>>170
年間生産機数はググれば出てきますよ。
そして陸軍機ですか、大陸でソ連に向いてました。終わり
一部は南方軍、とその隷下のビルマ方面軍にも。
支那派遣軍にも一杯、あとは本土防空に。
最後の質問に対しては、陸軍の搭乗員は海上航法の訓練を受けてなかったのが主因です。
陸の上を飛ぶのと東西南北海の上では全く性質が違います。
上海事変の時は長崎の大村海軍航空隊基地から陸軍の爆撃機が発進しましたが
途中でエンジン音がおかしいと戻ってきて、最後は機体を分解して船で渡ってます。
対して渡洋爆撃で有名な日本海軍陸攻隊の搭乗員は平気な顔をして、東シナ海を渡って上海に行ってます。
要するに、海という要素はこれだけ軍の運用や訓練に影響を与えます。
なお、陸軍機がニューギニアウェワクだったかに進出する際
トラックまで島伝いで来た陸軍機は、海軍機(97式艦攻)三機の誘導で無事にラバウルまで飛びましたが
次の第二陣は、自信がついたのか、陸軍機のみで発進、しかし定刻になってもラバウルにつかず、
海軍機が捜索に出たところ、ルートを大幅にずれてカビエンに不時着した陸軍機やラバウルや、その周辺海上に不時着した数機を残し、全機行方不明になっております。

つまり、トラック-ラバウル間ですら、ベテランであったはずの陸軍航空隊が半減するほどの喪失を強いたのです、