@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 13 @@©2ch.net
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ここは戦時中、戦場、及び軍隊内での「ほのぼの」とする話しを楽しむスレです。
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満鉄にまつわるエピソードはないかな >>17
国内で走行試験って、ソ連と日本だと軌間が全然違うんでないの?
それこそ倍ぐらい
樺太は日本領時代のまま狭軌だったん? >>21
多分まんまじゃないかね
施設自体平成になってもそのまま使ってたようだったから
旧ソ連の鉄道マンが「日本時代の施設はとても丈夫に造られてるよ」と褒めてたのは
レポの中で覚えてる >>21
サハリンの鉄道は、現在に至るまで旧樺太鉄道庁時代と同じ軌条幅1067mm。
何度となくロシア本土と同じ広軌に改軌の話は出てるらしいんだが、今に至るもそのまんま。
なおかつ、線路規格が重量級の車両に耐えられないほど未整備なため、
ソ連時代には輸送力増強のために新型ディーゼル機関車を送り込んだはいいが、
サハリン全土の鉄道で走れないことが判明→あえなく機関区で文鎮に、ってなことがあったとか。 >>20
満鉄には満州国皇帝用のお召客車「トク1」があった。
満鉄が誇る特急「あじあ」の予備編成と組む展望車で、
世にこともなければ”お召列車”の牽引には満鉄パシハ型蒸気機関車があたっていたはずであった。
・・・満州国最期のお召列車、こと「満州国宮内府関係者専用特別疎開列車」は、
昭和20年8月13日午前0時、新京駅を発車との決定が満鉄本社から下り、
大混乱の中、「トク1」を含む列車編成に手間取ったがため、憲兵隊が駅長室に怒鳴り込むハプニングもあったが、
かろうじて新京駅で、旧宮内府要人やその家族が乗車できた。
満州国皇帝が「トク1」に乗車できたのはその次の駅、東新京駅からであったが、
この列車について証言を残している、満鉄新京鉄道管理部の職員いわく、
「ご乗車の間もなく、お召車内の大鏡が大きく破損し、今にして思えば不吉な予感がした」。
当初、この疎開列車は、吉林経由、鴨緑江上流の臨江まで行く予定で、
事実、翌8月14日未明、吉林に到着してはいるけれど、
8月14日正午着の梅河口駅で、すでに下車する乗客はいなかった・・・と、いう証言が残るばかりで、
皇帝のその直後については各種の文献や証言があるが、
「トク1」のその後については、確たる記録がない。
今のところ「トク1」の写真が掲載されている文献は「大陸の鉄輪」だけだが、
それによると、中国共産党要人用の貴賓車として使われたのち、放置、解体されたという・・・。 >>22-23
あ〜そうなんだthx
狭軌の鉄道なんて大々的に使ってる国日本しか無いし、そりゃ日本に発注するしか無いよなw >>24
特急あじあ号が残ってるくらいだから・・・
ひょっとしてね。 >>26
あの国は「発掘」があるから怖い。
満鉄「あじあ」の最後尾展望車「テンイ8」にしても、
わりと最近まで中国東北部の某機務段(機関区)で放置されていたのを日本人鉄ちゃんが確認しており、
まことしやかな噂としては、
外国人向けの観光客車(カラオケ完備!)として復活させる、なんてのまであったんだから・・・。 >>16-17
うろ覚えだが、車両間の幌に日本と同じゴム幌を使ったらツララで穴だらけになった、て話もあったような…
あちら製の客車は鉄製の幌を使っているとか。 >>27
一式双発高等練習機の胴体や、二式単戦「鍾馗」の主翼が見つかるんだもの。
中国にはまだまだ「お宝」が残ってそうだね。 ロシア式の鉄製幌はバッファーを兼ねていて極めて堅牢 >>31
昭和6年生まれかあ…
たくましいじいちゃんだ。終戦時14歳というと、戦後の物資不足の中で仕入れ→上乗せ転売をやった経験が忘れられなかったのだろうか。
売る方も得る方だけど、買う方もなんともの好きな…。欲望というより懐かしくて買ったのか?
「あの頃は買えなかったセックスプロマイドも、今じゃ年金を少し出せば買える」とか? >>31
83歳のくせにネット販売か
PCは疲れそうなものだが いっそ「資料だ」と言い張れば良かったのに。
通るような気がしなくもない。 このじいちゃん生活保護受けているぞ
生活保護受けている人が商売しているのがおかしい
たとえ合法であっても 商売してても収入が一定以下なら生活保護貰えるんじゃなかったっけ?
受給額から一定割合さっぴかれるけど。 働いちゃいかんのは失業保険
バイトがバレるとやばいらしい スクランブル事例でも…ロシアとNATO、飛行気乗り同士の挨拶が撮影される(写真アリ)©2ch.net
1 :キャプテンシステムρφ ★@転載は禁止 ©2ch.net:2014/11/21(金) 10:26:45.34 ID:???0
接近する戦闘機とスクランブル発進した戦闘機、そのパイロット同士の挨拶が撮影されました。
10月下旬、ヨーロッパ圏に接近したロシアのSu-34戦闘機に対し、
NATOは複数のF-16戦闘機をスクランブル発進させました。
数多くの写真が互いに撮影されたそうですが、
その中に互いに賛辞を送るパイロット同士の挨拶が写っていたそうです。
http://www.sinaimg.cn/dy/slidenews/8_img/2014_47/335_23916_404656.jpg
http://www.sinaimg.cn/dy/slidenews/8_img/2014_47/335_23917_127679.jpg >>35
申請していれば、ある程度は受け取れる
しかし申請していなければ全額没収 陸と違って、空はパイロット同士親和性でもあるのかね。
海でも、正月くらいは電光表示板に甲賀新年とでも出せば少しは…。 いやね、わかっちゃいたんだけど小さい頃から「こうが」と読んでたのがくせになっちゃってね。
「きんが」なんて読み回し殆ど使わないから口に合わないのよ。まあここ掲示板なんだけど。
お詫びにほのぼの?を一つ。
1944年初頭、ポーランド南部ブリズナのレジスタンスから、飛翔体の打ち上げを写したフィルムがロンドンへもたらされた。それはブリズナ砲撃実験場のもので、ドイツ軍が大型ロケット兵器を実用化しつつある事は明らかであった。
それから数ヵ月過ぎた44年5月、レジスタンスから実験場の詳細地図がもたらされ、設計図もしくは主要部品の入手が命令される。
実験場は親衛隊が警備していたが、幸運にも時を前後して飛翔に失敗したロケットがブーク川沿いの湿地帯に墜落し、近くに住む農夫から連絡が入っていた。
早速技術者を含むレジスタンスが急行し、ドイツ軍の捜索部隊を出し抜いてロケットを隠蔽。翌夜、連れてきた耕作馬三頭でこれを引き出すと、湿地がクッションになったのか、本体は破壊されていなかった。
ロケットは送り込まれた科学者による分解調査と図面作成を受けた後、操縦装置他の重要部品をジャガイモを積んだトラック二台に隠され、タルノー秘密飛行場へ向かった。
ロケットの発見と操縦装置の確保というニュースはロンドンの諜報部を沸き立たせ、早速これをイギリスへ輸送する「モスト(橋)」作戦が開始されていたのである。
責任者は「アウシュヴィッツ帰りの男」イェルジー・ケミエルスキー。特命を受けたケミエルスキー達3人は、イタリアから飛来したC-47と落ち合うことに成功し、着陸した機体に急いで部品袋を放り上げた。しかし、離陸出来ない。数日前の雨で芝生がぬかるんでいたのだ。
続きます… 乗員も一緒になって狂ったように前輪周囲の泥を掻き出し、枝を集めて前に敷く。それでも車輪は泥にはまり、機長は命令通り爆破も考えた。
しかしケミエルスキーは諦めず、もう一度泥を取り除いて、遂に離陸に成功する。上空からは複数の探照灯が見え、機長は身震いを覚えながらイタリアへ向かった。
三日後、ロンドンへ到着したケミエルスキー達にイギリス軍諜報部員が部品の即時引渡しを求めるも拒否され、強引に持っていこうものならケミエルスキーがナイフ片手に部品袋に覆い被さってみせた。
彼らの言い分は「ポーランド将校にのみ引き渡される」というもので、射殺すると脅しても従おうとしない。これには英軍も折れ、ポーランド亡命政府を介して部品が受け渡されることとなった。
調査の結果、V2ロケットの操縦装置は予想されていたラジオ・コントロールではなく、妨害不可能なジャイロ・コンパスと判明。多くのロンドン市民を疎開させ命を救ったが、この作戦記録は英国のどの機関にも見当たらないという。
http://iup.2ch-library.com/i/i1328559-1416612596.jpg
(V2の部品を運ぶレジスタンス) >>51
小学校の頃手酷く虐められてたからそういうのやめて、フラッシュバックするから!! >>54
『き中』か。(何故か変換できない)
と、書こうと思ったら、変換出来るのな。 いつの間にか「あさい(浅井)」は「あざい」になったよな。
きっかけは多分大河ドラマだとおもうが、その根拠は何処から出てきたのだろう? ケーニックスティーガーってのが正しいって主張していた人がいた。 コェニッヒスティーガー(Königstiger)じゃなくって? おろろ、文字化けしているぞ。
大学まで雰囲気をふいんきと読んでたから他人事じゃねえ…まあ甲賀のことはそろそろ忘れてくれ。 第二次世界大戦末期、アルデンヌの森深くのドイツ軍陣地に、一両のシャーマン戦車が悠々と侵入した。後ろにはハーフトラックを連れ、ハッチからはドイツ兵がニヤついた顔を覗かせている。話はやや遡る。
44年冬、アルデンヌの森に到達したアメリカ第12軍集団の右翼に休息が命じられた。軍集団を率いるブラッドレー将軍は、厳しい寒波と翌年の進撃に備える為、兵士に休息を与える必要があると考えたのだった。
僅かな警戒部隊のみ残されたアルデンヌでは、同じように戦力の回復を図るドイツ軍との間で「共生」ともとれる状況が生まれ、幽霊戦線とも呼ばれるようになった。
互いに徴用した民家から出てくるのが見えても、緩衝地帯に入らなければ撃たず、アメリカ兵がグレン・ミラー楽団演奏「イン・ザ・ムード」を流せば、返礼として「リリー・マルレーン」が返って来た。互いの偵察部隊さえ見逃し合っていた程である。
そんなある日、偵察中隊に属する6名のドイツ兵を乗せたハーフトラックが緩衝地帯を越え、駐車された一両のシャーマン戦車を発見する。彼等は戦車内に誰も居ない事を確認し、ハーフトラックの操縦手を呼び寄せた。
そのままシャーマンに乗り込んだ操縦手は、すぐにスターター・スイッチを見つけ、試しに押してみた。するとエンジンは唸りを上げ、快調に回り始めた。
近くの小屋で酒盛りに興じていたシャーマンの乗員達はこれに気付く事が出来ず、ドイツ兵達はシャーマンを悠々と持ち帰ったのである。
しかし、この戦利品は数日後、アメリカ軍の前線に戻されていたという……。なんで???
>>63 黒ニッカ。 黒ニッカは何かネチャネチャした舌触りなんで、赤鳥居の方が俺は好きだ
毎日余市や山崎が飲めるようになれますように >>65
高い本とか買うの止めたら飲めるのとちゃいますか。
軍事オタクはやたら高い本も一期一会で買っちゃうし。
単に肝臓悪いからかもしれないけど。 朝ドラ「マッサン」のモデル竹鶴政孝は徴兵検査のとき甲種合格となるはずだった
しかし、軍医官が「アルコール製造は火薬製造の元ともなる軍事に関連する技術。兵隊になるよりも技術者として研鑽をつんだ方がよい」と言って乙種合格となった 黒澤明は戦時中に徴兵されなかった。
本人曰く「徴兵検査で撥ねられたのだ」そうだ。
だが、あの偉丈夫の黒沢が検査で撥ねられたとは到底思えない。
父が陸軍の高官で、徴兵司令官が父の教え子だったため兵役を免れたらしい。 >>71
黒沢明は1910年生まれだから、世代的には1930年(大正軍縮期)前後の「甲種合格籤逃れ」があった頃だよ
満州事変(1931年)以降は満州駐箚師団とかができて入営者がどんどん増えていくのだけれども、ギリギリその対象にならなかった世代
なもんで、太平洋戦争開戦あとも、訓練召集の内容とか特技(兵としての必要な自動車免許とか)の関係で国民兵役の応召対象から外れてもおかしくは無いって 俺の祖父が黒澤明と同い年なんだが、3度も応召を受けた。 逆に言えば兵役の期間的にはそんな長くなかったってことだな
中国戦線だと現地除隊とか他の国の兵隊が聞いたら眼を剥きそうなことやってるし >>74
そう、同じ年でも、現役入営とか甲種合格(籤逃れ)で全然違うし、入営期間があるが為に再招集の対象になりやすい(とくに新兵への教育係り的な分隊長要員としてなら特に)
あとは、国民兵役での召集の場合は、産業統制とかの絡みで「一般工員とか販売員とか考慮すべきでない業種」から、連隊区や各町村の兵事係りのあたりで鉛筆舐める部分が多かったとか書き残されていますね 最近どこかで読んだ話で
戦前に兵器の研究者が徴兵検査受けたら合格になるはずの結果だったのに
検査官「お前痔だろう」
研究者「違いますよ」
検査官「いいや痔だ。よって不合格」
と言われて不合格なったことがあったって話あったな。
徴兵されたら困る海軍が手をまわしていたそうだ 国民義務だし世間体的にも全く受けないわけにも行かんのよ 判決を公開の法廷で言い渡す
選挙は公開の場での秘密投票
と同じ感覚で公開性が要るのかもしらぬような >>78
初めから弾いとけば良かった・・・パターンは上原敏だな。本名で召集したら歌手が応召してきたという。
上官からも「知ってたら召集してなかった」とか言われたとか。で、部隊が出動する時に内地に留まる事を強く勧められたが本人は拒否。
そして戦死しちゃった・・・。 >>77
その辺、船員や前線で任務に従事する軍属の現地徴兵検査でもけっこうあったようで、
揚子江方面の機帆船船員とかも、
検査官「おう機関長よ、今の船に乗るのと二等兵どっちがええよ?」
機関長「はぁ、船も若い者が多いのでワシが下りると心配ですし」
検査官「軍医ぃ、この人アレだよアレ、何か病気だ。ワシには治療するべき病気があるように見えるぞ」
軍医官「じゃぁ、肺湿潤か皮膚病(感染性)って事にしときますかね」
とか、(現場での必要性にかられて)多少の操作はあったようだけどね(船員が安全な職場とはいっていない >>80
そう言えばこないだの衆院選では開票不正があったんだっけ?
そんなの途上国でしか起きない話だと思っていたのに。 開票所も公開ってことになってますが、地元のは行ったことないし、実況中継があるわけでもないし ナポレオン時代のフランスでは、20歳から25歳の壮丁に兵役義務があった。
兵役年限は平時に5年、戦時には無期限。
初期にはくじ引きで当たった者だけが召集されたが、ロシア遠征のころにはほとんど全員が召集された。
当時、兵役に行けば生きて帰れるのは3人に1人と言われており、
当然ながら兵役逃れのあの手この手が横行することになる。
手っ取り早いのは、既婚者は兵役を免除されたため、徴兵年齢以前に結婚してしまうことだった。
次の手は身体を傷つけることで、
当時の銃は火薬の包みを歯で食い破って装填するものだったが、前歯を折ってしまうとそれができない。
それも通用しないとなれば、撃鉄を起こす親指を切り落としたり、足を折ったり、片目を潰す者まで現れた。 徴兵検査のこういう話を聞くと、アラフォーの新聞記者を召集させたハゲメガネのケツの穴の小ささがよく分かる それでも応召が決まってしまえば、逃亡する者も後を絶たなかったが、
奥の手として、当時のフランス軍は替え玉の入営を認めていたのである。
しかし、替え玉を頼むには巨額の費用が必要で、
とてもではないが一度に払える家族はおらず、年賦で支払われるのが普通ではあった上、
もしも替え玉が戦死すれば、年賦の支払いが残るほか、
戦死後15日以内に別の替え玉を立てなければならず、家族の負担は増えるばかり。
だが、1813年、替え玉は同一郡内の同一出身階級の者に限る、と、法律が改正されたため、
替え玉制度も有名無実のものとなる。
金持ち同士では替え玉のなり手がおらず、貧乏人同士ではお互いに金がなかったからだった。 >>84
TV報道で実況はやってなくても、各陣営の人間が日本野鳥の会よろしく票の把をカウントしているで
だからこそ票の数え間違いとか、東京で起きた自民党の票数0疑惑の早期突っ込みとかが即時になされてニュースになる前に修正されている テレビの実況とはいってない
開票所の職員が見物人に、今何々をやっております、という中継をしてないから開票所にいても何やってんのかよくわからない、と言いたかっただけ >>89
そこまでする必要ないじゃん、公開する事(不正防止)と見世物にすることは別だかんね
判らん判らんいってばかりでなく、判らんなりに理解しようとする努力をケチったらいかんよ >>85>>87
おもしろいね。
これに合わせて戦地での脱走もあるし、数十万の兵力を維持してくには苦労したんだろうなあ。 >>85
>当時の銃は火薬の包みを歯で食い破って装填するものだったが、前歯を折ってしまうとそれができない。
確かアメリカではなんかの手違いでその規定が生き残ったままになり、金属薬莢の時代になっても虫歯とかで
火薬の包みを噛みちぎれないと判断された者は徴兵で落とされてたとか。ひょんな事からこんな時代遅れの規
定が残っていることが発覚、大慌てで廃止した、と大昔のコンバット・マガジンで読んだような記憶が…。 >>83
青森の町長選挙とか戦後すぐは凄かったようだ
開票者の中に立候補者のシンパがまぎれてお互い対立側の候補の名前があればすぐに線書いて誤記扱いにして
無効票にしたりごみ箱に捨てたりして
太宰の兄の津島英治の町長選挙の話 後はゴミ箱に潜り込んで相手候補の事務所に潜入とかも書いてたな
こんな感じか↓
____
/ ./ /| ?
_|  ̄ ̄ ̄ ̄.| |___ ∧∧
/ |_____.|/ / ( ) 気のせいか・・・
 ̄ ̄~ |し |  ̄ ̄ _| /(__
し⌒ J / └-(____/
元ネタはちくま学芸文庫の「津島家の人びと」 >>93
WW1まで生き残ってたらしいな
まあ南北戦争終結後は大戦参戦まで志願制の田舎陸軍だったし、歯が悪い程度で門前払いしても困らない程度の規模でしかなかった
100万規模の兵隊大陸に送ってさらに100万追加しようなんてなったらそんなこと言ってられないけど 残っていると困る規定は廃止しないといけないけど、
残っていて困らない規定は残っちゃうんだよなあ
規定を廃止するにも理由が必要になるので仕方がないのだけれども 道路交通法では車両は左側通行、歩行者は歩道や路側帯のないところでは道路の右端を歩け(右側歩いて危険な場合は左端でも可)と言うことになっている
しかし、駅構内や車両通行不可の踏み切りでは右側通行を推奨していることもある
これは明治時代に作られた歩行者の通行についての法律でそう定められていた名残だとか
もちろん今は死法だが 兵隊を怒らせるのなら、トランス脂肪酸塗ってみるのも一興かと。 ナホトカからヘルシンキまで、ゴルバチョフ政権時代のソ連をオートバイで横断走破した日本人御一行の話。
当時のソ連でもモータースポーツは盛んで、御一行、とある街でダートトラックレースの会場に招待された。
1周500mぐらいのトラックを左回りに4周するレースで、
マシンはチェコ製ヤワの500cc。
御一行がレース場に着くと、主催者から申し入れがあり、
「わざわざ日本から来たライダーとマシンを観客に紹介したい。
レース開始前に全員でコースを一周し、デモ走行してくれないか?」
スピーカーから場内に流れた紹介の言葉。
”日本の傑出したライダーたちをご紹介します。
彼らはナホトカから上陸して、シベリアの道なき道を走破し、
ここからさらにモスクワ、レニングラードを超え、ヘルシンキを目指す勇敢なスポーツマンであります。
彼らの乗っているオートバイは、世界に知られたホンダ製のAX−1、
250cc単気筒、4ストロークエンジンを搭載した、きわめて信頼性の高いマシンであります。
ここまでトラブルはなかったそうでありますが、これからもそうでありましょう。
彼らの偉大な計画の成功と、母国への無事帰還を心から祈ります”
デモ走行を終えて、センターのグリーンに整列した御一行に、満場、やんやの大拍手。
レースの休憩時間にはサインをせがまれるひともいたとか。 ここで伊賀・甲賀・風魔とか言うと、
もしかしてOH-1の派生機か?と思ってしまう >>102
ちょいと前の、都市伝説というか、もっともらしい噂。
「警察官が運転免許証を見ると、現職自衛官か退官者と、一般ドライバーの区別がつくとか。
免許証番号か何かに、仕掛けがあるのではないか?」
噂の真相を警察官に言わせると、
「そりゃそうだ、普通四輪に記載がなくていきなり大型四輪の免許なんか、自衛隊でしか取れないだろに?」
今の免許区分ではどうなっているのかわからんけど・・・。 「塀の中の懲りない面々」で免許証を見せたら前科者とばれてしまい就職できないってのがあったけど
あれはありえない話だそうな 実際に刑務所に入ったら履歴書にその間の経歴をどう書けばいいんだろう 映画「フューリー」で、町に侵攻してきた米兵を恐れた
ドイツ娘がベッド下に隠れていたわけだが。
ブラビに見つかって出てきたらミニスカートに
胸の開いたブラウスって挑発的ファッション…。
ドイツでは、もんぺのような国民服を着なかったの?。 ドイツは戦時中も連合軍側と比較して市民生活の制限が緩かったそうだ。物資は欠乏してたようだけど。
なお、ドイツの少女、特にドイツ少女同盟のメンバーは身持ちの悪さで有名ですね。 映画のヒトラー最後の14日間だかでベルリン侵攻されてる中、地下施設の隠れ家で
ヒトラー取り巻きの幹部、女性がヤクきめてくんずほぐれつのマッパ乱交状態が描写されてたが
あれはホントなん? Reichssender Berlinの場面でもあった気がするが、あれは別の映画だったかしら 90年代「北海道クルーズ4泊5日1万5千円」の、
激安ツアーに参加した週刊朝日記者の話。
東京湾を出る船で32時間かけ釧路港に着き、北上して川湯温泉に一泊したあと、
また32時間かけて東京に戻る、
「船中3泊、道内2食」のツアーだったのだが、
さすがに激安ツアーだけあり、参加者は大半が高齢者。
記者が取材した参加者のひとり、元憲兵、
用心深いのか、料金の安さが心配になり、
主催者の「郵船トラベル」の事務所をこっそり見にいったというが、
船が金華山沖に差し掛かったとき、レーダーを指さしながら、
「あれがなかったから、日本はアメリカに負けたんだ!」
いつの間にか、元憲兵氏のまわりに参加者が集まり、感慨深く頷く。
参加者の中には貴重な女子大生もいたのだが、
「こんなに安くて、どこか違う島に連れていかれるんじゃないかって心配してたんですよ」。
その女子大生をホールでのカラオケに誘った週刊朝日記者ではあったが、
ホールには誰もおらず、誘った女子大生も来ず、玉砕。
デッキに出た傷心の記者が、はるか遠くの海岸を見つめていると、
デッキにいた男性が「戦争中、わしはあそこの基地にいたんだっ!」
週刊朝日記者、はからずも「戦後」を考えさせられながら床についたという。 祖父は婿養子で実家はこの地方では結構な部類の名家だったそうな。
で、実家の長男は地元連隊のある部門の超お偉いさん。
日華事変の頃に、「これから先の戦は危ないから、今のうちに志願してしまえ!」
というお達しが出て地元連隊に志願。
当然、長男の庇護を受け一回目のは無事除隊。
で、またまた実家から「婿入り先は貧乏だから、恩給がつくまでお勤めしなさい!」
ときつ〜いお達しが出て、その後2回応酬し、最後はなぜか軍曹にまでなって
無事、現役除隊。恩給ももらえるようになったらしい。
その後、戦争は泥沼化していくのだが、一度も前線に出る事もなく、のんきに大陸
の連隊本部勤務していた祖父にとっての戦争とは物見遊山の旅だったらしいw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています