Fw190はやっぱり強かったって本当? [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
↓のサイトに騙されました!
おかげで艦これオフ会で恥をかいてしまいましたよ
レヒリンのデータはごまかせるようなもんじゃなかったらしいですね
Fw190の真実
ttp://homepage1.nifty.com/HARPOON/Fw190/title.html Fw 190は登場してからほとんどスペックが変わらないので、戦争後半になれば不利になるのは当たり前。
P-47に勝てないといっても、Fw 190A-2と同時期のP-47Bならば、Fw 190のほうが強いかもしれない >>630
なんかムック本のコラムだったと思うが、「P-51と同じく層流翼なのに600kmも出ないのは仕上げがボコボコだから日本ダメダメダメエエエエ!!」
って書いてたんだが、そもそも紫電改の最高速って「最低でもこれくらい出るよね」じゃないのかとか、
そもそも馬力も高度も違うじゃねえかとか、そういう点は都合よく忘れたらしいw >>632
翼の形だけでホイホイ速度が上がれば苦労はないわなw
>>633
大口径ペラ付けるまでなら逃げきれたろう
同じD型でもさらに派生があるのが厄介 結論
マーリン60系、グリフォン、ダブルワスプ…
コイツらを載せた戦闘機には勝ち目は薄い
セイバーは…タイフーンならひょっとすると…w 野原は本当は日本機好きだし日本に勝って欲しかったのよ
だから調べれば調べるほど出てくるアラが許せなかった >>637
日本機でも陸軍マンセーと海軍マンセーで180度と言って良いほど違うからな
特に戦争後期なんて海軍は航法出来ること以外特に役に立ってないと言っても過言じゃない
零戦と隼の力量関係は逆転し、熟練の隼3型は米軍ですら悩みの種
彩雲で追いつくグラマンなしとかはしゃいでる最中陸軍は『平均時速』700km超の百式司偵V型を完成にこぎつける Fw 190はスペック変わらないどころか
後半は悪化してるで
対重爆用に重武装・重装甲化してたので
そもそも戦闘機同士の戦いはスピットIXの登場以後は
基本的には禁止 >>638
海軍って文字見た瞬間に「やまもとしねええええ!!!」とか呪詛唱えだす悪霊かなんかですか? >>639
それはA-8/R7とA-8/R8の二つに限った話だぞ ロールだけ早くても、運動性が悪く速度優位が失われると全く駄目な感じですか そも速度優位を失って低速の小回りでヒラヒラしてるってのはもはや
「負けないかもしれないが勝ちようがない」
パティーンなわけで 隼が低速の小回りでヒラヒラするしか無いとは言っても
爆装機よりは速い
つまり敵戦闘機の2倍の隼を用意しておけば鬼畜英米の航空軍に打ち勝てるのである >>645
鬼ロールでクルクルかわされる方も旋回運動で速度が落ちる。
例えばスピットMk. IX(LF含む)とFw190 A-4辺りなら
直線運動の加速度や急降下上限速度はFw190が上なんで、
「負けないかもしれないが勝ちようがない」 なんてことにはならんで。
もちろんシュトゥルムボックだったら、戦闘機との格闘戦なんてまず無理だけど。 >>5
個人的に図星でもう笑うしかない。劣勢の国の工場が爆撃受けまくってる戦闘機の品質や生産規模なんて、いくらドイツでも高水準を維持出来ないもんね 結局、Fw190って、加速は良いの? 悪いの?
>>4のインタビューだと、P39やソ連戦闘機に劣ったってなってるけど、
日本陸軍の調査だと、疾風やP51を上回るってなってたよね?
疾風って、機体が軽いから加速結構良くなかったっけ?
それとも、エアコブラやソ連機の加速性能が、他をぶっちぎって良かったのか?
にわかですまん。誰か教えてくれ。 東部戦線では、装甲を強化した戦闘爆撃機タイプが多く使われました ノヴオトニーのFw190AもP-39にケツ取られてありとあらゆる回避行動取るも振り切ることができず、地面スレスレの高度で失速寸前まで速度落とす超危険行為でオーバーシュートさせ窮地を脱してる。ニコライの証言どおりP39はFw190と同等以上の速度性能を有していた。 >>650
型番とか高度とかの条件でひっくり返るから全般的には何ともいえない
ソ連ではP-39は低高度専門で使っていたし、余計な装備を外して軽量化していたというのもあるし >>651
>>652
>>653
ありがとう。
結局は、条件次第でどうとでも変わるという話しかな。
Fw190は低空に強いと思ってたけど、一口に「低空」と言っても、
過給機の性能で、高度によって全然違うと」最近知った。
Fw190を東部前線で戦闘爆撃機として使ったのは失敗だったのかな?
>>4のインタビューでも、それが元凶と言ってるし。 搭載量と対空砲火を考えればFw190をヤーボとして使うのは妥当じゃん
ただし戦闘爆撃機型を対戦闘機戦に投入するのが間違いってこと
戦後でいえばF105サンダーチーフでミグとドックファイトをやらすようなもん ノヴォトニーのFw190はA型だぞ。
だけど250機撃墜のスーパーエースの彼の技量を駆使してもP-39にケツ取られて逃げることはできなかった。
もうお手上げで地面スレスレで失速寸前まで速度落としてオーバーシュートして窮地を逃れた。
ニコライの言う通り最高速度なんて意味無いから。 イギリスでP-39テストしたら、カタログスペックは全然出なくてハリケーン以下という評価だったし、
日本で6000mでテストしたときも、Fw 190A-5はP-51Cと較べてもダッシュ力ははるかに上という評価だったし、条件次第でしょ。
全開高度3400mのP-39Qに全開高度6400のFw 190Aが低空で勝負したら勝てるわけない P-39Dのはなしでょー
初期のDは1150馬力で500機しか作られない
もっとも大量に生産されたのは後期型のQ型で4900機にたっする
1343馬力にあっぷ
やくにたたない7,7ミリ機4門排除して12,7ミリの癌ポットをついかし
またソ連ではモーターカノンは37ミリ発射間隔がおそいので取り外して
特にエースパイロットはこのんでベレシン12,7ミリや20ミリなどを
モーターカノンに換装してる
1343馬力に加えてこの軽量化策によって運動性や機動性はかなり向上する
P39がソ連パイロットに好評を博したのは
後方には巨大なV12エンジンが背中を守ってるのにくわえ
ギア装置を守る前面の装甲板があることで
非常に生存性が高い設計だったことで、被弾を恐れずかなり無理をできる機体だった ソ連のエースパイロットがつかうP39は素の機体ではなく
スコープドックレッドショルダーカスタム、ターボカスタムぐらいの差があった ソ連のP39は
翼銃二丁を抜いたのが特徴で
通常より軽く各種運動性が向上
特に最大の差はロールレート。 ニコライだけでなく米軍撃墜王のグッドソン、ゼムケもFw190を鈍重といい、
3人ともBf109にたいしては特に悪口無くて、3人ともBf109の上昇力は凄かったと言ってるから
ただのドイツ軍機嫌いでFw190は遅かったと言ってる訳ではなさそう。
ニコライはBf109を絶賛してるしね。
低空ではBf109の方が190より遅いのに。 だからさ、おまえら
イチローと大谷のどっちの足が速いかとか
何時までも議論してないで。
戦術とか作戦含めてどっちが使いいいかとかで評価しろよ。 押井守が監督したスカイクロラってアニメでは主人公が乗る震電もどきが
ラストで敵のエースパイロットが乗るFw190Dもどきに敗れたが原作とは違ってオリジナル展開なんだな なんでこんな機体がまともな性能なのか分からない。
Fw190A-8で全備4460kg、翼面荷重は第二次大戦レシプロ単発戦闘機では最悪クラスの240kg/m^2代だぞ
米軍機みたいに馬力があるならまだしも、馬力も大した事はない
重量過多じゃないか >>664
米軍、ソ連軍パイロットから鈍重だの加速力無いだの言われてるのでお察し。
ソ連からはP-39より遅いと酷評される。
ドイツも迎撃するときにはBf109を戦闘機にあて190を爆撃機にぶつけてる。 >>664
実際、米軍もFw190の旋回性能を低いとしている
いかなる速度でもF6F-3及びF4U-1への追従は困難としている
むしろあらまき少佐が四式戦闘機より旋回性能上と言ったのが謎でしょうがない
黒江少佐は「四式戦や三式戦とやろうとするとすぐ失速して旋回戦にならなかった」とまで酷評しているのに、だ Fw190の原型からしてエンジンはダイムラーDB601で同じだけど
翼面積はBf109より小さい超重戦だったからタンクはなんとも思わん
じゃ109の対してこの補助戦闘機のメリットは何なんですか!あんた
と言いたくなるが頑丈なトレッドの広い主脚、バブリキャノピーで360度の視界がFw190の武器
パイロットの腕で高い翼面荷重や高い着陸速度はカヴァーできると空軍も太鼓判を押した
あと無類のつっこみ性能と、高速ロール
これをまのあたりにしたゲーリング元帥はまだ怪しげなBMW空冷エンジンの生産許可を下す 飛行第11戦隊は、上昇・出足・スピードにおいてF6F-5に劣ると辛口な評価をした飛行第11戦隊ですら、旋回性能はF6F-5と同等としている
翼面荷重も180kg/m^2前後でほぼ同等
だからその少佐さんが疾風がフォッケに旋回性能劣るというのは何かの間違いじゃろ
輸入したフォッケは軽荷重で審査していたとか。 高速であれば四式戦の旋回性能が落ちるから?
ロールを旋回とは言わないよなぁ
その辺も含めてなのか
あと、あんなにクルクルロールして目は回らないのかな 実戦部隊じゃない人からは評価高いね。
グラマン社の人もイギリスでFw190に乗って感動してうちでも小型機に大出力エンジンで戦闘機作りましょうとなってF8Fの完成が決まったという。
しかし実戦パイロットからは加速力無い鈍重戦闘機扱い。
4式戦は22、85戦隊は絶賛。
実験部隊の人は上昇力がないとかボロクソ言ってるけど上坊さんは急上昇出来て軽戦の戦いもできると絶賛。
実戦やってる人と後方の人では評価が違う傾向にある。
坂井さんとかも52型より21型が良かったわの人だけど前線からは21型なんかいらんなんだよね。 長い間前線から離れてた人かな。
藤田いよぞうさんはミッドウェーで一人で10機近く落としてる撃墜王だけど
彼も長い間、実戦離れてから大戦末期の硫黄島の戦いに参加したら
新人の零戦21型が多く帰還しベテランの乗った52型の方が損害でかかったと言い彼も零戦21型の方が良かった派。
坂井さん藤田さんともにまだ米軍機の性能がそれほどでもなく
数の暴力も無かった頃に無双出来た21型の印象が強すぎる人たちで彼らの52型より21型の方が良かったは賛成出来ない。 藤田怡与蔵 「雷電 (・∀・)イイネ」
岩本徹三 「大したこと無い」 岩本さんは乱戦は適当にかわして、敵が帰る時に本気出すタイプだから… 加速が悪いとか言うが、日本でA-5テストしたときは、出足と突っ込みでは最高だったって話だろ 大体そんな悪い戦闘機なら、スピットファイアMk.IXが出てくるまで勝てなかったイギリス空軍はよっぽどウンコだったってことか? 翼面積が小さいので別に加速やロールが悪いなんて言っているやつはいないしそんな話も聞かないだろ
じゃなくてあんなのに旋回で日本機が負ける筈がないし何なら上昇も馬力荷重から言って振り切れる筈なんだが負けたことにされてるのは何でよって話 あるとすれば東部では戦闘爆撃機タイプ、米軍から見たら高高度から新型機で突っ込んだ場合
それから逃げられる程はないってことじゃないか
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU5/ashu10.htm 例えば、「コブラ」は「フォッケル」よりも速力で劣るだなんて、彼らは何でそう思い込んだんだろうね?実際にそんな
ことがあったのだ。最初のうち、ドイツ人は自分たちが速度性能で勝っていると固く信じており、「フォッケル」で攻撃を
かけた後にエンジン全開で離脱を試みる場合が多かった。だが、こっちは彼らに追いついて、上から弾を「降り注いで」やる。
向こうは煙を噴いたり蒸気を噴いたり大騒ぎだが、どうやっても振り切ることはできなかった。私たちはすぐに、
全力運転だけで逃れようとするとどうなるか、ドイツ人どもを教育してやったよ。その後は「フォッケル」も、攻撃後の離脱
とこちらの射撃から逃れる際には必ず急降下をすることにし、それ以外の方法を禁止した。
垂直面の機動性も「フォッケル」は「コブラ」より下回っていたが、当初は私たちに垂直面の戦闘を挑んできた。
これも同じことで、すぐに思い知ったようだけどね。やっぱり私にはよく分からないんだが、「フォッケル」が「コブラ」
に垂直面で勝っているだなんて、一体彼らは誰に吹き込まれたんだろう?
「フォッケル」は加速性が劣るという弱点があり、もしかしたらこれが一番の泣きどころだったかもしれない。後になると、
彼らも「フォッケル」で戦う時は速度を失わない形で機動を組み立てるよう心がけていた。長時間の格闘戦で「ヤク」
やラーヴォチキン、「コブラ」に対抗するなんて、「フォッケル」にとっては最初から負けが決まったようなものだ。
スピードが落ちてそれっきり、だよ。彼らが次に速度を得るまでの間に、こっちは何度でも撃墜のチャンスがある。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/golodnikov2.html オスプレイのP-39にもノヴォトニーのFw190AがP-39と格闘戦やってる最中ケツ取られてありとあらゆる回避機動取るも振り切れず
地面すれすれの高度まで降りて失速寸前まで速度落とす超危険行為でP-39をオーバーシュートさせ命からがら帰還した話乗ってるよ。
ニコライの言った通りドイツ軍はなんでFw190がP-39を速度で上回るなんて思ったんだろうね。 多分これは、「フォッケル」の使われ方の違いによるものではないかと思う。
ドイツ人は、私たちに対しては「フォッケル」を前線戦闘機もしくは戦闘爆撃機として使用したが、
西方では迎撃機に使っていた。 P-39>Fw190>スピットファイアMk.Vってことか
スピットファイアしょぼすぎだな ポートダーウィン空襲に先立って行われた一○○式司令部偵察機の偵察に42機がかりで迎撃したが全機振り切られた様な機体だぞ、スピット5は。 スペック見ると、そんなに劣っているようには見えないんだけど
スピットファイアMk.Vb
翼面加重137Kg/m^2 馬力加重 3000/1470≒2.04Kg/hp
Fw190A5
翼面加重 4063/18.3≒222Kg/m^2 馬力加重 4063/1700≒2.39Kg/hp
P-39Q(参考)
翼面加重 3443/19,8≒174Kg/m^2 馬力加重 3443/1343≒2.56Kg/hp
水平速度はおそらくほぼ互角で、急降下ではFw190だろうけど、旋回性能と上昇力ではスピットファイア
P-39Qがぶっちゃけ一番弱そう A8までいくと、かなりやばくなってる
Fw190A8
翼面加重 4750/18.3≒260Kg/m^2 馬力加重 4750/1700≒2.79Kg/hp
ここまでくると、BMW 801Fとかじゃないときつそう >>686
この時期のスピット5の一段一速過給機は、単なる低空チューンとは違って、一段二速の一速目を切った様な高空用が多かったらしく、多くの機体は低空では大した事ないらしいぞ
フォッケが地上直協ならこのときのスピットはインターセプター寄りに行ってた
だからドーバー海峡でフォッケと会敵した時ボコられた時はカタログスペック以上に高度馬力とかで差が開いていたかもしれない >>568
ダーウィンの空戦なら、零戦は砂漠仕様で整備不良のスピット5を圧倒したが、隼はこのスピットにさえやられてたぞ。 >>689
それは向こうが学習して空中退避してて爆撃直前のタイミングを狙ったからというのもある
敵の数も46機と多かったし Bf109は一航過して離脱してのがFw190は速いだけでなく格闘戦も果敢に挑んでくると
スピットVのパイロットが驚いてた。
太平洋はビルマ戦線の英人が乗るのスピットは隼の格闘戦の誘いに割と乗ってたのが、
ニューギニアとかオーストラリア人乗機だと一撃離脱に徹したので苦戦したらしい。 >>683
西部戦線ではドイツ空軍はレーダーで来るのわかってて事前に高高度まで上がれて高度を稼げて速度に変えられたからFw190の加速力の悪さは問題にならなかった。
東部戦線ではそういうわけにいかずにお互い目視で見つけあいヨーイドンからの加速。
だから加速力の悪いFw190は東部戦線ではいまいちだったって言ってるんじゃん。
ニコライ「西方では迎撃機に使っていた。レーダーによる支援態勢の差が出たんじゃないだろうか。
西方での「フォッケル」はレーダーで誘導されていたのだが、これは「フォッケル」が戦闘に入るまでに必要な速度を稼ぎ、かつ高度でも優位に立てたということ意味している。
これなら「フォッケル」の加速の悪さも大した問題にはならず、高度を速度に換えればいいだけの話だ。
それに、ドイツ人は時間をかけての格闘戦をあまりやらなかったのだろう。
しかし私たちと戦った時、ドイツ軍は西方ほど濃密なレーダー支援システムを持っていなかった。
私たちもドイツ人も、基本的には目視で敵を発見していたのだ。飛びながら周囲を見回して、敵を見つけると「スロットル全開」で戦闘開始、となるわけだね。
レーダーによる誘導がない場合、ごくわずかな時間で最高速度を稼ぎ出すには加速性が重要な要素になってくるが、「フォッケル」はこの点で劣っていたから。 >>683
ニコライ「星形エンジンのおかげで、「フォッケル」を操るドイツ人パイロットたちは、特に最初のうちは正面からの攻撃を好んだ。
自分はエンジンの陰に隠れることができるわけだし、武装は20ミリ機関砲4門に機関銃2丁という非常に強力なものだからね。
こちらの飛行機は2〜3発当たっても大丈夫、逆に相手は1連射でバラバラにできるとあっては、正面攻撃に大きな自信を持つのも不思議はない。
だが、間もなくドイツ軍は「コブラ」への正面攻撃を恐れるようになり、それは私たちにも感じられた。
私たちは37ミリ砲を持っていたわけだから、こいつを喰らったらどんなエンジンでも盾にはならない、1発命中しただけでおしまいだ。
こうした状況の中で正面攻撃を加えるには鉄のような神経が必要で、エンジンに頼るわけにはいかない。そして神経の強さにかけては、私たちの方がドイツ人よりも上だ。
私の経験を話しておこう。「フォッケル」4機編隊と真正面からぶつかった時のことだ。4対4の戦いだよ。
そして、[正面攻撃に先立つ]ターンの際に私の列機が私よりも前へ出てしまっていた。」
はい。お互い真正面からのヘッドオンで戦ってますね。Fw190も積極的に攻撃してきてる >>683
何度も言うがヴァルター・ノヴォトニーのFw190Aの編隊はファイタースイープをしててP-39編隊に奇襲を仕掛けた
(彼の戦闘任務からも爆撃任務などではないのがわかる)
気が付いたらP-39にケツ取られてて全力で逃げにかかったがどうやってもP-39から逃れることはできずなかった。
ノヴォトニーは地面スレスレの高度まで降りると失速寸前まで速度を落とす超危険行為でP-39をオーバーシュートさせ命からがら帰還した。
Fw190Aは穴だらけになっていたという。
Fw190好きな人ってそんなにFw190が最強じゃないと気が済まないの?
WiKiペディアにも
Fw190A-5 速度670 km/h (6,250m)
Fw190D-9 速度698km/h (6,400m)732 km/h (6,400m、MW50使用)
とかあきらかな嘘もしくは全備状態じゃない測定値書いちゃってるし
そんな出てたらスピット9に優勢で戦えP-47、P-51にぼろ糞に負けないよ。 得意な高度ってのがあるからなぁ
P-39は特に低空が得意で
そのロシア人がフォッケルだけじゃなく、もっと型番とか高度を記録してれば資料的な価値も増すだろうが
他の資料と総合して加速が悪いと言えるほどじゃないな 今時Fw190がずっと最強だったなんて主張してるやつはいないし、このスレでもいるようには見えない
登場当時は最強戦闘機の一つだったが、段々優位性が失われ行って、戦争後半は平凡な性能となっていたっていうのが
一般的な見方だろう
大体>>692って、ニコライ・ゴロドニコフの単なる推測だし、同じところに書いてある
「例えば、ジェームス・「ジョニー」・ジョンソン(イギリス空軍で撃墜数1位のエース)はこんな風に書いています。
「…飛行管理部の将校が、前方に敵戦闘機の集団見ゆと報告してきた時も、太陽を背に負いかつ敵より高度を取っていて
奇襲攻撃のチャンスが得られる場合を除き、私は極力戦闘を避けようとした。1
943年春の時点では、フォッケウルフはそれほどまでにスピットファイアに対する優位を保っていたのだ…」
(『イギリスの撃墜王』モスクワ、AST出版、2002年より引用)
しかもこの時ジョンソンが乗っていたのはスピットファイアMk.Vbですが、これは西側ではP-40より、そしておそらくはP-39よりも
優秀な機体と評価されているのですよ。
これを読む限り、ジェームス・・ジョンソンは自分達が優位な高度と太陽方向で無い限り戦闘を避けたと言っているわけで、
対等な条件だったら戦闘しなかったってことだろ wniの鈴木里奈の脇くっさ
(6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
http://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) というか、最強説否定論者も、別に駄作機なんて言ってないし。
登場時点では強力な機体だったが、エンジンの強化が出来なかった為、
改良が頭打ちになってしまった。
というのが、主だった意見かと。 すまん。>>698がすでに書いてたな。
失礼しました。 そもそも第二次世界大戦最強のレシプロってどれよ?問題と
最強だからって戦術的に有意差あるの?問題が立ちはだかるわけで そりゃ、P-47N、F4U-4 あたりだろうな
軽量化型であるP-51Hは試作機は1トン近く軽いのに量産型では100kgしか軽くできていなくて微妙 >>704
そこらへんなら、F8Fの方が強そうだけど 対戦闘機の格闘戦ならF8Fが強い。
米軍が終戦間際に実施した陸海軍戦闘機の比較試験による評価だから受け入れるしかあるまい。 なんだよ、せっかく実戦投入された中から選んだ俺の努力は
戦場に着く前に終わった機も含めていいなら、初飛行が1ヶ月遅いだけのシーフューリーの方が上だぞ
800km/hでも舵が軽く軽快な運動性能を維持していたとされるほどの機体剛性と操縦設計だからな
件のF8Fとは根本から構造設計が違う F8Fの燃料が切れるまでP47は高高度にいれば
とか、どこでどう戦うかを限定しないとあんま意味がない議論になる >>694
速度ね。
ドイツ機に対する評価が厳しめのここを参考にするとFw190A-5の場合、
ttp://www.wwiiaircraftperformance.org/fw190/fw190a5.html
スピットLF Mk.IXに対しては高度0〜2000メートルと4200メートル〜6400メートル辺りで、
P51に対しては高度6000メートル以上で優位(ただし7300メートル〜8500メートル辺りは互角)
に立てていたことが分かる。
P-47Cだと6700メートルまでは優速だが、P-47Dだと2500メートル以上で不利になる。
一方、ドイツのエース、ビューリンゲン中佐は(多分、D-9の評価だけど)
「我々はP-51や他の米戦闘機をMe109やFw190の旋回で振り切る(out-turn)ことができた。
その旋回率は同じくらいだった。彼らは我々より速かったが、こちらの弾薬はより優れていた。」
と証言してるね。(続く)
アメリカのエースでP-47乗りの、ジョンソン中佐は
「全般的に言ってFw190の最良のものとP-51の性能は非常に近かった。そのような戦闘では、差は
恐らくパイロットに出た。」と言ってる。
(John D. Current, 『American Warplanes of WWII』、p.165-166) そのパイロットの差だが、1944年初頭のドイツ空軍だと新兵の飛行訓練が160時間まで短縮されている
一方、米英のパイロットはその倍以上の時間を訓練に注げている。
ttps://ww2-weapons.com/pilot-training-mid-and-late-war/
しかもドイツ側は燃料事情の悪化によって、連合軍の護衛機より遥かに少ない迎撃機しか上げられてない。
これらの事情を考え合わせると、問題だったのは機体の性能よりも練度と兵力の差だったと言える。 >>1
何を基準に強い弱い語ってるか知らんから何とも言えないが…
艦これが正しいとか言う頭の方はどうにかしておけ >>45
スイスイ上昇する上
そいつ急降下仕掛ければ850kmまで保証するんですよ
そうなるとP-47ならともかく、P-51なんかはどうしようもない
正直最高速なんてよほどでもなければ爆撃機や偵察機相手にする際にしか役に立たん >>153
米軍機が空母でのんびり遊覧してる間に
島から島へ飛んで行って機体供給できるのは利点だろう
その間全く空母を生かせなかったのをはじめ作戦がクソなのは事実だけどそれはまた別問題だし
ドイツを丸々蹂躙できたのも3000kmというP-47の航続距離あってこそなのは間違いない >>698
> しかもこの時ジョンソンが乗っていたのはスピットファイアMk.Vbですが、
−P.クロステルマンは、1944年の状況について次のように書いています。
「…フォッケウルフFw190やメッサーシュミットBf109との戦いでは、タイフーン部隊はしばしば12機中6〜7機
の損害を出していた。スピットファイアは無力であった…」
タイフーンというのはイギリスの戦闘爆撃機で、戦闘機スピットファイアがこれを護衛したわけです。それで質問なのですが、
あなたのいた戦闘機連隊が護衛した襲撃機も、1944年には同じような規模の損害を出していたのでしょうか?
いいや。あんた、何を言ってんだ?!12機の襲撃機で出て6機落とされるなんて、護衛機の隊長は軍法会議ものだよ。
議論の余地もないね。1944年はおろか、1943年だって許されないレベルの損害だ。
−それでは、どの程度の損害までなら許容されたのでしょうか?
12機なら1機、多くても2機だな。もしも6〜10機のヤクに対し、12〜16機の「メッセル」が襲ってきた場合の話だ。
それだったら、あるいは許してもらえたかもしれん。許してもらえるといったって、それは軍法会議にかけられないだけの話で、
いずれにしても護衛隊の長機は陰で色々言われることを覚悟せにゃならんがね。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/YAK.html >>162
そのノリでドーバー横断やソ連に挑んだからご覧の有様なんだがw
それにイギリスもスピット\を以てしても攻め手に欠けて
結局長距離戦闘可能な米軍任せってのはさもしい限り 187 名無し三等兵 2018/08/23(木) 06:35:43.01 ID:BpUsN6V7
>>186
>9日に作戦発動、国境に築いた要塞防御陣地、前線飛行場はすべて踏み潰しましたが?
では改めてゼロ戦の話に戻そうか?
593 名無し三等兵 2017/06/15(木) 20:27:54.92 ID:Cv4caNBI
>>573
>8月一杯つかって周りをキッチリ解放してたから北海道に上陸できんよ
北海道と満州の同時爆撃は出来なかったのか?
日本海軍は開戦の数日間で、真珠湾・マレー・フィリピンの同時攻撃だぞ?
零戦は航続距離も空戦性能も世界一だから、ミッドウェー海戦で勝てばあとはアジア太平洋全域で暴れ放題。
開戦から数日で真珠湾・マレー・フィリピンを同時攻撃できる、こんな夢のような航空隊は類を見ない。 >>698
> 登場当時は最強戦闘機の一つだったが、段々優位性が失われ行って、
戦闘開始以来、九月二十七日までに、一六〇三機が撃墜され、一〇二八機が損傷をうけた。
その総数二六三一機は、戦闘開始のときに任務についた数と、ほとんど同数である。
小型機――急降下爆撃機や陸軍直協機――の損失もバカにならなかったが、より高価で大型の
ハインケルHe177やユンカースJu88のたえまのない減少は、補充生産が最早追いつかぬほどの打撃だった。
しかも撃墜された大部分は、ソ連上空であったので、ベテランの搭乗員の損失は、まことに深刻な打撃であった。
ドイツ空軍の戦闘力の出血状態は、しだいにひどくなっていったのである。
ドイツ空軍の飛行機開発・生産担当機関の責任者であるエルンスト・ウーデット上級大将にとって、
ソ連上空での大きな損失は、自らの破滅を意味した。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU2/lf6.htm
↑
1941年11月、ルフトバッフェの非力さに衝撃を受け、設計者は自殺してしまった!! >>684
アシカ作戦を止めた立役者という下駄とドイツ機優秀論が信じられていた時期に
「スピット居れば勝てるんじゃね?」みたいな発言が出てきたから強く見られてた
実際隼相手にハリケーンと混成とはいえ3:1でレーダー駆使して高所取ったけど
イギリス上空で美味しい思いをした格闘戦に持ち込んだものだからワンサイドキルされたなんて言う話もある
[型も隼V型と加速で互角という有様
つーか長距離飛んできてなお敵戦闘機に対抗できるなんて言う日米機がオカシイ 1. 大祖国戦争(独ソ戦)中、レーニンの遺体をチュメニに退避させた。
2. クレムリンの教会の円屋根は、敵の戦闘機に気づかれないよう、ベニヤ板の装飾と黒い塗料でカムフラージュされた。
3. 1941年の攻撃の際、モスクワのクレムリンは8回爆撃されたが、爆弾の一部は爆発せず、残りはわずかな損害しかもたらさなかった。
大祖国戦争の33の事実
https://jp.rbth.com/arts/2015/06/22/33_53353 >>715
イギリスは元から夜間爆撃なので
スピットの護衛とか考えてないよ
寧ろ米軍第8空軍なんか
高高度飛べる戦闘機無いから
スピット借りてた位
スピットIXと初期のP47の行動半径はそんな変わらん 不破 ソ連にとってポーランドは非常に難しい国でした。39年にヒトラーと組んでポーランド国家
を消滅させたのが、ほかならぬソ連ですから。一方、イギリスはポーランドと同盟関係にあり、
そのことからドイツとの戦争に踏み切った国です。つまり、イギリスにとって、
独立ポーランドの再興はこの戦争の最大の大義というべき問題でした。
ところが、41年6月に独ソ戦が始まった時、スターリンは、英ソ交渉の最初の段階から、
東部ポーランドをソ連領と認めよ、という要求をイギリスに突きつけるのです。
その年の12月、イギリスのイーデン外相がモスクワを訪問しました。ドイツ軍の猛攻からモスクワを
守りぬいた直後の時期でしたが、英ソ会談でスターリンが最大の議題としたのは、援助問題ではなく、
戦後ヨーロッパの国境問題、なかんずくポーランドにかかわる領土問題でした。イーデン外相も驚いたのですね。
石川 スターリンは、ソ連の役割なしにはヒトラーを倒せないというイギリス、アメリカの弱みを見事に
逆手にとっていますね。英米に援助を“お願いする”というのでなく、ソ連の要求を受けいれるのは当然、
という姿勢が、ここにもはっきり出ています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-10-20/2015102010_01_0.html >>720
初期の奴と比べて何が言いたいんだお前はw
その時期にターニングポイントがあったとでもいうのか? そもそもソ連空軍のパイロットが偉そうなこと言っている割には、
ノルマンディー上陸まで、数で勝っているくせに制空権取れてないんだよな
ノルマンディー上陸で、ドイツが東部戦線の航空機を引き抜いて西部戦線に
移動させた後で、やっと制空権が取れた >>723
空戦で勝っても航続距離短いもんw自分の領土広いくせにw
護衛戦闘機が居なければ犠牲覚悟で爆撃できても制空権はとれんわな >>720
>イギリスは元から夜間爆撃なので
夜の魔女はどんな人たちだったのか
Po-2の乗員はパイロットと航空士から構成されていたが、航空士は主に女子大生だった。
ポリーナ・ゲルマンはモスクワ大学歴史学部、イリーナ・ラコボリスカヤはモスクワ大学物理学部、
ライサ・アロノワはモスクワ航空大学で学んでいた。3人は講義を行い、雑誌を発行し、
また誌を書くなどして、特別な空気を連隊に吹き込んだ。
第46親衛夜間爆撃航空連隊の隊長はエヴドキヤ・ベルシャンスカヤ。女性唯一のスヴォロフ
将軍勲章の所有者だった。ベルシャンスカヤ隊長の連隊は終戦まで戦い抜いた。戦争中、
第46親衛タマン赤旗勲章・スヴォロフ勲章航空連隊の隊員は、約2万4000回出撃した。
隊員は戦勝の日をベルリン近郊で迎え、この幸せな日まで生き延びることのできなかった
仲間のことを考えた。母国のために英雄的な死をとげた33人の女子たち...9人の隊員はソ連の英雄になった。
上空にあらわれるナイトウィッチ
https://jp.rbth.com/society/2015/05/08/52833 >>723
>そもそもソ連空軍のパイロットが偉そうなこと言っている割には、
>ノルマンディー上陸まで、数で勝っているくせに制空権取れてないんだよな
1 ドイツ軍はスラヴ人を大量虐殺したが、スラヴ人は断固反撃してファシストドイツを粉砕した。
2 日本軍はチンピラゴロツキを懲らしめるために出征し、チンピラゴロツキは小便ちびって逃げ回った。
3 チンピラゴロツキは逃げ回った恥を隠す為に、極悪な日本軍に虐殺されたと騒ぎ出した。
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。
一部の観測筋は疑っているようだが、私には、ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。
これがソヴィエト大祖国戦争と中国抗日戦争の最終結果なのである。 >>723
ドイツは野戦用防空レーダーがあったがソ連は無かったからじゃねーか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています