【飛越し着艦】本日の南雲部隊司令部1AF【離着艦】
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南雲忠一中将率いる機動部隊の戦い振りについて語ろう。
諸君らの雑談、研究、史料、妄想、仮想、連想振りに期待する。
なお、本支隊(前進部隊)は、南雲忠一中将を再評価するスレの分遣支隊でもある。
前スレ なお、このスレ隊はナンバリングせず、【】【】内の変化をスレ番の代わりとする。
【黎明爆撃】本日の南雲部隊司令部1AF【艦砲射撃】(実質7)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1362788622/ スレタイトルには忠実にあれ、が海軍士官の心得です。 >>202
山本五十六は別に航空主兵ではないよ
航空機は条約の制限を受けないから注目されたけど、あくまで漸減作戦に有効な補助戦力として
陸攻はいわば空飛ぶ魚雷艇で、扱いは水雷戦隊と同じ、決戦の主役はあくまで戦艦だ
山本は戦闘機無用論に賛成したり、小沢の空母を集中運用する航空艦隊案にも反対してる
真珠湾攻撃は、あくまで南方作戦中に米艦隊に出てこられると困るから、南方作戦が完了するまで半年は足止めしておきたいという思惑 >>206
つまり山本も最初から米と戦う以上長期戦で行くしかないと思ってたわけか。そりゃそうだよね
米国が最初にちょっと殴られたからって、殴り返しもせずにまあ引きわけでいいよってすまして
くれると考えるわけないか。 戦争を終わらせるとかは外交交渉なので政府がやる事
連合艦隊司令長官は米海軍を相手に戦うだけ
半年や一年は暴れてみせるが、二年三年になるとどうなるかわからない、てのが山本の本音
長期戦を覚悟とかとは別問題で、戦争が続く以上は本人の意図に反しようが職務上戦わざるを得ない >>206
>あくまで南方作戦中に米艦隊に出てこられると
帝国海軍が夢見た艦隊決戦(及び漸減作戦)が出来るじゃありまんせか?
あえてその可能性をつぶしてひょっとしたら開戦直後に海軍兵力に大打撃
受けたら講和してくれるかも??ってのが本音でしょ。(軍令部とかは足
止め出来るからいいか、で許可だしたけど) 色々出てるけど、まあそのせいで曖昧な命令受けた南雲司令部が一番の被害者ってことで。
とことんやれor一撃離脱ってはっきり連合艦隊司令部として命令してあげたらよかったのにね。 >>209
ミッドウェーで島を占領する前に米艦隊に出てこられると困るというのと同じ理屈だ
南方作戦中はマレーやフィリピンの攻略に専念したい
決戦は南方作戦後の決戦に専念できる時期が都合がいい
だいたい決戦の場をどこに想定して言ってるんだ?
日本が想定する決戦場はマーシャル諸島であって、まだ占領すらしていないフィリピンではないぞ
作戦中の陸軍を放置して、基地航空隊も台湾や仏印から内南洋に移動せにゃならなくなる >>211
米艦隊に決戦で勝てばそれでいい(少なくとも海軍の考えでは)んだからフィリピン
なんか後回しでぜんぜん問題ないじゃん。勝てばそれから占領出来るし、負ければど
のみち終わりなんだから。(南方もね)
ま、南雲司令部とは関係話ではあるが。 決戦で米戦艦を叩きたいって事なら、真珠湾で叩いても同じだと思うんだが
なんで真珠湾だとダメで決戦ならいいんだろうか
決戦で米戦艦を叩けば講和してくれるなら、真珠湾で叩いても講和してくれるって事になるよね? >>213
なんか逆になってません。南方攻略の時間稼ぎに飛行機で真珠湾攻撃だよ、
別に飛行機でしか攻撃できない真珠湾なじゃく、南方攻略を妨害に米艦隊
