第一次は秋までにレニングラード(今のサンクトペテルブルク)−スモレンスク−キエフ−オデッサまで占領し、
貧弱すぎるソ連・東欧の交通インフラをドイツの交通インフラ並みに作り替え、あわせて1942年からの第二次侵攻に備えた各種物資の蓄積をしなければならない
そりゃ当然で、ワルシャワからモスコーまで直線で1100km強。比較的インフラの整っていたフランスでもアメリカの誇る赤玉急行トラック輸送隊は直線距離450km程度で息切れを起こした
ワルシャワからスモレンスクまで直線で800km弱

ついでにユダヤ人はすべてイタリアに引き渡しておけば、ドイツは残虐行為を行う必要がなかった
事実、ムッソリーニは当時一番危険な男たちによって救出されヒトラーの傀儡下になる以前は(ナチスドイツと比較して)ユダヤ人には寛大な姿勢をとり続けた
(逆にエチオピアでのことで、黒人差別はひどかった)