@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 13 @@©2ch.net
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ここは戦時中、戦場、及び軍隊内での「ほのぼの」とする話しを楽しむスレです。
煽り、荒し、工作員は相手にせず、完全無視をしていただきますようお願いいたします。
前スレ:
@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 12 @@
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1388931390/
まとめサイト:
http://gunji.blog.shinobi.jp/ そら冷蔵庫メーカーとか、断熱材メーカーなんかは弾薬庫の断熱、空調に総動員だったしな
ちなみに遠洋漁業の中積み船、冷蔵船も生鮮食料輸送よりも弾薬輸送船として徴用された例の方が多いらしいな 旧ソ連の潜水艦がダイキンのエアコン採用した話を見たのはこのスレだったけか? ビーバーエアコンというのがある
三菱重工が作っている
しかし、霧ヶ峰で有名な三菱電機の方が音も静かでよく売れている
三菱重工は大和の栄光が忘れられないらしい >>189
> ビーバーエアコン
> 三菱重工は大和の栄光が忘れられないらしい
ん?
武蔵でなくて?
それとも大和用の空調装置をお買い上げの栄? >>188
ダイキンはミサイル弾頭メーカーでもある。エアコンは抱き合わせ販売に違いない。 >>190
大和に三菱重工製のエアコンが搭載されていたという意味です >>188
旧ソ連の潜水艦は総じて寒い海で行動するように設計されており、
熱帯の海で行動することは想定されていなかった。
だが、古くはキューバ危機、新しくはインド海軍への原潜リースのころから、
熱帯の海で行動したときの、艦内の居住環境が問題になる、
しかし、艦内の空調設計をイチからやり直すのも・・・と、いうことで、
ソ連海軍が手っ取り早い方法として採用したのが、日本製の民生用エアコンを艦内に据え付けることだった。
メーカーは明らかではないが、何せ民生用、お金さえあればどこでも買うことができ、
日本製ならではの品質と性能、よく冷えるのもさることながら、静かさが潜水艦にはうってつけだったのである。
・・・ってのがあらすじだが、
なにごとにつけ、手っ取り早い方法で解決するのがロシア人らしいわなあ・・・。 >>194
>日本製の民生用エアコンを艦内に据え付けることだった
室外機はどこにつけるの?
艦内の一区画に室外機を置いて、そこに廃熱を捨てて、さらに外壁から海水へ熱を捨てる? ソビエトのことだから機関室にでも付けたんじゃないか? 日本のことわざで「溺れるものはワラをもつかむ」というのがあるが、
トルコでは似たことわざで「溺れるものはヘビをもつかむ」というのがある。
もし溺れたら、どっちがいい? ttp://sylphys.ddo.jp/upld2nd/neta2/src/1425733591777.jpg
これくらいの蛇なら、上手く行けば助かる……か?
沖縄のエラブウミヘビだったら、溺れたときに掴んでもものの役に立たんな。
ヘビに咬まれたら毒でまず助からんし。 某国には「溺れている犬は棒でたたけ」ってことわざがある 近代ロシアじゃ飢饉の際には加食な赤土と藁を煮込んで食っていたな ソビエト期に人間向けの食糧の配給が干草だったって話は聞いた事あるな。 干し草で牛を育ててそれを食えという事かな。さすがソ連政府、先の先まで見通しているな。 豚も無くてもウォッカ飲んで気を紛らせばいいじゃない ロシア語でウオッカのことを「靴クリーム」って言うんだってね。、 一方、靴クリームの生産が絶望的に少なすぎるためソ連陸軍はキャビアを代用クリームとして使った(実話 旧ソ連の禁酒法の時に飲まれてた物
序の口:オーデコロン・チンキ・ローション
猛者:つや出し剤・靴クリーム・接着剤
英雄:工業用アルコール・殺虫剤
http://osoroshian.com/archives/42595998.html
殺虫剤は有機リン化合物だそうだ 「呑むのかよ。まだ明るいじゃないか」
「これを呑むと、すぐ夜になるんだ。便利だぞ」
(注)有機リンに中毒すると瞳孔が縮んで小さくなるので、視界が暗くなります。 マイナス40℃は寒さではない
40℃は暑さではない(夏のシベリアは昼間非常に暑くなる)
40度は酒ではない 小銃生産の豊和工業の野崎誠一会長の発言。
「日本いたるところコンクリートになっては困るじゃないか、
竹やぶがなくなって竹槍も作れない!」 日本刀ならそこら辺に生えてるし、竹よりも丸太の供給の方が心配だ 刀がその辺に生えている国ニッポン、サムライニンジャが多いのも当然だ(ニュージャージー州、27歳) チュニジアの観光客襲撃事件で銃撃を受け負傷した日本人観光客・結城法子さんは、
自衛隊中央病院(東京都世田谷区)麻酔科医の結城法子3等陸佐(35)である。
陸上自衛隊の岩田清文幕僚長は19日の記者会見で、
結城陸佐は12〜24日の日程で休暇を取っていたが、海外渡航申請は出していなかった。
中谷防衛大臣も国会で今後このようなことが無いようにすると詫びた。 1945年・昭和20年のニューヨークタイムズ新年号には、
ミンクのコートのバーゲンセールの広告が載ってるのだ。
一方、日本では次のような標語が叫ばれていた。
欲しがりません勝つまでは
贅沢は敵だ
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ 一方、湾岸戦争の時、工夫したイラク軍はセンチュリオンの車台にX号戦車の
砲塔を載せて対抗しようとした
(スマン。画像もあったのだが、いつの間にか消えていたorz) そして映画撮影と称してリースされたボーファイターとB-17を使い、イスラエルはカイロを爆撃した。 >>186
コカコーラの「ジャングル・ユニット」なんか、どう?
WW2開戦と同時に、コカコーラ社の社長、ウッドラフ氏は言った。
「コカコーラ社は全力を挙げてアメリカ軍を支援し、すべての軍人が、
どこにいても5セントでコークが飲めるよう、あらゆる協力を惜しまない」。
いや、戦時だろ、タダで飲ませてもいいんじゃねーか?・・・はともかく、
コカコーラ社からは、正式の肩書はテクニカル・オブザーバー、
将校待遇の軍属だったため、ついたアダ名が「コーク大佐」が数千人送り込まれ、
WW2全期を通して、64箇所のボトリング工場を建設あるいは復旧し、50億本のビン詰めに成功している・・・のだが、
太平洋戦線でもコカコーラを供給するため、コカコーラ本社が開発したのが「ジャングル・ユニット」だった。
製氷機とディスペンサーを組み合わせ、軍の車両に乗せられるサイズにした機械で、
前線の兵士にも冷えたコカコーラを提供できるようになったのだが、
当時の米軍機関誌「スターズ・アンド・ストライプス」の表紙マンガに、
「え?コカコーラがないだって?」と仰天する兵士が描かれるほど、
アメリカ軍にはあって当然、欠かせないソフトドリンクになっていた一方、
たとえ太平洋戦線であっても、1本5セントを必ず取ったコカコーラ社、
くどいようだが、最前線でカネ取るなよ、と、思わないでもない・・・。 >>223
その辺、廉価で販売するのはと愛国的行為ともみなされるけれども、タダでばらまけば株主や融資元から業務上横領(個人の売名行為のために会社に損害をあたえた)と訴えられるからねえ
なお、サイパン攻防戦において、日本軍は輸送船の二重底や護衛艦の空きスペースにドラム缶を積むなどして現地で消費する燃料を涙ぐましい努力で集積しようとした。
一方、米陸軍はコーラの原液輸送のためにタンカー2隻を持ち込んだ。 コークは売るほどあるが、燃料弾薬は足りない、という状況はなかったのだろうか。
前線のロジスティック事情を考えると心配にならんでもない。 >コーラの原液輸送のためにタンカー2隻
船体溶けないか?
ん?こんな時間に誰か来たぞ?宅配便かな? >>226
中に落ちた不幸な水兵の骨で出汁を取るのは基本ですよ 素人丸だしですまんが、ミクロな部分で一時的に補給が足りなくなったりなんなりはあっただろうけど、補給切れで戦線膠着とか師団孤立ってのはパットンの速駆けくらいじゃないの? コーク大佐、決済方法は給与天引きだったんでしょうか、サー >>228
緒戦ならあるけどな。
コレヒドールなんて補給途絶で陥落したようなもんだし。 そりゃナンも準備ができてない状況じゃw
ガタルガナル上陸直後の海兵隊とかもかなりやばい状況だったみたいだが
ポツンと孤立した島の航空基地にろくな守備隊もいないことをいことに腰だめで兵力送り込んだから
日本側の持ち込んだ食料で食いつなぐ状況もあったとか
三川がもうすこし腹が据わってりゃなあ・・・ >>232
えー、40年以上営々と要塞化してたのに?
シンガポール要塞はその点ちゃんと備えがあったぞ。
本国から救援来る前に落ちたけど。 太平洋戦線の場合は、島嶼戦って縛りがったから補給船団が揃うまで侵攻作戦を出来ないって部分があるからな
艦船も整備や燃料補給の絡みがあるから、ダラダラとした流動する戦線ってのが存在しなかったためだろうな 天皇陛下が訪問されることで話題のペリュリュー島。
守備隊の日本軍が1万人以上の戦死者を出したにもかかわらず
ペリュリュー島民はいち早く疎開せられており死傷者は皆無だった。 北海道新聞では戦後帰還した元島民が日本軍に怒りを抱いたという記事が書いてあった ペリュリュー島の現地住民の被害が少なかったことは、
美談として毎日新聞のコラムなどで掲載された。
ペリュリューのある老人は語った。
若い頃に日本兵と仲良くなり、戦況が日本に不利となった時
自ら「一緒に戦わせて欲しい」と日本兵隊長に進言した。
だが隊長からは「帝国軍人が貴様らなどと戦えるか!」と激昂された。
島民に対するこれまでの日本兵の厚意は、見せ掛けの友情だったのかと失意の中、
若者は島を離れる船に乗り込んだ。
だが、船が島を離れた瞬間その隊長を含め日本兵が手を振って浜へ走り出てきた。
若者(老人)はその時、隊長が激昂したふりをしたのは、
戦場となる島から離れさせ自分達を救う為だったのだと悟ったという。 >>233
要塞守備隊だけで立て篭もるつもりだったから、よもやフィリピン軍含めて8万人弱もバターン・コレヒドール地区に篭城する羽目に
なるとは、戦前には想定されていなかったからの。 >>239
あれ、フィリピン防衛計画って元々、陸軍はバターンとコレヒドールに籠って持久、海軍は潜水艦で
敵の補給線を脅かしつつ、本国からの増援を待つってものじゃなかった?
開戦のちょっと前にマッカーサーがB-17が200機あれば独力で防衛可能って言い出して
そっち方面に編成替えしてたけど、開戦までにB-17が数揃わなかった。
結局のところ、初頭の空襲でキャビデの魚雷庫が砕け散ったのと、救援の主力に
なるはずだった戦艦群が真珠湾で壊滅しちゃったから、防備はおろか救援も
できなくなった結果があれでしょ。 >>240
日本もその辺で終戦までいかなくても停戦しとけばいいものを
朝鮮半島のような「休戦」状態が延々続くかもしれんが 板違いだが任天堂って元々は花札・トランプのメーカーだったんだよな。 >>241
停戦って、一方的に宣言するだけじゃ無意味なんだよ。 >>244
いやだから停戦交渉しろって話だろ
それくらい分かるだろ >>245
いやだから、アメリカが応じるわけないだろって話だよ。 和平交渉は議会の承認が必要だが停戦に議会の承認など要らんわけだが ドイツに注力するはずがリメンバーで煽り過ぎて帝都爆撃やミッドウェーの牽制攻撃、またカダルカナルを前倒しするはめになった……と思ってたけど違ったの? こんな馬鹿がそうそういても困るんだが
もう春休み終わりだよな? まあ実際のところ、それほどルーズベルトは好戦的じゃないからな
休戦交渉はありだろ、アメリカにとっても コレヒドール陥落、珊瑚海以前なら講話の可能性もあったのけ? ニューディールが失敗して、せっかく念願の戦争が始まったのにやめる訳ないじゃん。 >>258
占領地全部返還します
やっぱハル・ノート受諾しますってんならな ぶっちゃけた話、ハルノート受諾してたからって戦争が回避できたとは限らんからな。
アメリカさんはすでに軍艦大量に建造開始してるし。 >>260
日本が満洲に引っ込む程度で大陸問題は大丈夫だよ
ベトナムは南北で日仏分割統治、フィリピンは米に返還してやれば
蘭印はブルネイだけ日本が確保すれば十分
休戦協定はまとまる 次の大統領選挙までに期間があるのならいける可能性も否定出来なくはない えー、39、40、41年(開戦前まで)の三年間で戦艦8隻、正規空母6隻も起工して
やる気満々で、開戦後失業者もいなくなって支持率急上昇だったのにやめる理由なんて
ないと思うけどなぁ。 連合国VS枢軸国じゃなくて、
資本主義VS共産主義の戦いに誘導できていれば、戦争回避できたかも知れないけど。 >>264
大西洋戦線と防共目的に転用すればよい事
大西洋はかなり重要だぞ >>265>>266
ルーズベルトさんはチャーチルが頭抱えるくらいバリバリの容共派だから、大統領変えないと無理だと思われ。 >>267
先にチャーチルにすり寄ってさっさと休戦してしまう手もある
日本はブルネイさえ手に入れば、シンガポールなんぞ放棄しても割に合う
以外とチャーチルは親日家だぞ >>268
うん、チャーチルは親日家だ。
41年に日本が「ビルマ援蒋ルート停めて」って言ったら停めてくれたし。
アメリカが圧力かけて即座に再開させたけど。
でもイギリスは欧州戦線でアメリカの助けがないとやっていけない以上、英米分断は無理だろうね。 イギリス空軍のダグラス・バーダーは、戦前に両足を失いながらもBoBを戦い抜いた。しかし41年夏、撃墜され捕虜となってしまう。
彼は脱出時に片義足を失い、またドイツでは再製出来なかった事から、これを空輸することとなった。
イギリス軍機がドイツ軍に物資を空輸する珍事の後、義足は無事届けられたが、時を移さず脱走を図るバーダー。
結果失敗するも、今度は警戒厳重な収容所に移され、そこで終戦を迎えたのであった。
死線を三度潜り抜けた男、足無しバーダーが召されたのは1982年のことであった。 バーダーはBoB後に政治的に策謀し、
ダウディング、パークを追い落としているから全然ほのぼのしていない。 >>277
マロリーが単細胞なのは大問題だが、バーダーは現場指揮官なので単細胞でも仕方ないやろ。
地上管制を軽視してた当人が、無線不調で管制情報を得れず撃墜されたとこにほのぼのしとけ。 大正十四年夏、独立後初のポーランド陸軍大演習に各国駐在武官が招かれた。
樋口季一郎少佐もその一人で、演習も半ばに旧都クラカウ市で開かれた大夜会に招待される。
主賓「英陸軍大学長」アイアンサイド少将を最上位に各国武官が並ぶ。だが「日本」の席次は最下位。
最も遅く着任し、他武官が中/大佐クラスばかりなので当然とも言える。
しかし樋口は「日出でる国の武士」として末席に甘んじるを許さず、
早速― 席次を繰り上げねば退席も辞さず ―と抗議。
驚いた案内役のポーランド陸軍中佐は、なんと英米仏に次ぐ席次を与えたのである。
ポーランド側が気を利かせたのか、この夜会以降樋口は車上からの演習参観の際、英アイアンサイド少将と米マッケンネー中佐の間に席を得た。
だが、アイアンサイドは見るからに巨漢で、またマッケンネーも80kg近い巨体だったから、樋口は二人の間でサンドイッチのように身動き一つ出来ず、散々な目に遭ったのである。
デレガシオンとして堂々と主張した樋口も、我が身の舌禍に泣いたに違いない。 特定の国の悪口は言いたくないけど、なんか韓国みたいだ。 >>282
後にポーランドのユダヤ人を助ける事になるのは、その時の経験からなのかな? >>285
オトポール事件に樋口氏が関わったのは関東軍特務機関長としてユダヤ人コミュニティとパイプがあったからかと。
かつて最先端のポーランド諜報機関の技術/手腕を学んだからこその部署で、その意味では関わりがあります。
ハルピンユダヤ人協会会長のカウフマン博士と親交のあった樋口氏は、極東ユダヤ人大会で反ナチの演説を打つくらい弱者(ユダヤ)擁護の人物です。
これは武官時代のドイツ視察で目にしたユダヤ迫害や、親交のあった在伯ソビエト武官の協力で異例のソビエト視察旅行が出来たからでもあります。
コーカサス―グルジアでユダヤ人集落を訪れた樋口氏は、当地の老人からユダヤの民の悲運を訴えられ、また「東方の救世主」として日本の名を挙げられています。
ソビエトからのユダヤ排斥、そしてポグロムへと繋がる時代の直中ですから、深く感じるものがあったようです。
昭和十三年三月八日に情報担当課長小山内少佐の報告があってから、満州国外務部若宮参事官の直訴、カウフマン博士の直談判があり、樋口氏は救援を決断します。
旧友の松谷中佐(満州軍軍事顧問)からの忠告もありましたが、結局外務部を頼らず満鉄の松岡総裁に話を通し、二日後にはハルピン駅に第一陣の救援列車が到着しました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています