昭和19年 生産機数
陸軍機 15000機
海軍機 15000機

細かい数字は間違っているが、機数が足りない理由はこれ
ベターハーフの予算措置で日本は、日本海軍航空隊だけで
米海軍機、海兵隊機、陸軍機、豪州機、英機他と戦いました。
ただでさえ足りない国力を半分に分け更にその中から海軍機を調達して、この連合軍と戦いました。
これで勝利できたならば、それは運とかいう問題ではなく奇跡だった。
むしろ、我が海軍航空隊は、ソロモン諸島から、最後の決戦マリアナ沖海戦に至るまで
陸軍機に参加を求めることが出来なかった。(ソロモン諸島では陸軍機は二回のみ作戦に参加、あ号では、陸軍部隊は派遣されたが
陸軍航空隊は、航続力と海上飛行能力が無い為に一機も参加してない。
実際に陸海軍共同編成の航空隊が動き出したのは、あ号作戦に敗北した後でした。
陸軍には老練な搭乗員が数多く残っており、陸軍重爆も性能がよく
機長海軍 操縦士 陸軍 副操縦士海軍 爆撃主陸軍という混成部隊が編成され運用されたが、
陸軍中央の指令で部隊を解散するという命令に際しては、
混成航空隊の陸軍士官が上京して、膝詰め問答を行って紙の上では編成は解かれたが、終戦時まで混成部隊として行動したりしている。