零戦の超高性能に嫉妬するドイツ人 [転載禁止]©2ch.net

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0001名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:15:22.84ID:V03aFCTM
高山正之「折櫛の記」43頁   『月刊正論』今年12月号より

 一方のドイツ人はよその国が馬鹿に見えてしょうがない。EUを仕切り、
再生エネルギーも範を垂れて見せるが、ただ日本人には何をやっても
敵わない。戦時中メッサーシュミットを飛ばしたが、米国の空飛ぶ要塞
B17には歯が立たなかった。そのB17が零戦にばたばた落とされたと
聞くともう憎くてたまらない。南ドイツ新聞のボルクが皇太子のズボンに
「役立たず」 と書いたが、ただ野卑さしか感じない。

ドイツの過大評価はドイツ軍のそれもろとも止めるべきだとおれさまは
痛感する。そのうえで日本は戦前からの先進国だった喜びを心から
噛み締めるべきだ。
0002名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:34:16.60ID:wMHKUli9
【Me】Bf109 vs 零式艦上戦闘機【ゼロ戦】 [転載禁止](c)2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1434091728/
海外「日本デカ過ぎだろ」 大戦中の世界の領土の変遷が分かる地図動画
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html

バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w
対日戦争がおまけなら、日中戦争はおまけのそのまたおまけww
ちなみに朝鮮戦争で米軍は、おまけのおまけな中国に大苦戦www
0003名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:35:54.17ID:wMHKUli9
第二次世界大戦の最終結果として、ドイツと日本では、日本が圧倒的に有利だった。ドイツ人にとって、
第二次世界大戦について日本と比較されることは、この上ない屈辱である!

 ヨーロッパでは、外交でうまく立ち回るために忘れてはならない鉄則がある──「第二次大戦について語るな」。
 だがドイツ(と日本)にとって不幸なことに、中国はこれを知らないらしい。
 今月末にドイツ訪問を予定している中国の習近平(シー・チンピン)国家主席は、是が非でも先の大戦に
ついて触れたいようだ。ロイター通信によれば、中国側はベルリンのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)記念碑
を訪問して記者会見を開きたいと要求したが、ドイツは拒否したという。
 中国の狙いはナチスの暴虐についてドイツを非難することではない。むしろ戦後何十年にもわたって反省
を重ねてきたドイツを褒めちぎり、それとは対照的に中国の思うように謝罪しない日本を執拗に批判することだ。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/03/post-3209_1.php

何故か旧西ベルリン側にあるソ連対独戦戦勝記念碑。左上はソ連兵士、右手前は独ソ戦
で戦勝に寄与した(最初にベルリンに入ったとも言われる?)T-34戦車の実物です(下写真とも)。
ベルリン市民には好かれていないそうですが、ロシアを意識して撤去もできないそうです。
http://homepage3.nifty.com/tompei/Ph-Berlin.htm

「絶滅戦争」を仕掛け、かつ返り討ちにされ、泣きながら仕方なしにこんな屈辱的な記念碑を残しているのを、
中国人は「ドイツは反省していて偉い」「日本にはそのような反省が見られない」と評しているわけだ。

            カ  エ  レ  !

の一言だ。
0004名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:36:03.81ID:BIsMO1Db
ドイツの撃墜王(300機撃墜)が零戦に乗って、
「これが量産されたら大変なことになる」って言ったらしいな
0005名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:37:44.37ID:wMHKUli9
米軍からみて、ヨーロッパの戦いと太平洋の戦いがどう違うかは、以下の表が示している通り。

The break-down of German and Italian losses against American,
British, and French forces in the war in Europe follows:
      Battle dead Permanently disabled  Captured    Total
Tunisia     19,600      19,000          130,000    168,600
Sicily       5,000       2,000          7,100    14,100
Italy       86,000     15,000           357,089   458,089
Western Front 263,000   49,000       7,614,794   7,926,794
Total       373,600    85,000        8,108,983    8,567,583
1 Includes 3,404,949 disarmed enemy forces.

The break-down of Japanese losses in the Eastern battlefronts,
including China, since Pearl Harbor is as follows:
        Battle dead  Permanently disabled Captured   Total
Southern Pacific 684,000      69,000        19,806    772,806
Central Pacific   273,000      6,000        17,472     296,472
India-Burma    128,000      38,000        3,097     169,097
China        1,26,000     126,000       1,059      253,059
           [sic]                            [sic]
Aleutians      8,000      1,000         30       9,030
Total       1,219,000      240,000        41,464   1,500,464

Biennial Reports of the Chief of Staff of the United States Army
July 1, 1943, to June 30, 1945 to the Secretary of War
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/COS-Biennial/COS-Biennial-3.html
0006名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:42:19.49ID:f1+1buYA
イギリス国民に勝利を宣言するウィンストン・チャーチルのスピーチ「明らかな国家元首である
デーニッツ元帥」という部分は事実上、少なくとも無条件降伏の瞬間までフレンスブルク政府を当局として
認識していたことの証拠であった。しかし、連合国はフレンスブルク政府を即座に解体することを決定した。
5月20日、ソ連政府はそれまでのフレンスブルク政府について考えられていたことを白紙にした。
彼らはデーニッツ政府(彼らは「デーニッツ・ギャング」と呼んだ)がどんな権力を持つことも許さず、
どんな考えでも厳しく批判、これを攻撃した。プラウダには以下の通り記述された。
デーニッツ周辺のファシストギャングどもの威信についての議論はまだ続いており、いくつかの目立っ
た連合軍の集団はデーニッツとその協力者の「活動」を利用することを必要と考えている。イギリス議会
でこのギャングどもは「デーニッツ政府」と呼ばれている。(中略)反動的な新聞『ハースト』の記者は
デーニッツの兵籍編入を「政治的に賢明な行為」と称した。このように、ファシストの物書きどもはヒトラー
の弟子たる略奪者と協力することを正しいと考えている。同時に、ドイツの右翼が差し迫った混乱に
似たおとぎ話を作り出したとき、1918年のドイツが条件付けたことを大西洋両側のファシスト報道機関
は広めようとしている。その後、降伏の直後、無傷のドイツ軍部隊が東方で新たな冒険に使われた。
現在の政治活動にも似たようなものが存在し、連合軍の多くの反動的な集まりはクリミア会議に基づ
いた新たなヨーロッパを作ることに反対している。これらの集まりはファシスト体制の維持を考えており、
すべての自由を愛する国々の民主主義の成長を阻害する手段を取ろうとしている。・・・(後略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E6%94%BF%E5%BA%9C
0007名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:44:03.57ID:f1+1buYA
>>6
> 連合国はフレンスブルク政府を即座に解体することを決定した。

バーンズ回答文
 1945年8月11日付 (ジェイムス・バーンズ国務長官)
1)降伏のときより、天皇および日本国の政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施のため、その必要と認める
措置をとる連合国軍最高司令官の制限の下に置かれるものとする。
2)天皇は、日本国政府、および日本帝国大本営に対し「ポツダム宣言」の諸条項を実施するために必要な
降伏条項署名の権限を与え、かつ、これを保障することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸・海・空軍官憲、
および、いずれかの地域にあるを問わず、右官憲の指揮の下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終止し、
武器を引き渡し、また、降伏条項実施のため最高司令官の要求するであろう命令を発することを要請される。
3)日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜、および、抑留者を連合国の船舶に速やかに乗船させ、安全なる地域に輸送すべきである。
4)日本国政府の最終形態は、「ポツダム宣言」に従い、日本国民の自由に表明する意思によって決定されるべきである。
5)連合国軍隊は、「ポツダム宣言」に掲げられた諸目的が完遂されるまで日本国内に駐留するものとする。
http://tikyujin-suganuma.a.la9.jp/sengosi/sen-mokuji/banzu.html
0008名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:46:35.91ID:h1+mtuqq
 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
 とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。
<児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁>

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )
0009名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:51:02.05ID:h1+mtuqq
第二次世界大戦末期、連合軍はヤルタ会談によりドイツ占領地域の分担を決定した。ツァイスグループの事業場が
位置するイエナ、ドレスデンといった地域は全てソ連軍の占領予定地に含まれていたが、実際にイエナのカール・ツァイス
財団本部工場を占拠したのはアメリカ軍の方が数ヶ月ほど早かった。アメリカはソ連占領予定地であっても、
先に進駐占拠したという既成事実により、占領地域変更を目論んでいたのである。しかし、ソ連のヤルタ協定遵守の姿勢は硬く、
アメリカの思惑どおりに事態は進まなかった。
http://www.xylocopal.com/cc/zeiss.html

ドイツ住民が恐れていたのはロシア人による敗北と占領だった。この恐怖心はナチスのプロパガンダ
だけに由来していたわけではない。ユダヤ人の絶滅政策とは異なり,対ソ戦におけるドイツ軍の残虐行為
は帰還した兵士などによって広くドイツ国内に知れ渡っていた。そのため多くのドイツ人は報復を恐れ,
プロパガンダで広められたロシア人の「野蛮・残虐性」のイメージは真実味を帯びてしまったのである。
バドーファーによれば,ロシア人を「未開」で,「野蛮」で,「卑劣」だと非難することで,当時のドイツ人
は自分の不安と罪意識を振り払っていた。ある少年は,「ドイツにとって唯一の希望はアメリカの援助
を受けてロシア人と戦い,殺すことにある」と洩らしたという。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/19-1/RitsIILCS_19.1pp.175-189takahashi.pdf
0010名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:54:15.67ID:h1+mtuqq
東方国境紛争の経緯
■発生
・第二次大戦末期のソ連軍の侵攻→オーデル=ナイセ線の形成(1945 年 8 月ポツダム協定)
ケーニヒスベルクとその周辺はソ連へ移譲、その他のオーデル=ナイセ線以東の「旧ドイツ領」
は「最終的なポーランド西側国境の確定の時までポーランド国家の行政下に置かれる」→最終
的な国境確定は平和条約で
・ドイツ人の「追放」(1944 年秋?1950 年):全体で約 1200 万人(死亡者数は含まず)、内東方領土
からは約 700 万→「被追放者」(佐藤 2008: 61)
■戦後の失地回復要求
・ドイツ民主共和国→1950 年 7 月ゲルリッツ協定→オーデル=ナイセ線承認(「平和と友好の国境」)
・ドイツ連邦共和国→政府、主要諸政党(ドイツ共産党を除く)、国民世論の大多数はオーデル=ナイ
セ線承認せず
・公式の立場:「1937 年 12 月 31 日時点での国境線におけるドイツは戦後も存続する」(ロンド
ン協定、ポツダム協定、大西洋憲章(領土不拡大の原則)+ドイツ民族の「自決権」→国際規
範上の正当性)→「再統一」の国家目標
・世論調査の結果:1951 年 80%否認(別表参照)
・地図の描出(「1937 年のドイツ」が描かれる)
http://www.mt.tama.hosei.ac.jp/~ssbasis/JGD2013_sato.pdf

ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html

             あ  り  が  と  う  ソ  連  邦  !
0011名無し三等兵
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2015/11/26(木) 16:55:51.30ID:NleZKNKv
 ウクライナ危機をめぐりヨーロッパとの関係が悪化すると、ロシアはすぐさまヨーロッパの「過去の過ち」
を声高に批判し始めた。下院では、ドイツが第2次大戦中にソ連に及ぼした損害を算定し、4兆4700億ドル
の賠償金の支払いを求める動きも進んでいる
 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナの現政権を支持する人々をネオナチ呼ばわりし、
ヨーロッパ各地でネオナチが急速に台頭していると警告してきた。
 下院に提出された法案は、ルフトハンザ、シーメンス、BMWなどに対し、ラジオ、テレビ、印刷媒体での
広告でナチス政権に「協力した」事実を明示するよう求めている。
 この法案を提出した民族主義政党「ロディナ(母国)」のアレクセイ・ジュラフレフ議員は、ロシアのラジオ局
ガバリット・モスクワに対し、他にも大手小売りグループ、メトロ傘下のメトロキャッシュアンドキャリーや
コカコーラなどが対象企業のリストに入っていると語った。
「われらが同胞の血の犠牲に乗じて巨利をむさぼった企業、言い換えれば、ファシスト政権に協力した企業は、
少なくともその事実をロシアの顧客に知らせる義務を負う」と、ジュラフノフは語気を強めた。
 ロシアの日刊紙イズベスチヤの報道によると、法案は明示の仕方を詳細に定めているという。
 ナチス政権と「商業的なつながり」があった企業は、ラジオ広告を出す場合、その事実を告げる3秒以上の
メッセージを入れなければならない。テレビ広告ではメッセージの長さは5秒以上で、それに伴う画面上の
表示は画面全体の少なくとも7%を占めなければならない。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/06/post-3726_1.php
0012名無し三等兵
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2015/11/26(木) 17:09:18.40ID:NleZKNKv
 ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で
15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空
通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収
されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日
240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、
敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフト
バッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘
行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』
に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機
は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
 11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日
おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位
にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたる
も地上部隊の上空援護を保障できないでいる」
<モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941〜1942年
ドミートリィ・ハザーノフ/著 アレクサンドル・ペレヴォースチコフ/監修 小松徳仁/訳>
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