@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 13 @@©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ここは戦時中、戦場、及び軍隊内での「ほのぼの」とする話しを楽しむスレです。
煽り、荒し、工作員は相手にせず、完全無視をしていただきますようお願いいたします。
前スレ:
@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 12 @@
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1388931390/
まとめサイト:
http://gunji.blog.shinobi.jp/ 国民義務だし世間体的にも全く受けないわけにも行かんのよ 判決を公開の法廷で言い渡す
選挙は公開の場での秘密投票
と同じ感覚で公開性が要るのかもしらぬような >>78
初めから弾いとけば良かった・・・パターンは上原敏だな。本名で召集したら歌手が応召してきたという。
上官からも「知ってたら召集してなかった」とか言われたとか。で、部隊が出動する時に内地に留まる事を強く勧められたが本人は拒否。
そして戦死しちゃった・・・。 >>77
その辺、船員や前線で任務に従事する軍属の現地徴兵検査でもけっこうあったようで、
揚子江方面の機帆船船員とかも、
検査官「おう機関長よ、今の船に乗るのと二等兵どっちがええよ?」
機関長「はぁ、船も若い者が多いのでワシが下りると心配ですし」
検査官「軍医ぃ、この人アレだよアレ、何か病気だ。ワシには治療するべき病気があるように見えるぞ」
軍医官「じゃぁ、肺湿潤か皮膚病(感染性)って事にしときますかね」
とか、(現場での必要性にかられて)多少の操作はあったようだけどね(船員が安全な職場とはいっていない >>80
そう言えばこないだの衆院選では開票不正があったんだっけ?
そんなの途上国でしか起きない話だと思っていたのに。 開票所も公開ってことになってますが、地元のは行ったことないし、実況中継があるわけでもないし ナポレオン時代のフランスでは、20歳から25歳の壮丁に兵役義務があった。
兵役年限は平時に5年、戦時には無期限。
初期にはくじ引きで当たった者だけが召集されたが、ロシア遠征のころにはほとんど全員が召集された。
当時、兵役に行けば生きて帰れるのは3人に1人と言われており、
当然ながら兵役逃れのあの手この手が横行することになる。
手っ取り早いのは、既婚者は兵役を免除されたため、徴兵年齢以前に結婚してしまうことだった。
次の手は身体を傷つけることで、
当時の銃は火薬の包みを歯で食い破って装填するものだったが、前歯を折ってしまうとそれができない。
それも通用しないとなれば、撃鉄を起こす親指を切り落としたり、足を折ったり、片目を潰す者まで現れた。 徴兵検査のこういう話を聞くと、アラフォーの新聞記者を召集させたハゲメガネのケツの穴の小ささがよく分かる それでも応召が決まってしまえば、逃亡する者も後を絶たなかったが、
奥の手として、当時のフランス軍は替え玉の入営を認めていたのである。
しかし、替え玉を頼むには巨額の費用が必要で、
とてもではないが一度に払える家族はおらず、年賦で支払われるのが普通ではあった上、
もしも替え玉が戦死すれば、年賦の支払いが残るほか、
戦死後15日以内に別の替え玉を立てなければならず、家族の負担は増えるばかり。
だが、1813年、替え玉は同一郡内の同一出身階級の者に限る、と、法律が改正されたため、
替え玉制度も有名無実のものとなる。
金持ち同士では替え玉のなり手がおらず、貧乏人同士ではお互いに金がなかったからだった。 >>84
TV報道で実況はやってなくても、各陣営の人間が日本野鳥の会よろしく票の把をカウントしているで
だからこそ票の数え間違いとか、東京で起きた自民党の票数0疑惑の早期突っ込みとかが即時になされてニュースになる前に修正されている テレビの実況とはいってない
開票所の職員が見物人に、今何々をやっております、という中継をしてないから開票所にいても何やってんのかよくわからない、と言いたかっただけ >>89
そこまでする必要ないじゃん、公開する事(不正防止)と見世物にすることは別だかんね
判らん判らんいってばかりでなく、判らんなりに理解しようとする努力をケチったらいかんよ >>85>>87
おもしろいね。
これに合わせて戦地での脱走もあるし、数十万の兵力を維持してくには苦労したんだろうなあ。 >>85
>当時の銃は火薬の包みを歯で食い破って装填するものだったが、前歯を折ってしまうとそれができない。
確かアメリカではなんかの手違いでその規定が生き残ったままになり、金属薬莢の時代になっても虫歯とかで
火薬の包みを噛みちぎれないと判断された者は徴兵で落とされてたとか。ひょんな事からこんな時代遅れの規
定が残っていることが発覚、大慌てで廃止した、と大昔のコンバット・マガジンで読んだような記憶が…。 >>83
青森の町長選挙とか戦後すぐは凄かったようだ
開票者の中に立候補者のシンパがまぎれてお互い対立側の候補の名前があればすぐに線書いて誤記扱いにして
無効票にしたりごみ箱に捨てたりして
太宰の兄の津島英治の町長選挙の話 後はゴミ箱に潜り込んで相手候補の事務所に潜入とかも書いてたな
こんな感じか↓
____
/ ./ /| ?
_|  ̄ ̄ ̄ ̄.| |___ ∧∧
/ |_____.|/ / ( ) 気のせいか・・・
 ̄ ̄~ |し |  ̄ ̄ _| /(__
し⌒ J / └-(____/
元ネタはちくま学芸文庫の「津島家の人びと」 >>93
WW1まで生き残ってたらしいな
まあ南北戦争終結後は大戦参戦まで志願制の田舎陸軍だったし、歯が悪い程度で門前払いしても困らない程度の規模でしかなかった
100万規模の兵隊大陸に送ってさらに100万追加しようなんてなったらそんなこと言ってられないけど 残っていると困る規定は廃止しないといけないけど、
残っていて困らない規定は残っちゃうんだよなあ
規定を廃止するにも理由が必要になるので仕方がないのだけれども 道路交通法では車両は左側通行、歩行者は歩道や路側帯のないところでは道路の右端を歩け(右側歩いて危険な場合は左端でも可)と言うことになっている
しかし、駅構内や車両通行不可の踏み切りでは右側通行を推奨していることもある
これは明治時代に作られた歩行者の通行についての法律でそう定められていた名残だとか
もちろん今は死法だが 兵隊を怒らせるのなら、トランス脂肪酸塗ってみるのも一興かと。 ナホトカからヘルシンキまで、ゴルバチョフ政権時代のソ連をオートバイで横断走破した日本人御一行の話。
当時のソ連でもモータースポーツは盛んで、御一行、とある街でダートトラックレースの会場に招待された。
1周500mぐらいのトラックを左回りに4周するレースで、
マシンはチェコ製ヤワの500cc。
御一行がレース場に着くと、主催者から申し入れがあり、
「わざわざ日本から来たライダーとマシンを観客に紹介したい。
レース開始前に全員でコースを一周し、デモ走行してくれないか?」
スピーカーから場内に流れた紹介の言葉。
”日本の傑出したライダーたちをご紹介します。
彼らはナホトカから上陸して、シベリアの道なき道を走破し、
ここからさらにモスクワ、レニングラードを超え、ヘルシンキを目指す勇敢なスポーツマンであります。
彼らの乗っているオートバイは、世界に知られたホンダ製のAX−1、
250cc単気筒、4ストロークエンジンを搭載した、きわめて信頼性の高いマシンであります。
ここまでトラブルはなかったそうでありますが、これからもそうでありましょう。
彼らの偉大な計画の成功と、母国への無事帰還を心から祈ります”
デモ走行を終えて、センターのグリーンに整列した御一行に、満場、やんやの大拍手。
レースの休憩時間にはサインをせがまれるひともいたとか。 ここで伊賀・甲賀・風魔とか言うと、
もしかしてOH-1の派生機か?と思ってしまう >>102
ちょいと前の、都市伝説というか、もっともらしい噂。
「警察官が運転免許証を見ると、現職自衛官か退官者と、一般ドライバーの区別がつくとか。
免許証番号か何かに、仕掛けがあるのではないか?」
噂の真相を警察官に言わせると、
「そりゃそうだ、普通四輪に記載がなくていきなり大型四輪の免許なんか、自衛隊でしか取れないだろに?」
今の免許区分ではどうなっているのかわからんけど・・・。 「塀の中の懲りない面々」で免許証を見せたら前科者とばれてしまい就職できないってのがあったけど
あれはありえない話だそうな 実際に刑務所に入ったら履歴書にその間の経歴をどう書けばいいんだろう 映画「フューリー」で、町に侵攻してきた米兵を恐れた
ドイツ娘がベッド下に隠れていたわけだが。
ブラビに見つかって出てきたらミニスカートに
胸の開いたブラウスって挑発的ファッション…。
ドイツでは、もんぺのような国民服を着なかったの?。 ドイツは戦時中も連合軍側と比較して市民生活の制限が緩かったそうだ。物資は欠乏してたようだけど。
なお、ドイツの少女、特にドイツ少女同盟のメンバーは身持ちの悪さで有名ですね。 映画のヒトラー最後の14日間だかでベルリン侵攻されてる中、地下施設の隠れ家で
ヒトラー取り巻きの幹部、女性がヤクきめてくんずほぐれつのマッパ乱交状態が描写されてたが
あれはホントなん? Reichssender Berlinの場面でもあった気がするが、あれは別の映画だったかしら 90年代「北海道クルーズ4泊5日1万5千円」の、
激安ツアーに参加した週刊朝日記者の話。
東京湾を出る船で32時間かけ釧路港に着き、北上して川湯温泉に一泊したあと、
また32時間かけて東京に戻る、
「船中3泊、道内2食」のツアーだったのだが、
さすがに激安ツアーだけあり、参加者は大半が高齢者。
記者が取材した参加者のひとり、元憲兵、
用心深いのか、料金の安さが心配になり、
主催者の「郵船トラベル」の事務所をこっそり見にいったというが、
船が金華山沖に差し掛かったとき、レーダーを指さしながら、
「あれがなかったから、日本はアメリカに負けたんだ!」
いつの間にか、元憲兵氏のまわりに参加者が集まり、感慨深く頷く。
参加者の中には貴重な女子大生もいたのだが、
「こんなに安くて、どこか違う島に連れていかれるんじゃないかって心配してたんですよ」。
その女子大生をホールでのカラオケに誘った週刊朝日記者ではあったが、
ホールには誰もおらず、誘った女子大生も来ず、玉砕。
デッキに出た傷心の記者が、はるか遠くの海岸を見つめていると、
デッキにいた男性が「戦争中、わしはあそこの基地にいたんだっ!」
週刊朝日記者、はからずも「戦後」を考えさせられながら床についたという。 祖父は婿養子で実家はこの地方では結構な部類の名家だったそうな。
で、実家の長男は地元連隊のある部門の超お偉いさん。
日華事変の頃に、「これから先の戦は危ないから、今のうちに志願してしまえ!」
というお達しが出て地元連隊に志願。
当然、長男の庇護を受け一回目のは無事除隊。
で、またまた実家から「婿入り先は貧乏だから、恩給がつくまでお勤めしなさい!」
ときつ〜いお達しが出て、その後2回応酬し、最後はなぜか軍曹にまでなって
無事、現役除隊。恩給ももらえるようになったらしい。
その後、戦争は泥沼化していくのだが、一度も前線に出る事もなく、のんきに大陸
の連隊本部勤務していた祖父にとっての戦争とは物見遊山の旅だったらしいw 「運隊」といえば、80年代後半に予備校の講師をしておられた方が戦時中、
いつものように学校に行こうとしたら母親から「回っても立ってはいけないよ・・・」と
小声で目を伏せて言われて、なんのことだと不思議に思って家を出たそうな。
学校につくと、なにやら適性検査を受けろと言われて、その場でぐるぐる回ったあと
片足で立つということをやらされた。負けん気の強いその方は、ドヤッとばかりにピタッと
止まって見せたら「よし!」と言われて、後日徴兵の知らせが来たとか。
母親は「だから言ったのに、おまえは・・・」と泣き崩れたそうで、「数日後に終戦にならなかったら、
ひょっとしていわゆる特攻隊になっていたのかもしれない。」とおっしゃってた。
なお、その方は授業時間に余裕があるとやたら芙蓉部隊のことを褒めちぎっていた。 突っ込むだけなら平衡感覚とかどうでも良さそうな
むしろ発進動作とかを的確にできるかのオツムのほうが重要じゃないかと 陸軍少年飛行兵も海軍飛行予科練習生も志願して
筆記や適正試験に合格しなければ飛行兵になれなかったけど
普通の学校で適性検査をして
その結果 徴兵されて飛行兵にさせられたのかな >>126
逆や
旧制中学ってのは陸海軍の肝いりでどこの学校も基本的にグライダー部ってのが作られている
(なのでゴム射出/パチンコ方式の機体も文部省型ってのが規格化されている)
んでもって、そういった母体をベースに学校教練や体育の時間である程度適正を見て、少年飛行学校(陸軍)や予科練(海軍)、逓信省飛行青年訓練所の募集の対象になるし、
昭和18年くらいになると募集ノルマってのができてきて、各校〇名応募していないと教員校長はやる気なしと思われて色々な事が出てくる
ま、親からすれば徴兵も志願(の強要)も変わりないだろうから、適当に流しておけってのは本音だっただろうね >>127 了解 徴兵でないというのが分かればよかったんだ >>128
強いて言うなら、昭和20年に各地で行われた徴兵検査(の簡易版)と勘違いしているのじゃないかなという気もしなくはない
本来ならちゃんとした会場(連隊区の指定する場所)でみっちりやるんだけれども、
敗戦直前の国民義勇戦闘隊編成や所謂根こそぎ動員なんかだと、職場単位・学校単位で身体検査をやって「ラジオ体操が一通りできれば身体十分として合格」「両手のグーパーちゃんとできれば合格」
ってレベルで徴兵検査官の判断で合否判断、即日召集したって話があるので状況は似ているのかなと
特攻隊ってのが航空機や舟艇だけでないし、国民義勇戦闘隊の対戦車肉薄攻撃(爆薬背負って轢かれろってヤツ)も、世間一般で特攻と表現してもおかしくはないだろうなぁという感想 外国人「『動物がもたらした最悪の災害として』第二次大戦でワニに襲われた日本兵が
ギネスブックに載っているらしい…」【海外反応】
http://xxxkaigaixxx.blog.fc2.com/blog-entry-3066.html ほのぼのかはしらんが、大戦中、日本本土を空襲した米軍機数機で「折れた材木が刺さって」軽微な損傷をしてとの報告があったらしい
欧州ではそういう事はなく、日本上空特有の事故?だったそうな
まさか竹やり投げの超人とかがいたわけでもないだろうけどね 低空爆撃だと爆圧や破片に巻き込まれて危険だぞってのは常識かと みなさま甲賀新年
本年もよろしくおね賀伊いたします フランスの新聞社襲撃犯が立てこもったわけだが、
警官隊に突入され射殺された。
用心深かった犯人だが、日に二回のイスラムの礼拝を欠かすことはできず
ひずまづいて祈りを捧げているタイミングを見計らって
警官隊は突入したのだった。 >>138
二人が立てこもった印刷所。
二人はちゃんと呼び鈴を押して、印刷所所長を呼び出してる。
所長は二人にコーヒーを出して、話を聞いてやってる。
警察との銃撃戦が始まって、弟が首を負傷。
その手当もしてやっている。
二人は所長を解放して、脱出させた。 テ:ピンポーン
印:どなた様ですか?
テ:いまニュースでお馴染みのテロリストで〜す!
印:ど、ど、どのようなご用件で?
テ:立て篭りに来ました。
印:あ、どーぞ。いま鍵開けますね。 実際の所はそんな間抜けな話では無く、
武装した相手に下手に抵抗して最悪の結果を招くよりは
時間稼ぎをしているあいだに従業員を逃がすために色々と応対してたって話だろ。 甲賀新年
しかし東欧といい、フランス、中東、アフリカどこも地獄絵図だな…
ほのぼのさせてくれよ…… >>141
それもあるだろうけど、あの印刷所の所長さんはかなり変わった感じの人のようだよ。 20年前は阪神大震災、オウム地下鉄サリンと立て続けに来て、もう世紀末なのかと思ったものだ
今年はヨーロッパはいろいろと大変みたいだが、何とか乗り越えて欲しいもの
今の日本が天災や犯罪以外では天下泰平なのも、あのいかれた戦争をやったからだし、ヨーロッパも塞翁が馬であるのだと思いたい 年賀状にはきちんと謹賀と書いたよ。
誰か羊と軍にまつわる面白い話教えてくれよ。シリアナ以外で。 フライトジャケットなんかは羊皮がモテモテ。
日本では普及してないけど。 フォークランド紛争後、埋められた数万個の地雷を処理するために
羊の群れが地雷原に投入された。
……ほのぼのしてないな。 >>153
地雷が処理できて夕飯も豪勢になるなら良い話じゃあないか() >>154
じゃ、あそこに転がってる腿、取ってきてね(ニッコリ じゃあ羊と言う事で。
昨年の夏、航空自衛隊が、ついに新型羊羹の開発に成功。
そのスペックは保存期間は1年、サイズ8×4×2cm
ぶどう糖15g/カルシウム66mg/濃厚チョコレート味/水がいらないウェットタイプ
なお保存期間は現在延長中らしい。 じゃあチョコレートでいいじゃないか
って突っ込みもあったことだろう
食ったあと喉が渇かないチョコレートって開発できんのだろうか >>155
/
ターン
\
やったな!ミンチがもうひとつ出来たぞ!
喉が乾くのは浸透圧のせいだから水っぽいチョコならいけるでしょ 羊羹というと最初漢字が読めなくて、昔コピペであった「次々に羊羹好きに陥る外国人」てネタで不思議なお菓子を想像してたな。
しっとりとしたカルメラをミルフィーユみたいに重ねた栄養食ってイメージだったんだが、羊羹だと分かった時はむしろがっかりした…。
お菓子と軍隊で一つ。
1943年の東部ニューギニア。フィンシュハーフェンに米軍が上陸して後方と分断された形になったサラモアでは、急ぎ物資の引き揚げと廃棄が行われていた。
その中でも乾パンは大量にあって、兵達は持てる分以外は中の氷砂糖だけ食べて後は捨てるという、なんとも勿体無いことをしていたものである。
この光景を目にした士官は、後に密林の中を退却している最中に「あの乾パン一袋でもあればなあ…」と口惜しい想いをしたそう。 >157
単に「暑さで溶けないチョコレート」への日本的回答なんだと思うぞ。
トロピカルタイプのチョコレートは不味いって聞くし、あとはm&m'sみたいな糖衣タイプになる。 食べすぎないように不味くした携行チョコがあると聞くけど、エチオピアで配ったらやっぱ食べんのかね 不味くしたというより甘味品にならない様に砂糖などを押さえたバージョンでないかい?
(兵隊がおやつ代わりに勝手に食わない様に調整するものは多い) ギブミーチョコレートって言って貰ってたのってレーションの余った奴説と売店とかで買った普通のチョコ説と有るけどどっちが多かったんだろ 商店街の古本屋で世界ノンフィクション全集っての見つけた。状態は汚れ傷ありで悪いけど、一冊300円なので手頃か。
ロレンスの砂漠の反乱とかセポイの乱、太平天国なんかも載ってるので新鮮。この辺の話面白そうだけど、正味ほのぼのスレに書き込んでええのんか? 戦争とか紛争なら大丈夫よね? 久々にほのぼのした話を一つ
大戦末期、足柄が沈没した時の話
沈没に備えて爆雷には安全ピンを刺し「総員退船」「浮くものはなんでも投棄せよ」の声に押されて
次々と海原に飛び込んでいく水兵さん
救助を待つ間、ふと波間に漂う陸兵をみて驚いたのなんの
小銃を持って浮いている者は珍しくなく
一升瓶を持つ者、缶詰持つ者もいた。缶詰は海面に投棄された木箱をこわし
中に入っていたのを配ってもたせたらしく銃剣でこじ開け中味を食べながら救助をまっていたそうな 野風か沼風の艦長も被雷沈没した後にしがみついたのが冷蔵庫
僚艦に救助された時に「しってるか?牛肉も生のママでけっこういけるぞ」と答えたとか 冷蔵庫開けて中の牛肉を食べてしのいだってこと?
開けたら沈むんじゃね 上向きに開けば水は入ってこないだろ
あと氷冷式の冷蔵庫とかだと断熱材としてコルクとか詰めているとガワ自体で浮く なるほど、じゃあフネに乗ったら冷蔵庫の位置確認しておいたほうがいいな 震災の津波でも、断熱材が入っていたり密閉されていて浮力のある冷蔵庫とかクーラーボックスにしがみついて助かったって話はあるな 気密の良い桐ダンスとか船箪笥も浮かせるためのものだったりするわな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています