ナチスドイツ軍はどうしたら勝てたの? [転載禁止]©2ch.net
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ネットで広がる嫌車社会。東京オリンピックまでに他人に害があって
大迷惑な自家用車が全面禁止になるのか?ネットの嫌車家が自家用車禁止に向けて動いている。
車の排ガス(受動排ガス)で真っ黒になった肺 http://i.imgur.com/mLvIu9J.jpg
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今時全面禁車じゃないの!?怒り爆発。受動排ガスで肺がんになりたくない!
https://www.youtube.com/watch?v=DecANnqWAic
2015/01/28 に公開
いい加減嫌車社会なんだから全面禁車にしろよ!
服に車のくさい臭いがつく!
習志野506 つ88−88 習志野506 つ88−88 習志野506 つ88−88
【受動排ガス】車の排ガスを吸うと寿命が20年短くなることを知ってましたか?
https://www.youtube.com/watch?v=P0m7SEw17N0
2015/01/28 に公開
私は現役医師です。
車の排ガスには8億種類の有害物質が入っています。
神奈川県川崎駅前は全面禁車のはずなのに路上停車してるよ・・・
https://www.youtube.com/watch?v=kTS2yzVPLfY
2014/06/20 に公開
ここまで車の臭い排ガスが臭ってきます。 1111
ほんとに吐き気がした。_______________
習志野301に1604 習志野301に160411111 >>442
受験にも出る超有名な関東軍特種演習があったでしょう。だから、それははっきりと間違い。
歴史をもうちょっと勉強しなきゃ! 北進ができなかったのは、単にアメリカ、イギリスの関係が悪化したから資源を求めて南進に切り替えただけ。簡単でしょう。受験クラスの知識ぐらいは抑えといてね。難しいこと言わずに。 この板で松岡と書かれると、洋祐を先にイメージしてしまうな ナチス左派が主導権を握って、ナチス右派や国軍を粛清していれば、
独ソ同盟を軸にして、一気に社会主義版ヨーロッパ連合まで行けたんじゃね? 独ソ戦も、日中戦争も、ベトナム戦争も結局のところは退き際を間違えた。
そこそこのところでやめてりゃよかったって話に行き着くのかな。
ギャンブルといっしょだな。 ナチス左派ってなんだよ?
ベルサイユ体制打破を唱えたヒトラーあってこそのナチス。
理屈屋がいくら集まっても国は動かせない。 >>453
民衆がゲリラ化して、補給を援助国があったら泥沼化する。 日独伊三国同盟さえなければお荷物のイタリアに足引っ張られることはなかった。
また日本との関係で対米戦を強いられることはなかった。
ソ連と戦争しなければ東西挟撃を受けることはなかった。 英仏に刃向かったのがそもそもの間違いw
ww1を考えなさい!w イタリアが足引っ張ったっていうけど
別に放っといたらよかったんじゃないですかね
北アフリカもバルカンも放っとけばよかっただけでさ
そもそもイタリア軍の軍力見極めたら北アフリカとバルカン両方責めて二倍くらいになった国土
全部維持するなんて無理に決まってるんだから
ムッソリーニの頭ひっぱたいて「ドイツの援軍ありきの侵略なんてしてんじゃねえよ」って説教すりゃ済むことだったような そもそも生存圏構想じたい相当間違ってる気がする
結局最大版図の時点でもドイツは全然レアメタル自給できてなかったわけだし
ゴム関係に関しては日本に潜水艦で送ってもらおうってくらい枯渇してたわけでしょ
大昔の鉄と鋼と石炭くらいしか考える必要がなかった時代ならともかく
あの時代の高度化した産業背景では
外交を軽視して侵略によって生存圏を手に入れようなんて発想自体、成功するわけのない話だった
はっきりいって外交(貿易)以外で解決しようがない問題を解決できないから
現実を無視して「戦争に頼って解決しよう」っていう逃げの発想でしかない
案の定、技術者が幾ら頑張って優れた設計をしてもレアメタルがないので
エンジン性能ではソ連にすら負けます状態
ドイツは陸軍国で海軍なんて通商破壊メインでしかないんだから
日本以上に考えてはいけない戦略だった
大英帝国以外は無理 日本が北進していればもしかしたら勝ったかもしれない
そうでないならどんな手を使っても負けてただろう ヒトラーとナチスの理念が、ドイツ人至上主義だから、実現してもそーとーケチな帝国になってたろうね。
ヒトラー氏の軍暦は伍長止まりだったのに、作戦に介入しすぎ。
特にフランス作戦を成功させた参謀長ハルダーをソ連戦の最中に解任したことが
致命的だったと思う
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参謀総長として、ハルダーは第二次世界大戦初期のドイツの侵攻作戦策定に関わった。
すなわちポーランド侵攻、西方侵攻、そしてバルバロッサ作戦である。1940年、
フランスに勝利した直後に上級大将に昇進。しかし徐々にヒトラーとの作戦上の
意見の相違が大きくなった。11月中にドイツ第6軍はスターリングラードのほとんどを占領、
ソビエト赤軍をボルガ川川岸に押し込んだが[1] 、第6軍の側面にはソビエト赤軍の
反撃の兆候があり、その情報はソビエト赤軍捕虜からもたらされていた[2]。(ウラヌス作戦)
それにも関わらず、ヒトラーはスターリングラードを占領することにこだわっていた。[3]。
そのためドイツ国防軍参謀総長だったフランツは第6軍と第4装甲軍の拡大し過ぎていた側面に
迫っていた危機について警告していたが、9月、ヒトラーとの意見対立により1942年9月24日に
参謀総長を更迭され、予備役に編入された
「wiki ハルダー」 ヒトラーが悲惨な戦争を見るのが好きで
無謀な作戦ばかり立てたからダメ >>462
ハルダーは戦犯として裁かれず米陸軍の戦史編纂までしているから
そういう影響に配慮してない文献だと名作戦家という事になっているわな >>465
対ポーランド、対フランスで成功したのは事実だわな。 ww2は究極的に航空優勢の戦闘であり、ナチスは防空戦ドクトリンに失敗したからこそ敗戦した
ナチスの防空戦は対空迎撃システムこそ無敵の性能だったが、迎撃システム以前に戦闘機を作るたびに防空戦ですりつぶし
米英はそれをわかって逐次消耗に持ち込んで防御崩壊した。これで破れた
東部戦線も航空機ゼロ状態で瓦解しつつ、ソ連は空爆で勝ったのが真実
けど結果的にナチス最大の失敗は迎撃機のドクトリン、戦術にあり、ナチスは極地戦闘機の短距離防空を重視した
これが迎撃拠点と迎撃必要数を増大させすぎた。つまり4式戦闘機のような長距離機であり現在の航空優勢獲得機ドクトリンならば東ざい戦線の同時防空ができたろうと
防空ドクトリンの失敗だ。そして日本軍はウルツブルグレーダーのようなものがあれば負けなかったし、失敗しなかったと
ナチスは普通に2000機の4式があれば、日本は200門のウルツブルグがあれば負けなかった つまり、モルヒネ中毒のゲーリングを重用したことが、ヒトラーの敗因だと。 >>385
ドイツの軍鉄道関係者もやることはやった
バルト三国の鉄道も動員して
また、軍は、機関車、貨物車など
鹵獲して使えばよかろうと、考えていたが
鹵獲数がたりんかった。 >>468
結局 国力の差でしょ
戦争=国力の差で勝敗が決まる
それを、短期決戦で片付けようとしたのが
ドイツと日本の悲劇 ■宣伝省の予算は莫大であり1935年は6700万マルクで、
ゲッペルスは機密費として4500万マルクを使えた。
■1937年世界初高速道路2000kmが完成。これは部隊の
迅速な移動にも使えた。
■ラジオは1939年には700万台生産し普及率70%は世界一となった。
これを使って宣伝に努めた。一方海外放送の受信は禁止され
親衛隊を使って2000人摘発した。
■占領地ポーランド向けの宣伝映画を作った。「なぜワルシャワ市は
このような運命を経験しなければならなかったのか」
「なぜ多数の若者が無用に戦死するのか」と尋ねかけるもの。
ドイツへの抵抗を防ぐ目的。
■占領地フランスでは「我々ドイツ人は新欧州の指導者となる」
「我々は武力で欧州を改革するつもりはない。新しい秩序を
理解してもらうことにある」と懐柔した。
■ソ連戦では予想外の冬になってしまい、零下20度で凍り付いた。
そのため国民にセーターなど供出運動をした。500万点集まった。
■対米英には「上陸戦になれば50万人が戦死する」と脅しをかけた。
実際は13万人だった。
■ロケット兵器は1945年3月から2万発発射された。ロンドンには
8500発発射され2300発が着弾。2.4万人が亡くなった。
■ドレスデン爆撃では15万人が犠牲になった。ゲッペルスは
ジュネーブ協定破棄を主張した。報復として捕虜を殺すのが目的。
『ゲッペルスとナチ宣伝戦』(光人社NS文庫/広田翻訳家)
>>472を見ても分かる通り、ゲッペルスもなかなか活躍しています。
対米宣伝が上手くいけば、ルーズベルトもひょっとしたら・・・笑 米は政府だけでなく議会や財界も開戦直後から戦争特需に乗るべく
中立法改正に向け動いているから無理じゃねぇの 真珠湾がなくてもいずれは参戦してるね
911みたいに自演だってやりかねん WW2時のニューヨークと日本の風景を比べるとこんな国に喧嘩売るとか馬鹿としか言えない 単純に国力国威の差なら、日清日露戦争の方が、日本の必敗であった。 後の日中戦争だって、陸軍の方が尻込みしていた。
参謀本部と陸軍省の尻を蹴飛ばした奴らは、いまでは反戦提督とか善玉に成り済ましている。 >>477
日清日露戦争は短期決戦で決着できたしなあ 日中戦争と日米戦争は、偏差値エリートが打算と派閥均衡の出口として始めた戦争だからな。 >>468
そもそもレアメタルがないんだから戦闘機は重くならざるを得ない
ニッケルもなければモリブデンもないしもっと言えばアルミニウムすらなかった
それらは東南アジアを占領していた日本は全部持っていたから潜水艦で運んでくれとまで言った
局地戦闘機を重視したのも局地戦闘機ならば重さはさほど問題にならないから
ドクトリンもなにもドイツで四式戦闘機など作れるものではない
日本だってアルミが枯渇した末期には
四式戦闘機も重量増加で性能低下してしまった
機体を木製にしても重量は17%増加したんだから
レアメタルを使わない戦闘機がどういうものか少しは分かるだろ 参考史料
映像の世紀
ttps://youtu.be/1HKHs_qjrwk
人々は民族の再興を望み
ナチスに将来を託した Bf109のことを知らないバカが何か書いているわい
Bf109の功績は短期間で大量産配備したこと、それにより隣国を戦わず併合(オーストリア併合)できたことにある
試作機がたったMAX695馬力(定格570馬力)のエンジンしか積んでいなかった事も知らないバカだろう
欧米機と日本機の違いは、安全度の違いである
具体的には、戦闘機の主翼に燃料タンクを設けたかどうか
欧米機も燃料タンクを設けたものも一部ある(P-51とか)が、ほとんどなかった ナチスの軍事的敗因の最たる理由は軍事以前であり、1944年の兵站崩壊以前の話だ
@兵站以前に航空機、及び戦車が無理なオーバースペックを狙ったからまともな稼働状況になかった
無理なハイスペックは作るだけ無駄だった
A燃料消費量に対しそもそも備蓄量が足りなかった。燃料が空襲で死んだんじゃなく、基地が少なすぎたし、備蓄意識が弱すぎた
こういう軍事以前のラウンドでの失敗が敗因。
1944年なんか航空機が稼働しないんなら2000機の4式がいるだけでもっともまともな防空できたろうと
戦車が1944年以降同時にまともな数動かないんなら、2000両のチハがいたほうが無双できたろうと
そういう戦争以前の話であり、所詮無敵のティーガーはそもそも稼働しなかったから戦線を構築できなかった。
こういう論外で詰んでるのが一般論としてのナチスの敗因だな
雑魚とか以前の話。兵器の合理性や可動意識は全くなかった。 ティーガーIの稼働率はそんなに悪くないよ、問題にならないほど数が少なかっただけで ナチスドイツの初戦の有利は、これが切り開いた。
ttps://youtu.be/IeqeUyPlRRs
1号はもちろん、4号戦車でもカタログ性能は連合軍に劣っていた。 ドイツ兵器は基本的に複雑、精密、高価と物量が正義のWW2には向かない >>483
中国−ビルマ−インドとマリアナ基地からの作戦全般を通じて第20空軍は、あらゆる原因によるものを含め、
B-29爆撃機485機、戦闘機212機を失った。この間、戦死または行方不明となった搭乗員は合計3041名に達し、
攻撃行動中の戦傷者は332名。他方、B-29爆撃機延べ33047機、戦闘機延べ6276機が日本爆撃に出撃した。
損害率は、B29は1.5%、戦闘機は3.4%であるが,B29搭乗員の死傷率は1%にも達しなかった。
(戦後刊行された『アメリカ戦略爆撃調査団報告第66号』「B29部隊の対日戦略爆撃作戦(第20航空軍)」
;本土空襲の記録引用)
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1944/b29.html
ソーティに対する損失率
ヨーロッパ
P-47 0.7
P-51 1.2
P-38 1.4
P-40 0.8
P-39 0.4
Spitfire 0.7
太平洋
F6F 3.7
F4U 2.5
20空軍戦闘機(P‐51 P-47) 3.4
まさにけた違いww
太平洋はヨーロッパの3倍〜10倍は激しい戦場だった >>483
Bf109だろうがFw190だろうがナチ機が撃墜した機数は大したことないんだがwww
一方的虐殺wwwwwww
ナチ機撃墜数 ナチ機地上撃破数 ナチ機撃墜破合計 空戦による損失数 キルレシオ
P-47 3,082 3,202 6,284 884 7:1
P-51 4,950 4,131 9,081 450 20:1
P-38 1,771 749 2,520 不明 不明
P-40 481 40 521 不明 不明
P-39 14 18 32 0 ∞
スピットファイア 256 3 259 不明 不明
A-36 84 17 101 不明 不明
P-61 58 0 58 0 ∞
合計 10,720 8,160 18,880 1,334 14:1
Flying Magazine 1946年2月号 >>483
撃墜されたアメリカ軍エース
陸軍エース
2位マクガイア→搭乗機P-38、一式戦が撃墜
9位カービィ→搭乗機P-47、三式戦が撃墜
17位リンチ→搭乗機P-38、撃墜死相手不明
39位クラッグ→搭乗機P-38、零戦が撃墜
海軍・海兵隊エース
2位ボイントン→搭乗機F4U、零戦が撃墜
3位ハンソン→搭乗機F4U、零戦が撃墜
17位べーカー→搭乗機F6F、撃墜死相手不明
3軍で7人ものアメリカ軍エースを葬った日本軍
一方、15機以上撃墜したエースでナチに撃墜された者皆無wwww
何百機も撃墜したスーパーエース()がme262とかウーフーとか伝説的()な名機()で戦ったのにおかしいなあww >>483
アメリカ軍ソーティに対する総損失と損失率
P-47 423,435 3,077 0.7%
P-51 213,873 2,520 1.2%
P-39 30547 107 0.4%
ドイツ軍が空戦で撃墜した数
P-47 884 0.002
P-51 450 0.002
P-39 0 0
ほぼソーティに対する損失率は0、ナチとの闘いの損失率は遊覧飛行で墜落する確率より低い安全な作戦だった。
B-17 291,508 4,688 1.61%
B-24 226,775 3,626 1.60%
この2機種のヨーロッパ戦線での損失率はただでさえショボいが、これでも総損失で、P-51や47の例を見てもわかる通りドイツ軍機が撃墜したのはこの中でも1/5ぐらいで安全性は戦闘機隊とあまり変わらないだろう >>483
ヨーロッパの空戦は所詮二軍同士の戦いにしか過ぎなかったのが、英海軍艦載機の活躍で立証されている。
更に別な記録を掲載しよう。今度は英海軍航空隊の戦闘記録だ。
1944年5月8日のノルウェー沖、英空母〈エンペラー〉の戦闘機中隊が、米海軍から貸与された2000馬力のF6F5〈ヘルキャット〉で、哨戒任務に就いていた。
途中、Me109とFw190の編隊と遭遇して、空戦が始まった。英軍側に被害はなく、Me109を2機とFw190を1機撃墜した。
ドイツ側の惨敗だが、戦争後期で戦闘機隊も崩壊を始めており、ろくな飛行士が居なかったせいか?
古いF4F〈ワイルドキャット〉もドイツ空軍と戦った。第882飛行中隊のパイロット4人が、やはり大戦後期に、
最早、時代遅れとなった〈ワイルドキャット〉でノルウェー沖を飛行していた。途中、Me109の編隊と出会い、空戦が始まった。英軍は損害なしで、Me109を4機、叩き落としている。
因みに、英海軍は〈ワイルドキャット〉(山猫)の輸出型を、最初は〈マートレット〉(岩燕)と呼んだ。が、最後は米海軍と同様に、〈ワイルドキャット〉と呼称した。
〈ワイルドキャット〉は、見て呉れは冴えないものの、馬力荷重や翼面荷重など計算すると、〈零戦〉には適わないとしても、さほど見劣りしないことが判る。
〈スピットファイア〉の初期モデルと比較しても、それほど遜色がないのだ。〈零戦〉や〈スピットファイア〉は別格だが、〈ワイルドキャット〉もそこそこ運動性の良い戦闘機と判断できる。
このように、格闘に強い戦闘機とぶつかると、Me109は手もなく捻られたのである。
http://www1.tcn-catv.ne.jp/maki/review/maki115.html 対独戦線より対日戦線の方が、連合軍航空機の損失が多いとな?
伍長どのが侵攻ばっかり主張して、戦闘機より爆撃機を量産させたもんで、ドイツの喪失が増えた結果でないかな?
英スピットは、零戦の相手にならなかった゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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『零戦の遺産』(光人社NF文庫/堀越二郎海軍零式戦設計主任/昭和35年頃の執筆)
■零戦は昭和18年19年でもまだ強かった。格闘性能には、旋回性能、円滑な操縦性、
上昇力、速度、加速度、視界、火力などがある。防弾の要求は19年頃から出てきた。
■日本の航空産業は96式戦闘機で世界水準に追いつき零戦で追い抜いた
■「設計者として零戦をよく知る私が、最もやりたいと思いかつ可能だった改造は、
馬力向上、防弾追加、13mm機銃追加よりも、20mm機銃2丁のままで
初速の早い二号銃(5型)に換装することだ。総重量を3000kg内外以下に抑え
その優れたバランスを崩さず旧式化を防ぐことであった」。
■イギリスは戦闘機の生産をスピットファイアなどに絞り国のエネルギーを
それらの性能向上に費やした。ソ連も同様。日本は機種が多すぎエネルギーが分散してしまった。
■敵機別
○対バッファロー 緒戦の頃基地戦闘機として使われた。零戦のよい餌食
○対グラマンF4F 艦上機らしい性格という点で零戦に似ており馬力と急降下以外では零戦勝っていた。
よく格闘戦が行われ零戦の特徴が100%発揮された
○対カーチスP−40&ベルP38 同じく馬力と急降下以外では零戦が勝る。一撃離脱で来ても手強い相手ではなかった
○対チャンスボードF4U 2000馬力エンジンで相当優速で零戦にはうるさい相手になった。1.3万機作られた
○対爆撃機雷撃機 ダグラスSBD艦爆、グラマンTBF艦攻、B25、B26などは零戦の好餌であった
○対B−17 落とすが難しく緒戦の頃敵の希望だった。防弾タンク、死角ない銃など。
○対グラマンF6F 自重4屯を超える大型戦闘機。まともに零戦と戦ってよい勝負をしたのは本機だけ。
1943年から生産が始まり1万機作られた。零戦が圧倒されたのは性能よりは数量だった。
○対英スピット 零戦には鎧袖一触という感じ蹴散らされた。 >>495
零戦の優位も、生残性を無視した軍部首脳に依って失われたけどな。
一人で三人道連れにしたら勝てるとか、米軍は四人以上出してきて、戦闘効率は逆転。
武装も貧弱。20o機関砲弾1発はパイロットの月給より高価。7.7o機関銃は、相対的に劣勢へと変わった。
零戦の基本性能はともかく、日本の工業水準が低くて稼働率が非常に悪かった。 伍長どのは現場に口出ししない。
ゲーリングはナチス党大臣あたりまで引っ込み、戦略段階から装備開発に信賞必罰まで参謀連中に一任。
スラブ人への民族浄化はしない。むしろ反共、反スターリンをナチスの兵とする。
これだけやれば、モスクワ陥落、ジブラルタル占領までは行けただろうよ。日和ったフランコが寄越せって言い出して結局、滅茶苦茶にしかねないが。 ・日本を北進論に転換させる
・連合国に入る
これくらいしかないな >>496
ルーデル神()はFw190を戦闘爆撃機として使ってたし
ナチ空軍のガーランドはモスキートにナチ戦闘機は歯が立たないと泣きべそをかいてて
どうせやられるだけなんだからマインフューラーの言う通り戦闘機は廃止で良かったんじゃ?
ヒトラーは、連合軍の進出に対処するため、多くの爆撃機が必要である、と判断して爆撃機増産のために戦闘機の減産を指示した。
一九四三年の八月までに、工場から引き渡された戦闘機七四七七機のうち、本土防空部隊に割り当てられたのは、ごくわずかであった。
爆撃機の数的不足に対してヒトラーは、一部はFw190に増加タンクや爆弾を装着して、長距離戦闘爆撃機部隊の編成を命じた。
こうして、多くの可能性を秘めた戦闘機が、前線の偵察任務に当てられていたBf109と共に、対地攻撃に転用された。
ガーランドは当時の模様を、こう嘆いている。
《戦闘機を増強して航空優位の再建を図るのではなく、戦闘機を抽出して他の目的に使用し、航空優位を弱めたのである》
彼はまた、その悲痛な叫びを《デブは、わずかな馬鹿げた「モスキート」に対処することさえできなかった》と記述している。
『Schweinfurt』ジョン・スウィーマン著 >>499 《戦闘機を増強して航空優位の再建を図るのではなく、戦闘機を抽出して他の目的に使用し、航空優位を弱めたのである》
独裁制のマイナス面ですかねぇ゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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★××不要論史★
■1930年代 戦闘機不要論
当時爆撃機に機銃を付ければ戦闘機など寄せ付けない。故に戦闘機は不要、
と言われ日本でも戦闘機乗りが攻撃機に転換された。
→実際には戦闘機の固定銃と爆撃機の回転銃では6:1で固定銃有利と判明し廃れる
■1950年代 機銃不要論
対空ミサイルの発達で、戦闘機の機銃は不要とされ、F-4から外された。
→実際は命中率が低く機銃が再評価され取り付けられた
■1990年代 戦車不要論
対戦車ミサイルの発達、戦闘ヘリの発達で不要と。ヘリと戦車の交換率は15:1と言われた時期もあった。
→その後の対空ミサイルの発達で戦闘ヘリの被害が激増。再び戦車の時代に
■2000年代 戦車、歩兵不要論
精密誘導ミサイルで瞬時に敵の要所を攻撃。すぐに決着がつくとされた。MRAとか言われた。
→その後のゲリラ戦には戦車も歩兵も大量に必要なことが判明。ブッシュ政権内部の
MRA派のラムズヘルドは失脚。 >>500
ヒトラーのあの性格じゃ勝つのは絶対に無理だったろうな >>502
レーダーがUボート殲滅の切り札とか適当すぎだろ そもそも海軍のパイロットのほうが技量は上の場合が多いんじゃなかったか。 モルヒネ・ゲーリングが三軍を仕切り、点呼を強制して潜水艦に電波を出させる小心なデーニッツでは、敗戦は決定。 >>113
日本の方がアホだな・・・
中国の陸軍があればフィリピンと沖縄を守りきれたかと言うと難しい。
海軍が アメリカが来なくてもクルスクの戦いで押し戻せたかは疑問 まず、日本イタリアと手を切る
で、あとは気合でイギリス落とす
これで勝ち
あとは、好きなだけソ連と戯れてればよい >まず、日本イタリアと手を切る
で、
無理
>あとは気合でイギリス落とす
無理
第二次世界大戦は結局第一次大戦の続き゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
------
『日本人とドイツ人』(光人社NF文庫/棟田博作家元陸軍伍長。徳島県にあった捕虜収容所の話)
■1914年(大正3年)6月オーストリア皇太子が射殺される。1月後大戦が開始される。
石油がでるバルカン半島進出しようとしたドイツを英仏露で妨害したことが背景。
■同年8月英が独に宣戦布告。英が日本に参戦を要請。同月日本は独に宣戦布告。
■陸軍は福岡の第十八師団を中心に青島攻撃軍を派遣。独守備隊は5千、日英軍は3万。
形だけ抵抗したが11月初めには降伏。捕虜は約4千人。ただちに日本国内の
捕虜収容所に送られる。
■独と仏独露の戦争は一進一退だったが1917年米が参戦して均衡が崩れた。
■1918年8月になると仏はほぼ壊滅状態だったが、独にも余裕が無くなった。
15歳から50歳までの男子人口は3千万人だったので1千万人は動員可能という算段だった。
が、もう全く補充ができなくなった。英は未だ余裕があり、米は全く無傷だった。
■10月になると独逸各地で反乱が起き命令拒否も目立ってきた。独皇帝はオランダに亡命し
ヒンデンブルグ将軍(露西亜を撃破した独の英雄)は、休戦を決意した。
11月に厳しい条件下での休戦条約にサインした。
■条約は独に厳しい内容。アルザスロレーヌの仏へ割譲、海外権益の放棄、賠償金は
1320億マルクを金か通貨で支払う。拒否すれば戦争再開となるので受諾。
1919年6月ベルサイユ条約締結。
■独逸国内では社会党と国粋人民党で激しい対立。1925年にはヒンデンブルが大統領に就任。
1932年ヒトラーの国家社会主義独逸労働者党が第一党になる WW2の頃の海軍といえばアメリカ>日本>イギリス>その他くらいの差があるからドイツじゃどうにもならない 戦後の裁判でドイツの看護婦のパウリーネ・クライスラーは「私達の兵士」を殺したと証言。
東部戦線で脳に損傷を受けた者、失明した者、手足を失った者、戦争神経症を患った者
回復しても戦場に復帰できない者をバルビツール酸系睡眠薬の過剰投与とモルヒネの
致死注射を行ない「慈悲の死」(安楽死)を与えた。
ついて行けません。 ドイツvsイギリス
ドイツvsソ連
それぞれ単独で戦っても負けるだろ( 相手がイギリスだけなら勝てないけど負けない気がするが、どっちにしても対米が加わるから詰み アメリカ軍が1970年代後半に、エアランド・バトルという軍事理論を提唱し、レーガン政権が必要な
装備に予算を付けるまで、ソ連軍に勝つ方法が無かった事が、今では判明しています。 wikiだと質的に劣る赤軍は最後まで大損害を負っていた感じになってるけど
詳解だと戦争中盤からは独ソの損害比がほぼ互角に近い状態になっていく
どっちが正しいんだろうか?? 伍長どのが、敵地に精鋭を置き去りにしまくった結果、独ソの質に差が無くなった様ですね。 ゼーロウやオストプロイセンの戦いからも
赤軍は最後まで大損害を負っていたというのは事実だろう
赤軍の損害は補充できたがナチスの損害は補充できなかったのが
勝敗につながったわけなのだから
ソ連軍が公表しているソ連軍の人的損害はかなり過小であり
公表値をベースに分析している詳解はその点を考慮して読まなければならない 片っ端から懲罰大隊にブチ込んで、捨て駒に使ってたのですよ。
遺族への補償を踏み倒すには、それしかありません。 詳解ってプロパガンダ数値じゃなくてソ連崩壊後の内部資料の数値を使ってるから真実に近いんじゃね? 東部戦線はバーサーカー同士と戦いみたいなもんで両軍、相手を倒せれば損害なんかかんけーねーってかんぢだからな 鍾馗ライセンス生産でもしたら?ドイツ軍パイロットが手放しで褒めてたし
本国にある航続距離1000kmもないクッソ使いにくい戦闘機よりずっと優秀だろう
>>483
乗員が燃えないように胴体の燃料タンクをなくした隼の安全性能が軽視されてると申すかw >>494
日米は「爆撃任務の遂行に単発護衛戦闘機必須だわ」って気付いて作ったけど
ドイツは航続距離800kmのFw190で完全にあきらめてた感じ
日本相手だとT34(550km)でも複数の補給挟まないと隼付きの99双軽の範囲から離脱できないのに対し
半径400kmのFw190による護衛では無補給で進撃可能
>>510
日本が列強に吹っ掛ける←資源帯列強が全部抑えてたからわかる
ドイツがソ連に吹っ掛ける←ユーゴと遊ばなければモスクワ落ちてた、まだわかる
日本と同時期ドイツ側からアメリカに対し宣戦吹っ掛けてる←なんだこれ ダンケルクで捕虜を得て、英国と不可侵条約を結び
チャーチルを失脚させ、東部戦線に専念する
ヒットラーが戦略に口を出さない
無理だな 地獄のルシファーが総統を守っているから
何をしてもだめ ttps://youtu.be/dqyaOvXvSnE
こういう物でも、意外と古めかしい製造工程だ。
生産性ってことに、伍長どのと幕僚が無頓着だったのではないかな? >>529
鍾馗なんて遅れてるモノをライセンス生産しなきゃならない理由が分からんw どうしたら勝てたの?って議題なのに局地戦闘機量産とか守り入ってどうすんだって話しだな
対英戦の途中で、対ソ戦始めた理由がなぞだ。ポーランドの油田では足りなかったのだろうか?
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『第二次大戦回顧録』(中公文庫/チャーチル元首相(Winston Churchill)) part1
■米は、日英同盟の継続は英米関係の障害になると告げた。このため消滅さざるを得なかった。
この同盟廃棄は日本に深刻な印象を与え、西欧世界のアジア国排斥とみなされた。
かくして戦争再開の道を開く条件が急速に作られた。
■英は日本と敵対関係にはいることを好まなかった。むしろ極東に権益を多く持っていたので
その立場が悪くなったことに対して一部では日英同盟喪失に後悔の念を抱くものもあった。
■ダンケルク撤退では漁船などあらゆる船を総動員して33万人の撤退に成功した。
■独逸空軍はフランスとの戦いでかなりの飛行機を失った。しかしロンドン爆撃は行われ
1940年9月7日から11月3日にかけて毎夜平均200機の爆撃機がロンドンをおそった。
サイレンが鳴り通しだった。
■1939年独逸とソ連は不可侵条約を結ぶ。今後10年間はいかなることがあろうとも攻撃しない
という内容だった。しかし1940年春ヒトラーはソ連攻撃を決意した。ウクライナには
穀倉地帯があり、コーカサスの地下には無限にわき出る石油があったためだ。
ヒトラーは、ソ連兵にはどんな残酷な仕打ちをしてもよい、と命令した。
侵攻作戦は2ヶ月で終了の予定だった。
■ソ連は焦土作戦で抵抗した。撤退するときに建物を破壊し、井戸には毒を入れる。
そのため独逸兵は水も飲めなかった。8月末モスクワにもコーカサスにも到達できず失敗に
終わった。撤退を意見した将軍は全て解任され、前進を続けた。モスクワまで130kmの
地点まで来たが冬が来て停止となった。 詳解のソ連軍戦死者数データーはソ連軍が集計したの公式記録だが
キャサリン メリデール 著 「イワンの戦争 赤軍兵士の記録」によれば
本部に報告された損害は実数の半分以下であったそうである
なんぜ自軍の損害を過小評価されたかと言えば
バカ正直に報告すると余りの大損害から指揮官が
反革命罪で処刑あるいはシベリア流刑されてしまうからだった
よって詳解でのソ連軍戦死者数は実数の半分以下であると考えた方が無難であろう >>536
せやかてBf109もFw190も鍾馗の半分しか航続距離ないじゃん
その割に戦績微妙だし >>538
懲罰大隊の損失は、集計に入れなかったからではないかな?
遺族になんの補償もしなくて済むし。 >>536
鍾馗は正規で1200km、増槽付きで1900kmか、爆弾も付いてるし
零戦52型と比べても遜色ない 局 地 戦 だなぁ
ドーバーくらいひとっとびじゃん、アレで居て空戦性能も高いし何が不満なんだよw
He111やJu88が泣いて喜ぶしBf110も安心して夜戦に専念できるぞw
それこそシベリアを前にして720kmや800kmの勝つ気あるか解らん主力戦闘機よりよっぽど使えるわ
特にFw190とか短足に加え高度6000mまで7分?!そんなトロトロしてるからP-47Dに上昇力で負けて
「ドイツごときB-17で十分wwww」という判断になるんだって
一方でフォッケの生産ライン全部鍾馗にすれば
都合1万機の上P-51より素早く上がる1400馬力の戦闘機…(BMW801D-2に換装しても面白そうだね)
空戦時間も取れる防空戦闘機か、例え押し込まれても爆撃延期しておかしくないな
ドイツに手こずってB-29分けてくれれば日本も楽になるしキ87やキ94も間に合うだろう Bf109G 4000マンアワー
Spitfire Mk.V 13000マンアワー
キ44 24000マンアワー
Bf109Gを6機 = キ44を1機 >>542
手ェ抜きすぎて稼働率30%になっちゃったのかなっとw
それでもBf109Gを総生産で置き換えりゃ5000以上作れる計算だな、十分じゃね?
牛で機体の部品運んでた日本と違い、優秀な工業機械のあるドイツ様ならもっと作れるでしょw http://www.jshit.org/kaishi_bn2/17_1sato.pdf
1943.7の時点で一日一人の平均機体製造量(重量)は、
アメリカ1.88、日本0.71、ドイツ1.50
つまり、日本の2.1倍
それを換算すれば、Bf109Gに限定すれば17000機程度なので、
17000/6*2.1=5950機
ただし、どうにか使えるハ41はいいとしても、手間ばかりのハ109が使いこなせたらの話
余りにもハ109の整備が面倒だからという理由でキ44の生産ラインがすべてキ84に切り替えられたほど
おそらくBMW801に載せ換えることになるだろうね
でも、ドライでハ109が720kgしかないのに、BMW801Cは1012kgなのが・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています