@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 13 @@©2ch.net
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中国の某地方空港。
国際線ターミナルからは日本はじめ世界各地に国際便が就航しており、
のみならず、貨物便の発着も絶えない中、
国際線ターミナルのいちばん端から、平壌直行の高麗航空が出ており、
ボーイングやエアバスが翼を並べる中、高麗航空のイリューシンはいかにもちっぽけに見えた。
高麗航空にあてがわれた搭乗ゲート前には、他のエアラインのようなチェックイン機がなく、
何やら屋台のようなチェックインカウンターがあったのだが、
開店休業というか、どうせ誰も乗らないだろ、とばかり、係員がおらず、
ボーディングゲートもつなげないイリューシンのタラップの下には、
自動小銃を背負った、武装警察か解放軍かは遠目でわからないが、中国側の兵士が直立不動で警戒に当たっていた。
中国の空港で、自動小銃を持った兵士を見ることはまず、ない。
あっても空港警備の武装警察が、フタつきホルスターに入った自動拳銃を下げているぐらいだ、
まして国際線航空機の搭乗口に、威嚇するように立っていることはない。
これは中国側の、北朝鮮に対する本音の現れなのか?と、思うのは、おれの考えすぎなんだろうか・・・。 ずいぶん前に書いたネタだが>>852の続き。
カナダ領に入ったおれ、うろうろしていたんだが、
滝から少し離れたところは文字通り田舎町、目に入ったのは小さな警察署。
受付には制服を着てないおじさんがおり、
受付の奥にはデスクの前で、事務椅子にもたれて大いびきかいて寝てるおまわりさんが見えた。
おれ「日本から来た観光客なんだ、カナダの警察官にぜひ、お話をお伺いしたいんだが」
おじさん「ちょっと待ってくれ!」
出てきたのはくだんの、大いびきかいて寝てたおまわりさん。
「サージャント・xxだ、どんなことを訊きたいんだい?さあ、オフィスにどうぞ」
ヒマ・・・いや、サービス精神旺盛なおまわりさん、
「大変な仕事なんだけど、治安の維持って大事なことだからね、日本でもそうじゃないかい?」
「おれのバッジの下の記章を見てくれ、シャープシューターといってね、拳銃射撃のエキスパートさ」
「あ、カメラ持ってるのか、せっかく来たんだから一緒に記念写真撮ろうぜ、制帽貸してあげるから。
おーい、〇〇(受付のおじさん)シャッター押してくれないか?」
じゃ、またカナダに来てくれよ、と、微笑むおまわりさんと握手して警察署を出たんだが、
おまわりさんがシャープシューターの腕に物言わせるときが来ないどころか、
居眠りできるぐらいヒマなのは、ある意味いいことなんだよな・・・と、思ったもんだった。 せっかく久しぶりに話題が繋がったので、こちらも関連する話を
>>853
米加国境の大半は緯度で機械的に引いたものなのはご存知の通り
ほとんどは平野の真ん中なのでどこが国境でも構わないのだが、国境が湖とか湾を横切るところで何箇所か「合衆国領だけど地続きじゃなく、カナダ領を通らないと行き来ができない」場所がある
その中で比較的広くてちゃんと人が住んでるのが、ワシントン州のポイントロバーツ、バンクーバーの南郊外から海に突き出た半島で、人口千人ほどの小さな街が一つそのまま含まれている
この飛地には小学校しかなく病院も産業もないので、住民はアメリカの行政サービスを受けるためには1時間弱かけてアメリカ領に行く必要があるが、前出の通り国境通過が意外に面倒で時間がかかる
特に911以降はスクールバスが遅延する等の影響が出ていた
なお、国境を決めた時カナダ(当時はイギリス領)側は飛地ができて不便が生じることを把握しており、ポイントロバーツと他の土地を交換する等の妥協案を提示したものの、アメリカ側が北緯49度線に固執した模様 >>856
自国領内で北朝鮮の民航機が爆破されては国の威信に関わる
どちらかと言えば警戒ではなく保護していると思える 昭和20年8月9日、樺太。
北緯50度線、日ソ国境を突破して侵攻してきたソ連軍の南下ルートは、
国境に通じるただ1本の国道、そして、ほぼそれに沿って走っていた樺太鉄道局線、
半田沢⇔敷香間、国境鉄道線に沿ったものであった。
それがため、国境鉄道線は8月9日以降、悲劇の攻防線と化したのである。
最北の鉄道駅、半田沢付近は同時に、日本軍の防備拠点となっていたが、
なすすべもなく8月11日にはソ連軍に突破され、日本軍にはやや南の古屯駅付近で死守命令が下る。
古屯駅付近の防備ラインを突破されれば、樺太第2の都市、3万人の人口を数える敷香まではさほど遠くはない。
8月14日までは敷香から兵員、弾薬、食料品を満載した軍用列車が昼夜を問わず運転され、
古屯駅付近を死守する前線部隊への補給が続けられていた。
古屯駅から引き返す軍用列車には、敷香を目指す避難民が満載されており、
8月14日午前8時、最後の避難列車が古屯駅を発車。
だが、最終の避難列車は敷香まで4分の1ほど進んだ千輪街駅付近で脱線、最後尾の貨車3両が川に落ちた。
避難民より先行して敷香方面に南下していた工兵隊が、ソ連に利用されるのを防ぐため、鉄道橋を爆破していたのである。
もはや避難民には、徒歩で南下するより他に方法は残されていなかった。 8月15日の終戦後もソ連軍との戦闘は続き、かろうじて敷香にたどり着いた避難民は1万5千人。
樺太鉄道局は8月15日朝から、使えるだけの車両をすべて動かし、敷香からの避難列車を運転開始する。
8月15日の時点では運よく樺太南端、大泊に着くことができれば、北海道へ避難できる可能性も残されていたのだ。
敷香まであとわずかという、上敷香駅付近にまでソ連軍が迫った8月19日、
1両のC56型蒸気機関車に、客車を1両だけ連結した列車が仕立てられた。
駐屯軍司令官と参謀を乗せ、機関車の前端に白旗を取り付けた休戦交渉の軍使列車で、
これが樺太鉄道局国境鉄道線、最後の北行き列車だったのだ。
だが休戦交渉は実らず、樺太鉄道局は8月21日、
敷香発の東海岸線南行き、大泊を目指して最後の避難列車を発車させる。
蒸気機関車2両をつなぎ、ありったけの客車と貨車25両を連結、
乗車は婦女子、または15歳以下の男子に限られていた・・・が、
8月21日の時点ではすでに敷香より南までソ連軍が達しており、
8月23日午後10時には最後の稚内行き避難船「宗谷丸」が大泊を出港。
詳細は今に至るも判然としないが、最後の避難列車の乗客が北海道に避難できた確率は極めて低い。 10年前に亡くなった親戚が、シベリアに抑留されたので、こういう話を聞いただけで、
ソ連の悪行に頭にくる。 戦時中の中国戦線の話。
ある夜に、敵を威嚇するため(?)軍歌で景気づけするよう指令が来たので
各部隊が軍歌を歌っているところ、一つだけ岐阜県出身の人間が中心の部隊は
集団で「郡上おどり」をやって、中国がいきなり郡上八幡に変わったかのような光景に
他の部隊も見とれるほどだったが、翌日上から叱られてしまい、二度とやることはなかった。
その部隊は後日戦局が激しくなると南方に送られてしまい、ほとんど戦死してしまったそうだ。 太平洋戦争前の海軍の練習航海の話
ネタ元は登場人物の同期生の吉田俊雄の「指揮官たちの太平洋戦争」と思う。
ttp://blog.livedoor.jp/yamato26840/archives/19493290.html
後日談は悲しくなるけど ほのぼのとしてねぇ後日談(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) それではほのぼのした話を一つ。学徒動員で学校軍服を作ったり学徒は工場や郵便局や銀行などに動員されていった。
学徒たちの間では人気の職場というものがあり……
・火薬工場→火薬原料を扱った後砂糖の配給がある!
・たばこ工場→週ごとにタバコの配給。お父さんに喜ばれる(一部は闇市とか物々交換にいかされましたとさ)
・印刷工場→千代紙など綺麗な紙がもらえることがある
といった具合に動員先での役得があったため人気の職場に行けた人は羨ましがれ
それぞれがもらったものを交換し合ったりもしていた
このほか手塚治虫ではないがこっそり漫画を描いてトイレの壁に貼り付け連載していた女学生や
美少女だが病弱で作業が遅れがちなので工員にいじめられた女学生を事務室に移動させた少尉さんなと
職場ごとに色々な物語があったようで ほのぼのという話か分からないが一つ
戦時中に井伏鱒二ら作家たちを南方に徴用した時の話。
結成式で輸送指揮官が「貴様らの命は俺があずかった。ぐずぐず言うものは、ぶった斬るぞ」と、
いきなり言ってみんな動揺して、卒倒した人も現れた。
その時、「ぶった斬ってみろ!」と海音寺潮五郎が持ってきていた先祖代々の同田貫宗広の全長四尺でドンとついて言いかえし、
その指揮官は、「あの中には非国民がいるから危ない」と言って輸送中、船室から出て来なかったとのこと。 >>876
少尉が女学生にあんな事やこんな事を(ry >>877
自分の思い通りにならないヤツは「非国民」認定
実にほのぼのとした話しだ >>876
すみちゃん(この世界の片隅に)の言うハンサムな将校さんを思い出す。
半袖開襟シャツに白手袋で軍刀吊ってたんだろうな。 すみちゃんの動員先がわからないがすみちゃんの症状を見てると将校さんは助かった可能性の方が高そう
女学生や勤労奉仕のとこに配属された将校さんは親切なのが多かったのか
将校さんの方が配置転換などになる時に持ち寄りの食材とつて(※)を使って送別会を開いたりしていた様子
※女学校の生徒さんとなるといいところの娘さんが多いのでクラスに一人くらい料亭や旅館の娘さん
あるいは親戚にそういうとこがあるひとがいたんだそうな 原作だとすみちゃんに死の斑点出てていやな雲行き暗示してたけど
映画はそうでもなかったんだっけ いや映画でも斑点でて「うち、なおるんかねぇ」だったけど
・炸裂時屋内にいておそらく1キロ以遠(火傷や外傷がなさそう)
・お母さんを探しているがおそらく救護所や家の方を探していたっぽい
・お母さんはお祭りの準備のためにいた市内(たぶん爆心地800圏内)を探したのがお父ちゃん
・療養してる場所が比較的被害が少ない江波
・発症が10月後半から11月くらいと遅い
・髪の毛は抜けてない
・呉に畑もちの姉(すずさん)がいて野菜とか届けてくれそう
これなら助かるんじゃないかなって楽観的な希望 元陸軍兵飯田さん(98)の沖縄スカッと体験
飯田さんは沖縄戦最後の激戦地・摩文仁村(現在の糸満市)に移動。
ここで「佐々木」という海軍の軍曹を殺害した。いったいどういうことか。
45年6月ごろ、飯田さんは、一緒に逃げてきた日本海軍兵や周辺住民と過ごすなど交流があった。
「食糧が少なく、餓死した人も多い。でも、住民とは仲よくやっていました。部隊には軍から鯨の缶詰の
配給がありましたから、それを住民にも配った。私たちは住民からサツマイモなどをもらって。
イモの葉っぱは常食でしたよ」
しかし海軍の軍曹・佐々木は、住民を殺害したり、女性を強姦したり、食料を強奪していた。近くで水が
飲めた唯一の井戸を独占している、という話も住民から聞いた。
「住民が泣きついてきたんです。佐々木は自分だけ生き延びようとしていた。反感を持たれていました」
ウワサだけでなく、飯田さん自身も佐々木の蛮行を目撃する。もう限界だと思った。
「見て見ぬふりをしている人もいた。佐々木の命令で同じようにしている人もいた。あまりにもひどい。
日本から兵隊が行ったからこそ、沖縄の島民は苦労したというのに」
そのため、佐々木を殺害することを思い立つ。
「佐々木さえいなければ、なんとかしのげて、水も飲めるのに」
飯田さんは、仲間と一緒に殺害計画を立てた。井戸で住民に嫌がらせをしていた佐々木に近づき、
後頭部に銃を突きつけ、引き金を引いたのだ。
この佐々木殺害の件について、飯田さんは2年前から証言するようになった。 882に絡んで、勤労奉仕の女学生さん指導担当の少尉とか軍曹となると兵隊相手にオイコラ貴様とやるわけにもいかず、
かといって資材が届かないとか停電などの関係で作業ができないときとかは弛まないように週1日は授業の日とか設定していく生活指導もなかなか大変な業務だったとの事
かといって、宿舎や工場の食堂で授業なんてすぐにできないものだから、重宝されたのが「和裁」の授業という建前
千人針はまっすぐ縫うだけだけども、作業着などの繕い、ほつれとりなどはいくらでもあるので、和裁の先生に来てもらって、自分の作業服やハチマキの手直しから始まり、
名前だけでは判らなくなるからと、虎の刺繍(千人針)や実家の家紋、自分の苗字にちなんだイラストを縫い込むのを進めるというか見逃すことも多々あったようだ
なお、イケメン少尉さんは女学生の餌食になって、腕章とかハチマキとか戦闘帽にお花やのらくろの刺繍、パッチワークをつけられ、工場長に毎週いじられて大変だったとの事 >>887
>イケメン少尉さんは(以下省略)
つまり今で言う「リア充自爆しろ」
みたいなもんか 未婚の士官とか当時は引く手あまただからな
まあすぐに組織が吹っ飛ぶわけだが… 戦闘帽に上官がのらくろとかお花とかのパッチワークつけてたら笑ってしまうわw >>890
ドイツ陸軍エーデルワイス山岳部隊 「」 >>890
乗機の零戦にチョークでのらくろの絵を描いて上官にこっぴどく怒られた搭乗員の話なら聞いたことがあるなあ。 >>893
のらくろは人気ありそうw
アメリカはアニメの絵とか多かったのに日本は真面目だなぁ 陸軍は部隊マークが虎(千里行って千里帰る)だったりしたけど海軍ともなるとそういうのすらない 波号とか海竜みたいな特攻戦隊の小型潜水艇なんかはセイルに虎のマーキングとかはけっこうある
特攻部隊かつ艦でなく兵器だから黙認されたって面はあるんだけど、航空部隊だと鷲部隊、竜巻部隊といった半公的な秘匿名、隊内での自称分にあわせたものを隠れて機体に描いたとか発令所の幟に仕込んだって回想はちょこちょこある 「フクちゃん出征す」という見出しで作者自らペイントした
爆撃機が戦地に進出したという新聞記事を見た気がする 沖縄への海上特攻の際の菊水マークなんかは、割と有名 >>896
ドイツ海軍Uボートでは開戦=無制限潜水艦戦開始からしばらくは、
セイルにマーキングを入れる艦が多かった。
有名なのは色を変えて映画「Uボート」でも再現された第9戦隊の「笑うノコギリエイ」や、
スカパフロー襲撃成功を記念してギュンター・プリーンのU47に書かれた「鼻息荒い雄牛」だが、
戦況が悪化し、また、占領地レジスタンスによる諜報活動が活発になると、
Uボート各艦の活動、とりわけ「帰らぬ艦」を特定できる個艦のマーキングはことごとく消されていった・・・。 (6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
http://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 山本七平が ルソン島に転属して、司令部にある街に出張した時
到着にの挨拶を司令部でした時に机の上の軍隊ハガキを見つけて
1枚失敬した
軍務で出張なのでコロニアルホテルにチェックインして
シャワーと風呂で石鹸でアカスリしたら、とめどもなく垢が出て
風呂の表面に垢が一面に浮いてすごかった
3回くらいお湯を変えないと風呂の底が見えない
次の日、司令部で重要作戦会議なんだけどハガキが気になって何も耳に入らなかった
さっぱりしてから、クリスチャン牧師の知人がフィリッピンのこの街の
教会にいたのを思い出して、消息を探して街を歩き、なんとか牧師を知る
人と話ができた。
山本氏の実家宛てに、牧師さんからよろしくと消息を書いて投函
とにかく配備場所や任務を書くと検閲に引っかかるので
単に知り合いの牧師の消息を伝える文面のみにしたと言う。
山本氏の実家では、フィリッピンの牧師さんの所在を思い出して
あの大きな街でハガキを出せるくらいの地位の上級司令部のペーパーワークで
安全な場所だと喜んでいた。
現実の山本氏はそれから100キロ離れた山奥の陣地で米軍の侵攻に
絶望的な防御戦闘と指揮する部下と山砲を全て失い
水牛を撃ち殺したり、村に押し入り籾を盗みながら逃避行をして死ぬ思いで終戦を迎えた
ほのぼの >>902
重要会議なんだけど、配布された資料を後で読んで持ち帰って部隊長に手渡せば良いや
とハガキのことばかり考えて上の空でいたら、いつの間にか会議が終了して配布された資料はすぐに回収された
会議で説明していた参謀を捕まえて質問しようと探したけど
司令部の建物の勝手がわからず行方もわからず名前も聞きそびれてThe End
部隊に帰ってシコたま怒られて殴られるかと思ったら
理知的な砲兵指揮官は、山本、仕方ないやつだな、お前の遠慮ない性格なら参謀を捕まえて
なんでも聞いたかと思ったのに。と呆れられて終わり
山本を連絡将校に指名したのがそもそも間違ってた、と内心思ってたようだ 英国海軍の女性尉官が、極秘の存在である原子力潜水艦でボーイフレンドとアダルトビデオを作成していたことが分かった。
英紙ザ・サンが報じている。
女性尉官のクレア・ジェンキンス氏(29)は、成人用有料SNS「オンリーファンズ」ではキャリー・テイラーという名前で知られている。
同氏はグラスゴー(スコットランド)から40キロ離れたファスレーンのクライド海軍基地でアダルト動画をいくつか撮影していた。
https://metro.co.uk/wp-content/uploads/2021/02/PRC_182031543.jpg >>902
部隊の動静が判るような内容で家族に送るのは禁止だからねえ
小樽だったか、民家に分宿した兵隊に同情したおばあちゃんが、その兵隊の実家に
「軍務で忙しいのに時間をとってわざわざ線香をあげに来てくれました、ここより寒い所に行くようですが〜」
と法事の礼状の振りした音信連絡する話とかあるのよねえ 吉村昭のエッセイであった話。
2・26事件の時の「下士官兵ニ?グ」の文章が子供にも分かりやすい分だったため
学校の子どもたちの間で文章を使った言い回しが流行って
宿題を忘れた級友には
「今カラデモ遲クナイカラ家ヘ歸レ」と言ったり、
テストで悲惨な点数を取った級友には
「オ前達ノ父母兄弟ハ皆泣イテオルゾ」と言ったりするのが流行ったそうだ。
オウムの時に子供たちが「しょーこーしょーこー」と歌ったりリコーダーで吹いてたのと変わらないなw 下士官兵への投降を促す文章を小学生がおもちゃにできるレベルで書かなきゃいけないのが当時の日本の教育の悲しい現実なんだよな
まあ、ビラまいても読めない兵隊が大半の国もいっぱいあるとしても 海軍だかで兵隊が手紙書けないから
上官が遺書を代筆したとか言う話もあったような 実際旧軍の識字率ってどの程度だったんだろうな
日本の兵隊は読み書きソロバンができるから日露戦争で有利だったとか、米兵と掛け算の逸話とか日本の初等教育の行き届きぶりを示す話は沢山ある
けど個人戦記ベースでも字の読めない兵隊の話なんてのはもっとありふれてる
軍隊用語くらいは上官が教えたんだろうけど 昭和10年の識字率が93%ってデータがあるから、1万人集まったら700人は字が読めない。
実際は障害者とかもいるから、兵隊の中での識字率はもっと高いだろうけど
大人数が集まる軍隊ならそれなりの数いそう。 「戦没農民兵士の手紙」みたいなのもあるから皆駄目というわけではないが
「字が読めない兵隊がいた」と当時軍隊にいた人間が回想で言ったら
「識字率が高い日本でそんなわけはない」と抗議来て論争になったことがあるらしい 映画だが、拝啓天皇陛下様を思い出した。
昭和11年生まれの親父の話だと、学校に通えず読み書きに難のある大人はザラにいたらしい。 >>915の言う93%が何を持って識字としてるのかわからんしな
自分の名前を書ければ識字というのなら、学校に行けない貧農でも必要上親が教えるだろうし
まさにあの映画の渥美清はそのレベルだった
だけど藤山寛美に教わって手紙がかけるくらいになってたから、軍隊はそういう役割も果たしてたんだろう
けど兵隊やくざの大宮は上等兵殿に全部丸投げする文盲だったな 昭和の50年代くらいまでは、役所の近くには代書屋っていう商売があったな。
読み書きができない人のために、書類や手紙の代筆代読をしていた。
識字の基準は微妙だよな。
日本語勉強している外人で、ひらがなカタカナ、小学校一・二年レベルの漢字まで
読み書きできる人がいるけど、あの人は日本語の識字者に入るんだろうか?
ひらがな限定の筆談はできるけど、書類や本は読めない。 >>915
事変勃発で動員が拡大する前の大正末、昭和1桁の時代でも、連隊に年に一人はモッサリ(いう事は素直に聞くけど、会話が成り立たない知恵遅れ)がやってくるとか、それなりに言われていて
いわば「裸の大将」みたいに体格は十分、聞かれたことは元気にハキハキ答えられる、でも一人で立哨とか散兵させるのは全くダメ、日記日誌もまともに書けないなんて兵隊の話はある
この辺、今の教育体系だと特別支援学級、昔の養護学校卒だったら徴兵検査時に何かコメント付くのだけど、
当時だと小学校卒で終わるし、小学校や社会は「みんなの後押しで(知恵遅れでも)小学校は卒業した、半人前だけど立派に働いている」「これで兵役果たしたら一人前だ、知恵遅れだなんて言わせないぞ、父ちゃん母ちゃん安心させてやれ」
な感じで在郷軍人会側も地域というか村落の顔役なもんで、そうした若い衆のバックアップする面があったりで、知的障碍者で排除ってポイントが実は無いのよね
あと、徴兵検査でやる読み書きの試験も、陸軍が必要として設けた試験というよりも、文部省が卒業後の追跡・全国調査的な成人男性の識字率調査な意識があって徴兵官なんかは全然気にしてなかったりする
陸軍は「小学校を無事卒業したのなら最低限の読み書きそろばんはいけるやろ」な一般論だし、
世間は「こんな子でもちゃんと頑張って小学校を卒業してます、素直な子なんで長い目で見て使ってやってください(意訳)」でやってた時代なんで、そうした隙間でモッサリさんが入営してくるのですね まあそのモッサリも2年の兵役で多少はマシになるわけで、無責任な徴兵論者が言う教育目的の徴兵という珍論の根っこはその辺にあるんだろうね >>922
そうした鍛えて揉まれてなんとかできたの懐古(あえてこの言葉を使いますが)もですが、
そもそも地元の小さなコミニティだと町内集落に知恵遅れのオッサンも、寡婦・父無し子も、工場や地主や寺には身寄りのない寺男や下足番みたいなのを抱えて支える社会だったから、
軍隊の中においても「来ちゃったものは仕方がない、どうにかしてやれ」が通じた世情もあっての話でしょうね
これが今になって成り立つとか、そもそも旧制中学以上や青年学校その他でどんだけ予備訓練やってたんだってツッコミが相手方に通じるとも思えませんが 雑な徴兵基準故に与太郎が入営する一方、アカもまた混じって入ってきた
当時の共産党はテロリスト集団なので、軍は見つけるとすぐに姫路の教化隊に送り込んで隔離した
アカはこれさえ同僚をオルグするチャンスと息巻いたが、全くの不首尾だった
というのも、教化隊の実に半分が知的障害者、残りは軍隊を懲役の親戚と思っている札付きの犯罪者で、彼らの崇高な理念に全く耳を貸さなさったのだ
ただ、教化隊に入ると俸給が貯まって一財産できるので、これを元手に更生する者も多少はいたという
まさに落語の孝行糖の世界である 現在の基準では多少知恵遅れとみなされる様であっても、農業をやる上ではあまり関係なかったりするし、何より体格が良ければそれだけで周りの兵隊が助かるって部分もあったのは確か
>>921の言う通り、地域全体で抱え込んでいた部分もあるだろうしね
あと農村では小学校に行かせてもらえない子供も結構いたみたい
子供の仕事は朝起きてから食事の準備を手伝って、小作や親戚の赤ちゃんの面倒を見ながら10時のお茶、12時の昼食、15時のお茶を田畑に運ぶのが日課だった
勉強は一切できずに小学校の教室の外から羨ましがるくらいしか出来なかった
なおソースはウチの婆様 まあそれでも自分の名前くらいは書けないと不便だから、それだけは親なり名主や坊主なりが教えたんだろう
それで識字とすればおしんも識字者だ
女の子に学問は要らんと言い張って小学校にさえやらない田舎百姓は昭和の終わりまでは居たしな 昭和恐慌ころからの労働争議の影響で、アカのアクティブが入営してきたり、そこを狙った活動家が衛門前でシュプレッヒコールあげてる話もよくあるんだけど、
連隊の方は連隊の方で、シベリア帰りの士官・准士官が残っていたり、下士官でも地主・自営農側(争議でなく改善派)の学のある人が混じっていたりするから意外と動きが広がらないんですね
シベリア帰り組なんかは「あんな若い連中を煽るような事言っても、親身になった訴え方でもなければ、あいつらが騒ぐほどの虐待じゃないから頭でっかちはダメだね。」
「ああした対立を煽るやり方は対象を敵に追い込むダメな宣撫工作だからよく見ておけ」とか若手士官に釣られるなって説教してたりするし、
下士官でも兵器管理係りぐらいだとマルクスだのを文庫の奥(日常の巡検では見ない下士官の管理下)に突っ込んでて、
「あいつらコレ(マルクス)も読まないでアジビラばっか読んでるからあんな下手打つんだよ」とかせせら笑ってたりする話は意外とありますな。。。 そもそも戦前共産党はインテリのファッションであって、それを知ってる農民や労働者から嫌われてたからな
そして貧乏人でも押し並べて天皇陛下を尊敬してるから、陛下をギロチンにかける前提の共産党は受け入れられない
今でも共産党は天皇制の扱いに苦しんでるし、永遠にそうだろう
そう言えば、内部改革を目指すとかほざいてるアホアカ自衛官もいたっけな 悔しかったんだね
君たちはやり方を改めないと永遠に表舞台に建てないからそのつもりで 何と戦ってるが知らんが、スレタイの文字も読めないのか、それとも知的障害ネタに乗っかってバカの振りをしているのか。 シベリア帰りって、抑留じゃなくて出兵の方か。
あれが日本人が初めてがっつり共産主義に触れる機会だったね。 >>931
せっかくそう悪くないはず思想を掲げながら、信奉者がアホなおかげで台無しにしてるのを遠巻きに眺める
ほのぼのするじゃないか 戦前の共産党員は、特高に拷問されて殺され。
仲間内でスパイ疑惑かけられて拷問されて殺され。
理想郷だったはずのソ連に亡命したら拷問されて殺されと、
当人達は欠片もほのぼのしてない修羅の道だけど、外から眺める分には
生暖かい笑顔になれる。 戦前の共産党にスパイMとかいたような
たしかそいつのせいで組織壊滅して
中国やソ連に逃亡したのが戦後の主流になったとか >>921
丁種だか戊種だかは池沼枠じゃなかったっけ? それと性病な
ケツの穴を調べてホモを弾いたのは性病をうつされると困るから
だけど将校は古来続く男色文化を捨てきれず終戦を迎えた
戦後の上野の山はオカマがウリに立ったが、戦前派以外の多くは軍隊で上官に掘られた兵隊だったという
K中尉コピペという昔の薔薇族の引用らしきコピペが流布してるが、ちゃんと根拠がある >>936
丁種戊種での知的障碍者のラインはあるのですけど、その線引きがすっぽり抜けているというか、
今風に言うならば「ボーダー障碍者のライン」がかなり低いんですね
921でも触れているように、見た目もうアカン(まっすぐ立ってない、(^p^)アウアウアーで検査中もよだれ垂らして黙って座ってない等)なら流石に所見ではじかれます
でも、裸の大将みたいな会話は成り立つ、いう事は聞く(自主判断で何かできるわけではない)、特に検査で指導通りの機能運動・体操がこなせたら、「徴兵検査でのチェックポイント」は通過してしまうわけですね
そして、読み書きの小テストも「文部省に頼まれたからついでにやってる」意識なわけですから、ソコで弾けるものでもない、と
好意的に見たら、日清戦争前に制度の大枠つくって、その時期の識字率や小学校卒業率とか勘案して、同時に名誉となる兵役をむやみに弾かないといった設計当初の最適化と昭和10年代との30年のギャップの部分かもしれません
逆に、右手人差し指の障害(小銃の引き金を引くため)に関しては、労災や民間保険の扱いが1ランク上とか、ヤクザがエンコ詰めさせても、徴兵忌避示唆みたいな感じで警察憲兵セットでガッチリ問い詰めにいったりと色々充実していくのですが 戊種は病気とかで来年以降に検査延期でしょ。
丁種は知的障害よりも身体障害で弾かれるのが主で、全盲(片目でも見えれば丙種)とか耳が聞こえないとか、
指や手足に欠損があるとかそんなレベル。
知的障害で弾かれるのは>>938も言ってるアウアウレベル。
一時は結核が丁種になって、結核患者への差別を助長した。 俺の爺さん蓄膿の後遺症でかなり耳が遠く徴兵検査は乙種だったと聞いた。
一応、日常生活上の意志疎通は可能だったから乙種だったのかな? 時期にもよるな
戦間期なら甲種なんて十人に一人とかそんなもんだから、難聴なら丙種まであり得る
だからこそ軍人が無駄飯喰らい呼ばわりされる反面、甲種合格で兵役に就くのは特に田舎ほど偉いとされていた
満州事変以降は年々甲種も安くなって、最後は指の足りない背中のカラフルな人でも甲種
ただ、それなりの親分なら軍と癒着していて、一家を挙げての勤労奉仕で勘弁してもらえる事が多かった 軍医関係の回想だと、平時なら紋々背負った連中所見欄にカキコして追い出してたんだけどなあってのはありますな
あと、職人でも新兵検査までは入れさせないって不文律もあったようで、カラフルな人は国民兵役での補充兵が基本だったとも
(この辺は地域や業種にもよる
片目や多少の難聴でもセーフ、丙種ってのは、受傷者の扱いもあるので一概に杜撰だって話にはできないですね
極論、戦傷で片目片腕片脚になっても、師団長とか教官配置で残したい人ってのはいるもんで、一律アウトにしちゃうと組織として困るんですね
その意味では、徴兵検査は丙種丁種「合格」や戊種(翌年再検査)であって不合格判定は無いわけですな そういえば映画「ニ百三高地」であおい輝彦の小隊にヤクザ屋さんおったわ >>942
徴兵検査の基準はその時点でのものだから、その後基準を
満たさなくなったからと言って(片手欠損とか失明とか)、イコール即除隊にはならないぞ。
ちなみに不合格もあるぞ。丁種は徴兵検査で唯一の不合格だ。
これをもらうと社会的にも落伍者の烙印を押される。
平時には丙種でさえ落伍者認定で、津山30人殺しの都井睦雄は徴兵検査で丙種だったせいで
村で冷遇されたのが事件の動機の一つだったと言われている。 実態としては不合格なんだけども、検査としては「丁種に合格」ですね
合格って本来の意味での適合、このランクに及第のことで、どこにも引っかからない不合格ってのは無いんですね
強いて言うなら、実際に兵役に服する「甲種1乙2乙丙種」には不合格、よって丁種戊種に「合格」になると
義務であり権利であり栄誉としての徴兵・兵役・志願軍人として考えた場合、不合格という宣告は無いという制度設計の視点も絡んでくるので、
当時の世相に準じたボーダー障碍者をはじくのか、それとも救うのかという話はいつも迷走してきますね >>945
いや、丁種不合格だし、戊種再検査だよ。
この二つは合格ではない。 徴兵不合格と言えば、日本はもちろん根こそぎ動員に定評がある
ソ連や末期ドイツでさえ、全盲の人は徴兵対象から外されたが。
世界には果敢に全盲者を徴兵した国がある。
その国は、なんか変な事やってたら大抵ここと定評のある大英帝国で、
全盲者は健常者より聴覚に優れるはずだと言う、分かるような分からないような
謎理論で全盲者を徴兵し。対空聴音監視員、ならびに対Uボート戦における
聴音(ソナー)員という、がっつり最前線にも送り込んでいる。
なお、健常者に比べて特に優れた成績は残さなかった模様。 >>926
女が学問ありすぎると相手や家族が嫌がり嫁の来てがなくなるから
ほどほどがいいというのは平成初期まではあった気が >>941
司馬遼太郎が徴兵検査行ったら甲種合格と言われて甲種合格と言われて
甲種合格なんて熊野灘で鯨取るような逞しい人間がなるようなイメージで
自分みたいな体格が対象になるなんて意外だったと書いてたな
甲種の基準下げてるのを感じて戦局の悪さ感じてたようだ >>934
特高の職員が政治犯の取り締まりについてドイツ警察の人と会談したら
欧州では思想犯は終生その思想を変えたり敵側に利することはないので
厳正に刑罰を下すのが普通という話で特高が驚いていた
日本では容易に共産党員が逮捕後に転向を宣誓して刑事罰が情状酌量されて
満州などへの転勤で不問にされる話で、逆にドイツ警察がありえないことだと驚いた
そもそも特高のスパイというのも何回も逮捕されて、取調べで説得されてスパイになることを
受け入れて特高もスパイ本人やその家族の生活や生命の安全を守るための様々な方策をとってる
治安維持法が日本の暗黒、極悪非道な苛烈なものだという説を戦後左翼は唱えているけど、欧米どこでも
似たような法律は施行されていて、日本に比べて摘発あたりの死刑や拷問死、懲役中の病死など
ものすごい数が死んでいる
日本の場合、三木清、尾崎とか幸徳秋水とかやたらと代表例で示されてるけど、
実は特高による拷問死、勾留中の死亡、治安維持法による死刑執行、懲役中の不当な扱いの病死などは
海外との比較では日本は非常に少ない、という思想犯の扱いのぬるさは
あまり議論されていない 治安維持法とスパイ殺人の両方で死刑囚で服役中だった宮本顕治の網走時代の回顧談で
潜水艦や船舶の逼迫で北海道の農産物の本土への輸送が滞って
元から刑法によって懲役犯の食事給与は厳正な基準があって量は十分だった
網走の味噌汁はジャガイモ、ニンジン、玉ねぎの大きな塊がお椀に溢れかえっていて汁が見えないくらいでw
重刑罰の懲役なので労務もなくて服役中に健康で丸々と太ったwww
と本人が懐かしそうに語っていた
ほのぼの 吉村昭の破獄でそんな話確かにあったな
監視する刑務官の方があまり食事とれず終始威圧感感じてたとか >>947
去年、Eテレのバリバラの「障害者と戦争」というテーマの回で
旧日本軍も全盲者も「耳は聞こえるから」と空襲の防空要員に駆り出してた話あったな
ながら見だったが実際にやってた場所とか行っていた気がする ttps://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/special/shougai/
ほのぼのさの欠片もないがこんなコーナーNHK作ってるので参考までに >>954
ttp://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=820
紹介あったので参考までに 建前的には徴兵されて軍務につくのは名誉とされていたわけだし
全盲者も公共の福祉としてアハキ業への優先的な訓練と就業保護による収入確保と生活の自立が勧められていた
戦時において全盲者も軍務に就ける道があることを示すのはそうしたハンデキャップを持つ国民にも然るべき社会的責務と国民全体への貢献できるのて差別する理由がない
ことを示す表徴なのではなかろうか 全盲の人の徴兵事例は無いのですけど、民防空での防空監視証哨への組み込みや、陸海軍の監視所(水中聴音所含む)への派遣事例は意外と新聞記事に残ってますね
ただ、軍民共に体験入隊レベルの域を超えていないのが実情で、この辺はなんだかんだで自宅から勤務地まで自力で通うとか、泊まり込みでも炊事洗濯を自前で賄う体制がほとんどだったこと、
全盲者にあわせた聴音教育がなされてない事、聴音後の報告(基点警察署への電話や場合によっては電話のる郵便局までダッシュ)とかの、
全盲者がいきなり現地に行っても何もできないという生活環境の変化って事情は後年の記録でもすっぽり抜け落ちていたりします
<盲学校の教員や、受け入れ側が学校併設の監視哨の時の当番の先生でもないとここまで記載できないですね クサヤの甕を道路にぶちまけた感じ?
悪臭で道路が閉鎖/スウェーデン
スウェーデンでトラックの荷台からニシンの漬け物(シュールストレミング?)を詰めた樽が100個落下。
後ろから追い越した乗用車がこれにぶつかり中身が散乱。悪臭が立ちこめて道路が閉鎖されました。運転手に『怪我は』ありませんでした(嗅覚によるダメージを除く)。
スウェーデン運輸管理局は「清掃しようにもノウハウが無く最善の手段が分からない」とコメントしました。
Https://www.thelocal.se/20180314/truck-carrying-barrels-of-stinky-herring-dumps-load-on-swedish-road
ほのぼの 航空便で輸入しようとしても、途中で爆発する恐れのある加工品扱いでかなりハードル高いらしいね コロナPCR検査の唾液を入れたプラスチックチューブの宅配ってトラック便限定で
航空便は無理だっけ? ほのぼの
ヤルゼルスキ宅でお茶するワレサ
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-e274.html
ワレサとかヤルゼルスキといっても、近頃の若い人々には何のことやら・・・かも知れませんが、まだソビエト連邦が強大な力を振るっていた32年前のポーランドで、連帯という名の労働組合を率いたワレサ氏と、首相として戒厳令を敷いたヤルゼルスキ氏が、今では好々爺然としてお茶をしているようであります。
http://www.thenews.pl/1/9/Artykul/105835,Walesa-takes-tea-with-former-communist-leader
当時、既に社会主義諸国の惨状はよく伝えられていただけに、ポーランドの連帯という名も熱いまなざしで見つめられていたようですが、今それも夢のまた夢というところでしょうか。 >>948
妻(4歳下)が中高JGから女子高等師範、
自分は中学高校は海部俊樹の後輩だが、
大学の段階で安倍晋三の後輩になってしまったw
家庭内南北問題(経済格差)はますます深刻化しとるよ… >>964
学びなおせw
つ 東海学園の歌とおつとめ/東海学園の歌(1981) 【東海中学・東海高校 校歌】
https://youtu.be/y28fVs7RG-g?list=LL イタリア海軍潜水艦カッペリーニのドラマの放送待ち。 義理の祖父がソ連兵でした。
ドイツ降伏直前に入隊して、戦後はウラジオストクで
抑留日本兵の移送に携わっていたそうです。
その後東独に派遣された時にベルリン封鎖のドサクサに
紛れて西側に脱走w
なんやかんやで逃げ切ってアメリカで義理の祖母(日系2世だけど
両親は純日本人)と結婚した後、祖母が帰りたいと言うもので
何故か南関東のとある漁村へ…という激動すぎる人生だった
そうです。
「地球一周するとは思わなかった」ってカタコトの日本語で
笑って話してくれましたが凄すぎるぜ… >>964
嫁 女子学院中高→お茶女
夫 東海学園中高→成蹊w
夫の都落ち感も結構なもんだが、そもそもどうやって出会った? >>975
温泉旅行の広告もあったんじゃなかったか? はず
それは当たり前だしその話題が出てるから捜査はしてるだろうけど >>130
こいつらが
2キロは確実に痩せそうなんだ全然砂漠じゃ無いじゃん
なんであれ、選挙権を有する国民だからな >>22
-0.45%
下げてる時の戦い方があるから 横文字くっそ弱いけど英語教育なかったのにスケ連一推し選手だからたくさん持って注視だ!まだ終わらんよ! 大学生ならそれは下落の指標となるなあ
なんでも少ないし
話合ってどうなるかわからない 「謝っても許しません。
ハイスコアガールあるやん
結局他人がどうなろうがどうでもいい訳で確かに痛いけど孫扱いなら許されると思っている香具師らはいるはず。
何言ってもカッコいいけど でもあり得るのかな
多分
残りの7派は
棒もあるし 若者は素晴らしい五輪のキャリアに賛辞を贈る。
あなたこそ真の五輪王者だ」と連呼する先生
俺はそういう事を事前に分かってたと思うよ。 >>634
ディーラーに車取りにきたんだな
この世でかなり
無駄なのだけど 出稼ぎネイサン復学の手続き終わった感あるけどメダルが生かせるかどうかはほんと分からん
でもまじで意識消失の可能性ある >>183
そんなに取れて枠取りができる
シジミは分からん 全然話題聞かなくなったの?
アクリートよしよしー
たった一つの事件と訴訟を専門に扱う弁護士が争う話だよ てかヲタが荒れてるとか暴れてるとかいらんねん
どこも似た様にしか見えん
鍵オタにはそう見えるのが一番被害デカいって言ってる自分は退会も出来ない。 無趣味な金の使い方するやつは情報弱者としかいうようない ひどい(´;ω;`)
俺は仕事行くのが無能過ぎるだけやろ それに乗っかるのがこう言う分布なんだろうな
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