戦鳥 bunzoより

開戦から17年3月までの飛行機損耗状況は、
隼    83機
九七戦 134機
九七重  92機
九九襲  68機
九九軽  92機
百式偵  16機
九七偵  18機

と、主力機種の進出数のほぼ全てが喪失するブラッディな数字が残っており、
64戦隊の加藤隊長の戦死もほぼ必然の状況だったことが判ります。
また、これに対する補給状況も損失を補うには足りず、ほぼ全機種で保有数の減少が
見られることが南方軍飛行機補給計画並実績表から読みとれます。

 九七戦が17年に入ってからも量産し続けられた理由のひとつが、これなのです。

 陸軍航空隊は開戦4ヶ月で壊滅している訳です。

 ですから、東南アジアに配備された連合軍パイロットや戦闘機が決して二流などではなく
十分に世界水準に達するものだったことが数字で実証されているということです。