@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 13 @@©2ch.net
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ここは戦時中、戦場、及び軍隊内での「ほのぼの」とする話しを楽しむスレです。
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前スレ:
@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 12 @@
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1388931390/
まとめサイト:
http://gunji.blog.shinobi.jp/ 時期と場所さえ選べば、カニ罠でのカニ捕りって本当に面白いほど捕れるからなあ。
ただ、あまりに小さい子カニは「来年ぐらいにまた来いよー」放してやるのがマナーってもんで。
記憶で書くけど、米海軍原潜がソ連軍の海底通信ケーブルに盗聴器を仕掛けたとき、
作業にあたったダイバーがついでに捕まえてきたのが海底にいた大きなクモガニ、
早速、原潜の厨房に運ばれ、ゆでカニとなって乗組員にふるまわれたとか・・・。 タカアシガニも仲間だっけ?
やっぱり原子力で茹でたのかなあ? >>728
そりゃぁ、元をたどれば熱源は原子力だが。 戦前戦中の三菱重工長崎造船所。
各種の軍艦を建造していたが、その進水の日は言うまでもなく極秘にされていた。
だが、長崎でカステラを製造販売している老舗「福砂屋」では、軍艦の進水予定日に気が付いていた。
進水式には必ず海軍関係の宮様が臨席されるが、宮様には福砂屋のカステラが供されることになっており、
造船所から注文があったのである。
だが、防諜のため進水日を覚られぬよう、カステラの注文がなかった艦があり、
それこそが戦艦「武蔵」であったという。 新聞販売店と牛乳屋は護衛艦の行動を把握してるみたいな話だな。
出港から帰港まで注文止められるから。 今だとキャバクラのやり手のおねーちゃんの読み(ヒイキの給料と今月落とした額と通った回数からのサイクル逆算)とかあるけど、
当時もカフェーの女給さんでも同じことやってたっぽいしな
あと意外な所だと歯医者さんあたりも艦の行動読んだり教えてもらわないと治療計画立てられないから自然と詳しくなるらしい <詰め物無しで2ヶ月出動とか辛いし 歯医者は営内にあるだろうからそっちに通うのかと思ったら、そうでもないのか。
将校なら営内のヤブより近所の名医選ぶか。 揺れる艦上での歯科治療というのも微妙な地獄な悪寒
「あ、削りすぎちゃったぁ〜」
「神経を…」
テヘペロ、とかw
大型艦ならともかく小型艦だと歯医者まで載せてられんしな
随伴艦が動けば艦隊全体も動くわけだから、まあその気になれば察せるわな
スパイが潜入したら、治療が拷問に早変わりだw 一方、ブリカスは一次大戦後、スカパフローにドイツ海軍の残存艦艇を終結させたが軍医は乗せても歯科医の配属は禁止した
このため患者は適切な治療を受けられず地獄の苦しみを、、、 今でも南極に赴任する人は出港・出発までに歯の治療は済ませておけとの話だな。
しらせに艦医は乗るし、越冬隊にも医者はいるが歯科医はいない。 今でも南極に赴任する人は出港・出発までに歯の治療は済ませておけとの話だな。
しらせに艦医は乗るし、越冬隊にも医者はいるが歯科医はいない。 ほのぼのとしてるかどうかはわからないけど。
現在は中国南方航空と統合された「中国北方航空」。
関空から中国東北部に飛ぶにあたっては毎度おなじみ格安航空会社で、
JALとコードシェア便を飛ばしていたこともあり、
大連直行のANAに乗りたい思いも空しく、出張経費をかけない某会社出張員の定番航空会社だった。
当時、関空を飛び上がった中国北方航空便は、機内液晶テレビの「今どこをどんだけの高度速度で飛んでますサービス」を見ていると、
日本海を北に飛んで方向を変え、北朝鮮上空を東から西に横断するコースを取っていた、
上空から見る限り、中国東北部に入ればまだしも人の手が入った畑や街が見えるんだが、
北朝鮮領内は荒涼とした土地、以外にセリフが見つからなかった。
で、中国東北部のある街のホテルで、仕事が済んだあと寝転がっていると、
同僚から館内電話があり「今すぐNHKのBSを見ろ!」
外国人向けのホテルでは海外の衛星放送も視聴できるんだが、テレビをつけると、
”北朝鮮が核実験やりやがった・・・それも中国国境に近いあたりで・・・ここ近いわ・・・” さっそく同僚の部屋に出張社員が全員集まり、作戦会議が始まった。
「外国人保護名目で拘束されたりせんだろな?」
「可能性がないとは言わん、中国公安なんざ何をするかわからん」
「落ち着け、おいxx(おれだ)ノーパソ持ってきてたな?ホテルのLANサービスにつなげられるな?
北方航空のサイトにつないで更新しまくれ、変なサイトにつなぐなよ、ホテルのLANなんざ絶対にモニターされてるからな。
で、CCTV(中国国営放送)のニュースチャンネルをつけてみろ、何か言ってるか?」
「いや、何も・・・」
「地方局のニュースはどうだ?」「何も言ってないな」「北方航空のサイトも平常運航しか出てないな」
「だから中国なんだよ、大事なことは何も国民に知らせないんだ」
「よし、帰国のフライトは明日の朝だ、何も知らないフリして乗ってしまえ。
ただ、パスポートとフライトチケット、あと、手持ちの現金は今晩から身につけて寝ておけ。
あと・・・そうだな、明日のホテルの朝メシはとにかくしっかり食っておこうぜ」
「北方航空がまた北朝鮮上空飛んだら、何かありゃせんか?」
「そンときはそンときだよ、とにかく、おれたち、絶対に日本に帰るんだ」「おうさ!」
翌朝、晴れわたった中国某空港では全便、平常運航されており、
ごく普通にチェックインでき、出国審査でとがめられることもなく、
行きと違うところは機内液晶テレビがずっと「ミスター・ビーン」をかけており、
どうやら北朝鮮上空は飛ばず、韓国のそれらしい海岸線が見えたぐらいだが、
「おめえ、スッチーに頼んで青島ビールのお代わりってよくまあ・・・おれも!おれもだ!」
「お前も飲んでンじゃねーかよ!」
「バカ野郎、関空はもうすぐだ!これが飲まずにおれるかってンだよ!」
今にして思えばおおげさだったとは思う、けど、あのときのビールは美味かった・・・。 無事に帰ってこられたんだ、ほのぼのでも良いだろうw 中国のビールアルコール度数低くて水飲んでるみたいで美味しくない アレはアレであっさりサックリ飲みたい時にはちょうどいい オリオンってさ、アサヒ販売のオリオンとオリオンが直で売ってるのって味は同じなのかねえ? >>758
んなことこだわったら同じ企業の同製品でも樽ごとに微差があって閾値があるわけだし
そういうのはガキの言いがかりっていうのよ
同じラベルつけてりゃよっぽどいい加減な場合除けば同じもの 昔のコカコーラは地域(会社)で明らかに味が違ったけどな。まぁ、味がわからない人は知らん。
違いがわかる男のゴールドブレンド コカ・コーラの瓶の底にあるマークが丸い奴は甘い、三角の奴は辛い、こうですかわかりません! 以前は、マールボロなんかは海外の物と国内の物(JT委託生産)では、全く味が違った。
そういえば、昔大阪の一部地域では、路上で韓国からの密輸タバコを並べてカタコトの韓国人が売ってたが・・・もう無くなったかな? >>761
> 昔のコカコーラは地域(会社)で明らかに味が違ったけどな。まぁ、味がわからない人は知らん。
>
ボトラーズの名前がちゃんと書いてあったから、何処のかわかって良かったよね 西南戦争の話
水俣市深川周辺は西南戦争の戦場となり
薩摩軍の辺見十郎太は敵情視察によく出没した。
雨上がりの午後、着替えを家に取りに来た老女が辺見に出くわした。
「おい、風呂は沸いとっけ?」と辺見に聞かれ、
老女は沸いてもないのに思わず
「はい、ようたぎっとります」と答えたら、「ようし、おいば案内せい」と辺見が言ったからさあ大変。
老女は自分の家の庭まで来て場所を教えて納屋から震えてみてると
辺見は刀と衣類をおいて素っ裸で水風呂に飛び込み
「うーん、よか風呂じゃ。よう沸いている」と独り言を言いながらしばらく目を閉じた。
衣服をつけ、隠れている老女に向かって
「ほんにええ気持ちじゃった。ありがとう」と礼を残して、本営に急いだ。
熊本日日新聞社「言葉のゆりかご」から
元ネタは「新・水俣市史」らしい >>739
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F6KRI >>758
亀過ぎて何だけど、ビール好きでない自分が一口で分かる程違う。
沖縄でスーパードライを飲むと、オリオンビール風味だし。
水が違うので同じ味にはならないんだろうね。 >>768
ttps://www.dee-okinawa.com/topics/2017/03/beer.html
沖縄と東京で飲むオリオンビールの味は違うのか 1921年6月、パリ地下鉄、とある駅の改札。
一目で東洋人とわかる少年が駅員に怒鳴りつけられた。
地下鉄に乗り慣れていないのか、乗車券を握りしめたままで検札を受けず改札を通ろうとしたため、
無札の不正乗車と思われたのである。
あわてて駆け付けた、少年の連れと思われる東洋人の老人が、
手に持ったままの切符を改札係員に見せ、検札を受けるよう促したため、
その場は事なきを得たのだが、
この少年、日本国皇太子裕仁親王、言うまでもなく後の昭和帝であり、
老人とは随行員の竹下中将。
訪欧旅行中、フランス側当局にも事前通告をしていない、
全くのお忍びでパリ地下鉄に乗車した際のハプニングで、
このときの乗車券を、昭和帝となられてからも机の引き出しに大切にしまっておられたという。 まだ多少は自由に(監督下ではあるが)に行動できたころを、後々まで大切な想い出とされてたのでしょうね。
その後の激動を経られた後は特に。 保守。
終戦直後、進駐軍専用列車には戦時を経てもなお、できるだけ程度のよい車両を充てることが、
旧鉄道省=国鉄のみならず、ほとんど全ての私鉄の共通項であったのだが、
京急だけは「バラック電車」戦災で焼けた電車に最小限の復旧を施した電車を充当していたという。
「お前たちが空襲で焼いた電車に乗ってみろ」という、反骨精神の現れだったのだが、
並行する国鉄線では立派な?進駐軍専用電車が走っていたこともあり、
進駐軍軍人の乗客はほとんどいなかったという。 >>774
へぇ!
やっぱり俺は京急を支持する!
とはいえ、終戦直後ではまだ戦時の強制的私鉄再編(統合)で大東急だったかも。 京急は休止扱いだった平沼駅をつい最近まで横浜空襲の遺構ということで
あえて残してたりしてたな
黄金町駅とかでも悲惨な出来事起きてるし 高松琴平電気鉄道、300号電車。
大正15年、開業時に最新鋭の新造電車として投入され、
以後、一貫して高松琴平電気鉄道を走り続けてきた。
昭和20年7月、高松夜間大空襲の直前。
本来なら高松市内中心部の「瓦町」駅に、仕業を終えて留置されるところだった300号、
当時の瓦町駅長の独自判断で、待避線があった現在でいう「栗林公園」駅に疎開することになり、
同じく瓦町駅長の判断で、300号を疎開させたのは戦時に臨時雇用されていた女性乗務員であった。
空襲で高松琴平電気鉄道の高松市内路線はほぼ全滅に近い損害を被るが、
300号、そして女性乗務員は生き残り、戦後、駅長と再会を喜んだという。
だが戦後の輸送を担い、平成まで走った300号にも、近代化の波が待ち受けていた。
大正時代から高松琴平電気鉄道を走り続けた讃岐路ゆかりの電車であり、
自治体の博物館で引き取ってもらえないか、という電鉄側の申し入れも空しく、
自治体側は輸送費用、保存費用に難色を示し、あえなく廃車、解体が決定する直前、
「近代化産業遺産」に指定され、電鉄側も動態保存に立ち上がった300号、
今もなお、動態保存電車として高松琴平電気鉄道を走っている。 空襲と鉄ネタといえばNHKの朝ドラでやってた「ごちそうさん」でもあったが
大阪大空襲で避難した人たちを救援するために
地下鉄を走らせた話。
ttp://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200912260039.html >>783
これだな? w
http://crx7601.com/archives/53331078.html
【画像】自衛隊日報の中身がめちゃくちゃおもしろい!
イタリア軍人「お前空手何帯なの?」 自衛隊員「は?やった事ないわ」 保守。
1998年、ポルポト政権なきあとの国民議会政権下カンボジア。
カンボジア国鉄、プノンペン・タケオ間70kmの区間で、
旅客用の231型蒸気機関車が復活イベント運転されることになり、
情報を聞きつけた日本人も含む外国人鉄道ファンが押しかけることに相成った。
フランスのインドシナ統治時代、
フランスから旅客用の231型、貨物用の141型蒸気機関車が持ち込まれていたのだが、
ベトナムに残った231型はベトナム戦争、特に北爆を生き残ったものもディーゼル機関車化で全て廃車されてしまい、
カンボジア国鉄に残っているらしい、という鉄道マニア間の情報も、ポルポト政権下では確認どころではなかったのだ。
そもそも、復活運転区間がプノンペン・タケオ間、カンボジア南部に決定されたのも、
カンボジア北部では地雷の撤去作業が進んでおらず、外国人鉄道マニアの命の保証がしやすい区間だったからだが、
沿線の地雷は全て撤去されたことになっているとはいえ、
外国人鉄道マニアへの安全対策として武装兵士が同乗し、
231型蒸気機関車の窓にも運転に支障のない程度に鉄板が張られ、
「昔は日に何本もの列車が発着し、本当に賑やかだったんだ」と、
ポルポト政権下を生き残った機関区副主任が鉄道マニアに語る、
キリングフィールドはまだ過去のこととは言えない、緊張感の走る鉄道イベントであったという。 >>787
旅客機はパシフィック、貨物機はミカドなんだろうな。 なんだろうなも何も、仏式の231は米式でパシフィック、仏式の141が米式でミカドで、呼び方の違いだけだぜ 山口号はこの前引退したって、ニュースでやってたぞ。 やまぐち号に使われていたC56型160号の、JR営業線引退のことだね。
大井川鉄道で今も走っているC56型44号は、160号に比べて運転台の屋根が平らに削がれ、
煙突も短い。
C56型蒸気機関車は1号から90号までが陸軍に徴用され、
1メートルゲージに改造された上で、全機が泰緬鉄道用の軍用機関車として投入されたが、
泰緬鉄道の鉄道規格に合わせ、できる限り高さを切り詰めなければ入線できなかった、
また、オリジナルのC56型の運転台、丸屋根に比べて平らに削がれた屋根は、
戦闘の折に軽機関銃を据え付けやすくなっていた・・・というのだが、
のちに泰緬鉄道を襲う連合軍機の空襲相手には、
たかだか軽機関銃1丁でどうなるものでもなかった・・・。
奇跡ともいえる里帰りを果たし、今も走る鉄道連隊の勇士44号機、
160号がJR営業線から引退したあとも、長く走り続けていてほしい・・・。 やまぐち号に使われていたC56型160号の、JR営業線引退のことだね。
大井川鉄道で今も走っているC56型44号は、160号に比べて運転台の屋根が平らに削がれ、
煙突も短い。
C56型蒸気機関車は1号から90号までが陸軍に徴用され、
1メートルゲージに改造された上で、全機が泰緬鉄道用の軍用機関車として投入されたが、
泰緬鉄道の鉄道規格に合わせ、できる限り高さを切り詰めなければ入線できなかった、
また、オリジナルのC56型の運転台、丸屋根に比べて平らに削がれた屋根は、
戦闘の折に軽機関銃を据え付けやすくなっていた・・・というのだが、
のちに泰緬鉄道を襲う連合軍機の空襲相手には、
たかだか軽機関銃1丁でどうなるものでもなかった・・・。
奇跡ともいえる里帰りを果たし、今も走る鉄道連隊の勇士44号機、
160号がJR営業線から引退したあとも、長く走り続けていてほしい・・・。 小学生の頃鉄道雑誌読んで知った知識だが、
塚本さんという方がタイからの帰還に尽力されたようですね。 2両帰ってきて、もう1両は遊就館にいるな。
…あっち方面が捕虜や原住民の強制労働の象徴といちゃもん付けてるが、安住してもらいたい。 日本海軍、ある主計科の下士官が除隊のときに「じつは・・・」懺悔した話。
この下士官が若いころ、艦の烹炊所で朝食のめし炊き作業をやっていたときに、
ふと思いついたのが「めし炊き釜に入ってひとっ風呂浴びてみたい」。
六斗炊きの飯釜、上縁は差し渡し1メートル20センチもあり、
