Fw190はやっぱり強かったって本当? [転載禁止]©2ch.net
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
↓のサイトに騙されました!
おかげで艦これオフ会で恥をかいてしまいましたよ
レヒリンのデータはごまかせるようなもんじゃなかったらしいですね
Fw190の真実
ttp://homepage1.nifty.com/HARPOON/Fw190/title.html >>818まあ性能低下してるかもだがそれであの上昇性能加速力だから。 >>818
エンジン側の設計がちゃんとしてればそもそも
強制空冷ファン必要な機体じゃないからな つかフォッケは本当にカウリング絞ることで損失に見合う効果得てるのか疑問
案外米軍機みたいなスピナー無しでガバっと空いたカウルでも
実は大差ないんじゃないの BMW801は冷却不足で
性能上げれなかったけどね Fw190は1930年代後半のダクテッドスピナーが大流行した時期の設計だということを忘れちゃいかん。 >>822
オバヒに悩まされてたF2Aがフィンランドで大活躍したのに対し
どうしてソ連で戦ったお前はそう根性が無いんだ >>824
ツインワスプだけど太胴のワイルドキャットは
上手くいったみたいね
サイクロンに戻したFM-2でも支障は出てない
コルセア初期型はエンジン過熱に悩まされたみたいだが プラット&ホイットニー R-1690 ホーネットは9気筒28リッターで
ユンカース輸送機に使われておりこれを二重にして1550馬力にする予定
だったが過熱に悩まされた
とうじ本家のアメリカでも18気筒には手を焼いており実用段階ではなく
WW2では依然として14気筒が主流で18気筒を何とかモノにし得たのは米国のみ
そこで急遽14気筒に図面を引き直したのがBMW801で熟成期間がたりずに
過熱に悩まされFW190の操縦席は高温になり胴体を引き伸ばすなど苦心した
しかもこの空冷エンジンはダイムラーよりも高品質ガソリンを要求というオマケ付きだった
Fw190試作機は抜群のダッシュや高速ロールをしめし、ゲーリング元帥により
まだ怪しげな空冷BMW801エンジンの量産命令が下りる
しかし量産化されてもなおFw190は異常な排気炎になやまされ
量産中期型でもなお空冷エンジンはとつぜん爆発炎上したという
クルトタンクは「わたしは空冷エンジンを後悔したことはない…」と語るが
あまりに酷いエンジンでBMW社にタンク本人が怒鳴り込むありさまであった じゃシュベツホフASh-82が良かったのかと言えば
これはライトサイクロン9気筒が元になってる14気筒40リッターで
900キロと致命的に重い欠陥がある
さらに1850馬力以上にどうやっても引き上げることができない、
1900馬力にすればすぐ壊れてしまう
更にラボーチキンには長距離の爆撃機援護を追加される
よーするにソ連もB29とP51ムスタングのセットが欲しかったのだが
ジェットではどうしても短足なので
レシプロ戦闘機は長距離護衛をさせることになった
イスパノ・スイザ12気筒は千馬力級でパワーアップが難しかったので
長距離戦闘機への改造は諦め
空冷1800馬力のラボーチキン戦闘機のタンクを大きくする手法を取られた
さらに痛いことに他国が2000馬力以上に軒並みあがっていく時代にあって
頼みの綱の空冷エンジン強度の不足もあきらかになる
限られたパワーに重量増加となり、戦時型よりさらに性能低下を招くことになり
空冷ラボーチキンも戦後1960年まではロシアや中国空軍などの主力をしばらくしめたが
P51のようなWW2のレシプロ戦闘爆撃機に対しても劣る空戦性能しか無く苦労をしいられる ソ連機はアンダーパワーの機体をあり得ない軽量な機体で高性能を発揮した感じ。
YAK3とか https://ww2aircraft.net/forum/threads/the-benifits-of-the-bmw-801-oil-cooling-system.19028/
ここのページの議論が面白い
個人的には強制空冷ファンとカウル内の環状オイルクーラーにこだわったのは
エンジンのユニット交換を重視した(オイルラインの複雑化を避けたかった)
という説が説得力あるかな
コルセア、シーフュリー、ベアキャットとか大戦後期〜末期のはみんな
翼内オイルクーラーが肥大化して空冷機というより油冷機みたいになってるので まずFw190を参考にしてキ61に金星エンジンを提供した土井技師は
五式戦闘機を反省して、「しかし吸気孔がエンジン上に
オイルクーラーがエンジン下にある雑な図で洗練が足りない、心残りだと述べてる
空冷エンジンは大直径でできるだけ抵抗は減らしたい
Fw190はオイルクーラー・空気導入インテークはカウル内にすべておさめたのに
五式はすべて補機類は露出させる格好になってしまった
その差はわずかだと見ることができるが、おそらく邪魔を取り去れば時速580キロから
600キロに伸び液冷機と大差なく完成しただろう LaGG3はシュベツホフm82エンジンを急遽収めるためにLa5戦闘機は
キ100と同じく機首上面に吸気口をあけてエンジン真下にオイルクーラーをぶらさげた。
五式戦闘機と全く同じ突貫工事であるが
空力研究所ツアギはまだLa5は不満があるとみなしておりLa7ではパイロットの視野を妨げる
上面のインテークは取り去られ、Fw190とおなじカウル内に収められた
そのほかオイルクーラーはP51ムスタングのように胴体後部に移されることがきまった
ラボーチキンLa5はメッサーBf109G戦闘機をはじめてしのいだ高性能機といわれ
頑丈で運動性のいい木製機LaGG3から、運動性が更に磨きがかかった
抜群の加速力をしめし、クルスク作戦では秘密兵器として大量投入される
1943年夏にドイツ空軍はラボーチキンLa5を捕獲して繊細なレポートを書いた
それによればラボーチキンLa5は3000メートル以下の高度で優れており
エンジンコントロールレバーが6個もあり(スロットル・混合・プロペラ・ラジエータとカウルフラップ
過給器のギアボックス)別々に操作しなければならないことにおどろき
Fw190はコマンドゲラートによりひとつのレバーで済むとのべてる
もっともこの統合システムは米海軍にもなくコルセア戦闘機の2700馬力の戦後型で
ようやくコマンドゲラートが装着されてるからソ連が格別遅れてるわけでは、ない
La5はBf109よりロールレートが優れてやや水平速度でおとり
また上昇力はFw190よりまさり、しかし急降下のツッコミでは190に劣った
おおむね同じような性能であるとされるがただしコクピットの密閉が不完全で
排気ガスで呼吸がくるしくなる、これを解消するために軍の重大命令に違反して
パイロットはしばしば風防を開け放しでとんだがこのために速度はイタリア戦闘機ほどの
480キロに落ちてしまったという
敵を見ると風防を締めてあわてて加速したが時速370キロ以上では人力で締めるのは
不可能だったとレポートにある。つまりいったん400キロ以下にがくっとおとして再加速
という漫才のようなことをやっていたらしい 細かい話だが、コマンドゲレート(Kommandogeraet)だよ
AEはAのウムラウトと同じ発音 読み直したら文章がめちゃくちゃだな orz
結果的にはオイルラインを極力コンパクト化して防護するという似た結論
↓
結果的にはオイルラインを極力コンパクト化して
オイルクーラー防護するというFw190と似た結論
P-47もターボ付いてるけどオイルクーラーの配置はF6Fと似てるし
カウリング内に収められて被弾に強いのも同じ
空冷機のメリットを最大限に生かしたいという意思を感じる ラボーチキンLa5が完成するずっと前にLaGG設計のひとりであるグドコフが
LaGG3にシュベツホフm82をつむという改造をやり遂げてる
もちろんLa5の、648キロとくらべて魅力のあるものではない
ただスホーイsu2の機首を切り取ってLaGG3につないだ雑な作りのため
シュベツホフが1400馬力しかなかったせいもあるが時速580キロにとどまり、
LaGG3も最高速度は580キロぐらいでラボーチキンとしては生産ライン変更の意義がない
グドコフはさっそく第19工場で生産をもちかけて、冷たく断られたと愚痴ってる
グドコフはP39エアロコブラをそっくりまねた木製エアロコブラ、グドコフGu1を作り上げる
そっくりまねた、といっても目的は23ミリ・モータープシュカ(モーターカノン)の大火力にあり
さらにイスパノと違ってモーターカノン搭載できないBMWの巨大エンジンを転用できた
45ミリ砲を軸武装したグドコフGu2も予定されるなど軍部の期待がかけられた
軍がグドコフGu1を必要としなくなったのはP39エアロコブラの本物がレンドリース船団で
大量に輸入されたためとされる
ところがグドコフGu1は200メートルほど宙に浮くと横転して墜落した
これは設計ミスがあったとされグドコフは軍事裁判で有罪となり、航空機から追放された
砲兵総監のクリーク元帥が23ミリ機関砲を憎んでいた政治がらみとされる
そのため23ミリ砲の設計者はサボタージュを働いたとして23ミリ砲で処刑される
砲兵総監のクリーク元帥は「サブマシンガンは警官の武器、ライフル銃は軍人の武器」と
海兵隊みたいなことを言っていたためソ連軍のマシンガン導入はおおいに遅れる
ほかにも無能無恥と評判とり拙劣な指揮で
ドイツ軍によるレニングラード包囲を許し多くの市民を殺す悲劇を生んだとされ
軍事裁判で有罪・銃殺とされつつもスターリンの友情から第4親衛軍に転属した
ただ大戦末期にはかつてのうらみから、軍を退役させられた後逮捕。
1950年8月23日に死刑判決を受け、翌8月24日処刑された。 エンジン吸気口、オイルクーラー吸気口を主翼前縁に開口したらいかんの? 研究機関のNACAによれば胴体から発生する渦はどんどん厚くなるので
胴体後部に冷却器をおくのは全く冷えずサイアクの愚策ということになってる
しそのうえ冷却ラインの引き回しが長くなり被弾損害やオイル漏れの危険が増す
という結論になる
P51は胴体の渦流をよけるため胴体からはなして開口してるがラボーチキンLa7の
胴体オイルクーラーも同じで、ただ正面投影面積が増大、確実に抵抗が増えるが難
そのうえで機首に開口すれば最も冷える上に空気抵抗も減るとしてる
この勧告にもとずきカーチスP40やホーカー・タイフーンは顎型ラジエーターになり
またユンカースが開発販売した環状機首ラジエーター一式も同様の理論である
ただ英軍はユンカース式は整備に難があるとし、簡単におろせるアゴ型に落ち着く
NACAが提案してた主翼付け根は、いわば中庸の策で被弾に弱い上
胴体の渦の影響は受けるし主翼の揚力もそぐもしれないが悪くはないとしてる
P39エアラコブラやコルセア戦闘機が米国の採用例
ソ連の研究施設ツアギは翼付け根を気に入っておりヤーク戦闘機も
胴体下のラジエーターを翼付け根に移植させられてるしシュツルモビーク攻撃機も
同じような改良を進められてる ・どのみち正面投影面性が増えないことが主眼なら胴体の前に置くことが最善で
それがダメなら当然、胴体から生えてる翼前縁にオイルクーラーを置けばよい
・わざわざ胴体下面とかに「ラジエーターを生やし」抵抗源を作ることはない
といい切ってしまえば簡単ですが確かにP51の妊婦ボテ腹は冒険に見えます
またマッキも飛燕もP51も冷却不足に悩まされたので
マッキは機首移設をもくろみ、飛燕はニューギニアで「お湯沸かし」で飛べなくなり
P51もラジエーターまえに車輪カバーがさがってるとオーバーヒートするので
地上では引き上げておく、ややこしい機構を付けました
また主翼付け根はツアギの提言のごとく最善ではありますが言うは易しで
もっとも強度が必要とされた主翼付け根の分厚いメイン桁材をどうやってよけて
風を通すのか?巧みに作れたとして構造が凝ったものになる(コルセアのように)
また車輪を置きたい、武装を置きたいなど優先順位もあります
日本軍は内側折りたたみ式しか出来ませんでしたがこれも車輪が妨害し
根本の主桁などよけたりして主翼構造が複雑に弱くなりますので
主翼つけねのラジエーターは思いもよらぬことになります
できればコルセアやスカイレーダーのように後畳みにしたいと日本陸軍は思っており
また離陸時に空気抵抗で勝手にひっこむので出撃トラブルは減る
とはいえ車輪を起こす強力なモーターが必要で大戦末期にようやく試作段階でした アゴ型は見た目がイマイチなのが難点だね
Ju 87とか彗星はまだいいけど、テンペストなんて性能はいいかもしれないがかっこ悪すぎる 五式もだが四式戦も途中からオイルクーラーが大型化してるんだよな
一式戦も環状冷却器廃止するだけじゃなく三型でインテーク大きくなってるし
きれいにまとめようとしても出力増大で冷却が追い付かないのはどこも共通の悩みなんだろうな
ワイルドキャットは両翼下にオイルクーラー付いてたがFM-2でエンジン単列化して
オイルクーラーと補機納めるスペースを稼いでいる
http://www.angelfire.com/dc/jinxx1/Wildcat/FM1wingfold.jpg
http://447.insidetrackmagazine.com/wp-content/gallery/wildcat-fm2-at-duxford/Wildcat-FM2-at-IWM-England-0354-6098.jpg >>842
後畳みといえば同じく中島の十一試艦爆
あの後方引き込みの脚の実用性は結局どうだったんだろう >>845
90度回ってダイブブレーキモードになるっていうけど
脚収納直前の状態で固定できるってことなのかな つかやっぱこっち↑だよなあ、常識的に考えて
後方引き込みなんだから収納時に車輪が90度回るのは当り前だし >>845
海軍が輸入したノースロップBTはダイブブレーキ兼ねた後方引き込み脚だけど
回転せずにそのままカバー内に収めるタイプで、ハイネマンはXBT-2(SBD原型)で
横方向引き込み脚に改めてる
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/de/Northrop_BT-1_at_El_Segundo.jpeg
ヴォートが90度回転採用する前に、お手本にできるような機体ってあったのかな? 顎はなあ・・・ P-40も「もっと胴体に埋め込まないと抵抗でかいよ」っつわれて
あれこれいじって下顎ドーン!だし >>850
空力別にすれば兵器としての合理性は一番高いんだよ>顎
メンテ楽だし、被弾しにくい箇所で、装甲するのもさほど難しくないから 丸・2019.3「ナチスの猛禽Fw190アクションリポート」より
『スピットファイアMk.\の登場でFw 190とのバランスは拮抗していたが、高高度性能と上昇性能や、速度でFw 190を突き放すグリフォンエンジン搭載のスピットファイアMk.Ⅻがイギリス本土防空専従となったことで、ドイツ空軍は英仏海峡から撃退され…』
いやいやスピットM k.12は、グリフォンV(一段二速)搭載でむしろ低空用の戦闘機だろ…
これ
書いた宮永忠将ってヤツ、信用ならんな >>852
Fw190の高々度性能がまああれだからねえ…
Me109だって別に褒めるほどよくないし
比較対象次第で評価なんて変わってくるべ
てか、グリフォンVって一段二速なん?
たいして興味ないから、普通に二段二速かと思ってたわ Mk. XIIってMk. IXに比べると、速度と引き換えに上昇力と旋回性能に劣っていた
(ttp://www.spitfireperformance.com/spit12afdu.html)ので
ベテランパイロット以外には扱いの難しいシロモノだぞ。
初の実戦ではMe 109に敗北を喫して撃墜されてるくらい。だから英本土に来襲する
爆装戦闘機の迎撃専任になった。結局、ドイツ空軍が英仏海峡から追い払われた原因は
コイツじゃなくて、Fw190とLFを含めて性能互角なMk. IXが充分な数だけMk. Vと
置き換わったこと、そしてただでさえジュビリー作戦の頃からドイツ側に対して数的優位を
確保していた所へアメリカ陸軍航空隊まで来援したことだよ。 >>852
どっからそんなヨタ話持ってきたんだよww
https://en.wikipedia.org/wiki/Focke-Wulf_Fw_190
The Fw 190A started flying operationally over France in August 1941,
and quickly proved superior in all but turn radius to the Royal Air Force's
main front-line fighter, the Spitfire Mk. V,[3] particularly at low and medium altitudes.
The 190 maintained superiority over Allied fighters until the introduction of the
improved Spitfire Mk. IX.
スピットIXのエンジンはP-51と同じ
二年後にP-51にボロクソやられていたのに、何でそんなとんでも話を信じるかな 数字が読めないバカが居るwwwww
352は文字化けしてるがユニコードのXIIだぞ >>853
低空でもP-39や中期以降のソ連機にボコられてるし…
>>854
サンボルがヤバかった、航続距離で圧倒し戦略的不利を被った上に
D型、大口径ペラと強化されてって完全に死んだ >>858
P-39や中期以降のソ連機だって同時期のドイツ機にボコられてるんで、
Fw190の損害のみを指摘するのはよろしくない
何が言いたいかって言うと、パイロットの練度って大事よね
(大戦中期はドイツ空軍の脂が最も乗ってる時期。この時期、わざわざ
ソ連パイロットにスコアを献上していたのは双方の全開高度の差を軽視した
未熟者だろう) >>859
>P-39や中期以降のソ連機だって同時期のドイツ機にボコられてるんで、
赤軍は1943年8月にオリョール解放、10月にキエフ解放。
制空権の無い地上軍がこんなに快進撃するものかね? 1944年まで東部戦線にいたドイツの将軍たちは、西部戦線に廻されてきて昼間のんきに移動して
連合軍のヤーボにやられまくっているよな >>859
Er−2爆撃機なんていう鈍足双発機にベルリンへの戦略爆撃許してて
敵機ボッコボコ!!は無理があるでしょ
ラボーチキンやヤコブレフみたいな優秀戦闘機と認められるパイロットの練度を作ったのも
P-39抜きだとどこで練度を稼いだの?って話に
全開高度ねぇ…そりゃあ低空はシュトルモビクと共に低空大好きP-39に占められ
高空から爆弾を落とそうにもその長距離爆撃機を護衛できる単発戦闘機はドイツに存在しない(航続距離短すぎ) まぁそのソ連機は朝鮮戦争でボッコボコにされてるけどw
低空に於いて
F8F>>F4U>P-63>La≧P-39≧Bf109G>>Fw190>Bf109F
こんなとこだろう、G型の配備状況、稼働率から考えて
ドイツ機は調べれば調べる程布張りや木製機に対しイキり散らすしか出来てないって解る 戦闘開始以来、九月二十七日までに、一六〇三機が撃墜され、一〇二八機が損傷をうけた。
その総数二六三一機は、戦闘開始のときに任務についた数と、ほとんど同数である。
小型機――急降下爆撃機や陸軍直協機――の損失もバカにならなかったが、より高価で大型の
ハインケルHe177やユンカースJu88のたえまのない減少は、補充生産が最早追いつかぬほどの打撃だった。
しかも撃墜された大部分は、ソ連上空であったので、ベテランの搭乗員の損失は、まことに深刻な打撃であった。
ドイツ空軍の戦闘力の出血状態は、しだいにひどくなっていったのである。
ドイツ空軍の飛行機開発・生産担当機関の責任者であるエルンスト・ウーデット上級大将にとって、
ソ連上空での大きな損失は、自らの破滅を意味した。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU2/lf6.htm
ソ連上空でドイツ軍がボコられてるソース
>>744
だいたい発見さえ間に合えば迎撃側の方が優位なんだよな
飛行し疲れていて爆撃機から離れられない相手に対し
一撃離脱・格闘戦、好きな方を選べるから
で、防戦一方のアジア方面イギリス軍がキルレで互角…って事はそういう事 >>864それパイロットが中華や北チョンの出来損ないだろ。ロシア人パイロットからフォッケはあまり評判よくなくてメッサーの方が強敵扱いだったな。 ドイツ空軍が、強力な予備戦力をもっているあいだは、事態はまだそれほど悪くはなかったが
イギリス、ソ連との戦いでの大消耗は、様相を一変させてしまった。
しかも、最早旧式になったHe111、Ju87およびMe110と交代させようとしていた
He177爆撃機とMe110戦闘爆撃機の生産は、重大な支障がおこり、ともに失敗してしまった。
空軍を質的にも、量的にも、適切に装備保有するというウーデットの任務は、いまや明らかに失敗した。
彼は、しだいに健康をそこない、精神状態も不安定になり、ついに一九四一年十一月十七日の朝、ピストル自殺をとげてしまった
日本からしたら1941年11月なんてこれから対米戦だーって状況なのに
ドイツの将軍は悲観して自殺していたとか…
ソ連地上部隊に易々と侵入を許しぶっ壊されるケースもあるとか
如何に目が働いてないか、爆撃機がさぼってるかの証左
>>866
パイロットの補正付けたらF4Uの辺りで〈越えられない壁〉が付くからw
ドイツを散々苦しめたP-39を叩き出すほどの格闘戦バカに散々しごかれてたのに
碌なパイロットも無いP-39にボコボコにされる、良くて互角なんて言う機体にイキってた機体を用いたら
さらに改良してたF4U-5以降の機体に勝てんわな >>865
そこ見ると
あらゆる型式の爆撃機を投入したこの攻撃には、それ自体、不利な点があった。
ソ連軍地上部隊は、ドイツ機がやってきても地に伏すようなことはせず、手ぢかにあるあらゆる兵器をもって発砲して
抵抗したためドイツ空軍は、大きな損害をうけたのである。
つまり、ドイツ空軍の損害は地上の対空射撃によるものと書いてあって、ソ連空軍との戦闘でやられたなんて
1行も書かれてないんだけど >>865
大体そこのホームページって、書いてあることが矛盾してるな
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU5/cmig4.htm
「ドイツの超エース、三五二機撃墜のエーリッヒ・ハルトマン少佐、三〇一機撃墜のゲルハルトーバルクホルン少佐、
二七五機撃墜のギュンター・ラル少佐、二六七機撃墜のオットー・キッテル中尉など、一〇〇人近くの一〇〇機以上撃墜者は、
ほとんど東部戦線のソ連機でかせいでいるではないか。
ドイツ戦闘機隊はやはりソ連戦闘機隊にまさっていたのであろう――と。
確かにドイツの戦闘機は、多数のソ連機を撃墜破しているが、その多くは開戦から一年足らずの間の急襲攻撃によって、
旧式なI15、16戦闘機やSB2爆撃機をうちとったものである。」
とか書いてあるが、ハルトマンなんて撃墜数のほとんどは1943年以降だし、バルクホルンも大半の撃墜数は1942年後半以降。
ラルも負傷して9か月休んでいて、大半の撃墜数を稼いだのは1942年8月以降。
つまり、そいつが言うところの、
「その後新しく出てきた戦闘機(ラボーチキン、ミグ、ヤクなど)や新型爆撃機は、被撃墜率が激減してきているのである。」
という時期なんだよな 脚の付け根で主桁が曲がっているが
ああいうのは強度計算で難しくならないのか?内翼は主桁と後桁、上下外板で
上手く左右連続したトーションボックスを形成して
強度的に有利な訳だが
脚より外側は機銃のハッチが大きく開いていて
曲げモーメントがそれほどクリティカルでない外側だからOK? たしか胴体中央で曲がった桁は倍くらい厚くなってる
一番応力がかかる部分だから正しい、
Fw190構造にかんしてドイツで詳細なカラーCG解説本が出てた
ユーロで1200円であまぞんだと600円ぐらいで売ってる
日本と違って定価強制売りがないからたまにやすくなる >>866
ごめん、ジェットだけじゃなくてレシプロもソ連Pがこっそり飛ばしてるんだw
まあLa-9やLa-11がボコられるのは仕方ないよ
ASh-82エンジンを1800馬力以上に強化できなかったから
相手はF4U-5とかシーフュリー、しかもまだWW2の実戦経験者が
ごろごろいた時期なんでそりゃ無理っす ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で
15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空
通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収
されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日
240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、
敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフト
バッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘
行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』
に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機
は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日
おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位
にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたる
も地上部隊の上空援護を保障できないでいる」
モスクワ上空の戦い
知られざる首都航空戦1941〜1942年
著者:ドミートリィ・ハザーノフ&アレキサンドル・ペレヴォースチコフ
訳:小松徳仁
発行:大日本絵画 La-9/11は無理に燃料積んで航続距離伸ばしたせいで機動力が落ち、
エンジンも無理な強化が祟って信頼性にも問題を抱えてたそうで
…それなんて四式戦? あとF-51Dだって旧式とはいえ、現役復帰時に再整備が施されてるから
Yakじゃやはり荷が重い やっぱり、Fw190の後継者五式戦が最優秀なんですね_φ(・_・ >>868
戦闘開始以来、九月二十七日までに、一六〇三機が撃墜され、一〇二八機が損傷をうけた。
その総数二六三一機は、戦闘開始のときに任務についた数と、ほとんど同数である。
小型機――急降下爆撃機や陸軍直協機――の損失もバカにならなかったが、より高価で大型の
ハインケルHe177やユンカースJu88のたえまのない減少は、補充生産が最早追いつかぬほどの打撃だった。
『『『しかも撃墜された大部分は、ソ連上空であったので、ベテランの搭乗員の損失は、まことに深刻な打撃であった。』』』
ドイツ空軍の戦闘力の出血状態は、しだいにひどくなっていったのである。
ドイツ空軍の飛行機開発・生産担当機関の責任者であるエルンスト・ウーデット上級大将にとって、
ソ連上空での大きな損失は、自らの破滅を意味した。
頭ついてんの?www >>874
普通にP-51に匹敵する燃料を搭載してたからなぁ
フィリピン陥とされた時点でタンクを抑えた軽量型疾風が居れば… >>877
対空砲火で撃ち落とされても、ソ連上空で撃墜されたことになるんだが 大体さあ、ハルトマンやバルクホルン、ラルたちを持ち出しながら、ドイツ空軍が戦果を挙げたのは
開戦後の1年だけみたいなことを書いている時点で、そこに書いてあることの信ぴょう性が低いんだけど >>879
文字通り恥知らずが無様な言い訳をしにやってきましたねw
1600機を撃墜する対空砲?
FM-2やF6Fを用いVT信管で対抗した米艦隊が2000の特攻機に難儀してたってのに
すげぇ防空だなぁwww
ガネフか何かでも配備されてたの?w 1. 大祖国戦争(独ソ戦)中、レーニンの遺体をチュメニに退避させた。
2. クレムリンの教会の円屋根は、敵の戦闘機に気づかれないよう、
ベニヤ板の装飾と黒い塗料でカムフラージュされた。
3. 1941年の攻撃の際、モスクワのクレムリンは8回爆撃されたが、
爆弾の一部は爆発せず、残りはわずかな損害しかもたらさなかった。
大祖国戦争の33の事実
https://jp.rbth.com/arts/2015/06/22/33_53353 >>881
じゃあ、そこにある「ソ連軍地上部隊は、ドイツ機がやってきても地に伏すようなことはせず、手ぢかにあるあらゆる兵器をもって
発砲して抵抗したためドイツ空軍は、大きな損害をうけたのである。」
という記述は大ウソということでいいんだな。
そんな大嘘が書いてあるホームページ内容なんて、そもそも信用できないな
ハルトマンたちが開戦後1年間で戦果を挙げたとか言っているしな >>883
『大部分』と『大きな損害』の区別も出来ないんでちゅかー♪
そういうのなんて言うか知ってる?恥の上塗りって言うんだよ??
だいたい地上軍による攻撃は>>867で既に言及してるんだけど
まぁお前如きの知性で読み解けるわけもないか♪
で?そんなクソバカがハルトマンタチガーとかソースなしで喚いたところで
だから何?以外何を言えばいいのかニャ〜? 問い:メッサーのほうが劣るというのはおかしいと思います。どの資料によっても、
I-16の-28および-29の高度3000メートルでの水平最大速度は440-460キロ
メートル台であり、一方Bf-109Eのそれは570キロメートルとなっていますが。
それに垂直面の機動でもI-16が勝るというのも初耳ですが?
実際の空戦では誰も最大速度を出そうとも思わないし、ましてや最大速度を
出したヤツはいないのではないだろうか?
原理的にもI-16ならば速度500キロは容易かつ急速に出すことができる。
メッサーE型は確かにそれよりも速いが、その差はさほどでもない。
空中戦では双方の速度にはほとんど差が出ない。I-16は加速性能が大きく、
とくにM-63エンジン装備の場合は爆発的ともいえた。先に挙げた水平面
の運動性能に加えて、この加速性能も2つ目の特長といえる。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/aviatorstale/Russianpilot.htm >>884
ハルトマンたちの記述については、反論しようがありませんまで読んだ こいつ前にも、ソ連パイロットの与太話を鵜呑みしていたやつだろ
自分に都合がいいことしか見えないんだろうな >>877
>ハインケルHe177やユンカースJu88のたえまのない減少は、補充生産が最早追いつかぬほどの打撃だった。
He177の実戦投入は1942年からであるので
その記述は明らかに間違いだし、そのソースの信憑性は著しく低いと言えるので
そんなのにしがみつくお前さんは猿並みの知能を曝していて
とても哀れに見えるね Ala1K//R
日本語が理解できないばかりか
書きたい事も整理できず短文連投を繰り返すゴ☆ミ☆
別にスーパーエース様が居るなら居るでいいけども
相対的に他大多数はどんだけ手ェ抜いてんのって話にしかならんよ?www
ましてYak-3がドイツ機相手に無双し第二次大戦時の最強格闘戦闘機とか有り得ないだろ >>889
必死に反論の材料を探しましたが、見つからないので煽りで返すことにしましたまで読んだ >>888
おおかたHe111と間違えたんだろ
確かに恥ずかしいミスではあるがw
つーかソース全否定に人格攻撃まで持って行こうとする必死さがヤバいwww >>890
本当に知性あるのかお前www
『スーパーエース様が居ようが居まいがどうでもいい』
当時Fw190のエースでも無いならそんな『話題逸らし』に付き合う意味も無い
肝心なのはソ連機が第二次大戦時の最強格闘戦闘機にまで繰り上げられる程
ボッコボコにレイプされたのは間違いないってこと 一九四五年一月一二日、すなわち第二次世界大戦におけるソ連軍の最後の冬季攻勢の
開始日に至るまで、東部ドイツの住民が赤軍の侵攻に対してどれほど不用意であったか
を知ると、いつも驚きもし震撼させられもする。ソ連を奇襲しても赤軍の侵攻はないだろう、
という考えが人びとの心に深く根を下しており、それがさらに何らかの「奇蹟的兵器」への
非合理的な希望によって増幅されていたにちがいない。同時に、すでに数年も続いていた
「計画的撤退」については、国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていた
にもかかわらず、この時点までの東部戦線移動の経過についてのほとんど信じられない
ほどの無知も確認される。一九四五年の一月とそれが直ちにもたらすであろう結果が
生じる以前に、東部戦線について現実に即した考えを持っていた者は、ごくわずかだった
に違いない。ソ連陸軍が千キロ以上も二十か月近くにわたって西方に前進した後では、
この圧倒的進軍がよりにもよってドイツ国境で阻止されうるであろうと考える、
いかなる理由もなかったのである。
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P215、216 >>888
歩兵用の小銃でや機関銃で、ドイツの戦闘機や爆撃機をばったばったとなぎ倒す無敵ソ連軍にとっては、
まだ銭湯に投入されていない爆撃機を落とすことなどたやすい 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四〜五月・・・・・・戦車第三師団、
戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。
師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。
<中略>
ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした
典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六〜七月頃)のドイツ
機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、
日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、
四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る
どころか優れた成果を上げているといえる。
<「陸軍機甲部隊」(学研)158頁 文・古是三春> 西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
www ドイツスーパーエース様が嘘をついてるって状況証拠はあるんだけども
百歩譲ってスーパーエース様以外脳障害レベルのクソザコナメクジでも成り立つし
どっちにしろ「ドイツ空軍はクソザコ」は揺るがないからな
フリッツ・ロージヒカイト大尉がどや顔でBf109日本に持って行って
ハ40ではないエンジン積んだ重戦型飛燕(キ60)と互角
鍾馗(2型ですらない)に完敗する程度の飛行機
で、本題としてBf109にすらFw190はちょくちょく劣る…?うせやろ?w
唯一の長所である稼働率すら手放したD型とか救えねぇ >>897
>重戦型飛燕(キ60)と互角
1939年に登場したMe109Eは
2年も新しいキ60と同等ということはナチは日本よりも遥かに先進的ということだなw 日本が輸入したBf109E-7は、支柱も付いてるし主翼下にデカいバルジも張って20km/h速度低下だかであまり本領発揮とは言い難いんじゃないかな。
F型でだいぶブラッシュアップされた感があるね
日本陸軍も隼一型なんてのが1942年の主力戦闘機だから、人のことを言えないんだけどもね >>898
重戦≒対戦闘機用に非ず だからな、一つ賢くなったね♪
まぁその重戦の内の一種である鍾馗でフルボッコにしたわけだけど
その鍾馗は「対爆撃機戦には使えるが、対戦闘機戦は無価値」なんて言う評価だった訳でな?
>>899
相対した敵がF2Aだの、P-39だの、ハリケーンだのだったし
扱ってるのが病弱淑女(檜与平談)でも敵がそれ以上に弱いなら何の問題も無い
P-40こそ落とすには苦労しても落とされる事はそう無かった訳だし
2000km以上飛んでそれらの戦闘機を屈服させれるなら文句は無かろう
あ、P-39に圧されてたドイツはもっと頑張って? 別に圧倒はされてないぞ?何で事実をゆがめて自分のゆがんだ思想を押し付けてくるんだろこの手の馬鹿は。 『・・・1942年から43年の間、P−40航空隊は北アフリカ、シシリー、イタリアの航空戦で鍵となる役割を果たした。
ある日の彼らの任務は爆撃と機銃掃射であり、別の日は中爆の戦闘護衛であった。
その欠点にもかかわらず、この種の航空戦においてカーチスP−40は優れた兵器であった。それは決して高速で
高高度を飛行できる機体ではなかったが、タフで、信頼でき、重武装で、相当量の爆弾を携行でき、
そして中国や太平洋と異なり、交戦した敵機よりもマニューバブルであった。P−40パイロット達は、
より最新のライトニングやサンダーボルトやマスタングで飛びたいと願っただろうが、ウォーホークはその時点
での唯一の米国戦闘機であり、彼らはそれでベストを尽くしたのだった。・・・』
(カール・モールスワース、MTOのP−40ウォーホークエース(オスプレイ社刊)より引用)
http://www.geocities.jp/yoyuso/p40/p40gall.html >>859
>P-39や中期以降のソ連機だって同時期のドイツ機にボコられてるんで、
ドイツ人はソ連軍に感謝してるのに、何で日本人はソ連軍に感謝しないんですか?
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。
一部の観測筋は疑っているようだが、私には、ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html
ソ連はなぜ1945年8月に北海道を爆撃しなかったか
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1565258375/ 鍾馗もあの時期に於いて垂直上昇するレベルのバケモノで
劣るとはいえYak-3も1分1100m以上の素晴らしい上昇力を魅せるが
Bf109は6000m6分
Fw190に至っては6000mを…7分?
ちょっと昇られたら簡単に逃しちゃうんだ
で、いくら最大速度自慢でも降下速度には勝てないよね、挙句格闘戦も苦手だもんね、そりゃ負けるわ
>>901
散々能…いや、脳無しを見てきたものだが
圧(お)されてた を 圧倒 と取るバカは初めて見たよwww
日本語知らんの?そんなんで歯向かってるの?恥ずかしくない???www >>904
大辞林より
圧す
優位に立って相手を圧倒する >同時に、すでに数年も続いていた「計画的撤退」については、
>国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていたにもかかわらず、
1943年夏以降の東部戦線は、ドイツ軍が後退するばかりだったはずだ。
なおイタリア戦線は第二戦線ではない。第二戦線はあくまでフランス。
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える
事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、どっちせよ(そのように実質的なも
のではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm
↑
英軍が地中海でモタついていたのは、ドイツ軍の善戦敢闘の証ではない! >>904あまり低学歴を晒さないでくれみっともない。 >>905
本当にコイツはもう…wwww
そっちは「圧(へ)す」なんだよマヌケ
何で事実をゆがめて自分のゆがんだ思想を押し付けてくるんだろ???www
https://www.weblio.jp/content/%E5%9C%A7%E3%81%99 それ言ったら日本だってP40やF4Fに押されてソロモンではキルレシオで負けてたじゃないか…・・
言い訳がひどいこいつ。 あの流れで圧倒されるが出てくるとは思わない…けど、もうちょっと親切に書いてみることにするわ
しかし対等にやり合えてたのはせいぜいBf109Gくらいで、そいつはクソ稼働率
稼働率の良好なE型やF型が劣勢に立たされ
軍馬で主力たるFw190が優勢に立てない時点で圧倒も間違いじゃないねw思い当たる節があったんだねw
あ、ちなみに該当するのは9番ね
軍勢などを進める。 「東海東山両道を−・して責め上る/太平記 13」 >>909
お?F4Fとドイツ機の戦闘知りたい?知りたい???www
マートレット(≠FM-2)の名で参加した英軍機に終戦直前までボコられてたってオハナシなんだけどw
それこそさぁP-39の逆バージョンで
ドイツ方面ではボコボコにされ役立たずの機体が日本方面では大活躍なら>>909の話は通るけど
ドイツも勝てない機体が日本でも猛威を振るったことに何か問題あんの????www 戦鳥 bunzoより
開戦から17年3月までの飛行機損耗状況は、
隼 83機
九七戦 134機
九七重 92機
九九襲 68機
九九軽 92機
百式偵 16機
九七偵 18機
と、主力機種の進出数のほぼ全てが喪失するブラッディな数字が残っており、
64戦隊の加藤隊長の戦死もほぼ必然の状況だったことが判ります。
また、これに対する補給状況も損失を補うには足りず、ほぼ全機種で保有数の減少が
見られることが南方軍飛行機補給計画並実績表から読みとれます。
九七戦が17年に入ってからも量産し続けられた理由のひとつが、これなのです。
陸軍航空隊は開戦4ヶ月で壊滅している訳です。
ですから、東南アジアに配備された連合軍パイロットや戦闘機が決して二流などではなく
十分に世界水準に達するものだったことが数字で実証されているということです。 中国代表『第二次大戦で旧日本軍はこんなに凄かったんだぞ、お前らのナチなんてその足下にも及ばんぞ!』
ドイツ外交官『 カ エ レ ! 』
過去の中国指導者はドイツ訪問期間、主に産業施設を視察した。ある外交消息筋はロイターに対し、「過去ドイツを訪問
した中国最高指導者のうちに第2次世界大戦犠牲者関連施設を訪問した前例はないと把握している」とし「習主席が
“日中歴史戦争”に飛び込もうとしている」と述べた。第2次世界大戦戦犯を合祀した靖国神社と対照的な場所を訪問し、
日本とドイツの違いを浮き彫りにしようという狙いだった。
https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=182545
>第2次世界大戦戦犯を合祀した靖国神社と対照的な場所を訪問し、日本とドイツの違いを浮き彫りにしようという狙いだった。
【韓国の反応】ドイツの外交官「ドイツは、中国が第2次大戦と関連して、
継続的に日本とドイツを比較することを好まない」と不快を表明
http://oboega.blog.jp/archives/37477726.html
>行くのを不許可にするというのはどういうことだ。
>観光客も訪れる場所なのに、国家主席が訪問することを許さないなんて…
>日本の顔色をうかがってるといわれても、何も言い返せないだろう…
何故か旧西ベルリン側にあるソ連対独戦戦勝記念碑。左上はソ連兵士、右手前は独ソ戦
で戦勝に寄与した(最初にベルリンに入ったとも言われる?)T-34戦車の実物です(下写真とも)。
ベルリン市民には好かれていないそうですが、ロシアを意識して撤去もできないそうです。
http://tompei1.la.coocan.jp/Ph-Berlin.htm 実際はイギリス軍はドイツと対峙するので精一杯で、本当に二流機だったので間違ってるが、この程度の連中に手を焼いた事実は変わらない。 >>915
>実際はイギリス軍はドイツと対峙するので精一杯で、
???
地上に生き残るための戦い
なぜ対戦相手、参戦国、または戦争地域のことを示唆しない、大祖国戦争という名称がロシアで使われているのだろうか。
ロシア人やソ連諸国の人民にとっ て、この戦争は祖国の戦争以外の何物でもなかった。自由と祖国の独立を求めた戦争であり、
生き残るための戦争だった。
ではなぜ頭に大がついているのだろ うか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍と の戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、ルーマニ ア、
クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦いが同レベルの戦いと
見なされ ることを理解できないでいる。ヨーロッパ諸国の多くの歴史教科書では、第二次世界大戦としてこの2つの戦いが同等に扱われている。
https://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899 >>915
>実際はイギリス軍はドイツと対峙するので精一杯で、
1942年6月の北アフリカのドイツ軍は僅か3個師団にすぎないんだが?
Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country 1941 1942 1943 1944
USSR 34 171 179 157
France, Belgium
& Holland 38 27 42 56
Norway & Finland 13 16 16 16
Balkans 7 8 17 20
Italy 0 0 0 22
Denmark 1 1 2 3
North Africa 2 3 0 0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html
>アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
>「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。 >>915
>実際はイギリス軍はドイツと対峙するので精一杯で、
日本軍のオーストラリア空襲は1943年11月まで継続されているので、
太平洋戦争で米軍が主導権を握るのはその後のことですよ?
西側諸国と亡命政府 西側諸国は,一方で相変らず第二戦線を創出できないでいること,
他方でソ連の対日戦争参加を強く望んだことのためにソ連に対して外交的に著しく弱い立
場に追い込まれた。西側諸国はこの問題においてソ連に対して譲歩しなければならないこ
とを痛切に感じ始めた。最も重要な同盟を失うかもしれないという西側諸国の恐れは,
スターリン が 1943年 7月半ばに, またしても第二戦線の創出が延期されたことを理由に
ワシントンとロンドン駐在大使を召還し, アメリカ大統鎮ルーズヴェルト CFranklinD.
Roosevelt) との予定されていた会談を無期限に延期したとき, とくに強まった。西側諸
国,とくにイギリスはいっそう強くポーランド亡命政府に圧力をかけてソ連の要求に応じ
させようと努力した。(21)
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/5035/1/KJ00000112975.pdf
1943年夏以降の赤軍は全戦線にわたって快進撃で、夏のオリョール解放を皮切りに、
10月にはキエフを解放している。それなのに西側の第二戦線開始時期は未定のまま。
つまり1943年10月に赤軍がキエフ解放している時期にも、米軍は太平洋戦争で
主導権を握れていないということだ。連合軍が本当に零戦に勝ったということなら、
オーストラリア空襲は中止されていてしかるべきだろう。
>スターリン が 1943年 7月半ばに, またしても第二戦線の創出が延期されたことを理由に
連合軍が主導権を握るまで二年もの歳月を有した太平洋戦争を無視したいならご自由に。
その間に赤軍がバルカン半島を制圧するだけのこと。もし日本軍がミッドウェー海戦に
勝利していたら、第二戦線はさらに遅れて西ドイツもソ連圏に入ったことは疑いない。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。