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【Me109】ドイツ空軍 VS ソ連空軍【Sturmovik】 [転載禁止]©2ch.net
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0001名無し三等兵
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2015/06/29(月) 08:45:53.56ID:Vd+STZaV
もしもドイツ空軍が本当に西高東低型の対応を取っていたのであれば、彼らはソ連軍をなめており、
その代償を支払わされたと言うしかない話だ。結局のところ、ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入
されたことで終わったのだから…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/nastuplenie2.0.html

こうなると敵を恐れる必要はなく、私らは自ら戦いを求め、これでもか!とばかりに喰らわせてやったのさ。
クルスク・ベルゴロド作戦以降は怖いものなしの状態だった。皆すでに勝利を確信し、搭乗員たちの士気
は非常に高かった。出撃する度ごとに戦果を挙げられたよ。空中戦では負け知らずだった。逆にドイツ軍の方も、
モスクワの頃とは、それどころかスターリングラードの頃とも違っていた。我々と遭遇するや否やすぐに
逃げてしまい、戦いを挑んでくる気配がない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/gorelov6.html

>クルスク・ベルゴロド作戦以降は怖いものなしの状態だった。皆すでに勝利を確信し、

プロホロフカ戦車戦などの地上戦ではドイツ軍が優勢で、これはマンシュタインが「攻勢続行」を主張した通り。
けれどもその後一ヶ月くらいの間に、赤軍はハリコフとオリョールを奪回している。従ってソ連の主たる
勝因は「航空戦」であったと考えられる。逆に制空権を失ったドイツ軍は、戦車部隊への補給ができなくなり、
後退する度に直せば使える修理中戦車を放棄させられた。スターリングラードにしても、空輸の失敗が大きい。

もしもソ連軍の攻勢開始が8月3日ではなく、例えば15日頃であったとしたら、ドイツ軍はそれまでに
短期修理の対象となっていた装甲兵器をほとんど全て戦列に復帰させていたであろうし、修理扱いだった
ものが全損へ移行するという形で損害が増えることもなかったに違いない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/statiya2.3.html

「第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線の変化が視覚的に理解できる動画」海外の反応
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6852050.html
THE DEFEAT OF THE GERMAN AIR FORCE
http://www.allworldwars.com/The%20Defeat%20of%20the%20German%20Air%20Force.html
WW2各戦線のドイツ軍機損失
http://www.rkka.es/Estadisticas/VVS_stat/01/01_10.htm
0002名無し三等兵
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2015/06/29(月) 09:04:48.62ID:Vd+STZaV
(関連スレ)【Me109】ドイツ空軍 VS ソ連空軍【Sturmovik】
http://mimizun.com/log/2ch/army/1279514128/

米英抜きの独ソ戦ならドイツ勝利とかは現実に有り得ない想定だが、ならば太平洋戦争
抜きの日中戦争あるいは日中戦争抜きの太平洋戦争なら、日本軍は勝っていたのか?
それからレンドリースにしても、通商破壊はUボートの役割ではなかったのか?
みすみす敵国同士の通商行為を許したのは、Uボートが弱体だったからなのでは?
作戦海域の広さがどうこうと言うのなら、太平洋戦争の日本潜水艦だって同じことでは?
戦略爆撃にしても、戦略爆撃を阻止できなかったルフトバッフェの無力さの証明では?

Here is a breakdown for the US, British and German training for fighter pilots.
http://www.taphilo.com/history/8thaf/8aflosses.shtml

それからドイツ空軍の損失機数が「JUL・DEC 1841」から激増し、また飛行訓練時間
も「OCT.1942」から激減している事実も無視するのか? 
更に1943年といえば年末までシュバインフルト作戦などで、米英の爆撃作戦は中断されてたはず。

(関連スレ)イギリス軍がマレー・インド洋で日本軍に惨敗した理由
http://mimizun.com/log/2ch/army/1208053108

また1942年6月の北アフリカ戦線のドイツ軍は3個師団なのに対し東部戦線は171個師団。
ちなみに戦争を通じてイギリスが受け取ったレンドリースはソ連の3倍。
それからソ連へのレンドリースは太平洋経由が半分くらいを占めている。

 イギリスが次の会合で提出するであろう、太平洋戦争における命令指揮と統括に案件
を考慮する際、われわれは、共同命令指揮を完全に拒絶するわけだが、その際ロシア、
また恐らくは中国からも難色が示されるだろうという点をしっかり心にとめておかねばならない。
 さらに、共同命令指揮は明らかに非効率であり、直接にアメリカの戦争資源と将兵の
生命を無駄につかう結果ともなる。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm

なお太平洋戦争においても、米軍が頼りにしたのはイギリスではなくてソ連の参戦だったはずだ。
0003名無し三等兵
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2015/06/29(月) 09:10:54.81ID:Vd+STZaV
If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war?
Yes................................ 85%
No................................ 8
No opinion......................... 7

1941年1月4日の世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するというのが多数意見。

If you were asked to vote on the question of the United States entering the war against Germany and Italy,
how would you vote — to go into the war, or to stay out of the war?
Go in.............................. 12%
Stay out............................ 88

けれども米国がドイツイタリアと戦争すべきかというと、戦争は避けるべきというのが多数意見。

http://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm

1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。
28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。
イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。
これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。
1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、
バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。
確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。
Unknown Warは、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツはロシア戦線に敗北したことを全く疑いが
ないほど明らかに示していたので、アメリカ人にとって驚きだった。エピソード20編中、
“連合国”つまり英米と自由フランスが特集されているのは唯一第17編のみ。20編中の1編というのが、
ナチス・ドイツ打倒に対する欧米参戦貢献のほぼ正確な比率だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/the-unknown-war.html
0004名無し三等兵
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2015/06/29(月) 09:40:22.01ID:Vd+STZaV
 またT-70はドイツ戦車の火砲により簡単に撃破されるため、戦車戦には全く適さないのが実状です。
 極めて遺憾なことではありますが、私は以下の諸点を認めざるを得ません。すなわち我が国の戦車設計技術は、
自走砲SU-122とSU-152の実戦投入を除けば、戦争が始まってから現在までの間に何ら新しいものを生み出さなかったこと。
また、トランスミッション系統(メインクラッチ、ギアボックス、サイドクラッチ)の完成度の低さ、非常に遅く不均質な砲塔旋回、
極めて弱体な視察装置と乗員用スペースの狭さといった様々な欠点が、今日でもなお完全には除去されていないこと、であります。
 我が国の空軍は、大祖国戦争が始まって以来戦術的・技術的に不断の進歩を成し遂げ、新しく完成度の高い機体
を次々に生み出しておりますが、戦車部隊もそうであると言うことは残念ながらできません。

第5親衛戦車軍司令官P.A.ロトミストロフのジューコフ元帥宛て書簡
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/rotmistrov.html
0005名無し三等兵
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2015/06/30(火) 12:22:32.87ID:VJjwg3Gj
木製ソビエト軍機はドイツ機にはるかに劣る で結論

以上
0006名無し三等兵
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2015/07/02(木) 11:42:44.00ID:ibaAuWbZ
あんだけ落とされてよくパイロットの補充ができたな、ソ連。
0007だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/07/02(木) 18:40:04.40ID:Fm0Q+XIU
>>1
>もしもソ連軍の攻勢開始が8月3日ではなく、例えば15日頃であったとしたら、ドイツ軍はそれまでに
>短期修理の対象となっていた装甲兵器をほとんど全て戦列に復帰させていたであろうし、修理扱いだった
>ものが全損へ移行するという形で損害が増えることもなかったに違いない。

戦車というのは常にメンテナンスが不可欠で、制空権の無い戦場では使い物にならない。
だから地上戦でいかにドイツ機甲部隊が敢闘しようとも、制空権が敵に渡れば車両は遺棄
せざるをえなくなる。逆に制空権を掌握しておれば、戦車部隊への補給は空輸でもやれてしまう。
インパール作戦でも英印軍は空輸に頼る円形陣で日本軍を撃退した。日本軍は地上戦だけなら
コヒマを占領するなど敢闘しているが、米英側が航空戦力を集中させてくるとどうにもならない。
敵機が乱舞する戦域で、かつ際限なく空輸補給される戦車部隊に対しては、戦う術は無い。
イギリスは勝って当たり前の戦場で、当たり前の対日戦勝利を収めた。それは1944年夏のことである。

 シェンノートは、揚子江にむかって前進中の日本軍を攻撃してもよいとの許可をあたえられたが、
多くの飛行機をビルマ作戦に転用されたうえ、中国東部にある基地の予備燃料がおそろしく少なかったため、
中国軍に適切な航空支援をあたえることができなかった。
 このとき(四月三十日)、第14航空軍は五〇〇機を保有していたが、使用できたのは四〇〇機であった。
 このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ、残りの二〇〇機で、ヒマラヤ越え空輸の防護と、
中国軍への航空支援を行わなければならなかった。
 二〇〇機という数は、二つの任務をうまく果すためには、到底不十分な数であった。
http://homepage1.nifty.com/ktymtskz/aircraft/chaina8.htm

インパール作戦と大陸打通作戦はほぼ同時期に行われたが、米軍はインパール作戦阻止を優先した。

 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
http://homepage1.nifty.com/ktymtskz/aircraft/chaina8.htm

また日本軍の大陸打通作戦を阻止すべく、ヨーロッパからも航空戦力の引き抜きが行われた。
0008名無し三等兵
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2015/07/02(木) 19:46:25.71ID:eme0WluA
WIKIみたけど速度的に零戦がBf109と互角に戦えるのはE型までだろ。
0009名無し三等兵
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2015/07/02(木) 21:16:47.11ID:kWORQ6ns
WIKIみたけど速度的に零戦がBf109と互角に戦えるのはE型までだろ。
0011名無し三等兵
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2015/07/02(木) 23:06:35.36ID:0RyWqHIV
>>9
>WIKIみたけど速度的に零戦がBf109と互角に戦えるのはE型までだろ。

E型と比べるなら時期的には九六艦戦だろ。
0012名無し三等兵
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2015/07/03(金) 07:01:58.14ID:rITxeoj/
空輸のメインが鈍足のJu52で数も足りてないんじゃなあ・・・
スターリングラードで大消耗喰らったし。
0013名無し三等兵
垢版 |
2015/07/03(金) 15:34:37.13ID:Ob4a8IQZ
問い:では、Bf-109FおよびフォッケウルフFw-190に対してはどうだったでしょうか?
私はI-16での空戦はさほど経験していないが、戦友たちの評判をお伝えしよう。
I-16-28と-29は、まあBf-109Fに同じくらいと言えるが、多少は劣っていた。だが、I-16のそのほかのモデルは
相当に差をつけられていた。メッサーのFモデルが北部戦線に現れたのは1942年も11月になってからで、
その前まではほとんどE型と対戦していた。
I-16-28と-29はメッサーF型に対して最高速度と垂直面の性能では及ばないが、 水平面および武装では勝っていた。
F型は垂直面の運動性にひじょうに優れていた。F型に乗った敵のパイロットは、追い付かれそうだなと思えば自在に
スロットルを開いて逃げ去ることができる。
フォッケウルフFw-190が出てきたのもメッサーF型と同じ頃、すなわち1942年の10月だった。フォッケウルフは
強力な機体だった。フォッケウルフは、おそらく水平面の運動性を除くあらゆる面で、I-16に勝っていた。
でもその頃までには、わがYakやレンドリースのP-40、P-39が供給されるようになってきた。
メッサーのG型が出てきたのは1943年だったので、I-16とは対戦していない。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/aviatorstale/Russianpilot.htm
0014名無し三等兵
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2015/07/03(金) 15:49:55.14ID:8CrzO1W8
モスクワ攻防戦
 著者 アンドリュー・ナゴルスキ、 作品社 出版 
 ナチス・ドイツがソ連に攻めこんだときの戦闘が紹介されています。 
モスクワ攻防戦は1941年9月30日に始まり、1942年4月20日に終結したとされている。203日間である。しかし、実際には、
それをこえた期間に大量殺戮があっていた。両軍あわせると、最高750万人もの将兵が投入され、戦死傷者は合計250万人に達した。
ソ連側の戦死者は190万人、ドイツ兵は62万人だった。ドイツ軍の捕虜となったソ連兵96万人は、ほとんど殺害された。
ロシア攻防戦のあとに戦われたスターリングラードでは360万人の将兵が戦場に駆り出され、両軍の犠牲者は91万人だった。
モスクワ攻防戦のほうが、はるかに多い。モスクワ攻防戦におけるドイツ軍の敗北によって、ドイツ兵の不敗神話が崩れ、その終わりが始まった。
 そして、このモスクワ攻防戦において、日本にいたソ連のスパイであるリヒャルド・ゾルゲの果たした役割はあまりにも大きい。
 日本が、少なくとも1941年から42年にかけての冬季には、東部からソ連に攻め入ることはないとスターリンに最終的に確信させること
が出来たのがゾルゲだった。ゾルゲのもたらした最新情報にもとづき、スターリンはソ連西部にあけるドイツ軍との戦闘に投入するため、
シベリアの前哨部隊に所属する40万の兵士を大急ぎで送り込む決断を下すことができた。その兵士たちのほとんど全員が直ちにモスクワ防衛に当てられた。
 ソ連極東地域の極寒の気候に耐えうる冬の装備に身を包んだ新たな兵士たちは、ドイツ人侵略者と赤軍のあいだの戦闘の形勢を
逆転させるうえで、不可欠の存在だった。すぐに勝利できると信じこんでいたヒトラーは、冬服を支給しないまま、ドイツ兵をソ連に派兵していた。
そのため、ドイツ兵は冬の季節に対応するための装備の点で、はるかに勝るソ連兵が大量に投入されるころには、夏服のまま、日に日に
低下する気温に苦しめられていた。
この本を読むと、スターリングラード攻防戦よりも、その前のモスクワ攻防戦のほうがはるかにスケールが大きかったこと、そして、
ソ連の勝利に日本にいたゾルゲの情勢が大きく貢献したことを改めて認識させられました。
http://www.fben.jp/bookcolumn/cat29/
0015名無し三等兵
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2015/07/04(土) 06:51:09.56ID:fhPY+8YN
>>6
太平洋と違って撃墜=死亡じゃないし。
0017名無し三等兵
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2015/07/10(金) 22:36:35.99ID:O0KcRI9N
ソ連にレンドリースされた航空機燃料は青色だったと回廊録とかで見た。
青色ってことは第二次世界大戦の米軍の規格だと91オクタンガソリンが青色ってなってる。
91オクタンガソリンはレンドリース機やソ連軍機にはちょうどいいオクタン値だったのかな。
ドイツや日本の基準だと94か95オクタン相当だから良質な燃料の部類だろうし。
0019だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/07/17(金) 17:39:48.49ID:T5/WGuK6
25. 15歳のサーシャ・チェカリンとリョーニャ・ゴリコフ、14歳のヴァーリャ・コチク、マラト・カゼイ、
ジーナ・ポルトノワの、学校の生徒5人が、独ソ戦のソ連邦英雄の称号を受けた。
26. 戦中の戦闘に参加したのは計3447万6700人のソ連の軍人。
27. ラヴォチキンの軍用機の一部部品(けたと小骨)は、国内の深刻なアルミ不足により、
デルタ合板でつくられていた。スターリン自身が材料の品質を確認した。
28. 空中戦の大半は最大4500メートル上空という高さで行われていた。

大祖国戦争の33の事実
http://jp.rbth.com/arts/2015/06/22/33_53353.html
0020名無し三等兵
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2015/07/18(土) 18:02:59.18ID:tDgHQr4w
ソ連はパイロットの大規模育成を早い段階で進めてたってのもあるな。
日独はこの点で立ち遅れた。開戦時の質は日独は連合国を上回ってたはずだけど。
0021名無し三等兵
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2015/07/27(月) 13:28:58.56ID:jKjqn9RL
本土防空戦じゃ高高度上昇能力が足りないんかね?Me109
0022だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/07/27(月) 18:51:48.96ID:VkSD58t0
>第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線の変化が視覚的に理解できる動画

ヨーロッパの戦いは、その大半が独ソ戦だった。ナチスドイツの命運は独ソ戦でこそ潰えたのであり、
西部戦線は「余興のつけたし」に過ぎない。そう考えれば、後にも先にも矛盾が無くなる。

覇権への変質
 アメリカは150年のあいだ、西半球で有利な環境に甘えてきた。大陸の広さ、
孤立した環境、手強い脅威の不在、さらには友好関係にあるイギリスが幅を利かせる
大洋の壁に守られ、代価のない安全保障を享受していた。アメリカは、大西洋と太平洋
を泳ぎ回るクジラのような存在だったのだ。アメリカ人にとっての第2次大戦は、
太平洋で幕開けしたものであり、1944年6月のノルマンディー上陸作戦までは、
太平洋が戦争の主たる場だった(優先順位が1番目ではなくても、である)。連合国、
とりわけソ連が、戦の鉾先をナチスドイツに向けているなかで、アメリカは太平洋での戦いを
有利に運び、日本単独による占領を受けた戦後東アジアの国際関係の再編全体の土台を組織した。
<アメリカ西漸史―“明白なる運命”とその未来 [単行本] ブルース カミングス (著),>

>1944年6月のノルマンディー上陸作戦までは、太平洋が戦争の主たる場だった

米軍がドイツ打倒優先だったからといって、米軍がナチスドイツを打倒したことにはならない。
米軍の果たした役割はナチス打倒ではなく、ヨーロッパの西側がソ連圏に入るのを防止したことだ。
ヨーロッパが独力でナチスやソ連に抗しきれない以上、米軍が肩代わりするしかない。
現在もなおヨーロッパには米軍が在住しているが、第二次大戦の話を蒸し返すのであれば、
ヨーロッパは米国とロシアに頭が上がらないということになる。
0023名無し三等兵
垢版 |
2015/08/04(火) 17:35:37.45ID:MmgW+wus
 ドイツは3つの戦線で戦い、いっぽうソ連はドイツとだけ戦っていた。連合軍が北アフリカ
と地中海に進出したことにより、ドイツ国防軍最高司令部は、もっとも精強な師団をスター
リングラードの戦いから引き抜かざるをえなかった。そもそもドイツが全方面で強力な軍事力
を発揮するのは無理だったのだ。北アフリカに上陸した英米連合軍は、スターリングラード
の戦いにも影響を及ぼした。また、シチリア上陸も、クルスクの戦い(戦車戦)に影響を与えた。
 ソ連のつくった初期のT−34戦車は、欠陥の塊で、戦場では全く信頼できなかった。
T−34戦車が真価を発揮したといえるのは、1944年初めから半ばにかけてのこと。
<第二次世界大戦・影の主役 著者ポール・ケネディ 出版  日本経済新聞出版社>
http://www.fben.jp/bookcolumn/2014/01/post_3864.html


これって、突っ込みどころ満載なんだけどwww

The break-down of German and Italian losses against American,
British, and French forces in the war in Europe follows:
      Battle dead Permanently disabled  Captured    Total
Tunisia     19,600      19,000          130,000    168,600
Sicily       5,000       2,000          7,100    14,100
Italy       86,000     15,000           357,089   458,089
Western Front 263,000   49,000       7,614,794   7,926,794
Total       373,600    85,000        8,108,983    8,567,583
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/COS-Biennial/COS-Biennial-3.html

▼フランス展開部隊の実状
 ・フランスは東部戦線で疲弊した師団の休養・再編成地
 ・歩兵師団の多くは沿岸警備用師団か訓練師団
 ・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
  →第一線の軍隊にとっては大きな差。
http://members.jcom.home.ne.jp/hartmann/page008.html
0025名無し三等兵
垢版 |
2015/08/28(金) 08:19:49.56ID:Lm98O35G
■ フランスはすぐに降伏した。イギリスは全期間を通してひどかった。
  アメリカは間違いなく勝てるという確信を持てるまで様子見してた。
  勝利はすべてソビエトのおかげと言っても過言じゃない。 +5 ロシア
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html
0026名無し三等兵
垢版 |
2015/09/28(月) 02:07:04.14ID:4GVWa4ro
−P.クロステルマンは、1944年の状況について次のように書いています。
「…フォッケウルフFw190やメッサーシュミットBf109との戦いでは、タイフーン部隊はしばしば12機中6〜7機
の損害を出していた。スピットファイアは無力であった…」
タイフーンというのはイギリスの戦闘爆撃機で、戦闘機スピットファイアがこれを護衛したわけです。それで質問なのですが、
あなたのいた戦闘機連隊が護衛した襲撃機も、1944年には同じような規模の損害を出していたのでしょうか?
 いいや。あんた、何を言ってんだ?!12機の襲撃機で出て6機落とされるなんて、護衛機の隊長は軍法会議ものだよ。
議論の余地もないね。1944年はおろか、1943年だって許されないレベルの損害だ。
−それでは、どの程度の損害までなら許容されたのでしょうか?
 12機なら1機、多くても2機だな。もしも6〜10機のヤクに対し、12〜16機の「メッセル」が襲ってきた場合の話だ。
それだったら、あるいは許してもらえたかもしれん。許してもらえるといったって、それは軍法会議にかけられないだけの話で、
いずれにしても護衛隊の長機は陰で色々言われることを覚悟せにゃならんがね。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/YAK.html
0027だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/01(木) 07:07:35.46ID:oKNHgUAI
>「第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線の変化が視覚的に理解できる動画」海外の反応

ノルマンディ上陸作戦以前にも、1943年夏以降の赤軍は快進撃を続けていた。

つまりノルマンディ上陸作戦は、ナチスドイツを敗北させた戦いではなく、ナチスドイツ敗北後の勝利の分け前を、
西側欧米連合国が得るための戦い。ソ連勝利を前提として、西側も手伝うから、分け前をよこせということ。
0028名無し三等兵
垢版 |
2015/10/01(木) 18:27:47.69ID:5VgBhJJY
バイカル91オクタンってソ連軍の標準的な航空機燃料なん?
0029名無し三等兵
垢版 |
2015/10/01(木) 20:40:08.06ID:zjslYSB8
>>21
本土防衛のメインは双発戦闘機の方
Me110・210・410
Ju系


これらに大量の弾丸を積み、連合軍の戦闘機の範囲外で
12.7mmの外側から撃てる大口径砲・ロケット弾等も利用し

長時間、地上管制の無線誘導で4発機を落とした
とにかく大量の弾丸をブチこまないとアカン
0030名無し三等兵
垢版 |
2015/10/10(土) 18:26:49.38ID:4i74zwAt
不正、9月まで知らず=VW幹部が証言−米下院公聴会
 【ニューヨーク時事】ドイツ自動車大手フォルクスワーゲン(VW)の排ガス不正問題で、米議会下院は8日、公聴会を開いた。
出席した米子会社のホルン社長は、2014年5月に排ガスの異常について報告を受けつつも、その原因が不正によるものだ
と認識したのは今年9月だったと証言。組織ぐるみの不正ではないかとの疑いも否定した。
 不正は、VW製のディーゼル車が通常走行時、基準を上回る有害物質を排出したとの米大学の調査がきっかけで発覚。
ホルン社長は昨年5月の時点でその報告を受けたが、当時は技術的な問題と考え、適切に対応中だと聞いていたと釈明。
違法ソフトウエアが排ガス浄化機能を停止させていたことを知ったのは先月初旬だったと述べた。
 議員からは、組織ぐるみの不正の疑いを追及する質問が相次いだが、ホルン社長はこれを完全に否定。不正があった
直噴ターボ型ディーゼルエンジン(TDI)は独本社に開発部門があり、米国内の従業員は誰も違法ソフト搭載の事実を
知らなかったと説明した。(2015/10/09-08:59)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&;k=2015100900098
0031名無し三等兵
垢版 |
2015/10/16(金) 19:43:29.32ID:5nwhaWeS
このスレテーマでオモシロい本といえば
ソビエト航空戦だな。
0032だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/21(水) 20:31:42.82ID:xSydg2w1
「潜水艦戦は終わりなどという話はごめんだ」五月三十一日、デーニッツ提督が北大西洋からUボートを
引き揚げたという報告をすると、ヒトラーは烈火のごとく怒った。「大西洋は西部の防衛線なのだ」。
 言うのはたやすかった。十二月十二日、デーニッツは絶望気味に日記に書いている。
「敵はあらゆる切り札を有している。長距離哨戒機で全地域に目を光らせ、位置探知装置を使っているのに対し、
われわれは警戒手段を持っていない。・・・・・・敵がわが方の手の内を知りつくしているのにたいし、
われわれは敵について何も知らない」。
<第三帝国の興亡5 ウィリアム・シャイラー 152頁>

 一九四四年二月の終わり頃、ふたりはウルム近郊のヘルリンゲンにあるロンメルの自宅で会い、
胸襟を開いて話し合った。
 東部戦線の陸軍高級将校のある者ったいが、ヒトラーを捕虜にしてラジオで引退を発表させるのはどうかと提案した、
と彼に話した〔市長はのちにそう語った〕。ロンメルはこの考えに賛成した。
 わたしはさらにつづけて、彼はドイツでもっとも偉大で人気のある将軍であり、国外でも彼ほど尊敬されている
ひとはいないと言った。「ドイツで内戦を防ぎうるのはあなたしかいない。あなたの名を、ぜひ運動にお貸しください」。
 ロンメルはためらっていたが、結局は肚を決めた。
「ドイツを救出するのがわたしの義務だと信じます」彼はシュトレーリンに言った。
<第三帝国の興亡5 ウィリアム・L・シャイラー 198頁>
0033だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/21(水) 20:33:56.43ID:xSydg2w1
発総統 総統司令部 一九四三年一一月三日 複写部数二七 <指令第五一号>
 この二年半、多大の犠牲を伴う厳しい対ボルシェヴィキ闘争は、東部正面 において我方の軍事力の
大半を注入することとなり、極度の努力が求められてきた。危機の大きさと一般の情勢からそれが必要であった。
しかし状況は変わり、東部正面の危機は相変わらずであるか、それよりも大きな危機が 西部正面に出現している。
アングロ=サクソンの上陸作戦である! 東部正面では、広大な領土のおかげで、相当に土地を失っても、
ドイツの中枢部に致命的な打撃を与えることはない。
 西部正面ではまったく違うのである! ここで敵が我方の防衛線を突破すれば、当面の結果は予測がつかない。
すべてが示唆するのは只一つ、敵がヨーロッパの西部正面に攻勢をかけてくるということである。遅くとも春、
もっと早くなる可能性もある。ほかの戦場を優先して、西部正面をこれ以上弱体化させるようなことは、責任上できない。
そこで余は、特にイギリスへの長距離爆撃が始まる地を中心に、防衛を強化する方針をきめた。敵が攻撃して
くるところは必ずそこであり、すべての徴候を見誤まらなければ、上陸軍との決戦生起が、ここであるのは間違いない。
<ヒュー・R.トレヴァー=ローパー「ヒトラーの作戦指令書 電撃戦の恐怖」 >
0034名無し三等兵
垢版 |
2015/10/22(木) 02:37:56.94ID:DK2g7eH/
>>1
>「第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線の変化が視覚的に理解できる動画」

ソ連勝利を確定づけた1943年夏のクルスク。これ以降の赤軍は進軍を続ける一方。
ノルマンディー上陸作戦など無くてもソ連は十分に勝ってたことは自明だ。
もしミッドウェー海戦で日本が勝ってたら、Dデイは更に遅れ、西ドイツはソ連圏へ。
0035名無し三等兵
垢版 |
2015/10/22(木) 04:04:40.00ID:YvXzl8ho
クルスクはイタリアとかの情勢があってドイツ軍が一方的に中止しただけ
最近はソ連側が大損害出していたことが分かっているよ
まあソ連は勝手も相手より大損害出すのが普通だけどね
0036名無し三等兵
垢版 |
2015/10/22(木) 06:06:42.39ID:wq4a5idx
>>35
>最近はソ連側が大損害出していたことが分かっているよ

ならノモンハンはソ連の敗北か?
0037名無し三等兵
垢版 |
2015/10/22(木) 07:03:16.74ID:Fj+ZCc1I
大損害を受けても、新たな兵力を送り出せるなら無問題です。
0038名無し三等兵
垢版 |
2015/10/22(木) 09:07:27.00ID:XMMtj7KI
            鬼畜米英、世界制覇ゴール目前で、大ゴケwww(笑)

               英霊のみなさん、中露が仇を討ちますよ!

電磁カタパルトは米国で建造中の空母に初搭載の予定。まさか中国が。
https://twitter.com/kamiura_jp/status/656618976978472960
アサド大統領が国外へ出るのは、内戦が始まって以来初めて。プーチン大統領が呼び、政治力を誇示した。
https://twitter.com/kamiura_jp/status/656793863902789633
ロシアが中東各地で「ISISのテロを裏で操っているのは、アメリカとイスラエル」と書いたビラを空からまいている
http://richardko shimizu.at.webry.info/201510/article_91.html
イラクのISISを掃討するために、イラク政府がロシアに支援要請? ユダヤ米国は、これに反駁。なぜ?ISISは米国が作った偽イスラム軍だからです。
http://richar dkoshimizu.at.webry.info/201510/article_128.html

メドヴェージェフ『世界が地球外生命体の実在の真相を知る時がきた。アメリカが公式に認めないなら、クレムリンは独自に情報公開する予定だ』
https://www.youtube.com/watch?v=gAE5665i3lQ

       , - ―‐ - 、     日本はアメリカの国債の25%を所有していますが、それを引き出すと世界経済が破綻します
      /         \     それが最終的な暴落であることがはっきりするや否や、マイトレーヤは出現するでしょう
     /    ∧ ∧  ,   ヽ    暴落後における政府の第一の義務は、人々を正しい食物で養うこと、そして最後に防衛です
    ./  l\:/- ∨ -∨、! , '     magazines/si5n7k/04zpzf/bf1tqd
   / ハ.|/          ∨|,、ヘ 
  |ヽ' ヽ     >  <    ノ! l     他の国々のように、日本もさらに多くの原子力発電所を作ろうとしています
. 〈「!ヽハ._    __    _.lノ |      多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています
  く´ \.)    ヽ. ノ   (.ノ  ̄      マイトレーヤは、世界中の核分裂による原子力発電所を直ちに閉鎖することを助言されます
   \ `'ー-、 ___,_ - '          ahjzfl-1/04zpzf/n0gkne
0039名無し三等兵
垢版 |
2015/10/22(木) 09:08:49.39ID:XMMtj7KI
      ` - 、 ||V V|| \
        | ||   || l\         世界平和にとって最大の脅威である国は、イスラエル、イラン、アメリカです
      / ″         \       アメリカによる他の国々への虐待に反対の声を上げなければなりません
(( ((  /  まる子れーや \     マイトレーヤが公に世界に現れるにつれて、UFOがとてつもない数で姿を表すでしょう
     ̄ \_ \ /_/ ̄    magazines/si5n7k/kxz1kf/xchu67

アメリカ帝国の確立をかなり意識的に考えて、それに向かって働きかけている人々がアメリカに大勢いる。
彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないだろう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動をコントロールするのは、マイトレーヤの任務である。
magazines/si5n7k/ndshrf/d2zeeo

Q アメリカ政府は民衆の力を恐れているのですか。
A はい、彼らはあらゆる方法を使ってそれを塞ぎ止めようとするでしょう。
magazines/33116k/ndshrf/xchu67

アメリカは他のいかなる国よりも多くの拒否権を行使し、イスラエルに対する決議案の場合、63回も拒否権を使った。
イスラエルはアメリカの拒否権が彼らを非難から守ることを知っているゆえに、ただ国連をばかにする。イスラエルは、罰を逃れる。
拒否権制度とアメリカの保護のゆえに、イスラエルに対して今も存在するこれら63の決議案を彼らは実施しようとする必要はないのである。
安全保障理事会が解消され、拒否権が取り去られるまで、国連総会は民主主義的な総会にはなれない
magazines/si5n7k/ndshrf/d2zeeo

Q 新しい世界秩序におけるイスラエルの役割は何ですか。
A 跪いて、パレスチナでの行為に対する許しを請うことです。
magazines/swl9d8/fkmww5/nu99he

勇気あるパレスチナ人少女が「世界は私達の味方、貴方達のではない」とイスラエル兵に訴える。(動画)
https://twitter.com/komatsunotsuma/status/654327295209897984
0040だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/24(土) 18:28:37.37ID:R+oPEOmJ
ソ連が勝利するのにレンドリースの役割はいかほどだったのか。ちなみにイギリスが受け取ったレンドリースはソ連の三倍。
米国が援助しさえすれば勝てるということなら、世界中の国々が親米国家になっていたに違いないが、現実は違う。
例えばシナ事変ではドイツ兵器で武装しドイツ軍事顧問の指導を受けた中国国民党軍が、日本陸軍に打ち破られている。
またドイツはイタリアにもテコ入れしているが、それでもイタリアは負けてばかりだったはずだ。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                              2,872
Total lend-lease aid                               43,615
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/BigL/BigL-5.html

実はこのルート、米英からソ連に渡った補給物資の半分以上が使ったとも 言われているそうだ。
太平洋にはドイツ海軍がいなかったので、安全だったのだろう。ナチスドイツの側からすれば、日ソ中立条約があるとはいえ、
同盟国・日本の目の前(おそらく津軽・宗谷両海峡)を最大の敵国・ソ連の戦争を支える資源や補給物資が
通過していくのだから、 さぞや悔しい話だったと思う。日本の陸軍・海軍も、目の前を行く「同盟国最大の敵」
ソ連の輸送船団をそのまま通していたのだと思うと、なんというか。
http://ameblo.jp/kimipogo/entry-11212949404.html

それからレンドリースがソ連の勝因だとすると、日本はソ連の勝利に大きく貢献したことになる。
0041名無し三等兵
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2015/10/27(火) 07:28:33.01ID:kih5W0UA
>>36
ノモンハンは末期になると日本陸軍戦闘機部隊と砲兵隊は壊滅状態だから
あそこで停戦しなければ関東軍は消滅だろ
日本陸軍の勝利の可能性なんて皆無じゃん
0042だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/27(火) 07:39:40.45ID:WR3iOzsO
>>41
>ノモンハンは末期になると日本陸軍戦闘機部隊と砲兵隊は壊滅状態だから
>あそこで停戦しなければ関東軍は消滅だろ

根拠が全く不明だが、もしそうだとしたらなぜソ連は日本との停戦に応じたか、その理由を教えてくれ。
0043名無し三等兵
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2015/10/27(火) 07:51:00.47ID:40pkrjzr
>>42
当時のソ連は親日国で、日本には友好的。日ソ中立条約で満州国を承認してくれたし、
日独伊ソ四国同盟構想さえ考えられたくらい。
0044名無し三等兵
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2015/10/27(火) 07:54:34.55ID:9htf4vue
>>42
ソ連はヒトラーの脅威を防ぐために独ソ不可侵条約を結び、フィンランドを攻撃した。
満州を取るよりもフィンランドを取ったほうが、ソ連の国益になるから。
0045名無し三等兵
垢版 |
2015/10/27(火) 07:59:30.30ID:gbh6eVdz
>>42
 加えて「ソ連がドイツと不可侵条約を結ばねばならなかったのは、英仏がドイツに譲歩してドイツ軍が
ロシアを攻めるように誘導したことに、ソ連としてやむを得ず対抗する必要があったからだ。ソ連はアジア
で日本とも対峙せねばならず、ドイツと戦争する余裕がなかった」とも主張した。プーチンはまた「英国が、
ドイツが攻めてきたら英国が対独宣戦布告してやるから頑張ってドイツに対抗せよとポーランドをそそのか
したのが大戦の一因だ」とも示唆した。
http://tanakanews.com/100611russia.php
0046だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/27(火) 09:01:36.08ID:WR3iOzsO
>>41
>ノモンハンは末期になると日本陸軍戦闘機部隊と砲兵隊は壊滅状態だから
>あそこで停戦しなければ関東軍は消滅だろ

ソ連は日本に対しては停戦に応じている一方で、ポーランドに対しては領土を奪っている。

このようにしてポーランドはおもにドイツとソ連に分割され、ドイツ軍とソ連軍はポーランドの土地において
互いを迎えあった。9月28日、前月に締結されたモロトフ・リッベントロップ協定の秘密議定書を修正する
新しい秘密議定書がドイツとソ連の間で交わされ、リトアニア領全域をドイツでなくソ連の支配下に置くこと、
ポーランドを分割する境界線はドイツのために東のブーク川まで移動することが決められた。
ブレスト=リトフスク(ポーランド名ブジェシチ)市では、ドイツ軍が新しい独ソ境界線の西へと撤兵する前に、
ソ連軍とドイツ軍の両軍が勝利パレードを行った。
<中略>
9月1日にポーランドが侵略されたことを受けて、イギリスとフランスは9月3日にドイツに宣戦布告したが、
実際はドイツのポーランド侵攻に対して直接兵を送ることをせず、またドイツ西部国境を犯すこともせず
傍観の姿勢を決め込んだ。人々はこれをまやかし戦争と呼んだ。ポーランド人の多くは自分たちが
西側同盟諸国に裏切られたのだと感じた。一方ポーランドは、同盟諸国に対する自らの義務事項を遵守し、
国家としては決して降伏せず、フランス(のちにイギリス)に亡命政府(ポーランド亡命政府)を樹立した。
このポーランド亡命政府は、1939年以前の政府の法的な継承者で、ポーランドに残された人々による民間の、
あるいは軍事的な地下組織(ポーランド秘密国家)と連携した。ドイツ占領下におけるポーランド人は、
第二次世界大戦におけるすべてのドイツ占領地域の中で最も強力で、最もよく組織された抵抗勢力として戦い続けた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BE%B5%E6%94%BB

言っちゃあ悪いが、こういうのは単純に「強きに媚びて弱きを挫く」としか思えない。イギリスやフランスも同じだ。
1941年冬のモスクワ戦は、ドイツ国防軍無敵神話が初めて潰えた歴史的転換点と記憶されるべきだろう。
0047だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/27(火) 09:08:10.50ID:WR3iOzsO
1940年のバトルオブブリテン航空戦の戦略的評価だが、これは1941年1月4日の米ギャラップ世論調査が示している通り。

If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war?
Yes................................ 85%
No................................ 8
No opinion......................... 7
http://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm

合衆国が援助を止めればイギリスは敗北するという意見が圧倒的多数で、バトルオブブリテンでイギリス空軍が
ドイツ空軍に勝利したというのは、戦後にデッチ挙げられた神話にすぎないことが理解できよう。
0048だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/30(金) 23:20:53.62ID:qZpfDj1p
>>41
>ノモンハンは末期になると日本陸軍戦闘機部隊と砲兵隊は壊滅状態だから
>あそこで停戦しなければ関東軍は消滅だろ

 開いた口がふさがらないほどの驚きを体験したのは、ヒトラー自身も同様だった。
 翌日、八月十六日午前四時二十五分、外務次官ヴァイツゼッカーは駐ソ大使シュレンブルグ
の「大至急極秘電」を受理した。
 前夜午後八時(モスクワ時間)にソ連外相V・モロトフに面会して、外相リベントロップの
訪ソ申し入れを伝えた報告である。
 外相モロトフの反応は予想外に好意的で、申し入れを「最大の関心」をもって受け取り、
わざわざ外相リベントロップが来るからにはそれなりの成果が必要だろう、と次の三項を提案した。
 @独ソ不可侵条約の締結、A日ソ関係を改善し国境紛争(ノモンハン事件)を終熄させるために
ドイツが日本に影響力を駆使する、Bバルト海諸国の共同保障。
 そして、外相モロトフは、とくに不可侵条約についてドイツ側が賛成なら、ドイツ外相はたんなる
話しあいではなく具体的決定を用意して訪ソしてほしい、と強調したというのである。
 外相補佐官E・コルトは、午前六時四十分、電報内容を電話でザルツブルク市郊外の別荘に
いる外相リベントロップに伝え、外相は直ちにヒトラー山荘に急行した。 
 ヒトラーは、驚き喜んだ。
 なんとソ連側から不可侵条約を提議してくるとは・・・・・・。
<児島襄「ヒトラーの戦い2」>
0049名無し三等兵
垢版 |
2015/11/02(月) 14:52:45.02ID:Cic7cGhT
>>47
「嘘も百回言えば真実になる」とは良く言ったもので、ナチの宣伝相ゲッベルスは、
ロビー活動で米国の政財界にナチスドイツ空軍の大勝利プロバガンダを吹き込んで米国民を欺いた。
ナチスの巧みな宣伝工作とチャーチルの不手際で、バトルオブブリテンのイギリス勝利が正しく認識されなかった。
0050だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/11/09(月) 22:47:01.33ID:2XyjMkA4
>>41
>ノモンハンは末期になると日本陸軍戦闘機部隊と砲兵隊は壊滅状態だから
>あそこで停戦しなければ関東軍は消滅だろ

ミッドウェー海戦では日本海軍機動部隊が壊滅状態になったが、米国は停戦に応じてくれたのか?

米軍の暴虐と比較すれば、赤軍のそれは優しすぎて感謝の涙が出るくらいだなwww
0051名無し三等兵
垢版 |
2015/11/13(金) 05:05:36.26ID:KF3jhRgn
ノモンハンにあれ以上ソ連が増援送ったらポーランド侵攻が延期ないしは中止せざるを得なくなるし、
日本も本土から増援を送ってくる。
0052名無し三等兵
垢版 |
2015/11/13(金) 14:28:15.31ID:sfTxKiIs
ソ連が片手間で戦ってた様に日本も片手間でノモンハンやってたしな。作戦制限が多すぎるし
0053名無し三等兵
垢版 |
2015/11/13(金) 20:13:07.39ID:QJ+j+Oxg
日本は新鋭装備ほぼ全力投入だったような
0054名無し三等兵
垢版 |
2015/11/14(土) 21:18:57.35ID:ljAqp4zx
素朴な疑問ですが
ドイツ機もソ連機も極端に航続距離が短いけど、ヨーロッパの戦場って
そんなに飛行場が多かったんですか
0055名無し三等兵
垢版 |
2015/11/15(日) 00:33:03.68ID:HTMavKjz
>>54
お前バカだろ

東京・静岡間で170kmくらい
日本の県単位で概ね100kmくらいある

一県に1つくらいは飛行場なり
小型機が止まるような平地があるだろ

東京ですら小型機レベルが離発着できる飛行場は複数ある
0056名無し三等兵
垢版 |
2015/11/15(日) 10:05:51.20ID:mnMJuU+n
日米機の航続距離がおかしいんです
0057名無し三等兵
垢版 |
2015/11/20(金) 01:07:02.78ID:4mUnQF8H
独ソ戦線は面積的には海洋戦並みだし2000km以上の航続距離が必要だろ。
0058名無し三等兵
垢版 |
2015/11/20(金) 07:08:29.80ID:iOMQvdsn
>>49
米国人は、そんなにバカだったの?
0059名無し三等兵
垢版 |
2015/11/20(金) 13:53:42.99ID:SV4DAB0H
>>57
焦点になる戦域は驚くほど狭いし
無駄にチンタラ移動する時間があったら直近の基地から何度でも反復出撃しろってスタンスだしな
動く基地の空母で洋上ウロウロしてる機動部隊とは事情がなにもかも違う
0060名無し三等兵
垢版 |
2015/11/21(土) 13:42:39.76ID:TnTIfHH3
>>13
>I-16-28と-29は、まあBf-109Fに同じくらいと言えるが、多少は劣っていた。だが、I-16のそのほかのモデルは
>相当に差をつけられていた。メッサーのFモデルが北部戦線に現れたのは1942年も11月になってからで、

―ドイツの戦闘機の中では、どの機種が最も危険と見なされていましたか?
 42〜43年当時であれば、「フォッケル」[Fw190]と遭遇する機会は少なかった。「メッセル」[Bf109]がほとんどだったな。
私たちは護衛戦闘機をつけてもらっていたけれども、最初のうちはI-16だの「チャイカ」[I-153]だのがこの任務にあたっていた。
彼らは300キロしか出せないのに、こちらは360キロで飛ぶんだよ。だから、護衛隊の方から「俺たちを置いていかないでくれ!」
なんていう叫び声が聞こえてくるんだ。こんなのが護衛の名に値するだろうか?!
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda62.3.html
0061名無し三等兵
垢版 |
2015/11/21(土) 15:29:19.70ID:8AbJ1PRP
―にも拘わらず、東部戦線でFw190が「上手くいかなかった」のは何故だとお考えですか?ソヴィエトのパイロットからは、
いい戦闘機だがそれ以上のものではない、という程度の評価しか得られていませんが、西部戦線の「フォッケル」は
一大センセーションを巻き起こしたわけですから。
 全くその通りで、強力な戦闘機だし、一応の「水準」には達しているが、戦闘能力となると際立ったものは何もなかった。
実際のところ、ドイツ人はこの飛行機にとても大きな期待をかけていたが、しかし明らかに過大評価をしており、
性能を高く見積もっていたという印象だ。
 例えば、「コブラ」は「フォッケル」よりも速力で劣るだなんて、彼らは何でそう思い込んだんだろうね?実際にそんな
ことがあったのだ。最初のうち、ドイツ人は自分たちが速度性能で勝っていると固く信じており、「フォッケル」で攻撃を
かけた後にエンジン全開で離脱を試みる場合が多かった。だが、こっちは彼らに追いついて、上から弾を「降り注いで」やる。
向こうは煙を噴いたり蒸気を噴いたり大騒ぎだが、どうやっても振り切ることはできなかった。私たちはすぐに、
全力運転だけで逃れようとするとどうなるか、ドイツ人どもを教育してやったよ。その後は「フォッケル」も、攻撃後の離脱
とこちらの射撃から逃れる際には必ず急降下をすることにし、それ以外の方法を禁止した。
 垂直面の機動性も「フォッケル」は「コブラ」より下回っていたが、当初は私たちに垂直面の戦闘を挑んできた。
これも同じことで、すぐに思い知ったようだけどね。やっぱり私にはよく分からないんだが、「フォッケル」が「コブラ」
に垂直面で勝っているだなんて、一体彼らは誰に吹き込まれたんだろう?
 「フォッケル」は加速性が劣るという弱点があり、もしかしたらこれが一番の泣きどころだったかもしれない。後になると、
彼らも「フォッケル」で戦う時は速度を失わない形で機動を組み立てるよう心がけていた。長時間の格闘戦で「ヤク」
やラーヴォチキン、「コブラ」に対抗するなんて、「フォッケル」にとっては最初から負けが決まったようなものだ。
スピードが落ちてそれっきり、だよ。彼らが次に速度を得るまでの間に、こっちは何度でも撃墜のチャンスがある。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/golodnikov2.html
0062名無し三等兵
垢版 |
2015/11/21(土) 15:42:08.54ID:XKpN2JVQ
―どのような任務での出撃が多かったのでしょうか?街や飛行場の防衛、あるいはフリーハンティングなどもやっていたのですか?
 基本は敵飛行場の攻撃です。飛行場とか、基地とか。例えばルオスタリの飛行場なんかをね。他にもキルキネス、ヴァルデ、
ヴァドセ、みんな近くに固まっていました。ヴァエンガに駐留していた我が連隊が、これらの目標をみんな受け持ったのです。
 損失はありました。勿論、本当に辛いことでしたよ。時には損害なしですむ場合もあったけれども。損害のあるなしは状況によります。
I-16ではまあまあ普通に戦っていて、損失も壊滅的ではなかった。しかしハリケーンでは厳しかったですな。キティホークの方が
ましではあったが、それでもやはり…その後でエアラコブラが来て、これはより強力な兵器だったと言っていいでしょう。
この時までには、確かI-16はほとんど残ってなかったんじゃないかな…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/gusev5.html
0064名無し三等兵
垢版 |
2015/12/06(日) 12:00:21.42ID:TpanI1+t
Fw190のエンジンの排気量は火星並で
無難に14気筒にまとめ
火星より直径は小さく
ボア・ストローク比 1対1

どっかの島国と違って、うまくまとめたエンジンだと思うよ
これが1941年8月からまともに飛んで、実際に戦っていた
0065名無し三等兵
垢版 |
2015/12/06(日) 12:01:56.45ID:TpanI1+t
Fw190Aは疾風よりはるかに高速で上昇・急降下・ロールレートいずれも優れ、F8F-1と性能上ほとんど差がない。
こんなバケモノを1941年に作ってたドイツの技術は日本ごときとは比較にもならない。
0066名無し三等兵
垢版 |
2015/12/06(日) 13:07:16.93ID:5WZlAsbS
日本は水冷エンジンもモノに出来なかったからなァw
長いクランクが必要だが、その精度を公差通りに収められなかった
戦前の日本製品は粗悪品の代名詞w
やはり独ダイムラーや、英ロールスロイスみたいに、自動車産業がシッカリしていないとエンジンは作れない。
0067名無し三等兵
垢版 |
2015/12/06(日) 18:15:11.76ID:M3YT0P1O
>>65
実戦での速度の実測値
疾風655km/h
FW190約600km/h
0068名無し三等兵
垢版 |
2015/12/06(日) 18:36:18.87ID:M3YT0P1O
>>66
バクラチオン作戦時期のドイツ軍戦闘機可動割合
約10%
フィリピンでの疾風可動割合
約60%
0069名無し三等兵
垢版 |
2015/12/06(日) 20:50:04.60ID:qcMWZHzJ
>>67疾風の実測値は624だろ。655なんか聞いたことない。で生産機は軒並み600を下回る
0070名無し三等兵
垢版 |
2015/12/06(日) 21:58:27.03ID:mnFAl5eJ
>>69
wikipediaも読めないのか?
量産機でもその程度は出ていた。その証拠に米軍側の戦闘報告でも
644km/h以上と報告されてる
0071名無し三等兵
垢版 |
2015/12/06(日) 22:14:28.57ID:qcMWZHzJ
>>70日本の報告ではヘルキャットに追いつけないんだが?
0072名無し三等兵
垢版 |
2015/12/07(月) 01:00:22.76ID:JLl2vTKQ
その一例だけだし、立ち上がりで奇襲受けたら最高速度出すの
難しいよ
0073名無し三等兵
垢版 |
2015/12/11(金) 08:02:37.23ID:Cia8NCyR
>>68
大戦後期の戦闘機の稼働率は部隊によってバラバラだから一概に稼働率云々言いがたい
0074名無し三等兵
垢版 |
2015/12/11(金) 08:03:33.93ID:Cia8NCyR
あとその数値は恐らくフィリピン第二飛行のものだと思うけど
10%の数値はどちらの部隊です?
探して出なかったので出典があればオナシャス
0075名無し三等兵
垢版 |
2015/12/11(金) 08:19:06.75ID:Cia8NCyR
>>67
Fw190はA-3/4で最高速度620km程度、D型で643km、D型でMW含め660km~670km程度
0076名無し三等兵
垢版 |
2015/12/11(金) 08:31:01.87ID:Cia8NCyR
疾風は情報ばらつきすぎててはっきり言えん
一応ki84取り説には6550mで624km、5000mでは586kmになってる
0077名無し三等兵
垢版 |
2015/12/11(金) 08:35:31.09ID:Cia8NCyR
『悲劇の発動機「誉」』所収 「『航空ファン』1961年7月号「四式戦闘機『疾風』のすべて」 からの引用
談:吉澤鶴寿(元中島飛行機テストパイロット)

「量産型のエンジンでは悪いところが出るというので、結局ブーストを下げて、馬力制限をしたんですね。
 そういうときには、また前の試作エンジンを持ってきて飛んでみると、とてもいいんです。
 しまいには、試作と量産ではこれだけちがうのか、とあきらめちゃった。(中略)
 試作の時百オクタン価をつかってやったんですけども、高度八〇〇〇メートルで、640キロくらい出しましたね。(中略)
 量産だと五八〇キロくらいのものだったでしょう」
0078名無し三等兵
垢版 |
2015/12/11(金) 08:37:42.72ID:Cia8NCyR
一方で量産型でも644km記録した機体あったりで訳わかんないな
0079名無し三等兵
垢版 |
2015/12/11(金) 08:40:05.52ID:Cia8NCyR
四式は機体ごとに性能に差があるなんて聞くけど意外と本当なのかも?
0080名無し三等兵
垢版 |
2015/12/11(金) 09:43:58.32ID:wyhDdzw5
                イスラム国のテロ ≒ イソロク国の真珠湾テロ



「1572」番 副島隆彦 2015・12・9

後藤健二の奥さんは外務省JICA(ジャイカ)の幹部職員である。つまり夫婦して情報部員である。
通訳や現地ガイド、戦場タクシー運転手という人間たち自身が、ゲリラ活動家たちである。
カネで傭(やと)って味方だと思った彼らに、捕まって連れてゆかれるのだ。

この9月に、700人の対IS用に、ヨルダンと、サウジアラビアの砂漠の中にあるアメリカ空軍の秘密基地(飛行場)で育てた、イラク人とシリア人の傭兵部隊が、
シリアに投入されたとたんに、武器と資金を持ったままISに寝返る、という事件が起きた。これで、アメリカのネオコン派で反共右翼であるペンタゴンの将軍たちは、
自分たちの作戦(軍事政策。現地人を育てて戦わせる。アメリカ兵が死なないで済む)が大失敗して、大恥を書いて、黙りこくった。

すでに、ISの軍事部門と情報部門の極悪人の幹部たちは、強がりを言ってたが、ロシアの猛攻でもう、自分たちが負けると自覚したようだ。
だから自分たちだけさっさと逃げるのだ。あとのISの兵士たちをほったらかしにして。旧日本軍の幹部たちも同じことをした。


広島司令部の畑俊六司令官。こいつだけ民間地帯の広島駅に逃げてて助かった。日本側も原子爆弾投下を事前に知ってたのは明白だね。
https://twitter.com/SyntaxUGS/status/663013454584881153


「1532」

戦後作られた「海軍善玉論」神話(海軍は、ずっと平和主義者だった。悪いのは陸軍だった、という歴史の捏造。)。
海軍の“海軍反戦トリオ(米内、井上、山本)”は、戦後の創作(でっちあげ、虚構)であり、彼らは始めから敵と内通していた英米派だった。
海軍は、陸軍とは断固協調しないで、日本を始めから戦争に負けるように仕向けたのだ。

米内(光政、よないみつまさ。開戦時もずっと海軍大臣だった。こいつが軍人では最大のアメリカの手先。
極東軍事裁判でも、絞首刑になったのは、東條英機以下6人陸軍ばかりで、あと一人は外交官の広田弘毅=ひろたこうき=だ。
海軍は、ひとりも死刑になっていない。起訴さえされていない。このことのおかしさを、日本国民は、真剣に考えなければいけない。
0081名無し三等兵
垢版 |
2015/12/12(土) 15:39:55.63ID:sdfvoybt
USAAF bombers in the European War, 1942-45
Bomber Type Number of Sorties
Bomb Tonnage
US Aircraft Lost in combat
Enemy Aircraft Claimed Destroyed in Air*
B-17 291,508 640,036 4688 6659
B-24 226,775 452,508 3626 2617
B-26 129,943 169,382 911  402
B-25 63,177  84,980  380 193
A-20 39,492  31,856  265  11
A-26 11,567  18,054  67  7
Total 762,462 1,396,816 9937 9889
http://billsb-26marauder.org/table01.htm

中国−ビルマ−インドとマリアナ基地からの作戦全般を通じて第20空軍は、あらゆる原因によるものを含め、
B-29爆撃機485機、戦闘機212機を失った。この間、戦死または行方不明となった搭乗員は合計3041名に達し、
攻撃行動中の戦傷者は332名。他方、B-29爆撃機延べ33047機、戦闘機延べ6276機が日本爆撃に出撃した。
損害率は、B29は1.5%、戦闘機は3.4%であるが,B29搭乗員の死傷率は1%にも達しなかった。
(戦後刊行された『アメリカ戦略爆撃調査団報告第66号』「B29部隊の対日戦略爆撃作戦(第20航空軍)」
;本土空襲の記録引用)
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1944/b29.html

正真正銘のB-29です。尾翌の番号から、機体製造番号は、45-21739で、
米国のB-29関連のHPに記載の番号と同じでした。展示説明板には、
ハングルの他に英文で次ぎのように説明していました。
『世界的に有名なB-29は、第二次世界大戦と韓国戦争の3年間を通して
任務を果たした。韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000
tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。
この超空の要塞は、18個に分解され、1972年3月にカリフォルニアの
チャイナレイクからソウルへ輸送した。そのB-29は韓国空軍によって
再組み立てされ、そして、1972年8月以来Yoid Museumに展示された。』
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.trip/trip.korea.html
0082名無し三等兵
垢版 |
2015/12/13(日) 15:44:20.20ID:cc1Jeq/a
>>79
そりゃ個体差はどんな工業製品にも確実にあるだろ
ただ米軍機はその振幅が小さいし、一方末期の日本機は粗製濫造で洒落にならないレベルだったわけで
エンジン出力が一定じゃないし、機体の表面は波打ったようにデコボコだし
疾風も大概だが紫電改は輪をかけてヒドイしな
0083名無し三等兵
垢版 |
2015/12/13(日) 20:48:08.10ID:k14cP6ma
>>82
>一方末期の日本機は粗製濫造で洒落にならないレベルだったわけで

大陸打通作戦は連戦連勝だったが?
0084名無し三等兵
垢版 |
2015/12/13(日) 20:49:28.33ID:k14cP6ma
 ここでやや先回りして、1941年10月の独ソ戦線全般における総括をしてみよう。
赤軍航空隊参謀部の資料によると、この月の損害は1729機に上り、しかもその内
の931機は敵戦闘機や高射砲による撃墜、あるいは戦闘任務から未生還、事故による
損壊のいずれにも分類されていない。損害の54%を占める飛行機の辿った運命は
いまだもって不明なままなのである。特にたくさんの襲撃機(308機中225機)が
「未確認損失」欄(赤軍内部では機体数計上方法の整理をした際に浮かび上がった、
撃墜、未生還などの戦闘損失や故障などの非戦闘損失のいずれにも該当しない原因
不明の損失)に記帳されている。どうもこれは、当時頻繁に発生したAM-38型エンジンの
故障と予備部品の不足から修理が不可能であったことと関係がありそうである。また、
およそ70%もの赤軍航空機は、空戦で失われたのではなかったといっても過言ではなかろう。
<モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941〜1942年>

 また,2個の機甲擲弾兵連隊,ひいては師団全体の状況を推測するうえで参考にして
いただきたいのが,SS第26連隊第2大隊は,アルデンヌ攻勢開始当初に装備されていた
105台の自動車のうちの38台を喪失し,1月末の数字では残された67台のうち34台,
つまり最初の数字の32%が稼動状態を保っているという車両装備状態であった。興味深いことに,
保有されていた車両の内幕(牽引車を除く)は以下の通りで,これら6種類のメーカーのうち,
3種が捕獲車両であった。フォードV8 13台,オペル・ブリッツ 10台,ブラガ 1台,
フィアット 14台,スチュードベーカー 2台,ベッドフォード 1台。
 このようにしてみると,部品の交換や修理に相当苦労したであろうことは,想像に難くない。
<ヒットラー・ユーゲント SS第12戦車師団史 下 / フーベアト・マイヤー/著>
0085名無し三等兵
垢版 |
2015/12/13(日) 20:50:47.13ID:k14cP6ma
>>82
>一方末期の日本機は粗製濫造で洒落にならないレベルだったわけで

大陸打通作戦は連戦連勝3000キロだが、ここでの米軍機は「ヤーボ」の役割は果たせなかったのか?
あるいは中国人の筋金入りの知能障害は、「ヤーボ」の威力を台無しにしてしまったのか?
それとも日本軍に虐殺される中国人を救うには、米英が「ドイツ打倒優先」を放棄しなければならなかったのか?

何のためのシェンノート空軍だ?
0086名無し三等兵
垢版 |
2015/12/13(日) 21:47:46.89ID:xzfRqYVv
> ID:k14cP6ma

弱小日本軍より更に格下のシナ人をいびるだけの戦いに負けてないのを威張るのかよ!
二正面作戦で大健闘してるドイツをこき下ろして?

日本軍信者は気違いしか居ないな!
0087名無し三等兵
垢版 |
2015/12/24(木) 01:55:44.50ID:rs8mYo/O
チュイコフは、このとき四二歳。大戦勃発のとき、中国の大使館付き武官をつとめており、一九四二年三月に帰国した
ばかりであった。彼は七月まで作戦に参加しなかったが、それ以後は、非常によく活動した。果断、誠実、そして楽天的な男であった。
 スターリンは、もちろんこの任命を承認した。彼はエレメンコに「君は、彼をよく知っているかね」と訊ねただけであった。
 エレメンコは「チュイコフは指揮官として信頼できる男だとおもっています」と答えた。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU/sobiet5.htm

(3)1939 年以降の航空戦
日本軍は武漢攻略作戦の終結にともない、中国に駐留する航空兵力を整理する一方、航
空作戦の重点を中国側空軍基地の爆撃と対外輸送ルートの遮断に置いた。また、中国側の
抗戦意欲を喪失させるための政略爆撃が四川省(主に重慶・成都)に対してなされた。
この結果、中国側の作戦方針もまた都市あるいは空軍基地の防衛に限定され、中国側か
らの攻撃は、遊撃戦術による散発的な奇襲を除くならば、陰を潜めることになった。実際
に、39 年以降の航空戦は、奥地都市を爆撃する日本軍とそれに対する中国空軍との迎撃戦
が中心であり、中国空軍の拠点である南昌をはじめ、ソ連からの援助物資の到着地である
蘭州、仏印ルートの拠点である南寧では激しい航空戦が展開され、中国空軍は局地的には
一定の戦果をあげていた。
しかし、百一号作戦(奥地航空攻撃作戦)が展開される 40 年以降、中国空軍は迎撃戦
により多大な損失を被り、40 年末には残存機が 65 機たらずとなった(注 41)。これ以降、
中国空軍は正面からの航空戦を避け、日本の爆撃機が到来した際には、空軍機の退避を優
先することになった。そのため、日本の重慶爆撃に対しても、高射砲による地上からの迎
撃を除き、積極的な防空政策がとられず、爆撃の被害を増大させる結果となった。つまり、
中国空軍は可能な限り戦闘を避けて戦力を温存せざるを得ない状況にあったのである。
http://www.koryu.or.jp/08_03_03_01_middle.nsf/1384a27fc6686a1a49256798000a62f6/398bea4145bfd29f49256f0b002cf44b/$FILE/hagiwara2.pdf
0088名無し三等兵
垢版 |
2015/12/24(木) 19:36:12.90ID:DdMUCiEt
>>68
ドイツ人は第二次世界大戦について、ドイツが日本と比較されるのを、非常に嫌がっている。

【韓国の反応】ドイツの外交官「ドイツは、中国が第2次大戦と関連して、
継続的に日本とドイツを比較することを好まない」と不快を表明
http://oboega.blog.jp/archives/37477726.html

>行くのを不許可にするというのはどういうことだ。
>観光客も訪れる場所なのに、国家主席が訪問することを許さないなんて…
>日本の顔色をうかがってるといわれても、何も言い返せないだろう…

「え?私が中国のスパイだって?」ドイツ紙の東京特派員が安倍政権から圧力を受けたと告白
http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/10/carsten-germis-confession_n_7038596.html
ドイツが親日ではなく反日に? 日本への感情、3年で急激に悪化
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-6795.html

ドイツは決して親日ではないし、日本の同盟国でもなく、従ってドイツが日本に気を遣って配慮することは考えられない。
中国代表の反日演説を拒否したことをもって、ドイツが日本の味方をしたかのようにも言われているが、
後にも先にもドイツの対日感情は冷たい。日本への配慮なんてこれっぽっちもありはしない。
0089名無し三等兵
垢版 |
2016/01/04(月) 10:21:28.18ID:8SJLEOwh
問い:I-16はそれほどメッサーシュミットに劣る機体なのでしょうか?
基本型式のI-16-10、-17、-21は、技術的にも攻撃装備の面でもBf-109Eには劣っていたが、
それほど開きが大きかった訳ではない。もちろん、それより旧いI-16-4および-5はメッサー
への太刀打ちはできなかった。
しかし後期型のI-16-28と-29モデルになるとメッサーのE型より優れていた。速度と運動性
は同等であり、とくに垂直面ではI-16のほうが良かった。
問い:メッサーのほうが劣るというのはおかしいと思います。どの資料によっても、I-16の-28および-29の
高度3000メートルでの水平最大速度は440-460キロメートル台であり、一方Bf-109Eのそれは570キロ
メートルとなっていますが。それに垂直面の機動でもI-16が勝るというのも初耳ですが?
実際の空戦では誰も最大速度を出そうとも思わないし、ましてや最大速度を出したヤツはいないのではないだろうか?
原理的にもI-16ならば速度500キロは容易かつ急速に出すことができる。
メッサーE型は確かにそれよりも速いが、その差はさほどでもない。空中戦では双方の速度にはほとんど
差が出ない。I-16は加速性能が大きく、とくにM-63エンジン装備の場合は爆発的ともいえた。先に挙げた
水平面の運動性能に加えて、この加速性能も2つ目の特長といえる。
その当時ソビエトで生産されていた最新型を含む、どの戦闘機タイプよりも加速性能には優れていた。
Yak-1の加速はI-16に匹敵したが、それでもやや遅いくらいだった。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/aviatorstale/Russianpilot.htm
0090だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2016/01/05(火) 17:17:45.36ID:w/8V0uiE
クルスクの戦いは、勝ったソ連が負けたドイツの3倍もの戦車を失ったとされている。

戦車・駆逐戦車の生産数
ドイツ 37454輌
日本 4524輌
イギリス 22820輌
ソ連 79733輌
アメリカ 77247輌
http://blog.goo.ne.jp/kodoku44/e/660fd0a1b30b44417067608241e840bf

けれどもソ連は43か月にも及ぶ大祖国戦争で8万輌の戦車を製造しており、月千台程度の損失は屁でもない。
1943年夏以降のソ連軍は、兵力も兵器生産も余裕たっぷりで快進撃を続けることができた。

中国?什?不拍一部《?大的抗日?争》??
https://www.zhihu.com/question/33567660

ソ連邦大祖国戦争
「来来来,人家1943年8月到1944年12月期???了“被コ?完虐”的十次斯大林突?,十次?利。」
中国抗日戦争
「与此同?,K?的表?如何??」

中国語は機械翻訳でもわかりにくいが、それでも、

ナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たしたソヴィエト赤軍>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>( 越 え ら れ な い 壁 )>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>大陸打通作戦でドツキ回された中国チンピラゴロツキ

・・・という内容であることは自明だ。
0091名無し三等兵
垢版 |
2016/01/06(水) 09:46:32.33ID:ATc2cZUT
だつおは打通さんが作ったbotで
打通さんが餓死した後も自動でレスを繰り返しているんだよ
0092だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2016/01/09(土) 12:19:27.78ID:OSAwnrvR
>>41
>ノモンハンは末期になると日本陸軍戦闘機部隊と砲兵隊は壊滅状態だから
>あそこで停戦しなければ関東軍は消滅だろ

 9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm

つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456

 興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html
0093名無し三等兵
垢版 |
2016/01/09(土) 20:11:26.99ID:Vg5CSK9g
ところで、IL-2って名機扱いされてるけど性能的には微妙じゃない?
強力なエンジン積んでる割には重装甲と引き換えに速度は平凡だし、
搭載量は600kg程度とJu-87Dの3分の1で急降下能力もない。

1942年の時点で液冷で1700馬力も出せるAM-38Fのようなエンジンがあったら、
装甲は犠牲にして速度重視の戦闘爆撃機的な機体を作った方が
もっと早く航空優勢奪えて対地攻撃も容易だったんじゃないだろうか。
0094名無し三等兵
垢版 |
2016/01/10(日) 20:40:19.23ID:t7FMNGey
>>93
運用国がソ連だからね
未曾有の国難でもいろいろ官僚的
鉄男さんがパンや空気のように必要つっちゃたらもう…
それにソ連独自の状況ってのがあってね
材料方面ではそれが顕著
航空機の主要素材のアルミ・ジュラルミンが需要に対してまったく足りてないんだわ
レンドリースでだいぶ恵んでもらったけどそれでも足りない
エンジン以外に軽合金が使えず、ソ連機の機体は鉄と合板で構成されることに
そんな状況下で危険な地上攻撃を敢行する機種には生存性高めるためにはあんな設計しかなかったんだわ
一方の戦闘機は、他国の最新鋭機が重武装化と翼内武装の比重高めていくのに対し機首の集中武装を選択し続け、
また戦闘爆撃機化の傾向を見せ始めていたのに対しあくまで空戦特化
これみんな、強度的に不安のある木製機で戦い続けざるを得なかったソ連ならではなのよ
0095名無し三等兵
垢版 |
2016/01/10(日) 23:35:54.83ID:m3KRCf83
>>93
>装甲は犠牲にして速度重視の戦闘爆撃機的な機体を作った方が
>もっと早く航空優勢奪えて対地攻撃も容易だったんじゃないだろうか。

だったら何故、Mig−3を量産しなかったんだろうね?
0096名無し三等兵
垢版 |
2016/01/11(月) 07:53:36.14ID:t1uhXx3R
>>94
あーなるほど、軽合金が使えず木製機だと被弾に弱いから、
鉄の装甲で覆わないといけなかったのか。
0097名無し三等兵
垢版 |
2016/01/11(月) 15:46:02.77ID:Omb+nu+z
零戦の凄いところ。

・エンジンはアメリカの支援で作ったアメリカ製エンジンのコピー。
・パイロットの疲労を全く考えていない無駄に長い航続距離。
・急降下で空中分解してしまう是弱な機体。
・パイロットの命など全く考慮されていない防弾装備のないコックピット。
・弾道特性最悪で滅多に当たらない20mm機関銃を搭載。
・ぎりぎりの設計のために発展性もゼロ。
・全く通じない無線機。
0098名無し三等兵
垢版 |
2016/02/22(月) 07:07:11.63ID:+TZa7GS7
ナチスドイツ軍のこういうやり方を採用した国が皆無なのは何故だろうか?

世にも奇妙な「空軍であって地上戦闘軍」
<中略>
 ドイツ空軍地上軍の半分以上は,高射砲部隊に属していた.
 いちばん多いとき(1944年末)は100万の兵士(数千人の女性兵士含む)が,2万基以上の空軍
(陸海軍所属の高射砲は別にある)の対空砲とサーチライト部隊に配属された.
 連合軍の進撃にともない,これら後方基地の高射砲部隊が前線に位置する結果になった.
ドイツ軍は地上の敵と戦うことも予想して高射砲をデザインし,兵士をも訓練してあった.
――――――第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著
http://mltr.ganriki.net/faq08a12d.html
0099名無し三等兵
垢版 |
2016/02/23(火) 06:27:30.56ID:ULSXDbRl
ヘルマン・ゲーリングのような有能な空軍トップが
他の国にはいなかったからさ。
そもそもアメリカ軍や日本軍は航空兵力を陸軍から分離させられる
人材さえいなかったんだから。
0100名無し三等兵
垢版 |
2016/02/25(木) 07:51:27.43ID:IVidYAOd
 ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で
15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空
通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収
されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日
240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、
敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフト
バッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘
行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』
に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機
は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
 11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日
おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位
にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたる
も地上部隊の上空援護を保障できないでいる」

モスクワ上空の戦い
知られざる首都航空戦1941〜1942年
著者:ドミートリィ・ハザーノフ&アレキサンドル・ペレヴォースチコフ 
訳:小松徳仁
発行:大日本絵画 
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