs. From 28 April to 1 May 1941 it assisted in the occupation of Corfu, Zante*3 and Cefalonia. On 30 April five Z.506Bs ferried troops to Cefalonia as part of the occupying force. By 5 May the unit had moved to Greece for a brief stay, while converting to the Z.1007bis land-based bomber. Two armed SM82s were received for long-range bombing in May. They were then passed to 145 Gruppo. On 7 April 1942 the Gruppo was sent to Africa, to replace 13 Stormo. It received aircraft from the disbanding 176 Sq. Night attacks were carried out against Tobruk between April and June. 『 Courage Alone 〜 』 Chris Dunning 著 より (本文が長いので途中までです) 第86水上(海上)爆撃航空群(第35航空団>第86水上(海上)爆撃航空群>第190、191飛行隊) 第86水上(海上)爆撃航空群は1937年に、同年11月に到着したカントZ.506B 水上爆撃機をもってして編成された。部隊は アルバニア侵攻を支援した。 1940年6月(対仏海戦時)に、部隊は簡単にビゼルト港(チュニジアの北端)と船舶に対して飛んだ、その時は海上の戦闘に 注力していた。同年7月9日には、カラブリア沖海戦(プンタ・スティーロ沖海戦)で、英国海軍 マレーヤ(クイーン・エリザベス級 戦艦)を攻撃した。 >545の続き〆 3日間のこの海戦で、空軍と海軍間の相互の敵味方の認識能力(空軍と海軍の意思疎通)の欠如を強く浮かび上がらせた、 また、その欠如は多大な混乱を引き起こした。この問題は大戦の大部分の期間を通して残っていた。 86グルッポ(航空群)はギリシャ戦役とユーゴスラヴィア戦役とを通して参加した、(作戦期間中は)平均的に12機の作戦可能 機体の内、9機が稼動していた。1941年4月28日から5月1日にかけて、部隊はコルフ島、ザキントス島およびケファリアニ島の 占領を支援した。4月30日に5機のZ.506B がケファリアニ島占領部隊の一部を同島に空輸した。 5月5日までには部隊はギリシャに移動になっていたが、ほんの短期間であった。その期間に部隊は Z.1007bis 地上爆撃機に 機種変換を行った。5月には長距離爆撃の為に、武装した2機のSM82を受領した。2機の SM82 は145グルッポから来た機体 だった。 1942年4月7日に86グルッポはアフリカへ送られ、13ストロモ(航空団)隷下に配置換えになった。86グルッポは解隊になった 176スクアドリッリア(飛行隊)から機体を受領した。部隊は4月から6月のあいだ、トブルクに対しての夜間爆撃を遂行した。 以下私的注釈です。 *1 B=Bombardamento M=Marittimo *2 基地はブリンディジ(Brindisi) *3 誤爆、誤射も含めた空軍と海軍の連携のまずさを意味していると思われる。 *4 【英】Zakynthos 水上機のながれからカントZ.506B を… 316機中177機をカントが残りをピアジオが作ってますZ.1007に受け継がれる乗員のタンデム配置はここから始まっている んですかね。 Z.506B 開戦時には偵察機隊への配備が26機程度に対して、爆撃機隊への配備が86グルッポを含む4個グルッポ48機 なんですね、2個グルッポはZ.1007bis に機種変換をして地上爆撃機航空群へ、2個グルッポは合併という形で水上偵察航空群 になっています。 カントからカント、SM79ではなくてZ.1007bis…ちょっぴり既得権益とか癒着といった匂いがします。 Z.506B もZ.1007bis も雷撃が可能ということになっているようですが、実戦での雷撃の記述は未だ見受けられませんねえ。 Z.506B は『 Alfa Tau! 』という映画にも登場しますね。 >546の >4月30日に5機のZ.506B がケファリアニ島占領部隊の一部を同島に空輸した。 のちの状況を写したと思われる写真 ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/CZ506-IS-GRECHE.html >>549 ほんとこの手の糞レスはいらねーんだわチラ裏してろカス せめて一式陸攻と ピアッジオP.108を比較してみましたとかやってみろよ 二度とくんなオナニー野郎 70年前にはわが国も、彼の統帥から「不撓不屈の国」と讃えられたのに… 我が民族はどうしてこうも劣等感丸出しの小僧になってしまったのか……。 >>555 はいはいまたスレとは無関係な話題のみの憂国の士さん乙 >一式陸攻と ピアッジオP.108を比較してみました とかどうですか? あと>>554 とか見てるの?>>554 の引用元とか知ってるの?エセ国士さん あっご免独厨か >>555 護衛艦の62口径76ミリ速射砲を撤去しますた。ふふふ 他を蔑んで自尊心を守ることに精一杯の人に何を言っても無駄。 議論や情報の積み上げに何の益ももたらさない。 560 :名無し三等兵:2013/11/18(月) 20:13:49.61 ID:??? >560って学習能力ひくいよね。 ハ40 >>560 10年も遅れて初飛行したキ64って何を真似したん? J( 'ー`)し <タカシ…よかったね…今晩もおまえのレスにブーメランが2つも刺さったよ… おフランスはもっともっとふがいないザンす。シェ〜〜!! ばちあたりが!! 休戦間際にデボちゃんを使っておろーが。活躍してんだぞ。 ミングッツィ( Minguzzi )も22゚グルッポでRE2005を失ったあとで D.520 に乗ってる。 写真は22゚グルッポじゃないけど ttp://www.ww2incolor.com/italian-forces/D520-RA-1.html >566 先生怒らないから、今のうちにフランスに謝ってきなさい。 あと LeO 45 や所属部隊がはっきりしないけど Potez 630 も使ってる。 フランスのWWU戦闘機ってトホホな駄作機ばかりだよ。 まだ、イタリアの方がマシだよ。 高性能じゃないけど、頑張ってるかんじのこれとか好きだなあ ラテコエール298 ttp://www.warbirdphotographs.com/Avions3/Late298-Df.jpg ラテン早熟系とでもいうか仏は、ソレックス、ノーム・ロータリーE/G、イスパノE/Gと、優れた機器をもってて、 黎明期から第一次大戦とトップを走ってると、追い抜かされるまで焦らなくても不思議じゃないと思う。 覇権者と挑戦者は無常にも循環したり、しなかったり……。 >>434 コンドルも操縦してるよ>m. >『ムッソリーニ』ニコラス・ファレル著 白水社 下巻p185 >八月(1941年)の最後の数日間、ムッソリーニは長男ヴィットリオとともに列車で「狼の巣」−−東プロイセン >のラステンブルグにある総統の司令部−−にヒトラーを訪ねた。…中略…ある地点でムッソリーニはヒトラーを >説得して、彼らが乗る飛行機−−4発エンジンのコンドル−−を自ら操縦した。 副操縦士は居るだろうけどコクピット・ドリル程度でいきなり飛んじゃうて大胆だよね 息子も飛行士だった、だが墜ちた ttp://www.avia-it.com/act/album_foto/7_La_II_Guerra_Mondiale_web/167_P_108-Bruno_Mussolini.jpg 娘婿(チアーノ外相)も飛行士だった、この中にいるはずだ ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/it/8/85/Caproni_101_in_volo_su_Macall%C3%A8_il_14_novembre_1935.jpg 当時の皇太子アオスタ公も飛行士だった、血縁関係はない ttp://www.aeronautica.difesa.it/cpa/gallery/PublishingImages/aviatori/big/38.jpg 枢軸国のエース ドイツ 300〜 2人 200〜 13人 100〜 88人 フィンランド 50〜 3人 30〜 7人 ルーマニア 50〜 2人 ハンガリー 30〜 1人 20〜 3人 スロヴァキア 30〜 1人 20〜 1人 ヘタリア(笑) 20〜 4人 フランス激弱。イタリアにも劣る世界に冠たる三等国。 リーダーに戦略頭脳が無かったのがイタリアの不幸。 統一戦争後、富国強兵政策すら軌道に乗らない環境で、オーストリアとかソ連を一時は敗退させたことをもっと評価するべきだな。 ヒーローをどう取り扱うか、国民性とか軍の体質とか、政権与党の都合次第でだいぶ変わる。 アカラサマに宣伝省と権限持たせてたナチスと表向きは質素を善しとしながら爆裂三勇士なる喧伝とか ニュース映画を多用していた旧日本軍のダブルスタンダードだってあるぞ。 少なくとも今のイタリア軍は強いよ。政権与党は別にしてね。 習志野でも見ない面構えがゾロゾロ。 フランスのエース、ルネ・フォンクはドイツ機を75機撃墜した。 >583 すみませんね、にぎやかしの方々が変なこと始めちゃって。 そろそろストレーザ戦線を再構築して独と戦う時期ですかねェ(真顔w) >582 ムッソリーニは統帥を20年近くも努めて、さすがに「焼きが廻った」感がありありといった所ですかね… 軍部は勝利を計算出来るところでは勝利し、無謀な企てはしてない。勝てない所では負けるべくして負けた、といったところ なんでしょうか…。 以下、『第二次世界大戦 ムッソリーニの戦い』B・ボスケージ より 三月*以来、軍部は次の戦争計画を立てて、各戦線における態勢を決めていた。 1) フランスに対する西部戦線では守勢。 2) 東部戦線ではユーゴスラヴィアに対して警戒態勢。 3) アルバニアではユーゴスラヴィアとギリシャに向けて守勢。 4) リビア(チュニジアとエジプトに向けて)およびエーゲ海で守勢。 5) イタリア領東アフリカでは、エリトリアを守るため、およびスーダンのゲダレフとカッサラに対する 作戦上、攻勢。またジブチに対しても攻勢。 6) ケニア戦線では守勢または状況により攻撃に出る。 7) 空軍は陸海軍と共同に行動し、戦線の状況と敵のイニシアチブを見極めて防御または攻撃に出る。 8) 海軍は地中海の内外で攻勢。 以上 * 1940年 東アフリカでは攻勢を企図してちゃんと勝利してますね。(孤立隔絶のため長期は保持出来なかったけど…) バドリオ、グラツィアーニ(この2人に対してとくだんの好感は持てないが)のぐずぐず遅延も、良心的抗命行為(統帥への抗命、 国王への忠誠)と、考えてあげても良い様な…。 8)は…まだ考察できてません……ややファナティックな優れた指揮官がいますね。 ムッソリーニは威厳とか品格とかが無い。タダの百姓オヤジ。 演説もヘタ。頭悪そう。 幽閉されたままでよかったのに。 このスレはsage進行になりました、ルールを守れない人はいかなる罵詈雑言をあびても文句は言えません。 586 :名無し三等兵:2013/11/21(木) 19:43:18.28 ID:6xQFWFRI >>586 は威厳とか品格とかが無い。タダの百姓オヤジ。 演説もヘタ。頭悪そう。 残業で泊り込みだったらよかったのに。 >>586 「鍛冶屋の血が流れている」んだよ、本読めあほスタスレにでも行って相手してもらえばか >>586 wwwカッコいい事言ったつもりがppp 586 :名無し三等兵:2013/11/21(木) 19:43:18.28 ID:6xQFWFRI ムッソリーニは威厳とか品格とかが無い。タダの百姓オヤジ。 演説もヘタ。頭悪そう。 幽閉されたままでよかったのに。 589 :名無し三等兵:2013/11/21(木) 20:09:45.62 ID:??? >>586 「鍛冶屋の血が流れている」んだよ、本読めあほ、ばか 590 :名無し三等兵:2013/11/21(木) 20:12:04.65 ID:??? >>586 カッコいい事言ったつもりが…w 当時、フランスとイタリアが戦ったとしたら、イタリアの圧勝。 >593 当時とはいささか曖昧ですなあ、1940年だと無理がありますぞ。 いや真面目な話、ムッソリーニをみすみす逃がした、バドリオの罪は重いと思います。 バドリオ自身の手に余るというか、処断できなかったのだと思うのですよ……。 ムッソリーニの身柄をドイツに渡さなかったら、イタリア人の流した血はもっと少なかったと思います。 なんでもいいからあげんなくそ>>586 >>596 そんなに恥ずかしいか?だったら二度とこなけりゃいいんだよ ぼくイタリア人じゃないんでムッソリーニがどうのこうのとか…わりとどうでもいい 歴史認識の欠如、曲解が不愉快なの あと極端に排他的な人が自分と同じ言葉を使うことが恥ずかしいの グラン・サッソ襲撃(ムッソリーニ奪取)作戦はお見事。 フィーゼラFi156みたいな航空機は、イタリアが逆立ちしようが 3遍回ってニャーと鳴こうが、絶対に開発できない。 ちょっと前、Re2001の話がちょっとあって、興味が湧いたので、 キット買ってきますた(SuperModel製1/72)。 なるほど、セバスキーP-35によく似ている。 でも、なかなか味のあるスタイルだ。 ↓テンプレに追加しようよ、荒らしもいい加減にして欲しいな。 ヘタレであるとして腐すだけの話題、 軍事が絡まない政治、情勢、スポーツの話題、 イタリアを絡めて諸国民・人種について主観的に語ったもの、 等はこのスレでは扱いません。 スレ違いですので他の板・またはスレッドをご利用ください。 このスレはsage進行になりました、ルールを守れない人はいかなる罵詈雑言をあびても文句は言えません。 世傑すれのageれすでイタリアdisりまくってる人、ここを荒らしてるんだ >>592 百姓はまずかったな鍛冶屋のせがれなのに馬鹿まるだしw >>596 百姓というよりは、悪徳不動産屋みたいだな。 >>608 >>603 をよく読んでね>>586 さん どーしよーかなー磔にしちゃおーかなー、おとなしくしていれば許してあげてもいいんだけどなー ところで、この時期のイタリア機(今Re2001組んでるんですけど) の上面ダークグリーンって、旧日本海軍の暗緑色(Mr.Colorの#15)が近似色 なんでしょうか? web漁っても参考になる実機のカラー写真ほとんど無いし、数ある模型の作例も 茶色っぽいグリーンだったり、青っぽいグリーンだったり様々なもんで。 マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(独) 80 フォンク(仏) 75 ビショップ(加) 72 ウーデット(独) 62 ・・・ フランチェスコ・バラッカ(ヘタリア) 34(笑) 612 :名無し三等兵:2013/11/22(金) 21:37:24.61 ID:??? 枢軸国のエース ドイツ 300〜 2人 200〜 13人 100〜 88人 クロアチア 50〜 3人 30〜 7人 ルーマニア 50〜 2人 ハンガリー 30〜 1人 20〜 3人 スロヴァキア 30〜 1人 20〜 1人 ヘタリア(笑)0.00002〜 4人 単位:百万ユダヤ人、千セルビア人 >>611 http://www.webalice.it/paolo.riatti/lang1/description-1.html ↑ カラー写真の掲載は無いが、Re2001の資料としてはよくできている。 イタリア機全体が不人気なうえ、Re2001は期待外れなデキだったからなおさら 資料は少ない。 http://www.youtube.com/watch?v=7sM-NiylFEY 当時の製作現場は頑張っていたんでしょうけどねえ。 上面色についてはRe2002のレストア中の動画に、オリジナルっぽい方向舵が チラッと映るが、そのグリーンが参考になりそう。 http://www.webalice.it/paolo.riatti/lang1/re2002_galatina.html 右下の動画 ところで、レストアは完成したのだろうか? 永遠のゼロ戦、vol.2で宮崎駿がイタリア機の曲線について語ってた 日本人の曲線とは違って、キモいと感じるとかなんとか 宮崎駿の『風立ちぬ』で二郎とカプロニが 逆ガル翼のグライダーを見上げているのは カプロニ最後の高速戦闘機で計画だけで終わった カプロニ・レッジアーネCa183へのオマージュが隠されているな >>29 イタリアに狩猟民族しかいなかったころ、 日本では縄文人が土器つくって定住してたんだぞ。 入試問題でも、「易しそうな問題から先に解く」というのは、受験生なら誰でもやってることだ。 北アフリカにおける枢軸軍を破った後、連合国の間で次に何を行うべきか同意が取れていなかった。 特にウィンストン・チャーチルは、「ヨーロッパの下腹部」(文献によっては「ヨーロッパの軟らかい下腹部」と誤記)である、 イタリアへの侵攻を望んでいた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BE%B5%E6%94%BB_ (%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6) 同様に日独伊三国同盟のうち、米英側ではイタリアが最弱とみており、まずは弱いイタリアから先に攻略ということだった。 けれどもこれはスターリンの力説する「第二戦線」とは大きくかけ離れたものだ。 つまりヨーロッパの戦いでは、米英がソ連を助けたのではなく、ソ連が米英を助けたということ。 だが何もおれさまはイタリア軍の弱体ぶりを言い立てたいわけではない。そうではなくて米英は強いドイツへ の攻略を後回しにして弱いイタリアを先に攻略したということ、そして米軍ご自慢の「オーバーロード作戦」は、 独ソ戦でドイツ軍が散々弱ってから決行されたということだ。 ▼フランス展開部隊の実状 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳 →第一線の軍隊にとっては大きな差。 http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html ドイツ軍は優れていた、ドイツの工業技術は優れていた、けれどもソヴィエトはもっともっと優れていた。 まさにソ連邦大祖国戦争は、世界人類をナチの暗黒支配から救った偉業だったのだ。 あ り が と う ソ 連 邦 ! 本屋に光人社のWW2イタリア機入門が山積みになってたんだが なにがあったんだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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