出てきたら長年の訓練どうり戦艦で決戦すればいいじゃん、ですよ。話の
発端は飛行機の有効性を米に教えたのが間違いってのがここでの話。
ますます南雲司令部と無縁の話になっていく 講和がどうのとかは別スレの話だろ、ここは南雲司令部のお話です。 B-36の計画がすでに始まり、TBFが初飛行しているのが真珠湾攻撃の時期なんだが
飛行機の有効性とやらを知らないならこいつら何の為に作ったんだ? 真珠湾やマレー沖で証明したのは、「飛行機でも戦艦を撃沈できる」という事であって、飛行機が兵器として有効である事はどこの国も理解してるよ
それこそ1920年代のドゥーエの頃から
特に重爆による戦略爆撃は、スペイン内戦や南京渡洋爆撃の頃からやってるし >>217
すでに魚雷で戦艦を撃沈できることを証明しているのだが、
魚雷を飛行機で戦艦にぶち込むのと、魚雷を艦艇で戦艦にぶち込むのでは一体何が違うんだ? だから南雲司令部だってば、そりゃ南雲長官としては出来れば魚雷は水上艦艇の
でっかいのをぶち込みたかったと思うけどね。 魚雷が有効であっても、駆逐艦が戦艦に代わって主役になる事はない
魚雷は1万m以上では命中せず、夜戦では2000m昼戦では5000mを想定している
対して戦艦の主砲は2〜3万mでの砲戦を想定している
ナルビクでは駆逐艦10隻?が戦艦によって全滅したのは、懐に入れなければ一方的にやられるだけだから
同様に空母1隻分の搭載機程度では、戦艦に有効な打撃を与えられるか怪しい
真珠湾では空母6隻分の搭載機400機があって初めて、戦艦を叩ける有効な戦力となり得た
そしてミッドウェーでは戦艦は何もできずに、空母戦だけで海戦の決着が着いてしまった つまり戦艦は駆逐艦をアウトレンジで一方的に叩けるので優位に立てる
空母は戦艦をアウトレンジして、速度で懐に潜り込む事も可能
しかし複葉機の時代ではまだ弱々しく、飛行機は対空砲火で撃退できると考えられていた
飛行機が有効な戦力になったのは開戦のほんの数年前、せいぜい九六陸攻登場以降だから
当時の人にとってはつい最近の事 >>214 そいつは認識が間違ってますぜ、お客さん。
戦前の漸減作戦は、開戦直後に比島を占領して、太平洋を西進してくる米艦隊と決戦だ。
それですら図演では、土佐沖に追い詰められて演習中止という状況だった。
ましてこれに南方作戦が加わると、南方制圧に最低半年は必要と予想されていたから
米艦隊を「全力」で邀撃することすら出来なくなる。これじゃ勝ち目は万に一つもない。
だから、米太平洋艦隊を半年間足止めするための真珠湾奇襲となったわけ。
どのみち漸減邀撃作戦では無理だと、すでに戦前から認識されていたんだよ。 >>217
>真珠湾やマレー沖で証明したのは、「飛行機でも戦艦を撃沈できる」という事
それが重要でしょうが、海軍の話だよ。
>>218
タラントの時は夜間少数で懐疑的な人もいたからね、懐疑的でなかった連中がや
ったのが真珠湾だろ。でもあれも奇襲だし真の意味ではマレーだろうね。最新鋭
戦艦で対空砲もポンポン砲やロケット兵器など満載の洋上戦闘航行中の戦艦がわ
ずか3機の飛行機と沈んだからねえ。
そんでもって君もわかって書いてるとは思うが、水上艦艇からと飛行機では攻撃
距離がまず。。。。。。。 元々日本にとって対米戦は地の利のある戦いであったはず
比周辺で戦えば、かなり有利な戦ができた
それを真珠湾なんかやるから >>220
ナルヴィク海戦での英駆逐艦の働きは無視ですか >>184
マジッ素か?
的に合わなくとも、6機だすと1機未帰還???????
恐ろしい。いやマジで今の時代の日本に生きていて良かったわ 例えばって言ってるのに…
でも勝ち戦の南方作戦で、陸軍機は機体の9割を消耗し、うち戦闘損失は3割(被撃墜は1割)、事故が5割に自然消耗が1割てとこだし
時期や状況にもよるけど、着陸時に爆弾穴にはまったとか、悪天候に突っ込んで未帰還とかは、別に珍しくないよ 貴重なベテラン搭乗員とかも事故やエンジン故障などで多数失われたよね。
いくらウデが良くても機械の故障はどうにもならん…合掌 最高(いろんな意見はあるが)の戦闘機爆撃機攻撃機偵察機の開発には予算注ぎ込んで技術者も投入したけど
基地構築、飛行場造営、宿舎、搭乗員の健康管理等々の「後」「土台」には無頓着だったのが実情。
飛行場造営には、軍属ではあるが、実際に造営責任と式を取ったのは、
民間の中小零細の土木、建築系業者だったりする。
確か、トラックとポナペの海域にある狭い島に立派な飛行場を作った業者がそのまま設営隊としていたところに
奥宮航空参謀が降りて、その設営隊隊長=社長に開口一番こう言われたそうだ。
この飛行場には完成以来、二機しか降りてません、
この飛行場造営には800万(当時の金額)掛かりましたので、着陸料は400万円です(笑
あと別の話だが、海軍航空隊と陸軍航空隊の南方進出の経路は全く違う。
海軍は、横須賀、硫黄島、サイパン、トラック、ラバウル→ニューギニアやブーゲンビルだったが
陸軍は、東京、大阪、鹿児島、沖縄、台湾、マニラ、ハノイ(ニューギニアへはダバオ)、シンガポール(モルッカ・アンボン)の島伝い
しかし、島伝いでも、半分以上事故ってしまうこともあったそうな 無論、日本海軍航空隊でも訓練でシンガポールに行く時はこんな感じ
1943年夏あたりの第二航空戦隊が以下。
国東あたりの飛行場、鹿児島、沖縄、台南、そして海南島、サイゴン、シンガポール。
全機、無事に到着しているようだ……が
これが一年もたたん1944年3月には、同じコースで、うん悪く雷雲に当たって、10機前後行方知れず。
今も昔も、搭乗員の最強の死神は、天候。
そして、今はGPSがあるが当時はないので、
海のど真ん中で自分の位置を画板上の地図で見失うと
そのまま燃料残=お前の命の時間だった。 さらに末期は錬度不足も拍車をかかて、敵と戦ってもいないのに航空自滅戦ってなってしまうんだよね。 米駆逐艦「ワレ、日本軍機を追跡中」 最後は複葉布張り練習機を使うもんだから
駆逐艦に追尾される始末。 そう考えるとそれほど装備や兵力で劣ってなかったのに負けた南雲はやはり無能。 情報戦ではるかに劣った事はなぜかいつもスルーされる 日本は被害出さずに、1年あたり
正規空母3隻
護衛空母10隻
このぐらい沈めていけばアメリカと対等に渡り合えたのか
か、簡単じゃないかハハッ・・・
ぶっちゃけ、正面での殴りあいするには日本機は脆すぎた 実際は1942年に日米ともに4隻の正規空母が沈んでいる
日本は更に2隻の軽空母も沈んでるが >>236
正論ですな。ついでに年間に戦艦も2隻、巡洋艦4隻くらいもね。
これを4年くらい続けていけば講和してくれたかも。
飛行機に限らずただ一回の決戦に勝ってそれで講和ってのが日本のドクトリン
だからねえ。量産性とか生存性とかはどうしても優先順位低くなりますね。
問題はこの重要なルールを米が理解してなかったことですねえ。
あれスレ間違えた? >>237
米も空母もどき(記念すべき一番艦)が沈んでるけどね。日本が同じような損害受けたら話になりませんわな。
常に1対10くらいの損害比率じゃないとだめね。 >>237
そのうちの2隻(ちょと微妙だが)を沈めた南雲はまあまあかな。やっぱ4隻失った失点の方が目立つのはしゃーないね。 >>239
>空母もどき
ラングレーたんのことかー >>241
さようでございます、閣下。一式陸攻による空母撃沈の戦果になるはずだったのに
勝手に米海軍が水上機母艦にするもんだから。。。 そういえば日本の母艦喪失の第一号の栄誉も、瑞穂たんですたね。 言えない…
子供のころ、水上機母艦のことを「水上規模艦」という用途不明な艦だと思い込んでいたなんて言えない…
あと今の一発変換が「水蒸気ボカン」だったのも言えない… 72年前の今ごろは南雲司令部は帰途についてますか。これから壮大な戦いが始まるんですねえ。
艦載機の数だけはどんどん減っていくけど。 >>242
沈んだときは航空機の輸送中だったらしいし、米海軍の呼称で航空機(V)運搬(C)ってことでCV撃沈でいいだろ。 みんな貧乏が悪いんや!
油があれば
握り飯が毎日食えれば!
弾があれば
連隊の基本重装備品が陸揚げできてれば!
輸送船がたくさんあれば
タンカーが
日本人一人一人があまりにも貧しく、兵隊でようやく白米(実際は脚気防止に玄米混ぜてる)食えたとかで喜んでる状態で
当時の最短エリートコースが軍隊で兵から叩き上げで下士官兵のまとめ役になる(ボス)か
兵学校や幼年陸軍学校や士官学校 を取り合えすどんべでも出て
無難に職務こなしてシナでちょっと中央命令聞こえない振りして
ドンパチして帰ってくれば英雄扱いという社会の幼稚さと貧しさに起因すると思うんだ。
奥宮参謀も、日本人が一人に一台とは言わんから一家に一台車を乗り回せるようになれば
例え国内に一兵を見ずとも、現代戦の潜在能力は自然についてくるものだと書いてるし。 >>249
そうもっと自動車が普及してる社会ならパイロットの養成も早かったと思うね。 >>249
南雲司令部と関係ない話になってますぜ、長官 つまり日本を富ませられず自動車を普及させられなかった南雲は無能 予科練は中学四年生で入隊するんだけどな
自動車の普及とパイロット育成の速さは関係ないよ
練習機が豊富にある事と、天候が晴れ続きである事が条件
雨の日は訓練飛行できないから 雨の日に訓練途上の搭乗員載せて飛ばすと危ないな、雲が厚いし
雲の中は危ないし、雲中飛行は空中衝突や機位喪失の原因だし。
雷雲だったら、即死か行方不明の原因。過程終えてそれなりに経験積んでる搭乗員ですら、部隊移動で雷雲に突っ込んだ小隊は全機行方不明とかあるし。 >>254
社会基盤の話をしている。一家に1台車があるのが当たり前の社会と、車といえば
牛で引くのしか知らないってのが珍しくない社会で育った人間では差が出ると思うよ。 >>254
日本は梅雨があるからパイロット養成には不利ですね。 >>256
ここでそんな話しても理解されないよww。 マクロの話とミクロの話だろ、全然別の要素でけんかしてどうするww
そりゃ誰もが内燃機関(ガソリンエンジン)を知ってる方の社会から選抜された
集団の方が飛行機の操縦覚えるのも早いだろうし、
晴天が続いた方がカリキュラムも早く進むだろうさ、 >>256
教育課程がどう変化してどれくらいの時間短縮になるんだ? >>260
馬鹿の相手しちゃだめ。人は人、どんな社会で育とうともまったく未知のこと覚えるのは同じ労力が必要なのは当たり前。
江戸時代、第二次大戦次、現代の15歳を予科練にいれたら江戸時代のやつが一番上達早くてもおかしくないだろ、ようは
個人の資質だよ、育った環境なんか関係ない。 どっちにしろ南雲司令部とは関係ない話。現場は与えられた戦力で戦うのみ。まもなくウェーキ攻撃だな。 四艦隊井上成美は無能だなスレになるな……
しかし、いきなり駆逐艦二隻を失うとは そこで南雲司令部の出番ですよ。燃料けちらんと全部で応援にいきましょう。 山口司令官「二航戦に任せろ!」
確かに一撃でウェーキの在米海兵機を沈黙させて、上陸支援を全う。 >>267
2回出撃して2回目は損害も出してたような気が。あのときのウェーキのF4Fは
超特別仕様なんでしょうね。(通常の3倍の速度と防御力とか) 実は未来からタイムスリップしてきたF/A18だったのさ、くらいの活躍ではある。 >>270
時代が違いますな長官。俺は零戦とF14が空中戦やってた方を思い浮かべるが。 昨日頭脳王を見てて思ったんだけど
知能の高い奴は、頭の回転力も速いってのがよくわかった
こういう戦況が急展開するケースにこそそういう人材が必要なのに
南雲みたいなボンクラでは負けて当然だわな >>271
ニミッツが全面協力。そしてそのテーマソングが、火曜サスペンス劇場のお眠りなさい〜がぱくりw >>272は具体的に南雲のどこを見てボンクラだと言ってるのだろうか ボンクラと言われる人は、意外と大成する人物のことが多い。 >>277 日本ボンクラ将官リスト
昼行灯系 米内
うちの艦長のおつむが足らんが肝が座っとる系 木村昌福
このくらいしか思いつかん。実際は単純に鷹揚で怠け者だっただけ。 というかそもそも当時の海軍で南雲をボンクラとか言う輩はいないでしょ
栗田や木村と違って、なるべくして中将に昇進して艦隊司令長官になったエリートなのに 敗戦まであ号作戦は敵にある程度の打撃は与えた、レイテ沖では十分な戦果を挙げたと大本営では喝采
栗田無能説が出たのは戦後いろいろ判明したからだ。 栗田が無能だと言ってるんじゃない
本人も言うように、ハンモックナンバーから、平時なら少将止まりで中将にはなれなかっただろうという事
将官ではなくても、佐官の艦長とかにはそういうのが結構いた
勇猛そうには見えないけど頼りになる艦長とか、成績は悪いけど戦時の指揮は抜群とか
もちろん逆もいただろうけど >>281
そういう話なら分かるよ。
と言うか戦争にぼろ負けして名将もクソも無いわけで。
>将官ではなくても、佐官の艦長とかにはそういうのが結構いた
>勇猛そうには見えないけど頼りになる艦長とか、成績は悪いけど戦時の指揮は抜群とか
>もちろん逆もいただろうけど
既に出てきた人は結構いるけど、貴官が推す、まあまあ及第点(勝敗は別にして)が取れそうな
埋もれている人が居そうですな?是非お聞きしたい。 まあだいたいは「艦長たちの太平洋戦争」に載ってるような、伊168の田辺艦長とか、雪風の寺内艦長とか
なんか駆逐艦や潜水艦に多いような… 海防艦とか敷設艦とかの艦長も思い出してあげて下さい。
彼らこそ絶望的な状況でも不屈の闘志で戦い抜いた海の男です。 新年明けましておめでとうございます。長官
今年もよろしくお願いしますね。 マリアナの時パイロットの練度が落ちてたって人もあるし、
真珠湾の時と飛行時間はたいして変わらんって人もあるんだけど、
結局どっちが本当なの? >>289
ゲームじゃあるまいし人それぞれだろうに。まじでいやあそりゃ真珠湾の頃に比べりゃベテランの数は減ってるだろう。 5:エース
4:ベテラン
3:中堅
2:未熟
1:練習生
として考課する
開戦時(50人中)
5:5人
415人
3:20人
2:5人
1:5人
平均技量=3.2(100点中64点)
末期
5:2人
4:7人
3:18人
2:15人
1:8人
平均技量=2.6(100点中52点)
成績が64点が52点になってもそれ程大差ないわな
内容見れば歴然だがw よくABCDランクって出てくるよね。
Dランクが夜間発着艦可能だったっけか。
練度が落ちると、編隊を組むこともできなくなるって戦記で読んだことあるけど、
空戦の腕以外にどんなところが変わってくるのかな 飛ぶのに精一杯で見張りがおろそかだったり
飛行姿勢の微調整やエンジンの世話も下手だから航続距離が短くなったり >>1
質問
仮にマクラスキー隊の攻撃を躱した場合に第二次攻撃隊の編成で二次?資料を見ると
零戦は各空母三機計十二機しか出していないけどまじですか?
それと攻撃隊発進後に直掩零戦を降ろして何機か攻撃隊を追わせることは可能ですか?
確かヨークタウンと南雲艦隊との距離は約100マイルしか無く一時間もかからない距離
だったとか。
戦闘詳報に戦史を読むと南雲艦隊はミッドウェー基地機からの攻撃を受けた時点で
既に詰んでる気がします。 敵基地機の攻撃→攻撃隊収容(基地機攻撃中は上空待機)→敵艦載機の攻撃、
だから第二次攻撃隊が雷装待機してても敵空母を攻撃する時間の余裕ないんだよな。
艦載機が航法ミスで空振りするか、攻撃を凌ぐしか手がない。 >>297
もともと敵より少数の兵力で奇襲だのみの作戦だもんね。その前提がくずれた時点で。。。。 >>299
それは違う。本来の計画では島を占領した後に米空母はやってくる予定?だったんだから
兵力は自分達の方が上と考えてたはず。
空母部隊が敵基地攻撃する場合は機動力生かして攻撃するから大抵奇襲になるもんなんだろ。
げんに米空母部隊が日本基地攻撃する場合は(米が狙ってたかどうかは不明だが)結果的に
ほぼ全てが奇襲になってるんじゃないかね。 >>300
トラック空襲は、発見されたが、一日肩透かしして
翌々日に空襲して奇襲になったねえ。
吉田の小説、ドラマ仕立てでマリアナ沖海戦前後の駆逐艦野分の戦いで
面白い感じで、一日肩透かしの推測を書いてる(もちろんフィクションとしての人物) >>300
あと、別の話でマリアナ沖海戦以後、あったダバオ誤報事件で
比島の各航空隊が集結したが、実際は米軍は上陸しておらず、
機動部隊も位置不明。 しかし、集結した航空隊を元に戻すとなった矢先に、
ダバオに空襲され、結果的にダバオに集結中だった航空隊が壊滅した。
というかようやく立て直した比島の航空隊が消え去ったので、
ひと月後のレイテ上陸時には、比島で何とか稼働できる航空隊というか
航空機はわずかに100機以下、しかも輸送機、偵察機合わせての数。
この数で大本営は、こう命令した、敵機動部隊の機能を一時的に封殺せよ、と 。
栗田の突入を支援するために。
そしてこれをなんとか実行させるために、あの神風攻撃隊が編成された。
奧宮はこう書いている、降伏を封じられた軍でなければ、そういう無茶苦茶な命令は拒否しただろう。
多分降伏したであろうし、神風も生まれなかったし、そうなる前に政府のレベルせ戦争を終わらせようとしただろう。
しかし、日本陸海軍は降伏を封じられ、更にもはや残敵掃討戦(米軍にとっては)等しい戦いを強いられ、
不当な損害を受けた。
神風の章で詳しく書いてある、もし降伏禁止で同じ状況なら、どこの国でも、神風のようなことをするだろう。
だが、大抵の国では、作戦遂行不可能な命令を受けた場合、
または勇戦敢闘し、戦闘の継続は不可能と判断すれば降伏するし
それは名誉であった。
ってね まあ、ナチスドイツの場合は、ヒットラーとSSの存在が……邪魔になったが。
しかし、当時の多数のドイツ人は自分たちが、そんなに悪者であるとかは考えてはいなかったっぽい。
西側との前線で、ドイツと英軍が塹壕越しに、共に戦う日を待っているという話があるよう。
しかし、ドイツは…究極的にはナチとヒットラーは、英米の現状を暴力的に改変することを嫌う米世論を完全に見誤っていた。
米英としては、ナチスドイツは不倶戴天の敵であり、まずこの思想を地上から抹殺せねばならないというのが
西側連合軍の根幹ドクトリンだったわけで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています