1944年、沖縄に米軍が上陸する前の話。
沖縄・奄美から九州台湾へ13万人を疎開させる一大作戦が決行された。

沖縄から「安全のために軍艦で輸送して欲しい」との依頼があり
海軍は乏しい戦力から護衛と輸送に艦艇を派遣。
その中には軍艦鹿島、香取、迅鯨の姿もあった。
潜水母艦の飯なら美味そうなものだが、それらしい体験談はなし。
香取では「水兵さんたちは親切で絵葉書をもらった」
「ご飯が美味しかった」と戦後振り替える方もいる疎開学童には楽しい船旅だったらしい。

受け入れ先では駅につけば灯火管制が敷かれているはずなのに煌々と灯りが
地元の人々が親元を離れたこどもたちを励まそうと提灯を手に持ち出迎えにきてく、
寝具の不足には手作りの布団を提供
魚や味噌、食料の特配もあったそうな




疎開の例に漏れず地元と軋轢が生じることもあったが
農家のお手伝いのお礼にお米やイモまんじゅうをもらったり
心暖まる話もあった様子