一木支隊は敵情を甘く見た面が大きいが、次の川口支隊は、現状をかなり正確に把握しており、
大本営陸軍部に婉曲に「撤退すべきである」と打電したが「弱腰」と無視された。
その後も、追送された師団は、海岸のやや開けた地勢に陣地を構築して山砲を据えるところまではいっているが(すごい努力だと思う)
弾薬の補充困難が常につきまとい、旧陸軍の「強固な敵陣地には徹底した砲撃」
(コレヒドール攻防ではセオリー通りやって2〜8万発打ち込んでる)が使えなかった。
ここでも距離の問題が出てくる、補給線が伸びきってしまっており、当時としては無双を誇っていた零戦隊も
ラボールからは500浬先、ブインからでも400浬のために、例の第6航空隊(MIでは各空母に混載、ベテランは機体ごと混載
未熟達の搭乗員と整備員は輸送船に)がラボールに進出後、餓島輸送作戦で活躍している話は結構重要。
途中で名称がナンバー制になって…ちょっと思いだせんけど第20x航空隊として、餓島上空制圧
輸送船上空四直哨戒(最後の四直目は夜になるので着水して搭乗員のみ回収)とか、相当に苦労している
歴史修正主義者はこういう地に足がついた現実を無視することで、無茶な前提で作戦をそして戦争を語る。

>2.光信管は何時実用化出来るんだ?
>(フィリピン戦で実戦投入されたのであと少し)で、量産出来るのか?
>(………)
(そこは出来たという仮定でどうか、どのみちifsだ。)