訂正する。
「戦史叢書 インパール」P573―を読み返すと
宮崎少将は、殿に置かれることを淡々と受けていた。

15師団の田中中将は
戦後に陸自からの要請で回想録を書いている。
防衛研究所で直接読むしか方法が無い。(南西―ビルマ―123)

その中で、佐藤中将の事を
「インパールの明智光秀」等々、
その他色々、とても戦史叢書に書けないことを述べている。

31師団が後退することを
好意的に捉えていなかったことは明らかだと思うね。

佐藤中将の抗命は、他師団への影響を鑑みない
最低の行為であると思うがね。