五右衛門風呂には充分な大きさ。
大きな艦ではなかったため、朝飯を焚く当直は交代で1人だけ、と、くれば、
ある朝、ためしに米を入れる前、ほどよい湯加減のときに素っ裸になって釜に入り、
五右衛門風呂を決め込んでみると、これが病みつきになり、
3日に1度、当直が回ってくると少し早めに烹炊所に入ってドアに鍵をかけ、
贅沢な朝風呂を楽しむようになったという、
だが、水が貴重品の軍艦で、朝風呂の残り湯を捨てるようなことはせず、
そのまま残り湯で飯を焚いていたことが、後々まで気になっていたのか、
除隊後になって懺悔に及んだそうな。 烹炊所のドアってやっぱり鍵付きなんだな。
夜中に泥棒入りそうだもんな。 >>801
「海軍めしたき物語」にも、
戦艦「霧島」で、主人公の高橋3等主計兵がいきなり貯蔵庫の鍵を渡され、
「砂糖を出してこい、急げ」と命令されるくだりがあるよなあ。
高橋3等主計兵、貯蔵庫へ急ぐと思いきや機関科に走り「砂糖を出しにいきます、急いでください」。
機関科の旧兵がギンバエ袋(食料かっぱらいに使う手製の袋)を持ってついてくる、
ギンバエ袋にぎっしり詰めた砂糖を渡し、次いで命令の砂糖を入れて烹炊所へ、
・・・下っ端3等主計兵に鍵まで渡して命令された、というのは、
機関科にそれなりの心づけをしておかないと水もスムーズにはくれない、
心づけを艦内の隠語でいうと「色気」のつけ方をウエがそれとなく教えてくれたのではなかったか、と・・・。 それでも足りなくならないほどガバガバな見積もりが通ってたんだろうな、補給側もいつあるか確約できんって事情もあるだろうし
んでその管理とか見通しのゆるさがつもりつもって敗戦って思うとあんまりほのぼのともしてねえ その辺の世慣れたふるまいを海軍ではスマートだと言って評価してたのかも
海軍のどこかの学校で冗談にならない粗相をした人が逃げ回って大変なことになったが、とうとう捕まらないまま逃げおおせたので、「逃げおおせたのはスマートだ」と言ってそれ以上の追及がされなかったってのを何かで読んだ。これ何の話だったかな。 >>805
ベトナム戦争時の米軍、また、米軍援助下の南ベトナム政府軍に対する、
補給物資にも似た話があるとどっかで聞いた。
補給物資が必ず前線部隊に全て行き渡るとは限らない、輸送途中の損耗や敵襲による損害もありうる。
そのため、補給物資は全て必要数の110%以上をアメリカ本国から送り、
前線部隊では100%の充足ができる・・・はずの仕掛けまではいいけれど、
これが膨大な「員数外」を生みだす元凶になり、
ことに南ベトナム解放戦線や、その背後にある北ベトナム軍への横流しが常態化していた南ベトナム政府軍では、
米軍にバレずに私腹を肥やす軍人が上から下まで山ほどいた一方、
南ベトナム解放戦線は新品のM16自動小銃をはじめとした最新武器で武装でき、
「敵を利する」どころではなかったとか・・・。 中国は北京「三里屯」地区。
在外公館が集まっており、中国当局の警備下に置かれている地区だが、
付近には「ハードロックカフェ・ベイジン」ほか、
在外公館員向けのしゃれたナイトスポットがあり、北京の若者に人気が高い地区でもある。
さて、飲みに行きますかぁ、と、財布だけ持ってホテルを出たおれ、
三里屯の路地で、バリケードにひっかかり、
突っ立っていると人民解放軍の兵士がすっ飛んできた。
武装警察や公安ではない「帰ってきた経済開放直後」のような、装備の古い兵士だったが、
「ぱーす・ぽうと!」・・・しまった!パスポートをホテルのセイフティボックスに預けたままだった!
「そーりー、あいどんとはぶぱすぽーと、ばっと、あいあむじゃぱにーずびじねすまん」
「ぱーす・ぽうと!」
「そーりー、あいあむおんりーじゃぱにーず・・・」
ここまで言ったところで、兵士が腰のホルスターに手をかけ、
そりゃもう、走って逃げたのなんの。
・・・逃げて周りを見渡すと、建物ひとつ分しか離れてない隣の路地にはバリケードもなければ警戒の兵士もおらず、
ごく普通に堂々と歩いて通れる。
”これって警備ザルじゃねーの?フツーさあ、裏路地にもせめて警備の兵隊、置くだろ?
誰一人おらんぜ?ってことは、私服の公安すらおらんだろ?”
飲んでの帰り道、酔った勢いで三里屯の中をうろうろしてみたが、
やっぱり「解放軍うようよストリート」と「誰もいないストリート」があり、
・・・パスポート持ってないから、これ以上はやべーわ、
この警備・監視体制って「ここは中国」以外に説明がつかんわな、と、探索を中止、
「ハードロックカフェ・ベイジン」に転げ込んだら、
平日の夜なのに、ほとんどヤケみたいな勢いでタテノリやってる欧米人の在外公館員、
ザル警備・監視に囲まれてストレスたまるんだろうなあ、と思った・・・。 戦場でもないな。
まぁ、軍絡みってことで勘弁してやれよ。 これもアメリカの歴史フォーラムで見た話。
WW2欧州戦終結の直前、イギリスは北イタリアに残るドイツ軍司令部を壊滅させることを決めた。パラシュート降下の英軍コマンドが送り込まれ、現地パルチザンと共同でこの任務を果たすことになった。
英軍コマンドが現地に到着すると、ともに戦うパルチザンのメンバーはイタリアの捕虜収容所から脱走したソ連軍兵士の集団だった。
ソ連人を信頼できない英軍コマンドは自分たちだけでドイツ軍司令部に向かった。これに気付いた周辺のドイツ部隊が集結し、司令部を守るために英軍コマンドに肉薄してきた。
英軍コマンドは自分たちが蹂躙される前に任務を果たすべく迅速にドイツ軍司令部を壊滅させ、その後直ちにドイツ軍の攻撃に備えた。
ところがドイツ軍が来ない。周辺で大規模な銃撃戦が行われていたが、ドイツ軍が来ない。結局、脱走ソ連兵パルチザンがドイツ軍を撃退していたことがわかった。
その後すぐに終戦になり、英軍コマンドはソ連兵パルチザンをソ連行きの列車に載せて帰国させろとの命令を受けた。この命令は米英ソの間での取り決めに基づく命令だった。
しかし英軍コマンドの指揮官はスターリンが戦争中にソ連兵に降伏を認めない命令を出していた事も知っていた。
命令に従えばドイツ軍大部隊と戦って自分と部下を守ってくれた勇敢なソ連兵パルチザン、しかし一度は降伏し捕虜になった彼らをソ連への死の旅に送り出すことになる。しかし英軍の指揮官としてこの高度に政治的な命令に従わないわけにはいかない。
そこで英軍コマンド指揮官は命令を吟味し、「自分の任務はこのソ連兵をソ連行きの列車に乗せることである。その後に起こることには自分の責任ではない」と決めた。
ソ連兵たちは駅に連れていかれた。貨車の側面の扉が開かれ、彼らは貨車に乗る。扉が閉じられた。しかし反対側の側面の扉も大きく開かれていた。彼らはそのまま貨車から降りた。列車が動き出し、英兵は消えていた。そしてソ連兵もイタリアに消えていった。
彼ら、パルチザンソ連兵の多くはその後イタリアで結婚し、イタリア人になった。南米に渡って余生を過ごした人たちもいた。英軍コマンド指揮官は求められた任務をすべて果たしたとして何も責任を問われなかった。 まるで頓知話だな。
機転が利くってこういうことか。 いかにもブリテン人がやりそうな感じ。
嫌いじゃないぜ。 児島襄の「マニラ海軍陸戦隊」より
マニラ市内から米軍に追われて逃げる陸軍の一団が
フィリピン人の住宅街に隠れたところ
とある家の中を覗いたら麻雀をしていた。
隊長は麻雀も好きだったのでつい見ていたら
そばで部下が「チー、チー」と言うので
隊長は内心「馬鹿、ポンじゃないか」とささやきかえしたが
実は部下はフィリピン人が通りかかったので
とっさにフィリピン人特有の呼び声を出して切り抜けたという訳。
この隊長、他にも数人で米軍の見張りの前を「酒屋に使いに行く下男の足取りを真似た」感じで小走りに無表情に通過したりして
なんとか脱出に成功した。
証言した側か書いた側かが話盛ってる気がしなくもないが
全体的に悲惨な話の中で少しほのぼのしたので一応書き込み >>822
児島襄にしては、珍しいよもやま話だな。
時には読んでいて苦痛になる来るくらい出来事の羅列が多い文章なのだが。 この前のアフガンの米特殊部隊の話は泣けた><;
それとイランからの6人救出もなw
ほのぼのいうよりヒヤヒヤだったがw >>824
証言からまとめたせいか、出来事の羅列どころか
吉村昭の小説っぽい感じの作品だった
珍しいね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています